日航123便墜落事故の日が来るたび思うこと ー 人間を救うものって、何なんだ?
8月12日、1985年に日航123便が御巣鷹山に墜落した日が来るたび、思い浮かべるエピソードが一つあります。
あの123便に乗る予定だった大学の同級生・ヒロシ(仮名)のことです。
「いいかげんなヒロシ」のこと
私は当時、東京理科大の理学部第二部に学籍を置く大学2年生であり、アルバイトながら、研究所でほぼフルタイムの労働に従事する勤労学生でした。
高校卒業→就職→数年後、仕事に関連する勉強のため大学夜間部へ→大学を卒業してキャリアとスキルをさらに磨く→キャリアアップ→……
は、1980年代前半ごろまでは、
「大学で学業を修める能力も意欲も勉強の習慣もあるけれども、何らかの事情により『専業大学生』生活をできるほど恵まれた状況にはない」
という高校生にとっての「黄金ルート」の一つでした。私も、それに近い経験をしてきています。理科大の同級生には、そういう勤労学生がたくさんいました。
ヒロシも、そのような勤労学生の一人でした。高校を就職卒業後、ある官庁の外郭団体に勤務しながら理科大の夜間部に通っていました。学業にはあまり熱心ではなく、飲みにいけば酒癖に難があり、服装はややだらしなく、友人たちで一緒にどこかに出かける時の待ち合わせには必ず数十分ほど遅れて出現するような人物でした。友人たちはほとんど、「いいかげんな」をヒロシの枕詞のように使っていました。しかし、ヒロシには不思議な愛嬌があり、決して嫌われてはいませんでした。
職場でも同様の感じだったようです。仕事ぶりが優れているというわけではなく、いいかげんさで時に迷惑をかけつつも、上司・先輩たちに愛されていたようです。
いいかげんさが幸いして命拾いと人助け
1985年8月12日の夕方、ヒロシは資料を持って、同僚一人とともに、勤務先の大阪支所に出張する予定でした。二人が乗る予定だったのは、あの123便です。
ところがヒロシの同僚は、羽田空港の搭乗カウンターで、待てど暮らせど出現しないヒロシにヤキモキしていました。チェックイン締め切り時刻になってもヒロシは現れませんでした。資料はヒロシが用意して持ってくる予定だったので、一人で行くわけにはいかなかったのです。携帯電話はなく、「データはネットで送るから」など全く考えられない時代でしたから、こういうことも起こり得たわけです。ヒロシの同僚は、二人分のフライトをとりあえずキャンセルし、以後の便の空席待ちをすることにしたということです。
123便が飛び立った後、資料を持ったヒロシが現れました。とにかく、空席待ちをするか、新幹線を利用することにするか、その日のうちに大阪に到着することを断念するかしかありません。同僚がヒロシに文句を言い、ヒロシが言い訳をしているうちに、空港のテレビに「123便が消息を断った」という速報が出て、まもなく墜落の可能性が報道されたということです。
ヒロシが遅れた理由については、あまり詳しく知りません。たぶん、何かに気を取られて資料作成が遅れたとか、資料を持って出るのを忘れて職場に取りに戻ったとか、でしょう。友人どうしの待ち合わせに遅れる理由は、いつも、だいたいそういう感じでしたから。
でも、職業人としても学友としても、かなりイラっとくる「いつもの『いいかげんなヒロシ』」がいつもどおりにいいかげんだったおかげで、ヒロシ自身と同僚は命拾いしたのです。
その後のヒロシ
ヒロシは、8年かけて東京理科大を卒業したあと、転職しました。バブルがはじけて間もない時期でした。転職の理由は知りませんが、「以前の職場にいづらくなって」というようなことではなく、「親御さんが家を買って引っ越ししたので、その近くの職場に」というようなことだったようです。転職後まもなく、かわいい女性と結婚し、ほんわかとした明るい家庭を築いていました。
漏れ聞いていた範囲では、野心や向上欲をもたないヒロシは上司・同僚に警戒されることがなく、相変わらず独特の愛嬌で愛されていたので、いいかげんながら全体としては地道に、量的にはやや少ないながらも確実に仕事をこなし、一定の評価をされていたようです。周囲の同僚たちが管理職になる時期にヒラでも、なんのその。本人はまったく気にしていなかったとのことです。
専業主婦だった妻との関係も、かなり長い間、良好だったようです。ただ、妻が精神を病んでしまい、結局は離婚に至ったと漏れ聞いています。それでも10年近くは結婚を維持していたようですから、大変な好成績です。理科大夜間部の友人たちは、私も含めて全員がいったんは結婚(事実婚も含め)しましたが、ほとんどが離婚しました。親しかった20名ほどの友人たちのなかで、今も結婚を維持できているのは2カップルです。夫も妻もそれぞれに結婚生活に求めるものが明確で、しかし合意形成のために充分な手段やスキルを持たないため、年を重ねるごとに違和感が大きくなっていって離婚に至ってしまうという図式です。
現在、ヒロシがどうしているのかは知りません。私と同い年ですから、たぶん50歳にはなっているはずです。しかし、中高年の就労継続を妨げる厄介なプライドと無縁なヒロシは、どこかでたくましく、愛されながら会社員生活を続けているのだろうと思います。
人間を最後に救うものって、なんだろう?
あの日航123便事故の犠牲者の方々の中には、才能ある高名なタレントもいました。企業のある事業を担って立っている技術者もいました。将来あったはずの子どももいました。でも「助かる」「助からない」を決めたのは、実績でも能力でも真面目さでも将来性でも、性別でも年齢でもありませんでした。辛くも生存された4名の方を除いて、「あの123便に乗ってしまった」が運命を決めてしまったのです。もしかすると、あの123便に乗るために「それまでに資料を仕上げて、遅れないように空港に行かなくちゃ」と懸命に真面目に努力され心がけられた方が、それゆえにお亡くなりになったのかもしれません。
この不思議を考えると、「人間が自己責任で自らを善導し、幸せな生涯を送ることができる」というのは、まったくの幻想のように思えてしまうのです。