生活保護のよくある質問に答えてみました(5) なぜ、外国人の生活保護利用はなくせないのか
「外国人の生活保護利用をなくすべき」という声が大きくなっている昨今の日本です。
しかし、なくした時に最も困ることになるのは、おそらく日本人です。
本エントリーでは、
- 2014年7月の最高裁判決の意味
- 外国人による生活保護利用の現状
- そもそもの背景
- 外国人が生活保護を利用できなくした場合に予想される影響
- では、どうすればよいのか
について解説し、私見を述べます。
(後記:末尾に結論を追加しました)
2014年7月の最高裁判決の意味
まず、2014年7月19日の最高裁判決から、外国人の生活保護利用に関しての判断を述べた部分を引用します。
ざっくり言えば「現状是認」の上、明確な判断は避けたというわけです。
- 現行生活保護法は外国人を対象としていない。
- 外国人に対する生活保護の適用は1954年の厚生省(当時)通達による行政措置が根拠。だから「法に基づく保護の対象」ではない。
- 行政措置なんだから、申請に対してはどうするか、各自治体が判断してよい。「判断する行為そのもの」は適法。
以上全部、これまでずっと、運用はそうだったわけです。
さらに何らかの形で1954年の厚生省通達を無効化し、行政措置としても行えないということにすれば、日本は外国人の生活保護利用を拒めることになります。そのような動きは、すでに始まっています。
外国人による生活保護利用の是非を考えるにあたっては、押さえておくべき前提が数多くあります。
重要な前提は、賛否どちらの立場としても押さえておきたいものです。
外国人による生活保護利用の現状
2011年の被保護者調査によると、外国人を世帯主とする生活保護世帯数は下記の通りでした。
この中には、世帯主以外は全員日本人である世帯も含まれる可能性があります。
一方で、たとえば「世帯主だけ日本人、その他の世帯員は外国人」という世帯は含まれていません。
ですので、人数がどうなのかは判断できません。あくまでも「世帯として」の判断しかできません。
総数 43 479 (100.0 %)
高齢者 16 081 ( 36.9 %)
母子 7 950 ( 18.3 %)
障害 3 617 ( 8.3 %)
傷病 8 058 ( 18.6 %)
その他 7 773 ( 17.9 %)
私が「ぱっと見」で気になるのは、母子世帯比率の高さです。傷病者・障害者世帯の比率は、日本人でも「まあこんな感じ」といったところなのですが(繰り返しますが、あくまで世帯主に限っての分類なので、世帯員に障害者(児)や傷病者(児)が含まれている「その他世帯」「高齢者世帯」「母子世帯」もありえます)。
同年、日本全体ではどうだったでしょうか?
総数 1492396 (100.0 %)
高齢者世帯 636469 ( 42.8 %)
母子世帯 113323 ( 7.8 %)
障害者世帯 169488 ( 11.4 %)
傷病者世帯 319376 ( 21.4 %)
その他世帯 253740 ( 17.0 %)
外国人で生活保護を利用している方々の場合、「無年金高齢者になってしまった」という問題もありえますが、高齢者世帯比率は日本人より少ないのですね。これは意外でした。計算してみるまで、その可能性について考えたことはありませんでした。
また「日本の医療や福祉をアテにして移住してくる外国人」という話もよく聞きますが、データで見る限り、障害者・傷病者とも日本人の方が比率が高くなっています。
しかし生活保護を利用している母子世帯の比率は、日本人の2倍以上。このことの背景については、きちんとした調査と検討が必要だと思います。
母子世帯(少なくとも母親は外国人)に、日本で出生したため・親のどちらかが日本人であるために日本国籍を取得することの可能な子どもがいるとすれば、むしろ生活保護は積極的に行う必要があるのではないでしょうか? 日本国籍取得の可否に関係なく困窮状態にある子どもに対する保護は必要なのですが、日本国籍を取得できる場合には「本国に帰せばよい」ともなりません。
保護を行わない場合、最悪の場合には
「日本生まれ日本育ちで日本語ペラペラ、日本国籍も持っている。だけど日本で惨めな生活を送り、日本人に差別されまくったあげく、日本人には好感ではなく恐怖や怨念や悪意を持っている。無学歴・低学歴で就労経験も少ない」
という青年が育つことになります。
日本人の子どもも、そんなふうに育ってはならないと思います。外国人の子どもの場合、さらに親の国籍や親が外国人であることによる差別が加わるわけですから、問題はさらに深刻です。
経緯はともあれ日本に生まれ日本で育つ子どもには、将来どこでどういう人生を送る選択をするとしても、日本に好意と親近感を持って欲しい。間違っても、対日本テロに参加する大人にならないでほしい。
私は一人の日本人の大人として、心から、そう思います。
ちなみに、外国人世帯の比率は生活保護世帯の 2.9%です。
この「被保護者調査」と別に、都道府県レベルで調査された被保護外国人数データもあり、それを合計すれば日本全国での被保護外国人数も判明するわけです。
しかし、それをやってみたり、多いか少ないか議論したりするモチベーションはありません。多いにせよ少ないにせよ、「だったら何なの?」という思いがあります。
もしも最初から「日本で生活保護を受ける」を目的として日本にやってきた外国人の方がいて、日本での立場を有利にしようという目論見のもと日本人と結婚して多数の子どもをもうけ、生活態度にも育児にも問題が多く、就労もしていないとしましょう。
重要なことは、この方を含む家族がつつがなく落ち着いて暮らし、必要なケアや支援を受け、子どもであれば大きな問題のない生育環境に置かれた上でタイミングを逃さず教育を受けることです。就労を含む社会参加は、そういった日常が続いていった先に実現することです。
「社会に包摂され、基本的人権を保障され、日常生活における『義務』を果たせるようになり、さらに大きく包摂され、勤労の権利を行使し、納税の義務を果たし、さらに大きく社会に包摂され……」
と、包摂される範囲と果たしうる義務を大きくしていくには、最初に基本的人権レベルでの包摂が行われなくてはなりません。
個々の外国人が日本に永住しようと考える理由が何であれ、日本と日本社会が行うべきことに違いはありません。
もしも最初から「日本人をカモにして犯罪を行う」が目的なのであれば、判明した段階で、それを理由としてお取り引き引き取り願えば済む話です。
もしも不幸にして日本で犯罪を行う成り行きになってしまったのであれば、人道への配慮のもと取り調べを受け、裁判を受け、必要であれば服役していただく必要があります(日本の刑事司法や刑務所・拘置所での非人道的な処遇は、日本人に対しても、国際社会で繰り返し問題にされているわけですが)。取り調べ・裁判・刑事罰の執行は、もし人道への十分な配慮のもとで行われるのであれば、むしろ本人を人として尊重するための行為でもあります。
そもそもの背景
- 旧生活保護法には国籍条項がなく、外国人も対象となっていた。
- その後日本国憲法が成立し、「国民」概念が入った。
- 日本国憲法と整合を取ることを目的の一つとして、新生活保護法が成立した。日本国憲法の「国民」概念に合わせて、対象が日本国民となった。
- 旧生活保護法で保護対象となっていた外国人、保護が必要となった外国人に対して「保護してよい」というお墨付きが必要になった。しなければ、地域が社会不安を抱えることになるので(たとえばスラム化している地域(当時はしばしば外国人が多かった)で伝染病が流行したら、そこだけの問題でも外国人の問題でも済まないわけです)。
- というわけで1954年の厚生省通達(「行政措置として生活保護制度を準用して保護してもよい」)が出た。
- 国連人権規約や難民条約を批准する際、外国人を社会保障においても差別しないことが求められた。このとき外国人も年金に加入できることに。その他法改正が行われ、国籍条項がなくなった。でも生活保護法はそのまま。日本政府は「厚生省通達で、準用して保護していますから、外国人を差別していません」と主張。これが「まあいいか」と認められたので批准できた。
外国人が生活保護を利用できないようにした場合、どのような影響が予想されるか
人道上の問題、日本国内の社会不安の増大に加え、国際社会からの激しい非難は免れないでしょう。
現在でも、日本は「難民を受け入れない」「難民を非人道的に扱う」と見られていますから。
「外国人も日本人同様に生活保護を利用できています(行政措置による準用ですけど)」という現状は、「やっぱり日本は!」と言われないために、非常に役立っています。
「生活保護が利用できるようにしているから難民は受け入れなくていい」という理屈はありませんが、「なんで日本はああなんだ!」「やっぱり日本は!」と国際社会から激しく非難されることをギリギリのところで食い止めているのが生活保護制度の準用、と見ることもできます。
鎖国でもするのならともかく、
「日本で生まれた子ども(もちろん大多数は日本人の子どもとなるでしょう)が教育を受け、成長して職業生活を開始し、家庭を持ち、子どもを産み、社会でさまざまな役割を果たし、老いて人生をまっとうする」
が可能な国と社会を今後とも維持していきたいのであれば、これまでの維持に役立っていたものは可能な限り維持するべきでしょう。「なくす」という検討や実行をすることは、慎重のうえにも慎重であるべきと私は考えます。
外国ではどうなっているのか
実は、あまり詳しくありません。調べるだけで非常に大変。国際比較が可能な形に整理するのは、それ自体が研究テーマとして成り立ちうるほどの難問です。ここでは、私の知っている範囲でお話します。
「欧米」とひとくくりにされるヨーロッパと米国は、かなり千差万別です。米国内には、さらに州による違いもあります。
たとえばフランスは、このところ外国人排斥傾向が高まっていると報じられます。また公的扶助制度も「内容が貧弱」と報じられることが多くなっています。実は「公的扶助を国際比較する」は、それ自体が非常に困難です。日本の生活保護にあたる「ざっくり」したパッケージの制度は、他国にはあまり例がありません。
しかしフランスでは、就労ビザで入国して一定期間の就労(約1年とか)をしていた外国人に対して、少なくとも就労していた期間と同じ期間の失業給付が行われたりするようです(現地在住の日本人に聞きました)。「雇用保険を払っていたから失業給付を受ける権利がある」が、外国人にも同等に適用されるわけです。さらに給付つきの再就職支援・再教育プログラムを受けることもできます。年単位で腰を据えて勉強しなおし、再就職の準備をし、アセスメントを受けて再就職を果たすことが可能という仕組みです。こういった制度を利用する道が、外国人にも開かれているというわけです。
話を聞いた在仏日本人である本人は、
「実感としては、フランスの社会保障は手厚くてフェア」
と私に語りました。
少なくとも、日本社会で長年過ごし、さまざまな意味で社会生活を送り、可能なときには所得税などの納税をしていた人々に対して「困窮したときには扶助を受けられない」を正当化するのは、かなりの無理があると思います。
「でも、米国ではそうなっているでしょう?」という声もありそうです。
確かに米国では、帰化した元外国人には社会保障を利用する権利がありますが、永住外国人に対しては「義務に見合うだけの権利が保障されているわけではない」もありえます(州によります)。
しかしこれは、そういうことを可能にしている米国のルールの方を問題にすべき場面です。少なくとも「市民の権利を伴わない市民同等の義務がある」は筋が通りません。特別なニーズを持つ人々(わかりやすいところでは子ども)に対しては、さらに義務を伴わない権利が確保される必要があります。そうしないと社会が維持できないことは明白です。米国も(地域や州や時期にもよりますが)この点では、あまり筋の通らないことはしていないようです。外国人の子どもに行き届いた教育と支援を提供し、社会に包摂する努力。米国に子連れで滞在したことのある日本人のほとんどが、この点を賞賛しています。
しかもその「外国人に厳しい」と喧伝されがちで、そういう面も確かにある米国では、「第二のセーフティネット」や「ワーキング・プア」層への減免制度が実は結構充実しています(州や地域によりますが)。日本の単身者でいえば年収180万円~250万円程度にあたる人々が、贅沢はできないながら、かなり幸せに生活していたりします。中には、永住者でさえない外国人が利用可能なものも相当数含まれています。
公的社会保障があまり充実していないのは事実ですが、コミュニティや民間セクターをベースとした支援が充実していたりします。公的扶助が必要なはずの外国人に対しても、その支援は届きます。ただ、「公的扶助が貧弱すぎるから、そうでもしないと、この人たち死ぬよ」という側面はあります。
また、あまりにも大きな貧困問題に対して、数量の面で対応が間に合っていない面は、公的・コミュニティベース・民間セクターベースのいずれにも存在します。
少なくとも「欧米では」「○国では」と言うのであれば、現在すでに起こっている問題は取り込まず、その問題を生み出した政策や施策も移入しないために、成功している側面とその背景に謙虚に学ぶべきでしょう。
では、どうすればよいのか
結局のところ、「外国人」と(または)「生活保護」といった断片を対象にしているかぎり、何も解決できないのだろうと思います。
今後、自分や家族はどう生きていきたいのか。その場としての日本社会がどうあってほしいのか。そういったことを総合的に、タルく、しかし緻密に確実に議論していくことからしか始まらないのではないでしょうか。
「タルく、緻密に確実に」と言っていられない問題もあります。たとえば進行する少子高齢化に対策するためには、移民を受け入れないわけには行かないでしょう。その際、
「低賃金労働者として労働力を利用することを目的として受け入れることは避け、その人物が日本に必要かどうかを慎重に判断した上で受け入れ、受け入れた後は社会保障も含めて日本人同等の人権を認める」
という方針以外はありえないのではないでしょうか。
低賃金労働者として外国人を受け入れるから、その人々と対抗しなくてはならない日本人が不利になるのです。
さらに、低賃金労働者だった外国人が失業・病気・障害・高齢といった問題を抱えた場合には、そもそも労働条件が良好でなかったことに由来するあらゆるリスクが顕在化するわけです。しかも、本国に帰っていただくことに成功しても、日本人が好条件で働けるようになるわけではありません。増えるのは日本人が「なるべく就きたくない」と考える仕事の求人だけです。
外国人の生活保護利用にまつわる問題には、低賃金底辺労働者として都合よく外国人を受け入れてきたことのツケという側面もあります。
払わなくてはならないツケは払い、今後同じようなことが起こらないように本質的な対策を講じる必要があるのでしょう。
鎖国を前提としない限り成り立たないような極端・単純・分かりやすすぎる対策ではなく、日本が世界から「経済力や政治力や地政学的条件のためだけではなく、そういったものが失われたとしても世界の一員として重要な存在」と考えられ続けるために必要な対策は何なのか。
確かな根拠と、意見の異なる数多くの人々が最低限の納得や合意に至ることのできる論理によって、着実に考え、実現していく必要があるのだと私は考えています。
後記:結論
具体的にはどうすればよいと思われるか、思い浮かぶことがらを列挙しておきます。
一言でいえば、
「短期的には生活保護によって社会不安のリスクを慎重に避けつつ、中期的・長期的に生活保護の必要性を減らす(特に外国人に対して)」
です。
良識的な日本市民となる移民を増加させ、すべての人(すでに日本に住んでいる外国人も含む)を対象として(再)教育の機会を提供し、すべての人(特に外国人)の低賃金就労・不安定就労そのものを減らすことを並行して行うこと以外に、この問題への根本的な対策はないのでは? と考えています。
以下、まだまだ漠然としてて具体案には程遠いのですが、私案です。
- 生活保護法の国籍条項は撤廃する。日本人に対しても外国人に対しても、もっと権利性を明確にする。
- 技能研修生制度など、外国人を「人手」として日本人より劣悪な労働に従事させることに使われてしまう制度も撤廃する。
- 移民受け入れは拡大せざるを得ないので拡大する。受け入れにあたっては「日本人の子どもたちが、こんな大人に育って日本に居着いてくれたらいいなあ」を基準とする。
- 難民受け入れは、せめて先進国として「ありゃなんだ」と言われない程度には拡大する。その前に、最後の項目で述べる包摂の仕組みを確立しておく。
- 裏のお仕事へ外国人を斡旋すること・日本への入国ブローカー行為など外国人による治安悪化に直接つながることがらは、現在以上に厳重に取り締まる(というわけで、カジノ解禁はやめといたほうがいいと思います。そんなものに食い込まれたら何が起こるかわかりません。今だって公営ギャンブルだけでも十分に危ないのに)。
- すべての人の生活保護制度の利用を、何らかの(再)教育と紐付ける。生活保護制度以外に「社会への再接続準備手当」というようなものを新設しても良いかもしれない。いずれにしても給付である必要はあるけれども。
- ↑でいう「教育」の内容は、既存の学校教育や「お勉強」に限定されない。社会スキル訓練・技能の学習など、本人が何らかの成長や発展をすること・本人と周囲の生活状況が現在よりも良く(悪くなりにくく)なること(認知症予防ケアをここに含めてもよい)・本人が社会により大きく深く関われるようにすること・本人が可能な範囲での再就労などを含めて社会により大きく接続されることの全部を含む。このことにより、生活保護と(再)教育を利用している本人・本人の家庭・本人の属する地域社会などのコミュニティ全体を底上げする(たとえば「より有利な再就労ができれば、地域経済がより潤う」という具体的な効果がある)。