米国のジャーナリストたちが「警察とスタンガン」にこだわり続ける理由

問題の「スタンガン」は、一見、子ども用玩具の銃です。(写真:ロイター/アフロ)

 警察等のスタンガン使用は、この数年、米国のジャーナリストが関心を寄せ続けているテーマの一つです。

 スタンガンによって取り押さえることは、実弾の発砲より悪くない選択肢であることは間違いないのに、です。なぜでしょうか?

 暴力事件の容疑者ではなく、精神疾患による不安発作・てんかん発作などの患者に使用され、死に至らしめてしまう例が相次いでいるからです。

数メートル離れた相手に有効な「スタンガン」とは?

 欧米の警察・入国管理の現場などで使用されて問題になっているスタンガンは、日本で合法的に護身用に販売されているタイプとは異なり、相手の肌に直接押し付けて使用することを前提としていません。

 このスタンガンは「テイザー(Taser)」という通称を持っています。一見、子どもの玩具の銃のような見た目で、銃と同様に引き金がついています。

 引き金を引くと、先端から2本の針のついた電線が発射されます。針が相手に刺さったところで電流を流すと、相手に接近せずに動きを止めることができるというわけです。撃たれる側にも撃つ側にとっても、いきなり実弾を発砲するよりは好ましい選択肢とは言えるでしょう。

 以下、問題となっているスタンガンを、本文中では「テイザー」と記載します。

スポーツにも採用されていたスタンガン

 米国には、テイザーを用いて攻守を行うサッカーの変化形(Wikipedia)がありました。かつての武器を模したもの、あるいは武器そのものを使用するスポーツは、射撃・アーチェリーや弓道・槍投げ・剣道やフェンシングなど多数あります。囲碁も将棋もチェスも、戦争シミュレーションから生まれたゲームです。スタンガンがスポーツになって悪いわけはないのかもしれません。しかし2012年以後、大会は開催されておらず、現在は公式サイトも消滅しています。YouTubeで「UTB」「stangan soccer」といったキーワードで検索すると、過去の競技や大会の動画を見ることができます。

世界のジャーナリストたちは、何を問題にしているのか

 2017年9月6日、ロイター日本語版に、この問題についての特集

「特別リポート:スタンガンは本当に安全か、米国で多数の死亡例」

が配信されました。テイザーの構造、いつごろからどういう経緯で使用されはじめたか(銃などの火器より安全な選択肢として)などの詳細も記載されています。

 問題にされているのは、何らかの意図のもと(時には武器を持ったり隠し持ったりして)、暴力的な行動を取っている人々を取り押さえるためにのみ使われているわけではなく、精神疾患その他の病気によってフラついていたり激しく動いていたりする人々に対しても使用され、死亡例が相次いでいることです。

 といって、警察官に「使うな」と言えるものでしょうか? 

 上記のロイター日本語版記事には、このような記述があります。

一部の連邦裁判所は、テーザー銃の使用は相手が攻撃的な場合に限定するとの判断を示し、こうした基準が広がりつつある。司法問題のシンクタンク、ポリス・エグゼクティブ・リサーチ・フォーラムは、相手が「医療的や精神的な危機状態」にある場合は、テーザー銃使用を控えるよう提言している。

だが警察の使用基準には、大きな幅がある。

現場の警察官にとって、テーザー銃の使用を控えるべき基準の判断は極めて困難だと、警察官や法律家は指摘する。

相手の精神状態をその場で判断するのは、「警官の職務の中で最も困難なものの1つ」だと、ラスベガス都市圏警で警官訓練を担当するエリック・カールソン氏は言う。

 市民に通報を受けた警官が現場にかけつけ、初めて見る誰かが激しい動き・不審な動きをしているのを見るわけです。

 暴漢なのか、それとも助けを求める病人なのか。その場で正しく判断するのは、「最も困難」というより、ほぼ無理でしょう。

 「テイザーを使うからいけない」、あるいは「テイザーを使われてしまうのならしかたない」のどちらで片付けることもできない、非常に複雑、なおかつ象徴的な問題です。

 

「IRE2017」で米国のジャーナリストたちの奮闘を知る

 私は恥ずかしながら、今年2017年6月に初めて、この問題に目覚めました。

 これまで「入管で不法入国者と間違われてスタンガンで殺された」(Wikipedia)、「精神疾患を持つ人が症状を顕しているとき、警察がスタンガン等を使用し、結果として死んだ(2011年のHUFFPOST記事)」という事例があることは知っていましたが、どういうスタンガンなのかを知らず、問題の背景がよく理解できなかったのです。「Taser」を英和辞典で引くと「スタンガン」と出てきたりするので、日本の護身用スタンガンとは似ても似つかぬものであることも知りませんでした。

 開眼のきっかけは、ジャーナリストの友人知人数人から「ぜひ一度は参加を」と勧められていたInvestigative Reporters & Editors(米国調査報道会)の大会「IRE2017」に参加したことです。ジャーナリズムの具体的方法論やノウハウを学び合って交流することに主眼が置かれていることが、この大会の大きな特徴の一つです。

 本年大会には、約1600人が参加し、パネルディスカッションセッション約150件、統計ツールの使いこなし方を含む数十件のトレーニングなど多様なプログラムが提供されました。この様子は、立岩陽一郎さんが既に紹介されています。

トランプにどう対抗するか 米ジャーナリスト1600人が集結(立岩陽一郎)

 私はちょうど、トランプ政権下での社会的弱者に対する政策の変化と、当事者や支援団体がどのように抵抗し生き延びるのかに関する調査研究プロジェクトを開始したばかりでした。その第1回調査の合間に、IRE2017に参加することにしたのでした。

 米国のジャーナリストたちは、どのようにトランプ政権下の状況と社会的弱者を伝えるのでしょうか? よりによって、福祉と保健にかかわる大きな政策が米国国会で決定されそうなこの時期を逃さずに、参加したいと思ったのです(なお、かねてから一度お目にかかってみたいと思っていた立岩陽一郎さんには、会場でご挨拶できました)。

警察のスタンガンに殺される精神障害者たち

 IRE2017の数多くのセッションが、格差と不平等・貧困・人身取引・障害者差別など、社会的弱者に関する数多くの問題・課題に関わっていました。これらの単語は、セッションのタイトルとなっていたり、セッションの中で取り上げられたりしていました。必要なデータや情報収集の方法は、問題・課題ごとに少しずつ異なりますから、もちろん、それぞれに対するノウハウと方法論も大切なのです。

 私が日本との違いを最も感じたのは、精神障害者にかかわる問題の取り扱い方でした。

 警察のミスコンダクト(不適切な行為全般を指す用語)をテーマとしたセッションで、Washington Post の Cheryl W. Thompson 氏は、2015年1月~10月までに、米国内で警察のテイザー使用に関連して死亡した人が48人(=概ね週に1人)だったという事実の調査と取材について、「拷問のようなことが、けっこう日常的になっているとしか思えない」というショッキングな言葉とともに語りました。

 48人の死者のうち少なくとも10人は、手錠をされたままであったそうです。また、死者の半数は精神疾患または非合法薬物使用者。死者の55%はマイノリティ、女性は1人だけだったそうです。

 一方で、テイザー使用による死亡に関与したことで起訴された警官は1人だけだそうでした。有罪にはなりましたが、受けた刑罰は「4 weekends in jail」でした。「weekend in jail」とは、金曜日の夕方から日曜日の夕方までの48時間、いわば「週末服役」をすることですが、通常、微罪に対する刑罰と考えられています。

 Thompson氏の報道した死者の中には、精神疾患の症状が出ていたため、痛みでおとなしくさせる(pain-compliance)目的でテイザーを使用された人もいたそうです。また、持病の発作による身体の動きに対して、手錠などによる拘束とテイザー使用が行われ、拘束されたまま拘置されているうちに呼吸停止し、9ヶ月間の植物状態を経て死に至った人もいたそうです。

 相手が警察であるため、公式記録を取得しての調査は容易ではなく、記事化にも慎重を期する必要があったそうです。しかし結局、編集者は示された多数のドキュメントとニュースソースに納得し、記事が陽の目を見たとのことでした(同記者の記事一覧)。

発表するCheryl W. Thompson氏(ワシントンポスト)
発表するCheryl W. Thompson氏(ワシントンポスト)

 私は、びっくりしました。最も忘れられやすい人々の問題に熱心に取り組む記者がいて、その取り組みから学ぼうとする記者たち多数が熱心に聞き入っていることに。

 しかし、テイザーだけが問題なのではありません。精神疾患などの症状を顕している人々にテイザーが使用されて時に死者を生むことの背景は、そのような問題が発生する社会そのものです。

正確な知識と用語法に驚いた

 警察が精神疾患者・精神障害者をどう扱うかは、そこにいたジャーナリストたちの関心をかなり集めているテーマであるようすでした。タイトルではっきり「それ」と分かるもの以外にも、私が参加したセッションの中には、隠されたメインテーマのように「警察と精神障害」が現れるものがいくつかありました。

 そもそも米国の警察は、自治の一環として発生した歴史を持っています。警察に対する「お上」という意識、あるいは記者の「権力と闘う」意識は、それほど感じられませんでした。程度の濃淡はあれ、共通して感じられたのは「自分たちの社会を向上させる」という意識です。

 

 メンタルヘルスと犯罪をテーマとしたセッションでは、まず「mental health crisis(直訳:精神的危機)」「intervention(介入)」という用語が、ごく当たり前のものとして語られていることに驚きました。日本では、精神保健福祉の中でも、未だ一般的になっていない用語です。精神医療に特に深い関心を持っているわけではないジャーナリストは、まず知らず、使っていないことが多いでしょう。

「mental health crisis」は、直訳すれば「精神保健上の危機」ですが、暴れる・大声を出す・不安焦燥・引きこもりなど、問題にされやすい精神症状とイメージすれば近いと思われます。

 「crisis」は「危機」ですが、本人と本人周辺のコミュニティが乗り越えるべき成長の機会と捉えられています。最近、日本の精神医療界でも話題になっている「オープン・ダイアローグ」(参考:Huffpost(日本)記事)でも、この意味で「クライシス」という用語が使用されます。本人が乗り越えるのですから、本人の意に反した医療行為は皆無か、あるいは最小限度にとどめられるかです。

 「intervention」は「介入」で、医師・医療機関スタッフなどによる何らかの働きかけや治療行為も含まれます。たとえば、レストランで暴れる精神障害者を警官が射殺した事件に対しては「fatal intervention」(死の介入)という用語が使用されたりします。

 「胸を押さえてうめきながら倒れて意識不明に」といった身体・生命の危機は「emergency(緊急事態)」と呼ばれます。もちろん、このような場合には本人の意思を確認することなく心臓マッサージを開始し、「誰か119番とAEDお願い!」ということになります(注)。強制医療ですが人権侵害にならないのは、精神的な「crisis」ではないからです。また、このような場合の治療行為は、「intervention」とは呼ばれません。

 メディアがこのような用語の使い分けをはじめて長い時間が経過すると、一般の人々に「精神疾患には身体疾患と同じ意味で強制的な治療が必要な場面はない」という知識が少しずつ染み込みます。そして、緩やかにですが、世の中の意識が変わっていきます。

 こういった広い意味での社会教育が可能になる背景には、メディアと障害者団体のさまざまな相互関係があります。自らが毎日、生き延びつづけるために最新情報にキャッチアップしなくてはならない障害者たちの団体は、世界の最新動向と、切れば血の出るような生々しい事例を、日々、集積し続けているわけですから。IRE2017では、このような相互関係についても情報を収集し、その後、情報を提供したという障害者団体を訪問して話を聞いたりもしましたが、本記事では触れません。

社会的弱者や不平等・不公正に関するセッションは参加者が多く、立ち見・座り見多数
社会的弱者や不平等・不公正に関するセッションは参加者が多く、立ち見・座り見多数

死んだ精神障害者のために流された、記者の涙

 Josh Hinkle氏(KXAN/NBC Austin(テキサス州オースティン市の放送局))は、市内で起こった警官による射殺のうち45%がクライシス状態にあったことを述べ、「メンタルヘルスシステムが機能していないから、精神障害者が刑務所に入ることになるのではないか」と指摘しました。また、警官が精神的クライシスに対する介入を訓練されていないため、結果として射殺という選択を行う可能性についても指摘し、「すべての警官に、精神障害への介入の訓練が必要」と述べました。

 とはいえ、視聴者の多くは、精神障害への偏見を持っているかもしれない「ふつう」の人々です。さらに、TV番組の動画のインパクトが良くも悪くも大きいことは、大いに考慮しなくてはなりません。Hinkle氏は、伝え方の難しさについても、短時間ながら率直に述べていました。

 ついで報告を行ったKimbriell Kelly氏(The Washington Post)は、警官に射殺された人々の約25%がクライシス状態にあったこと、射殺した警官のいる警察署の半数以上で精神的クライシスへの介入への訓練が行われていないことを述べ、「殺される精神障害者が減らない」と泣き出しました。しかしKelly氏はすぐに泣き止み、調査するために何を手がかりとすればよいかを、参加者のジャーナリストたちに語りはじめました。

 さらにEric Wieffering氏(Star Tribune)は、「殺人犯の共通の背景は?」「何があれば、死者が発生することを避けられるのか?」という問いから報告をはじめました。背景にあるのは、「この社会から、殺人と殺人に関連した死を減らすには?」という意識です。「射殺された狙撃犯は精神障害者だった」と判明したら、「射殺はやむを得ない」と受け止められることが多いのは米国も同じ。でも、社会から殺人の加害・被害を減らすには、その狙撃犯も人間、殺されたり殺されそうになった人も人間と考えて、即効性はないけれども本質的なアプローチを重ねるしかありません。

 Wieffering氏はテキサス州で活動しており、同州にはMental Health Officer Certificationという警察官向けの精神保健専門資格と研修があることを紹介しました。しかし、資格を取得しているのはテキサス州の警官の7%だけ、まだまだ少なすぎるということでした。

 また、いわゆる「縦割り行政」の弊害から、精神障害者情報が警察と共有されておらず、通報を受けて駆けつけた警官が「その人は暴漢なのか、精神疾患を持っているのか」を知らずに発砲してしまうことから、Wieffering氏は「精神障害者情報を、州として警察と共有するシステムが必要なのでは」と述べました。

 私は「いやいや、それは違うのでは」とツッコみたくなりながら聞いていました。しかし、「ツッコむ前に、何がそのシステムを成り立たせているのか、時間をかけて理解する必要がある」と痛感していたところでもあったので、黙っていました。

 とにもかくにも米国では、しばしば警察官が精神的クライシスへの最初の介入を担わざるを得ない実情があります。地域によっては、警察と地域の当事者NPOが共同で運営するトラウマケアセンターが存在したりします。日本では、少なくとも障害者サイドからは、全く考えられない話です。米国と日本は関係の深い国ではありますが、社会の成り立ちと警察の位置付けが全く異なります。米国内には、さらに州や地域によっての多大な差異があります。安易に日本に「コピペ」しても成功しないことだけは、間違いありません。

ジャーナリストたちが議論する「誰に、どこに障害があるのか」

 さらに質疑では、身近な支援者としての家族の重要性・警察ではないセーフティネットの必要性などが議論されました。質問者の一人からは「その人から精神疾患の問題がなくなれば犯罪者にならなくなるのでは?」という質問があり。警官のトレーニング・刑務所での教育や治療・ケースワークなどの重要性が語られました。これは、いわゆる「障害の個人モデル」の発想です。個人が持っている障害を改善したり、障害があるままでも社会によりよく適応できるようにすれば、障害者の問題は軽減できるだろうということです。

 かと思えば、「すべての人が生涯に10回以上、精神的クライシスを経験するのだから、理解を広めることが必要」「精神疾患は原因なのか? それとも結果なのか? 背景には貧困があるのでは?」という発言も出ます。「障害があっても困らない社会に」という発想、「障害の社会モデル」です。

 「障害の個人モデル」は、障害者や人権の世界では、既に過去のものとされています。2007年に成立した国連障害者権利条約は「障害の社会モデル」に立脚しています。「障害の社会モデル」は、1970年代の米国で公民権運動の中から生まれました。1990年の米国障害者法(ADA1990)は、世界ではじめて、障害の社会モデルを法律の形にしたものです。その流れが、国連障害者権利条約につながりました。

 なのに、先進地である米国のジャーナリストたちには、障害の「個人モデル」「社会モデル」の両方が混在しています。

 私はしばらく、「なんなんだ、これは? ADA1990が出来てもうすぐ30年なのに?」と呆気にとられていましたが、数分後、「こんなふうに、いろんな考え方やバックグラウンドを持ち寄って議論を尽くしながら、多くの人に伝わる理解の方法や語り口を作っていくものなんだな」と納得しました。障害の社会モデルがイマドキの当たり前と思っている「意識高い」ジャーナリストだけが報道して「正しいことを教えてあげる」というのでは、伝わるものも伝わらなくなりそうです。

「より傷つけられやすい側に立つ」という原則

 IRE2017の全体を通じて感じられたのは、「強者と弱者がいる場合には、弱者に寄り添ってこそのジャーナリズム」というスタンスでした。「傷つきやすい人々の声なき声にこそ、耳をすませて伝えなければ」という発言もありました。

 精神障害者は極めて傷つきやすく孤立しやすいものです。精神症状が前面に現れて不安でいっぱいで助けてほしい時なのに、公権力を代表する警察によってテイザーでおとなしくさせられたり死に至らせられたり、あるいは射殺されたりします。

 だからこそ「精神障害と警察」は米国のジャーナリズムの関心を集めるテーマなのでしょう。

こだわりつづけて、緩やかにメディア・スクラム

 現在、「Taser mental illness killed(テイザー・精神疾患・殺された)」でネット検索すると、約55万件のニュースがヒットします。

 本記事では米国しか取り上げていませんが、同様の問題が起こっている英語圏だけでも、それだけ報道されているわけです。

 もちろん「警察のテイザー使用によって犯罪者ではない人が死んだ」という事件が起こる事情は、地域ごとに異なります。記者たちのスタンスも、たとえば警察に関してだけでも、「警察の関与を低めるべき」「精神医療の最初の担い手としての警察の専門性を高めるべき」と異なります。関心対象が警察に向かう記者もいれば、精神保健福祉に向かう記者もいれば、テイザーの開発元や使用が認可されている事情に向かう記者もいます。

 今、「テイザーと精神疾患の問題を考えるメディア連合」のようなものはありません。しかし各地で、それぞれのスタンスで数多くの報道が行われ、読まれたり視聴されたりし、反響が生まれ、それが次の報道に向かい……という動きが連続するうちに、自然に、「テイザーと精神疾患の問題を考える緩やかなメディア・スクラム」というべきものが築きあげられている感があります。

 米国を中心とするテイザーと精神疾患の問題は、これからどういう成り行きをたどるのか、まったく予断できません。

 しかし「私たちの社会を象徴する問題」としての取り組みが終わることはないでしょう。

 引き続き、こだわりつづける彼ら彼女らの記事と今後の成り行きに、関心を寄せつづけようと思っています。

(注)

私は米国心臓協会(AHA)のハートセーバー資格を取得しました(更新が間に合わず失効中ですが)。米国では障害を理由に資格試験の受験を拒むことが許されないため、受験がハードルとならず容易に取得できました。