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2018-10-29

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・気に病むことがあって元気のなかった人が、
 ちょっと元気になりかけたと悩みを話してくれた。
 ぼくは「そのうちのほとんどは忘れていいことだよ」とか
 励ましていたんだけど、よくよく考えたら、彼、
 「からだが疲れていた」んじゃないかと気づいた。

 こころの元の元は、からだなので、
 からだが疲れていると、こころもしぼんでしまうのだ。
 笑っちゃうほど日常的なことが、ほんとは大事で、
 おいしいもの食べて、よく寝て、お風呂に入って、
 なんだったら気晴らしの映画やスポーツをたのしむ。
 こういう常識的というか、古臭いというか平凡というか、
 いかにも老人の言いそうなことは、
 若い人には素直に聞いてもらえないかもしれない。
 でもね、実際に、食事をおいしく食べて、よく寝て、
 ゆっくりお風呂に入ってみたら、
 「どこらへんが悩むところで、
 どこらへんは悩んでもしょうがないことか」がわかるよ。

 からだが疲れていて余裕がなくなると、なにもかも
 「ぜんぶが悩むべきこと」に思えてしまうのです。 
 正直に言えば、ぼくだってそうだったわけです。
 気に病むこと自体が誠意のように思えたりしてね、
 心配するだけでなにもできないことを愛情だと思ったり、
 ことを難しく考えるほど真剣だとかんちがいしたり、
 共感を表現するということが、大事なときもありますが、
 多少なりとも助けになりたいのなら、
 「助けびと」として元気でいなきゃねと、
 ずいぶん年をとってからわかってきたのです。

 そして、ぼく自身も、こころが弱ってるときというのは、
 基本的な「めし、ねる、ふろ、あそぶ」を、
 いいかげんにしてるときが多いのです。
 こういうことは、ものごとの根本を理解することでなく、
 一時的な「生きる技術」のようなものだと思います。
 でも、そういう技術で粘って元気で生きてるうちには、
 根本に近づくことだってあるかもしれません。
 思えば、うちの父親も、なにか悩むことがあったら、
 「とにかく寝ることだ」といつも言ってました。
 似たようなことを、いまはぼくが言ってるわけです。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ぐちを聞いてくれる同僚」がいるかどうかは大切らしい。


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