被害を受けても「被害者」になりにくい障害者の現状(改題)

2014年9月8日、埼玉県川越市で全盲の女子生徒が蹴られて負傷した事件は、9月12日、犯人とみられる44歳の男性に対する任意聴取が開始されて以後、報道が途絶えています。

障害者と犯罪加害・犯罪被害の関係は、今どうなっているのでしょうか?

結論からいうと、被害者になったときに「被害者」と認められることは少なく、自己責任論による攻撃にさらされやすく、もしも加害者になったときには大きな攻撃を受けやすい。これが障害者の現状です。

どういう事件だったのか

簡単にいえば「全盲の女子生徒が蹴られて負傷、加害者は逃亡した」という事件です。

 埼玉県立特別支援学校に通う全盲の女子生徒がJR川越駅(同県川越市)の構内で脚を蹴られて3週間のけがをしていたことが9日、同校への取材で分かった。(略)

 同校によると、8日午前7時50分ごろ、女子生徒はバスに乗り換えるために同駅の改札を出て、点字ブロック上を歩いていたところ、正面から来た人物が白杖(はくじょう)に接触し転倒した気配がしたという。

 その直後に、背後から生徒の右膝の裏が強く蹴られて負傷した。近くにいた男性が「何をやっているんだ」と注意する声が聞こえたが、蹴った人物は無言で立ち去り、性別や年代は不明という。

 埼玉県では7月、さいたま市の視覚障害がある男性が連れていた盲導犬オスカーが刺される事件が起きたばかり。特別支援学校の男性校長は「目が見えない無防備な生徒に暴行を加えており、盲導犬が刺された事件と同じで悪質。許せない」と話している。〔共同〕

出典:全盲の女子生徒、脚を蹴られけが 埼玉・川越 2014/9/10 1:04

加害者とみられる男性が特定されたものの、以後、報道は途絶えています。

(略)埼玉県警は2014年9月12日、暴行したとみられる同県狭山市の男(44)を特定し、任意捜査を開始したと発表した。

報道などによると、防犯カメラや複数の目撃情報などから男の関与が浮上した。男には知的障害があり、取り調べに対しての受け答えが困難な状況で、事件についての明確な供述も得られていないという。県警は刑事責任能力の有無を含め、慎重に調べを進めている。

出典:川越・全盲少女傷害事件で44歳男を聴取 2014/9/13 11:27

この事件に対する関係者と自分のコメント

この直後、私はジャーナリストの池上直樹さんからコメントを求められました。このコメントは「サンデー毎日」2015年9月28日号の記事

「世も末…逆ギレ社会 白杖の全盲少女を足蹴に」

に引用されています。

自らも運動障害で車椅子を使うフリーライター、みわよしこさんは語る。

「女性障害者が暴力や嫌がらせに遭うことは日常茶飯事。私自身も車椅子のスポークに傘を突っ込まれたり、進行方向に足を出してわざと轢かれようとされたり危険な目に遭っています。暴行を受けた人が『配慮されているんだから』『税金を余計に使っている』などと言われることもあります」

出典:サンデー毎日 2014年9月28日号

この記事の中では、事件の事実関係につづいて、

  • この事件を受けて女子生徒の通う特別支援学校に寄せられた電話やメールなどは、大半は励ましのメッセージであったが、中には「ぶつかった相手が転んだ気配を感じたのなら、謝っていれば、蹴られなかったのではないか」などという意見も7件あった。
  • 特別支援学校の校長は、この直前に盲導犬が何者かに刺された事件について言及し「構造は同じです。見えない生徒に黙ったまま後ろから蹴るのは、無防備な相手に対する虐待、障害です。絶対に許せません」「私達の訴えが悪意に取られると、攻撃対象は子どもたちになってしまう。周りの方々に見守っていただいて、何かあった時は助けてくださいと言うしかない」と述べた。
  • (社)全日本視覚障害者協議会の山城完治理事は「こうしたケースは酔っぱらいに多かったが、最近は一般の人も目立つようになった」「世の中が世知辛くなり、余裕がなくなっているように感じます。(視覚障害者は)後ろから人が来たり、大声を出されたりするだけで怖いのです」と述べた。

と、関係者たちの状況とコメントを紹介しています。

なお、この記事は、加害男性についての情報がいまだほとんどなかった時点で作成されていました。

(後記:起こった出来事に対する怒り・不安は、加害男性がどういう方であるかと無関係に全く真っ当なものだと思います)

見落としてはならない論点がたくさん

この事件は、背景やその後の展開も含めると、論説を何本も書けるほどの問題だと思っています。

私が特に重要だと考える論点は、以下の5点です。

  1. 障害者は被害者になりやすく、被害者として声を上げればさらに攻撃されやすい
  2. 障害者が被害者になった事故や犯罪は報道されにくく、知られにくい
  3. 障害者は刑事司法で「被害者」となることが難しい
  4. 健常者側にとっても障害者側にとっても、目先の現実的な対策は「隔離」となりがち
  5. さまざまな意味で障害者を「守る」仕組みが足りない

以下、それぞれについて述べます。

1.障害者は被害者になりやすく、被害者として声を上げればさらに攻撃されやすい

そもそも女性の障害者は、性差別+障害者差別の複合した差別の対象になりやすいのです。

被害を受けやすい上、被害を受けたときに声を上げることも難しく、「被害を受けやすい」という状況も改善されにくい構造ができあがっています。「被害を受けた」と言うことさえ難しいのですから。

声を上げれば、そのことをもって「本人にも問題が」「言い方が悪い」といったさらなる攻撃が開始されるという、まことに救いのない現実があります。この状況の中で、安心して被害を悲しみ、悔しがり、「こういう目に遭った」と言うことが可能かどうか。

このような実態については2012年、「DPI女性障害者ネットワーク」が報告書にまとめています。私も読みましたが、「あるある!」の連続でした。

2.障害者が被害者になった事故や犯罪は報道されにくく、知られにくい

障害者の暴力や事故などでの被害が健常者より少ないわけはないのですが、事件化しにくく報道もされにくいという状況があります。

2006年、シンドラー社のエレベータに高校生が挟まれて亡くなった事故は大きく報道されました。2012年には「アパホテル金沢駅前」で、シンドラー社のエレベータに作業員が挟まれて亡くなった事故が発生し、それなりの量の報道がされました。

しかし2006年8月、車椅子使用の障害者が職場のエレベータで重傷を負った事故をご存知の方は、どれほどいらっしゃるでしょうか? (本当はいけないのですが、記事全文を転載します)。

 アテネパラリンピック(04年)女子円盤投げの銀メダリストで東京都渋谷区職員の佐藤京子さん(40)が今年8月、勤務先の庁舎内でエレベーターを降りる際、段差で車いすごと転倒し、重傷を負っていたことが分かった。北京パラリンピックでの出場枠をかけた国際大会直前での不幸な事故。佐藤さんは3年前にも同じ庁舎内で労災事故に遭っており、同区は、労使で作る安全衛生委員会などで再発防止策を検討している。

 事故は8月14日発生。4階の職場から3階の車いす用トイレに行くために乗ったエレベーターが3階の床面より11センチ高い位置で止まり、バックで降りようとした佐藤さんはそれに気づかず、後ろ向きに車いすごと転倒、頚椎(けいつい)損傷の大けがを負った。このため同月27日からオランダで開催予定だった国際大会への出場を断念、北京大会への出場は実質上絶たれた。

 現在、公務労災の請求を行っているが決定は出ていない。

 区によると、エレベーターの扉に何らかの外圧がかかり3ミリのすき間があいたまま降下。このため緊急停止し段差が生じたという。エレベーター内では緊急停止したことは分からなかったという。エレベーターは65年ごろの設置で、今年度リニューアルの予算が組まれていた。

 佐藤さんは、高校時代に脊髄(せきずい)を損傷。車いすを使うようになったが、元来スポーツ好きだったため「打ち込めるものが欲しい」と陸上競技を始めた。93年、区役所に就職。介護保険の仕事をしていた。つえで歩くことも可能だったが、03年3月に職場の配線コードに足を引っかけ転倒。入院、リハビリに7カ月かかる労災事故に遭い、以来車いす生活になった。

 しかし、佐藤さんはけがを克服してアテネ大会に出場。ドーピングの恐れがあるため、普段使っている治療薬が使えず、痛みに耐えながらも、砲丸投げで4位、円盤投げで銀メダルの好成績をあげた。その後、「苦労をかけた両親に一つずつ金メダルをプレゼントしたい」と、北京大会を目指し訓練を重ねていた。

 佐藤さんは「役所は障害を持つ人も働き、障害を持つ市民も来る場所。それなのになぜ、職場で2度もけがをしなければならないのか」と悔しがる。

 同区の松井裕総務部長は「申し訳ないという言葉以外にない。再発防止とともに、彼女の職場復帰などもきちんとケアしたい」と話している。【東海林智】

出典:2006-12-11 16:36:38   <パラリンピック>女子円盤投げ「銀」の佐藤さんが北京断念

報道の問題では、どうも違和感を感じることが一つあります。

同じように全盲の方が被害者になった事例でも、川越市で蹴られた女子生徒の事例よりも、盲導犬の刺された事例の報道が圧倒的に多く、多くの人々の関心を集めています。障害者の被害よりも動物の被害。これはどういうことなのでしょうか? 公園で猫が惨殺される事件は大きく報道されるのに、非常な頻度で起こっている野宿者襲撃事件は報道されにくいことも、合わせて考える必要がありそうです。

本来ならば、川越の事例では加害者も障害者であったゆえに、より多くの、慎重な配慮にもとづいた報道が必要なのではないでしょうか?

3. 障害者は刑事司法で「被害者」となることが難しい

当然の話ですが、障害者には何らかの障害があります。この障害により被害を受けやすく、また被害を受けた際に事実関係の立証が困難になります。私は電動車椅子利用ですが、一般的な車椅子が横に動けないこと・階段を降りられないこと・頭の高さが低い位置にあること・操作用のジョイスティックが簡単に外力で動くことを悪用した嫌がらせには結構な頻度で遭っています。通りすがりの皆さん? 見てみないふりですよ、ほぼ100%。よほどのことがあれば撮影などを行います(そしてしばしば、カメラを出したとたんに逃げられて成功しません)。しかしこれは、「盗撮! プライバシー侵害!」と騒ぎ立てる第三者に咎め立てられるリスクとセットです。なお、第三者に咎め立てられるリスクについては、こちらもご参照ください。私の実体験です。さらに、やってもいないことまで「やった」と言挙げされました。

つまり、障害者は被害を受けやすく、被害を受けたという証拠を確かにすることも難しいのです。

この状況で、警察に被害届を出すことは極めて困難です。よほどのことがなければ、警察は被害届の提出を認めません。冒頭の女子生徒のケースでは、もし目撃者がいなかったら、相手の性別・年齢・身長・服装などに関する情報がまったくないことになります。膝の裏についた土くらいは物証になりうるかもしれませんが。その状況で捜査を行うことは不可能です。被害届を受けつける≒捜査を行う ですから、被害届は受け付けられないことになります。

さらに精神障害・知的障害などの場合には、本人の語る内容が「事実ではない」という可能性のもとに吟味されます。もちろん健常者も事情聴取の際には「もしかしたら嘘を言っているのかも」という扱いを受けるわけですが、健常者が加害者で精神障害者が被害者であるケースでは、まず「加害者が100%事実を語っている」という前提のもとに警察は捜査を行うようです。少なくとも、私が性的被害を受けた際の警察の動きはそうでした。警察は相手の言い分を100%信頼し、取り調べの最中に相手に電話をかけて取り調べの状況を知らせ、警官3名で圧迫して私に和解を勧め、私の精神科主治医のもとを訪れて「妄想が言わせている嘘」という証言をするよう迫り(医師は応じませんでしたが)、被害届の受付を断固として拒みました。

目に見える暴力被害においても、このような状況はあります。

大阪の私立精神病 院箕面ケ丘病院で、職員水増しとか違法拘束とかいろいろな問題が昨年暴露さ れまして、この病院はことしの一月に保険医療機関指定取り消しとなりました けれども、この中で、一人の患者さんのことが話されています。(略) 大勢の人間が出入りするデイルーム、いわば食堂みたいなところですね、精神病院ではデイルームなどと言いますが、そこの窓の鉄さくに二メートルのひ もをつけて、患者を犬のように縛っていたんです。十年近くだそうです。トイ レも便器で済まし、食事もそこで済まし、この半径二メートルだけが彼の生活 範囲でした。このようなことが実際にありました。

 本来、人をかぎをかけて閉じ込めるとか、あるいは縛るとか、そういうのは犯罪です。皆さんよく御存じだと思います。しかし、精神保健福祉法は、本人 の医療と保護に欠くことのできない限度でという建前ですが、一定の手続のもと、閉鎖病棟にかぎをかけて閉じ込めるとか、あるいは身体拘束ですら一定認 めております。つまり、刑法上の逮捕監禁罪(引用者注:精神科病院側の)を免責するために精神保健福祉法 がありまして、そして、その決定ができるのは精神保健指定医だという構造になっております。

 このポチと呼ばれた患者にされたこと、十年にもわたってひもに縛りっぱな しだったということは、さすがに精神保健福祉法ですら合法化できません。犯 罪です。単なる犯罪です。刑法上の罪です。しかし、この箕面ケ丘病院のこの ポチと言われた患者をつないでいた人はだれ一人逮捕されていません。警察が 調べたかどうか私は存じませんけれども、だれも逮捕者が出ていません。さら に、精神保健福祉法違反ということですら挙げられていません。この病院は、 保険の請求が水増しだった、単にそろばん勘定のことだけで挙げられたんです。 ところが、一人の人間を犬のように縛っていたことに関しては、だれも問題にしなかった、この国はだれも問題にしなかった、そのことをもう一度言いたいと思います。

 例えば、同じように一人の少女を監禁していた新潟の事件がありました。こ の事件は大変な騒ぎになりましたよね。マスコミも非常に大きく取り上げまし た。そして、この犯人と言われた人は逮捕されて、公判に回されて、刑罰を受けようとしています。確かに、この少女の監禁事件も、ポチと言われた患者さ んを縛っていた事件も、本当に憎むべき犯罪だと私は思います。実りあるべき 人生を奪った許せない犯罪です。しかし、この国では、精神障害者とみなされた人、この新潟の事件はそのように報道されました、みなされた人が何かをすると大騒ぎになります。マスコミが大々的に問題にされます。ところが、この ポチと言われた患者さんが縛られていた事件は、読売新聞ですら全国版に載り ませんでした。

 同じような犯罪が起こっても、加害者が精神障害者であるときと被害者が精神障害者であるときと、なぜこれほど差があるんでしょうか。やはり私たちは、 精神障害者は、人間ではないんでしょうか。

出典:2002年12月3日長野英子参考人意見陳述(衆議院議事録より)

この文章は、知的障害者に対する暴力事例についてのものです。

一昨日ラーメン屋で読んだ読売新聞に小さな記事があって、中野区の運営している施設で、知的障害者が職員によって暴行虐待された,その結果加害者は停職,それを見過ごした職員は戒告処分ということでした。

これは地域に開放されたお祭りでの出来事で、発端は一市民の通報だったそうです。だとすれば、閉鎖された日常ではこうした虐待が繰り返されていた可能性があります。

路上で人が人を殴ったりすれば直ちに犯罪です。これが犯罪化されないことこそが問題です。

障害者虐待防止法や差別禁止法成立を待つまでもなく、こうした行為は単なる刑法上の犯罪です。これが刑法に触れない、施設なら、学校なら、精神科病院なら許されるということこそが問題であると私は考えます。

出典:障害者は「犯罪被害者」にもなれない

こちらの話には激しい「あるある!」感があります。

過去、私は知的障害者を主な対象としていた介護事業所からヘルパー派遣を受けていたことがあるんですが、

「他の人が私に話しかけているのに、ヘルパーが代わりに答える」

といった、介助の意味を考えたらタブーであるはずのことがしょっちゅうでした。下り坂で手動車椅子を押す手をいきなり離されたことも。誰も見る人のない居宅介助ではさらに凄まじく、「15分早くきて、『早く来たから』と30分早く帰る」「めった打ち(ただし平手で、背中など目立たないところに、しかも痕が残らない程度に)」「台所の食器用の布巾で床を拭く(その近くに雑巾があることを知っているヘルパーが)」といったことの連続でしたから。

4. 健常者側にとっても障害者側にとっても、目先の現実的な対策は「隔離」となりがち

かくして

「障害者なのだから、健常者多数がいるところにはなるべく行かない」

が、現実的な対策ということになってしまいます。

健常者が100人いたら、実際の比率は

理解者          5人

無関心         40人

好意的(本人申告)   30人

嫌悪          12人

敵対的          3人

といったところなのではないかと思います。その日出会う健常者が100人なら3人、1000人なら30人が「一触即発」の人であるというわけです。出会う可能性が増えれば、単純にリスクが増えます。だから「人混みには出て行かない」が正解ということになってしまいます。なお、ここで「好意的(本人申告)」を「無関心以下、嫌悪よりはマシ」と位置づけたことにも理由がありますが、話が発散するので今回は触れません。

これは健常者側の「混雑する時間帯に駅にいないでほしい」「混みあう電車に乗らないで欲しい」「街に出てきて自分に配慮や注意を求めないで欲しい」という潜在的・顕在的ニーズとも一致します。

かくして、隔離以外の方法は現実の問題として選択しにくい、ということになりがちです。

隔離していると、相互に理解が妨げられ、折り合うスキルが社会に蓄積されません。長期的には社会が損をしてしまうことになります。しかし現実の問題として、障害者の積極的社会参加より以前に「健常者多数の場に障害者も安全にそこにいられる」が現在の日本では困難なので、「出て行かない」が現実的選択ということになってしまいます。

かくいう自分も、休日・祝日に最寄り駅(JR中央線・西荻窪)に近寄ることは極力避けています。ユニークな街に遊びに来た、土地勘のない街で行きたいカフェやアンティークショップの情報収集に熱中する一方で周囲への注意は払いにくい方々が多数いるわけです。思わぬ事故やトラブルの可能性は、極力避けたいと考えるわけです。またスーパーにも寄らずに済むよう心がけています。休日・祝日のスーパーは家族連れが多いのです。子どもが車椅子に好奇心を持つことは正常な行動だと思いますが、ここ3年ほどで、近づいてジロジロ見たり後ろから触ったりする子どもを親たちがたしなめないことが増えました。「黙って子どもを引っ張って引き離す」さえ、めったに期待できない行動になっています。「すみません」と頭を下げられたら、「地獄で仏」といった心境になってしまいます。

では、平日ならいいのでしょうか? 人出が少ないので快適ではあるのですが、

「働かず昼間からぶらぶらしている障害者」

という目で見られます。実際にそのようなことを言われることも、かなりの頻度であります。

私は自分の仕事その他の必要な活動のために、使わなくてもいい労力は使わず、体力気力を温存しておきたいと思います。なので、休日祝日の外出を極力避けています。

外に出ないわけにはいかないので、平日日中に外出します。すると「働かず昼間からぶらぶらしている障害者」と見られます。

私は自分にとってやむを得ない「外出は主に平日日中に行う」という選択によって、「障害者=働かない」という偏見の強化に貢献してしまっているわけです。メガホンで「働いてるんです、働いてるんです」と叫びながら街を歩くわけにはいきませんから。

なんともやりきれない思いになります。

5. さまざまな意味で障害者を「守る」仕組みが足りない

冒頭の事例で蹴られた全盲の女子生徒が単独で通学していたことについてのコメントが全く見られないので、ここで一言書いておこうと思います。

この女子生徒はもう10代後半、社会への参入の準備としても本人の自意識の問題としても、可能な限り単独行動に慣れて

「行きたいところに自分で行く(人に道を尋ねたり誘導をお願いしたりすることを含む)」

をスムーズに行えるようにする必要があると思います。

しかし、もしも

「この事例が報道されたことによって、模倣犯が増加し、この特別支援学校の生徒全員が通学時に暴行を受けることが増えた」

といった事例に発展したら、まずは視覚障害のある生徒たちの学習の権利を守るために移動支援が必要でしょう。でも、現在の公的制度では、安全な通学手段の確保は義務教育レベルでも実現されていません(一部自治体が独自に実施している例はありますが、国の制度ではありません)。

公的制度での移動支援は長く、「通学・通勤・営業」への使用が禁止されてきました。「公金で障害者(児)の資産形成を行うことになるから」というのが、その理由でした。このうち通学に関しては、一部自治体の独自判断によって道が開かれてきてはいます。自治体によっては高校までの通学を保障していたり、大学への通学での移動支援使用を認めていたりもします。でもまだまだ不十分です。

障害者側の「自己責任」や「障害者利権」を言う前に、健常者側が自分の努力によらずに得ている(自己)責任能力や「健常者利権」について考えてほしいものです。

「小学校や中学校に、行く意欲があって学ぶ能力もあり、イジメに遭っていたわけではなく、引きこもりや不登校といった状況にもなかったのに、通学できないので行けなかった」

という経験を持っている健常者はいますか?

現在、健常者が得ている基本的な権利を「フルスペックの人権」とし、この「フルスペックの人権」に「フルスペックの社会参加」「フルスペックの責任」が対応するとするならば、障害者に健常者並みの社会参加と責任を求めるにあたっては「フルスペックの人権」の保障が必要なはずです。ここで「フルスペックの人権」は、障害者が、疾患に対する(自他ともに)適切と考えられる治療や必要な生活支援・行動支援を受けることを含みます。それがあって「訳の分からない犯罪をしでかす障害者」となることは、まずありえませんから。

でも、人権保障はまったく不完全です。その一つの現れとして、義務教育も受けられない障害児が現在もいます。特別支援学校での分離教育にも問題はありますが、その特別支援学校へ通学する手段さえ保障されていないのです。

義務教育への通学がこのような状況なのですから、その他は推して知るべき、です。

その状態が放置されている、少なくともはかばかしい改善をみていない現状で、障害者に「健常者並み(の就労・社会参加)」を求めるのは時期尚早です(後記:文科省は一応気にしているようです。こちらの文書に「○ 通学時の支援やコミュニケーション手段の確保について、教育・福祉の連携や社会的支援の整備等の支援の充実を図ることが望ましい」という文言を入れる程度には)。

障害者が加害者になった場合に健常者並みの責任を求めるならば、まず健常者なみの権利を。被害を受けた時に健常者並みに被害者となる権利を。たとえば、障害ゆえに「証拠が取りにくい」というハンディについては「身の回りの出来事の24時間録音録画を可能とする特例を設ける」などの対応を。

川越の事件の加害者となった知的障害のある男性に対しては、まずは心身とも安定した状態でいられるよう配慮された状況で日々を過ごしていること、理解できるように配慮した上で事実関係を確認されること、意思表示を間違いなく聞き取られること、やっていないことや思ってもいないことまで「やった」ことにされないことを望みます。

その上で、自分がしたことは何なのか・何が悪かったのか・なぜそういうことをしてはいけないのかを、時間はかかってもきちんと理解し、被害を受けた女子生徒に心から謝罪してほしいと思っています。