選挙戦、候補者は有権者に何を伝える? 有権者はどう「政治参加」する? - ある候補者とのやりとりから
国政選挙以上に日常生活に深く関わる、自治体議会の選挙。
投票時以外に、候補者の行動を気にする機会はあるでしょうか?
実績ゼロの新人に対して、何を・どこを見て評価すればよいのでしょうか?
投票権を持つ住民として、何をしていればよいのでしょうか?
最近、ある候補者とのやりとりから、大いに考えさせられました。
それは、ポスティングされたチラシから始まった
先月、2015年3月のことです。
帰宅し、いつものように郵便ポストを開けた私は、いつものように数多くのチラシと数通の郵便物を取り出しました。
郵便物とチラシを分け、チラシを捨てようとした時、「東京理科大学工学部第二部卒」という文字が飛び込んできました。
今月、2015年4月26日に行われる杉並区議会選挙に立候補した新人男性候補・Aさんのチラシでした(学歴等から、ちょっと調べれば「丸わかり」ではあるのですが、私はAさんの応援目的で本記事を書いているわけではないので、イニシャルにしておきます)。
Aさんと私は、ほぼ同年代、同じ九州出身、同じ東京理科大の夜間部(私は理学部第二部でした)出身。
しかもAさんは、夜間部である「第二部」を隠していません。私も隠さない主義なのですが、隠したがる人の方が多いのです。
「おっ!」と感じました。
思わず、捨てようとしていたチラシをしっかり読んでしまいました。
Aさんは結婚しておられ、お子さんもいて、共働き。
「保育園一揆」のきっかけとなった杉並区で、お子さんが保育園に入れないために共働きを断念しようかという瀬戸際も経験されたとのこと。
情報・電機を中心に民間企業で働いてきた経験の長いAさんは、1990年代に韓国企業が急伸していくさまを目の当たりにした経験から、日本の将来の発展と持続のために、教育の充実を大切に考えているとのこと。私にも似たような経験があったので、なんだか親近感を勝手に覚えてしまいました。
違和感を覚える内容もかなりあるのですが、Aさんの主張は「保育園」「教育」に絞られています。そこにも「おっ!」と思いました。
予算獲得も、施策の実行も、誰かが笑えば誰かが泣くことを避けられません。
誰を笑わせ、誰を喜ばせたいのか。
そうしたい理由は何なのか。そう思った背景は何なのか。
Aさんのチラシは、誰に何をどう訴えたいのかが明確でした。
しかも、広告代理店やデザイナーに多額の費用を支払った感じはしませんでした。
「期待してもいい候補者の一人かもしれない」と思いました。
ここが惜しい! 財源の具体性の薄さ
Aさんのチラシで一つだけ惜しまれたのは、財源についての話が具体的に述べられていないことでした。
わざわざ書かなくても、今後数年程度の期間で可能かつ現実的な財源対策は、「資産を持っている高齢者に対して増税する」「高齢者福祉を削減する」のいずれかでしょう(後記:「大企業に対して課税すればよい」という意見も数多く見られるところですが、私は法人向け課税については無知に近く、現在のところ、現状がどうなのか・どうすれば課税できるのかについて確固たる意見を持てていません)。
そしてもちろん、そんな話をしたら、選挙戦は戦えないでしょう。
高齢者・高齢者の介護が現実問題となっている世代の両方に嫌われることになってしまいます。
ここは日本です。
「自分の実行したい政策は◯◯で、そのための財源として◯税を◯%増税しようと思います」
と主張して選挙に勝利する候補者もいる北欧ではありません。
日本が、必要な増税や負担増について主張する候補者や政党も、内容によっては評価されて得票する国になれるかどうか。
必要な増税の時期が、選挙対策で左右されるような国でなくなるかどうか。
候補者や政党が決めることではありません。日本の有権者一人ひとりの自覚の問題です。
どの候補者も、財源の話を明確に主張できるような将来の日本を。でも、今は無理。
その現実は、やはり現実です。
Aさんにメールを送ってみた
しかしながら、チラシに何度も「おっ!」と思わされた私は、Aさんにメールを送ってみることにしました。
同じ東京理科大夜間部の出身者として、また、1990年代の電機業界にいてAさんと似たような経験を持つ者として、目的はともあれ、子どもの生育環境や教育を大切に考えている者として、
「同じ杉並区内に、共通するもろもろを持つ人間がいますよー」
とご挨拶しておきたいな、と思ったのです。
ただ私は、日本の将来の競争力や活力として、子どもの生育環境や教育を重視しているわけではありません。
子どもという守られるべき存在が、守られるべき基本的人権を保障され、社会へとフェアに接続されることが何より重要だと思っています。
その子どもたちが大人になったときに、
「日本の社会のために、日本の国のために働きたい」
と思うべき、とは考えていません。
充分な教育を受け、さまざまな力を身につけた若い人たちが、結果として「ここのために」と選んでくれることの多い魅力的な社会を作ることは、年長世代の責務だと思っています。
その点については「Aさんと私は基本的にスタンスが違うな」と感じました。
メールには、そのことも率直に書きました。
「私は特定の政党や候補者の支持はしない、是々非々主義です」
という自己紹介とともに。
Aさんから返事が!
私は、Aさんから返事が来るとは期待していませんでした。
多忙すぎるほど多忙であろう新人候補が、是々非々主義のスタンスを明確にしている一有権者のメールに返事はできないだろう、と思っていました。
メールを送ったことも忘れかけていた三週間ほど後、長文の、よく考えをめぐらされたと思われるお返事を頂戴しました。
そこには、子どもの生育環境や教育に関するAさんの思いの丈が、存分に語られていました。
Aさんは、子どもの人権やフェアスタートを軽視している人物ではないことが、大変よく理解できました。
そして私は、
「ああ、あのチラシの文面は、自分の孫でもなんでもない子どものためには動かないシニア世代に対して、たとえば保育園の充実を訴えるために考えられたものだったのかもしれないな」
と思い至りました。
ドロドログログロの現実の中で、ものごとを動かすには何をどうすればよいか。
経験に裏打ちされた知恵と実行力を、ある程度、期待できそうです。
ただ、それで杉並区が実際に動くかどうかについては……もしAさんが当選したとしても、かなり難しいのではないかと思いますけれども。
では、私はAさんに投票するか?
私はたぶん、Aさんに投票することはないと思われます。
私の投票には、
「女性」「概ね50歳以下」「主張している政策のうち具体的な部分の70%以上に賛成できる」
というポリシーがあります。
Aさんは、年齢と政策に関しては問題ないのですが、いかんせん、男性です。
……正直なところ、
「今回はあえて、ふだんのポリシーを曲げてもいいか」
というほどの影響は受けませんでした。
(お忙しい中でメールの返事を書いてくださったであろうAさん、すみません)
しかしながら、Aさんの今回の選挙の結果がどうであろうとも、今後ともAさんの活動に注目していきたいとは思っています。
日本の日常の民主主義のレベルを、自分自身から高める「公約」
「選挙に行く」「投票する」は、権利です。
この権利を守るためには、「選挙に行く」「投票する」を行い続けるしかありません。
そして私はこれまで、選挙で棄権したことは一度しかありません。
しかし、それだけでは全く不十分です。
私はAさんのチラシと、Aさんとのメールのやりとりを通じて、そのことを痛感しました。
身近な政治活動に、政治活動の担い手に、担い手となりうる人々に、誠実かつ持続的な関心を寄せること。
その関心のありようが、せめて地域社会の「当たり前」になること。
まずは、今、それが必要なのです。
あまりにも地味で、選挙の勝敗にも直接結びつかない土台ではありますが、この土台を固めることなしに「選挙に行こう」「投票率を上げよう」と声を張り上げても、どうしようもなかったのだと思います。
私は、一つの数値目標を立てました。
「国会を傍聴する回数の30%は東京都議会を、50%は杉並区議会を傍聴する」
というものです(ここで「傍聴」は、ネット中継・議事録読みを含みます。リアル傍聴はけっこう大変ですから)。
社会保障や生活保護という国政レベルの問題を追っていると、どうしても国会や各省庁の動きに注目せざるを得ません。
しかし、政策や法律が実際に施行される場は、自治体です。
自分の住んでいる自治体で何が行われているのか。知る権利はあるのですから、行使もすべきなのです。
そして気になる政治家(候補)には、できるだけ選挙と無関係な時期にメールを送ってみたり会ってみたりして、
「政治の担い手(候補)である貴方と、貴方たちの政治の実際を、気にかけています」
というメッセージを送り続けようと思います。