精神障害者に対する「恐ろしいから隔離しろ」という声は、障害者の犯罪が起こるたびに大きくなります。

数年に一度レベルの稀な犯罪であっても。

では、どういうときに、精神障害者は恐ろしい「モンスター」と化すのでしょうか?

よく聞かれるのは「平和に話していても、いきなり殺されるかもしれない」といった危惧ですが、そういうことは本当に起こるのでしょうか?

そもそも精神障害者の問題行動の背景は、何なのでしょうか? 

問題行動がどのように起こるのかを知れば、対策も可能になるでしょうし、いわゆる「正しく恐れる」も可能になるかもしれません。

精神科通院歴30年近くになりますが、「いきなり」暴れられたことは一度もありません

断続的な通院も含めると、私の精神科通院歴は30年近くになりますし、精神障害者保健福祉手帳も持っています。

病名は統合失調症です。「陰性症状」と言われるものが前面に出やすいタイプです。「陽性症状」の妄想・幻覚は、日常的にあるにはありますが、「ああ、あるのね」という感じの日常の一部です。

というか、結構便利ですよ。いろんな予兆や水面下の何やらが、幻聴として音で聞こえますから。「雨が近づくと古傷が痛む」と同じようなものだと思っています。

私の「陰性症状」の内容を一言でいうと、「はっきりした役割や区切りのない対人関係で特に疲れやすい」です。若い時は「努力で克服しなくては」と思っていましたが、50歳が近くなったころ、「そこに注力しても無駄な努力になるだけ」と諦めました。もっと若いときにその割り切りができていたら、どれだけの労力と時間を有意義に使えただろうかと後悔しています。

通院歴の内訳は、よくあるタイプの精神科・心療内科クリニック2ヶ所、デイナイトケアを前提とする精神科クリニック2ヶ所、デイケア併設の精神科クリニック1ヶ所です。

入院の経験もあります。開放病棟への任意入院。心身とも疲れ果てたときに休養入院させてもらいました。もちろん、周囲にいるのは精神病者・精神障害者ばかりです。

でも、周囲の人が「いきなり」の問題行動を取ることは、一度もありませんでした。前兆があったので、「いきなり」ではなかったのです。

私自身のことだったら、周囲の人よりもはっきり前兆が分かります。「これはちょっと」と思ったら注射などの処置をお願いし、処置室でしばらく寝かせてもらうこともありました。というわけで、精神科的な問題行動に結びつくはるか手前で折り返してばかりです。

前兆段階で、十分に辛いんです。問題行動になるまで待つ必要なんかありません。

精神障害者の問題行動の前兆とは?

前兆として現れるのは、強い緊張です。

こわばった顔つき、硬い声調。

もちろん身体全体が緊張しています。それも不自然な緊張です。背中だけ張り詰めていて手足は脱力しているとか。

こういうときの本人の近くに行くと、私は「キーン」というような音が聞こえます。その音がしてから1時間か2時間後、本人は暴れたり叫んだりしています。壁に向かって叫んだり、周囲の人に当たらないように手足をばたつかせたり、当たらないようにモノを投げたり、といった暴れ方です。人を実際に傷つけるような暴れ方は、間近でされたことはありません(「ありとあらゆる精神障害者がそうである」かどうかまでは分かりません。実際に重大犯罪を犯す精神障害者はいますから。それが「健常者だって重大犯罪を犯す」とどう違うのか、あるいは大いに共通しているのかは、重大犯罪を犯すタイプの精神障害者との付き合いがないので分かりません)。

もちろん、リラックスをうながす出来事がなにかあれば、その大して危なくない「暴れる」「叫ぶ」も回避されます。

前兆に自分で気付きづらかったり、自分の意志で環境を調整して問題行動を避けることが難しい方々の場合、治療的な環境に自らを「隔離」することが必要な場合もあるでしょう。良いデイケアや障害者作業所は、その役割を果たす場合もあります。

「隔離」はいつも悪なのか?

「ちょっと疲れたので、温泉に一泊して休養してくる」

は、多くの人が可能ならやっていることでしょう。ときに「浮世離れ」しないと、浮世はやっていけません。

自発的におこなわれる入院治療にも、「温泉一泊休養」と近いところがあります。

もし

「本人の意志により選ばれた治療環境(病院)に、入院が必要だと思ったら入院し、退院できると思ったら退院する」

が可能なのであれば、それに越したことはないでしょう。

「自発的隔離」、あるいは「自発的浮世離れ」です。

入院が必要なほどの状態であれば、「メシ・フロ・ネル」が不安定になっていることが多いです。入院はその問題も、ある程度は解決します。

不本意に入院させられるより、必要なら自発的に入院したほうがいい

よく「強制入院」といわれる措置入院は、自傷他害のおそれのある人に対して、精神保健福祉法に基づいて行われます。この「自傷他害のおそれ」は、原則として、精神保健福祉法指定医2人以上で判断します。

なお、本人の意志に基づかない入院には、もう一つ、医療保護入院があります。こちらは配偶者・親権者・扶養義務者・後見人または保佐人の同意が必要です。以前は、配偶者または親権者以外では、事前に選任した「保護者」の同意が必要でしたが、昨年の改正で条件が緩められました。民法の扶養義務者とは、3親等内の誰かなら誰でも良いということです。精神障害者の相当数は、家族に偏見や差別をぶつけられた末、家族と険悪だったり疎遠だったりする関係になっています。その険悪で疎遠な家族の申し立てによって、ある日突然、医療保護入院させられることになりかねません(もちろん、精神科医が「はいそうですか」と動く可能性は、少なくとも都市部では多くはありませんが)。多くの精神障害者が、戦々恐々としています。

いずれにしても、自傷他害のおそれ、あるいは本人に休息の必要ががあるのならば、強制されることなく入院したほうがいいんです。

「自分には入院が必要かどうかを判断し、医師の意見を聞き、医師と相談して適切な入院先を見つけ、必要な期間いて問題をある程度解決して退院する」

を行うことは、とても重要です。

本人は苦痛や不安を少しでも解消したいだけ

「いざとなったら入院」の選択肢を、任意入院・医療保護入院・措置入院と3つ示しました。本当は、任意入院・医療保護入院・措置入院と書きたいところですが。

通院にしても入院にしても、治療によって避けたい問題行動の背景には、何があるのでしょうか?

本人は、苦痛や不安を少しでも解消したいだけなんです。

その解消の方法として選択されるのが、問題行動の数々です。

薬物などの物質そのものによる問題行動を除くと、これで概ね、精神障害者の問題行動の説明がつきます。

「頭の中に得体のしれない妄想があって、それに動かされているんじゃないか?」

と思う方もいるでしょう。

でも妄想に動かされているわけではなく、むしろ妄想が、苦痛や不安の解消装置となっているんです。

だから「妄想のおかげで、つつがなく社会生活を営めている」という場合もあります。

さて、

「自分の悪口を聞いても良い意味に転換する妖精が頭のなかに住んでいるという妄想のおかげで、悪口の大好きなご近所さんに何を言われてもニコニコしていられる」

という人が、ある日突然

「妖精が妖怪に化け、その妖怪に動かされて、悪口の大好きなご近所さんに暴力をふるう」

ということはありうるでしょうか?

「まったくない」とはいえないと思います。

しかしそれは、「その人がその人でなくなる」に近い変化です。

考えてみてください。対立や揉め事の大嫌いな小心な人が、ある日突然、武力による解決を第一選択とする人物に変貌するわけです。人格の一大変化です。

そんな激しい変化を引き起こすものとして最初に考えられるのは、覚せい剤のような薬物です。うつ状態が躁状態になった場合にもありえますが、躁状態は長くは続きません。そういう何かがあるわけでもないのに、単に脳内で

「円満な社会生活の妖精さんが、攻撃を命じる妖怪に化けた」

となることは、まず考えられません。

「危ない」と思ったら、苦痛や不安を解消する(させる)こと

年に一回二回ですが、思いつめ、緊張し、

「自分はこれから何をするかわからない、不安」

と電話で訴えてくる精神障害者の友人が、私には何人かいます。

落ち着いた声で「どうして?」と尋ねると、本人なりに意識している原因を話してくれます。時には

「その環境(毒親とかブラック企業とかクラッシャー上司とか)から早急に離れないと、どうしようもないな」

というケースもありますが、いずれにしても、すぐに離れられるわけではないから本人は病んでしまっているわけです。

いずれにしても、30分くらい落ち着いて話を聞いているうちに、だんだん声から緊張がほぐれてきて、あくびをはじめたりとかします。そのうちに

「眠くなってきたから、薬飲んで寝る」

と本人が言い出します。

とりあえずは薬飲んでしっかり寝られれば、目先の問題行動は避けられます。環境がどうしようもないという場合には、環境に働きかけるしかないわけですが、それはその晩に出来ることでもないので、まずは「今日とりあえずしっかり寝る」です。

もう少し余裕があるようだったら、散歩や入浴も選択肢となりえます。

時間があるときの私は、スパを利用します。いろんなお風呂やサウナに入り、なにか食べ、可能なら一晩休めば、たいていの精神的危機は切り抜けられると思っています。

最もよくある対処は「寝逃げ」

まあ精神疾患との付き合いがン十年クラスともなりますと、他人様の手を借りずとも、

ちょっとなんだかヤバいぞ→ぬるめの長湯→可能ならマッサージを受ける→(軽く一杯)→薬飲んで寝る

という対処がルーチン化されていたりします。

また

「何日かよく寝たくらいではどうしようもない感じなので、ちょっと入院していいですか」

と主治医に申し出るというのも、比較的よくあるパターンです。

少なくとも地域生活をしている精神障害者の典型は、自分の病気との付き合いが長く、コントロールできており、「ヤバい」と思ったら自分で手を打てるという人たちです。そうでなければ、そこそこ平和な地域生活を長期に続けるなんて無理です。

結論:本人が苦痛や不安を安心して訴えられる人間関係があれば、たいていは大丈夫

別に精神障害者に限ったことではないんですけど、趣味の一つなりとも共有できて楽しく話せる仲間がたくさんいて、協力して病気との付き合いにあたれる精神疾患仲間もたくさんいて、医療機関との間に信頼関係があって、苦痛や不安を感じた時に安心して訴えられるようであれば、そんなオオゴトに発展することはありません。

そういう人間関係は、本気になれば簡単に作れるものだろうと思います。

ストレス社会ですから、精神疾患と無縁に生きていくことは誰にとっても難しくなっています。

病気を開示して、部分的にでも理解し合えて少しなら協力し合える仲間を作って増やしていくことは、SNSも利用すれば非常に容易なことではないでしょうか。

これまでその機会がなかった人には、新しく提供する必要があります。

新しく提供された時に大変な努力を強いられることにならないためにも、長期間にわたって人を隔離することは良くありません。

範囲や内容が定められるようで実はそんなにはっきり定められるものでもない精神疾患の病名や、取り越し苦労すればきりがない「自傷他害のおそれ」によって人を長期間隔離することは、そもそも、あってはならないのです。