誤報は、脅迫されて当然の大罪なのか? ー 爆破予告に対する帝塚山学院大の対応に関する私見

慰安婦報道に関係した朝日新聞の元社員の現所属先に対して、辞めさせるように圧力をかける行為が相次いでいます。

昨日報道された帝塚山学院大以外にも、北星学園大学に対して行われているようです。

本記事は、これらの問題に対する私見と、日本学術会議・各学会・各ジャーナリスト団体に対する声明発表のお願いです。

帝塚山学院大(大阪狭山市)に今月13日、元朝日新聞記者の教授を辞めさせないと大学を爆破するという内容の脅迫文書が複数届いたことが捜査関係者への取材でわかった。従軍慰安婦報道を検証する朝日新聞の8月の特集記事で、この元記者(67)は吉田清治氏(故人)の虚偽証言に関する記事を最初に執筆したとされていた。元記者は文書が届いた日に教授を辞めた。大阪府警は威力業務妨害の疑いで捜査している。

 捜査関係者によると、文書は全て大学キャンパスに郵送され、大学を運営する法人理事長、学長、教授会などに宛てられていた。

 元記者が虚偽証言の記事を書いたことを批判する内容とともに、「辞めさせなければ学生に痛い目に遭ってもらう。くぎを入れたガス爆弾を爆発させる」という趣旨が書かれていた。大学側はすぐ府警に被害届を提出し、受理された。

 大学によると、元記者は人間科学部の教授を務めていたが、文書が届いた13日に自ら申し出て退職した。

(略)

出典:帝塚山学院大:大学爆破の脅迫文 朝日OB教授が辞職 毎日新聞 2014年09月30日 03時30分

とにかく、目の前の暴力が急務

まず従軍慰安婦問題については、私自身は「100%なかった」「若干はあったけれども、100%が志願によっていた」「若干はあったけれども、100%が正当に雇用されて報酬が支払われていた)」という主張、あるいは「いずれの戦地にも100%あり、慰安婦の100%が強制によって従事していた」という主張に対しては、いずれも信用することができません。どれも、言い切れるはずのないことであるからです。長期間、広い範囲で行われた戦争のあらゆる場面で、末端に至るまでの細部の全貌を把握するなんて、絶対に無理ですから。

かろうじて可能なのは、

「この地域、この時期には、このような人々がいて、起こっていたことはかくかくしかじかであった」

を、さまざまな立場から少しでも確度高く積み上げていくことでしかないと思います。しかし現在これから、それを行うことは不可能でしょう。いすれの立場とも、関係者があまりにも高齢になりすぎたり他界されたりしてしまいました。「あったか、なかったか」の議論を繰り返していた数十年の間に、利害が必ずしも一致しない各国・各方面の一定の合意のもとで、そのような徹底した調査を行うことがもし可能だったら、と思います。

朝日新聞の誤報問題については、まずは朝日新聞社や当時の関係者による言葉を十分に聞きたいと思います。

その誤報と全体の事実を関連付けるためには、数多くの段階を踏む必要があるでしょう。しかし、関連付けるために必要なのは、関係していた全方面からの聞き取り調査の結果です。もちろん、嘘も作り話も記憶違いも含まれる可能性があります。どこの誰にもあります。聞き取り調査とは、「そういうこともある」を前提として行うものです。数多く蓄積すれば、そこから確度高い情報を引き出すことができるのです。

従軍慰安婦問題については、

「あまりにも(後記:情報の)総量や立場の多様性が不足しており、しかも今から不足を埋めることもできない」

というのが、私の認識です。

しかし私の関心は、その過去の事実に対する「あった」「なかった」「事実だ」「嘘だ」よりもずっと強く、現在進行中の暴力の可能性の問題にあります。

新しい暴力が、暴力を排除すべき場に持ち込まれる可能性に対しては、「イヤだ」と言わざるを得ません。

どういう理由があっても、暴力の悪 >> 誤報の悪

「その誤報によって日本の国としての面目が潰れたから」という理由で、「誤報の悪より脅迫の悪の方が軽い」と考える方もいるかもしれません。

でも、日本の面目がそれで潰れたかどうかは、いまのところ「まだはっきりしていない」というのが正確なところではないでしょうか?

最終的に日本の面目が潰れるかどうかを左右しているのは、今、この問題に関連して、日本人が何をするかではないでしょうか?

そもそも、日本の一新聞社の肯定的な記事あるいは否定的な記事によって、この問題に関する国際的な認識が大きく揺らぐ可能性はあるでしょうか? 最初から巨大な問題なので、長期にわたって関心が持たれ、議論されているのではないでしょうか? 日本の一新聞社の記事は、国際世論に若干の影響は与えたかもしれませんが、世界の認識を大きく左右するほどの影響力を持っているとは思えません。

そして、誤報の問題と無関係に、暴力は悪です。

少なくとも、これから「日本は、学問の場での暴力という大きな悪を見逃す国」という評判が立つことを恐れる必要はあります。その評判によって、日本の国際的な評価が高まる可能性はありません。むしろ、低くする可能性があります。

しかし、何かが起こってからでは遅いのも事実

退職された元朝日新聞社員の方が、いきなり辞表を提出する必要はなかったのではないかと思います。まずは進退伺いでしょう。

大学も、いきなり受理する必要はなかったと思います。

「学問の自由を軽く考えている大学」というアピールと取られることにもなりかねません。

「とりあえず辞表は預かっておいて、違う理由での休職を認めつつ、警察に相談しつつ、解決の方法を探る」

というような方向もありえたと思います。

学生の安全が大切なのは、かつて教育機関で非常勤講師として教室の中の学生の安全を守る立場にいましたから、もちろん重く理解しています。

入試シーズンを控えたこれからの時期は、入試・大学祭・オープンキャンパスなどで大学を訪れる数多くの人々の安全も守る必要があります。その人々が脅威となる可能性にも配慮しつつ、です。

実際に爆弾を仕掛けられて何かが起こったとしても、大学に責任があるとは言い切れません。責められるべきは、爆弾を仕掛けるという暴力を行使する人です。または、そういう人がそういう行為をする可能性を知っており、具体的に予防するための手段を講じたり調査(警察や公安の捜査のようなものを想定しています)を行ったりすることが出来るのに放置する組織です。

でも、たとえば「誰かが死傷する」という取り返しのつかない事態が起こってからでは遅いのも事実です。そのとき、被害を受けるのが学生や高校生や近隣住民であったら、どうしても大学として「責任はない」とは言えないでしょうし、批判も免れないでしょう。もし、警察や公安が既に介入していたのに実際に爆弾が仕掛けられたり爆発してしまったりしたとしても、教育機関としては

「だから警察の責任、公安の責任、本学が悪いわけではないです」

とは、口が裂けても言えません。

もともと大学は、それほど安全な場所ではないのですが

そもそも多くの大学は、男子の入構が制限されている女子大などを除き、人が自由に出入りできる場所です。

「学部」「学科」「クラス」「研究室」といった区切りの中に入るのは自由ではありませんが、チームビルディングや運営に十分以上の注意が払われていない限り、基本的に

「入試その他のフィルタを通されてはいるし、その大学に属する人のためのスペースに入るにはIDカードが必要だったりはするけれども、実はよくわからない他人どうしが寄せ集められているだけ」

という性格の場です。

外から爆弾魔がやってこなくても、潜在的に「なんでもあり」の場となる可能性を持っています。

でも現在、大学はそういう場として世の中に認識されてはいません。

何かあったら

「平和かつ楽しくあるべきキャンパスライフの場、将来ある若い人がたくさん集まる場で、まさか!」

ということになってしまいます。

個々の大学で暴力に対応することは、無理でしょう

では実際の問題として、大学としてどういう対処が可能でしょうか?

ここは、多数の学生を抱える大規模大学と、中規模・小規模大学で分かれるところだと思います。

この問題に費用や人員を割いて対処するということは、教育や研究に対する資源をそれだけ削るということです。

「削ってでもやらなくてはならない」と言うのは簡単ですが、実際に出来るのでしょうか?

中規模・小規模な大学では、

「学生も教職員も大学という場も守りつつ、理不尽な暴力には屈しない」

という判断を行うことや実際に何らかの施策を行うことは、実際には全く不可能であることが多いかと思います。

大規模大学にとっても、危機管理を避けて通ることは不可能とはいえ、小さくない負荷となります。

このような問題に対しては、各大学を横断した組織を設けて、対応できる体制を作ることが必要なのではないでしょうか?

日本学術会議さん、各学会さん、声明を待ってます!

とりあえず、各大学の壁を超えた組織として、日本学術会議と各学会があります。

「大学に関わるすべての人の安全が大切。学問の自由が大切。人の安全を、大学の安全を守ります。学問の自由も守ります。でも暴力には屈しません」

という声明を出していただけないかと、毎日毎日待っております。

文系も理系も超えて、各学会が共同でこういう声明を出せないようだったら、あるいは日本学術会議が沈黙を守るようだったら、日本の学問には(理系も含めて)もう期待できないかも、と思っています。

特に理系の方々に対して、ことは「あなた方自身の」研究の自由、キャリア構築の自由、学問の自由に関わっているのだ、と申し上げたいです。

学問に関わる自由が失われるときには「文系から」ということが多いのですが、たいていは時間の問題で、理系にも同じことが起こります。過去の歴史を少し紐解いて見れば分かることです。

大学だけの問題ではありません

著述活動・報道活動にかかわる団体の方にも、同様に声明のご検討をお願いできればと思います。

今回は大学に対して起こされた問題です。報道に従事していた元新聞社員が対象とはされていますが、現在の報道そのものや新聞社・通信社・出版社に対して起こされた問題ではありません。

しかしながら、何らかの声明の発表をご検討いただけないでしょうか?

その団体に朝日新聞社の関係者の方がいるとしても、です。

朝日新聞社の関係者の方にとっても、それ以外の方々にとっても、暴力に怯えずにいられることが報道には必要不可欠だからです。

それ以上の理由は必要ないと思います。

誤報を完全に防ぐことはできません。しかし、良いことでも免責されるべきことでもありません。

今回問題になっている誤報に対して、朝日新聞社が社としての責任を取るべきなのは事実です。そして既に、その方向の努力は始められていると見ています。まずは、その成り行きを冷静に見守るべきと思っています。

「記事を書いた記者個人に、誤報の責任はまったくない」とは思っていません。でも、その責任は、可能な限りは本人が自分自身の文筆によって、その後の仕事を通じて取るべきです。

誤報一本、あるいは部分的な誤報でその後の全てを失わなくてはならないとしたら、報道関係者は全員、生きていけなくなります。

「暴力は悪、悪は悪だからいけない」で十分です

私はただ、

「暴力は悪、悪は悪だからいけない、さまざまな姿・さまざまな形で存在する多様な良心が暴力に屈してはならない」

と言っているだけです。主張の内容が右であるか左であるかは関係ありません。

さまざまな姿や形の良心、右も左も中道もある多様な良心が集まっていることに意義のある大学という場は、学問の自由・研究の自由・言論の自由など、数多くの自由が保障された上に成り立ちます。

それらの自由が、暴力に屈することはあってはならないと言いたいだけです。

しかし今、実際に暴力に屈しないでいるための仕組みは、全く足りません。

だから、これから作るしかありません。遅すぎるかもしれませんが。

私も、この一文を公開することに恐怖を感じています。

この一文によって、自分や家族や友人たちが殺されたり傷つけられたり脅されたりする可能性を考えただけで怖くなります。

しかし、「何もしなかった」という後悔をしたくはありません。

そこで、恐怖に堪えつつ、この一文をまとめて公開するしだいです。