「泣き寝入り」しないために: もしも、業務上横領の濡れ衣を着せられそうになったら?
身体や生命に関わるほどではない被害を受けたとき、あるいは無実なのに加害者とされたとき、どうすれば泣き寝入りせずに済むでしょうか? どうすれば、無実を明らかにできるでしょうか?
今回は、自分自身の経験から考えてみます。
もしも勤務先で、業務上横領の濡れ衣を着せられそうになったら?
勤務先で業務上横領の濡れ衣を着せられそうになった!
私の経験から
1998年か1999年のことです。
当時の勤務先に税務監査が入ることになり、対象となる担当者の一覧が配布されました。そのほとんどは、1990年代後半の半導体不況に伴い、退職勧奨を受けている人でした。自分もその一人でした。
税務監査の日、上司も同僚も誰も職場にはいませんでした。何か出張が口実になっていた記憶があります。そして監査が行われました。
私は、対象になっていた外注の取引ファイルを手に取りました。その対象取引の見積書・納入書・請求書・領収書類だけがありませんでした。
ついで、書庫に行ってみました。その外注に関連するファイルのいくつかがありませんでした。それらは、上司との関係がよい後輩の机の下に隠されていました。私は書庫で号泣しました。自分が何をされようとしているのかは明白でしたから。
でも、その後輩は、私の担当している外注の詳細を知りませんでした。彼が隠したファイルは、取引そのものとは関係のないファイルばかりでした。
私の机の中には、納入物一式と仕様書のコピーがありました。取引期日は、私が毎日つけていた業務記録から、すぐ判明しました。
私は外注先に電話をし、すぐに必要書類を一式、FAXしてもらいました。快諾され、すぐにFAXが届きました。また勤務先の経理部門から発行されているはずの帳票のコピーも、期日をもとに、すぐに経理部門に問い合わせてコピーを作ってもらいました。
監査官は「問題ありませんね」と言い、一緒にいた勤務先の経理担当者は、困惑を表情に浮かべました。私は、業務上横領の濡れ衣を免れました。
ブツ・記録・業務の仕組みの理解・信頼できる人との信頼関係があれば、なんとかなる
この時は、納入物あるいはそのコピーが全部、私の机の中にあったことが幸いしました。その企業は典型的なゴリゴリの男性社会で、私は上司・同僚たちから筆舌尽くしがたい性差別を日常的に受けていました。仕事の妨害は日常茶飯事。私が担当している仕事の納入物を共有スペースにおいておくなど、考えられない状況でした。だから必ずコピーを作り、一セットは必ず机の中からすぐに出てくるようにしていたのです。おかげで、「これが納入物です」とすぐに言えました。
私は毎日、いつ・どのくらいの時間をかけて・どういう業務を遂行していたか、記録していました。研究者だったので、研究内容に関するノート(電子テキストでしたが)を毎日つけるついでです。これが日常の習慣となっていたので、取引期日もすぐに判明しました。
さらに、私は業務システムそのものに結構関心があったので、会社の中の情報やお金の流れを、ヒラの立場で把握できる範囲で理解していました。研究の仕事と資金と環境が回ってこなければ、研究者は研究者でいられなくなるわけですからね。
外注先は二重外注となっており、その二重外注先のシステムエンジニアと私の関係は非常に良かったです。足かけ5年、システム開発を共に行ってきた「パートナー」というべき関係でした。彼はこの時点で、私が社内で置かれている状況を理解し、後にそれとなく「もう、こんな汚らしいオヤジばかりの会社から離れて、転職したほうがいいと思う」とアドバイスをくれました。私がその企業を退職した後は、仕事を回そうとしてくれたこともあります。こちらが一杯一杯で受けられませんでしたが。
二重下請け相手に威張り散らす趣味を持たない私は、「外注先となんか不正な関係にあるんじゃないか」と思われて詮索されたりということもありました。
でも、定年まで会社にいると限ったわけではなし。
会社間の身分関係より人間としての信頼に基づく協力関係の方が大事だと、私は考えていました。
それが幸いしたわけです。
身を守るために必要なものは、意外に「あたりまえ」のものばかり
「あれ?」と思われた方もおられるのではないでしょうか? 上記のいきさつの中に、特別な何かは、ほとんどありませんから。
有力派閥の協力があったわけではありません。退職勧奨対象となっていた私は、弱小の女性派閥からも排除されてました。
特別な装置を使ったわけでも、特別な能力を発揮したわけでもありません。
事務・経理・外注管理に関連する法規についても、「一般的な研究者よりは少し詳しいけど素人」という状況でした。
机の上は「片付けられない女」の典型な状態、でも机の中はきっちり仕分けし、外注の納入物などは10秒以内に取り出せるようにしていました。
「あたりまえだと思うことを、あたりまえにする」
は、たぶん、最強の守りの基本なんでしょう。
その出来事から15年か16年を経た今、私は、当時よくあった
「業務上横領を口実に『懲戒解雇だけはしないでおいてやる』と追い出す」
を免れた当時の自分に対して、
「結局は追い出されたとしても、よくやったのではないかなあ……?」
と再評価する気になっています。一昨年あたりまでは、
「会社を追われ、有力な同業他機関への転職もできず、理工系の研究者としてはそこでおしまいになったままの自分は、なんのために大学院修士課程(のちに博士も)まで行ったのか」
と自責していましたが。
代わり映えない、特別な栄光には縁がなく、失敗を恐れることが多く……という毎日。
「あたりまえだと思うことを、あたりまえに」
は、それだけで大きな達成であると思ってよいのでは? という気がします。
いざというときに、確実に自分の身を守ってくれるのですから。