2011年3月11日、福島第一原発事故の一報に接して、最初に思ったこと

2011年3月11日、東日本大震災が発生した時、私は2匹の猫とともに東京の住まいにいました。

福島第一原発事故の報道に接して最初にわいた感情は、放射能のことではありませんでした。

「原子炉内部のシミュレーション、あれだけやってたのに?」

でした。

昔、お世話になった流体シミュレーションツールのこと

私は1990年から2000年まで、電機メーカーの半導体事業部づきの研究部門で、半導体に関わるシミュレーションの研究・開発に従事していました。半導体に関わるシミュレーションの目的は、大きく分ければ、「何を製造すればよいのか?」「どうやって製造すればよいのか?」「製造された製品はどのような動作をしそうか?」の3つのいずれかとなります。

1994年ごろ以後の私の研究対象の一つに、「どうやって製造?」からもう少し具体的に踏み込んだ「どういう装置で?」がありました。半導体の製造工程には、何十回となく「洗浄」という工程があり、洗浄後は洗浄液を速やかに除去する必要があります。この「洗浄後の洗浄液除去」に注目した研究でした。

勤務先には、ほとんど誰も使っていない流体シミュレータが既にあり、目的とする「洗浄後の洗浄液除去」のシミュレーションのための機能が含まれていました。現在はみずほ総合研究所から発売されている「α-FLOW」です。日本のいくつかの企業が費用等を出し合って共同開発した「日の丸シミュレータ」で、私の当時の勤務先も資金提供していたため、製品が社内にありました。現在はさらに機能強化したラインナップ・原子力関連の計算に特化したラインナップが存在するようです。私はこの「α-FLOW」を使い、開発元である富士総合研究所(当時)のエンジニアの協力・勤務先の計算機管理部門の協力を得つつ、具体的に問題の解決へと向かう研究を行うことができました。その後、再開できないまま現在に至っていますが、当時協力してくださった方、さまざまなアドバイスを下さった方々には、現在も感謝しています。

最先端・高性能な手法とツールは、原発・航空・自動車から来ることが多い

流体シミュレータ「α-FLOW」は、当時としては世界最先端の一つでしたが、半導体業界のために開発されたわけではありません。開発と応用の主力となっていたのは原子力業界で、ついで建設業界だったような記憶があります。

研究・開発には、当たり前の話ですが、費用が必要です。高い機能と完成度を求めるならば、多額の費用が必要です。流体シミュレーションに関して、その費用を出すことのできる業界は、主に原子力・航空・自動車、ついで建設、半導体の一部、といったところでしょう。その背景のひとつは「お金があるから出すこともできる」でしたが、これらの業界では「何か不具合や事故が起こった時の社会的影響と経済的損失が非常に多大なので、予防のための投資が必要」という認識が共有されていたということが最も大きいのではないかと思われます。

流体シミュレータだけではなく、テストツールなど数多くのコンピュータプログラムが、「牽引力となっているのは原子力・航空・自動車業界」という状況にあります。資金があり、問題が起こったときに

「バグ(不具合)があったら、人が死ぬんだからね」

というほどの影響のシビアさが「当たり前」として認識されている業界だからこそ可能なことが、数多くあります。原発推進・反対・容認のいずれの方々にも、このことは知っておいていただきたいと思います。私自身は原発に対して「消極的に反対」という立場ですが。

現在、経緯や是非はともかくとして、日本には数多くの原発が存在しています。停止状態であろうが稼動状態であろうが、安全に運用されていなくてはならないことは間違いありません。そのための技術を開発し、維持する必要性は、原発がある以上はゼロにはなりません。

「今日これから日本のすべての原発を廃炉にする」

と決めても、廃炉が完了したといえるまでには50年はかかります。その間・その後、技術の生態系・業務に関わる人々の生態系は、維持され続ける必要があります。原子力に関して、最も恐れるべきことは「管理できなくなる」でしょう。廃炉完了とその後の使用済み燃料の管理まで含め、必要な業務を担う人がいなくなっては管理できません。

すごいプログラムと、すごいシミュレーション

私の知る「α-FLOW」には、1990年代当時の技術の粋が尽くされていました。

今でも鮮明に記憶しているのは、

「管の中の気流によって高速回転するタービン」

のシミュレーションで、「そのタービンのどこにどのような力が加わっているかまで明らかにできるようになった」というニュースでした。

「管の中・タービン表面に別々に座標があって、タービンの高速回転とともに表面の座標も高速回転し、加わっている力の分布が一目瞭然で……」

は、当時としては「超すごい!」というべきものでした。今でも「簡単」といえるものではないと思います。

タービン一個、少なくとも設計での安全を確保するために、ここまでやるのも原子力業界の一面です。

余談ですが、1994年の松本サリン事件の際、「α-FLOW」によるサリンガスの拡散シミュレーション映像が、TVのニュース番組で流れたと聞いています。当時の日本だと、他にあまり選択肢はなかったでしょう。

「タービン一個の安全」では済まない「原発全体の安全」

というわけで、福島第一原発事故の一報に接した私は、まず、

「シミュレーション、あれだけやってたのに?」

という感慨を抱きました。

そして3分ほどの間に、

「シミュレーションはパーフェクトだったかもしれないけど、だから原発が安全ということにはならないよね」

「シミュレーションと設計でパーフェクトを目指したとしても、出来上がったモノが安全とは限らないよね」

「原発全体での安全性に関する研究って、どのくらいされてるのか、そういえば全然知らなかった」

など、いろいろな思いを巡らせました。

そのうちに、「放射性物質が飛散している」「避難指示が」という報道が現れはじめたので、私は

「いつもゴクゴク飲んでる東京都の水道水、明日、猫に与えてもいいのかな?」

と、自分の生活を気にしはじめました。

福島第一原発周辺で、猫などペットの同行避難ができているのかどうか、障害者は避難できているのかどうかなどなどを気にしつつ、しかし、気にしたからといって、「ほとんど何もできない」ということに罪悪感を感じつつ。

原発、そこにある以上は、充分に知りたい

今でも私は、原発について「個別要素技術・システム技術を含めて、もっと良く知りたい」という思いを抱き続けています。

「良く知らないことについて軽々しく発言はできない」と思っています。

もと技術畑の人間として、

「今、原発がそこにあり、少なからぬ技術や人員を必要としており、向こう数十年間、その状況は続く」

という事実は、やはり否定できません。しかし、

「今、そこにあるのが(そこで稼働しそうなのが)怖い、イヤだ」

という思いを持つ人の気持ちや選択も尊重されてほしいし、万一の事故等の時に、

「移動に関するハンディキャップを持つ人々が避難させてもらえない」

という事態が発生しないようにしてほしいとも思います。

障害者運動界隈では、川内原発で事故の際、避難計画に障害者が含まれるのか含まれないのかが、ホットな話題となっています。

そんなこと、こんなことの数々を考えると、原発に関して、簡単に言えることはありません。

知ったからといって、簡単に言えるようになりそうにもありません。

すっきりしませんが、とにかく今は、もう少し知りたい

たぶん今後も、原発に関して、私の口は重いでしょう。

どうすれば、原発に関する会話が可能なのだろうかと思います。

「まず知りたい」「ちゃんと知って、ちゃんと考えたい」

という思いを理解してもらえた経験は、科学畑・技術畑のごく一部の方との間にしかありません。

「どう考えればいいのか」

と考えただけで気が重くなるので、原発に関する発言はめったにしませんし、デモにも参加しません。

でも、もし「原発は悪」と言えたとしたとき、原発の技術・原発に関わる技術・原発に関わる数多くの人々の働きに対して「不要」「悪」と言えるでしょうか? 「ここからが不要」「ここからが悪」という線が引けるでしょうか? 引けないと思うのです。

なんともすっきりしません。私自身がすっきりしません。他の方とお話すると、さらにすっきりしません。

これからも私は、そのモヤモヤした思いを抱えつづけるしかなさそうです。