苦境に陥った上級管理職のあなたが死なずに済むために
発生学者の笹井芳樹さんが、勤務先の理研CDBセンターで亡くなられました。
ほぼ同年代、しかも、まだまだこれからの活躍が期待されていた研究者の早すぎるご逝去に際し、ご冥福をお祈り申し上げます。
5日午前8時40分頃、神戸市中央区港島南町の先端医療センターで、STAPスタップ細胞論文の共著者だった理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの笹井芳樹副センター長(52)が、首をつっているのが見つかった。
神戸市立医療センター中央市民病院に搬送されたが、午前11時過ぎに死亡が確認された。
(略)
兵庫県警神戸水上署によると、先端医療センターの4階と5階の間にある踊り場で、階段の手すりに掛けたひもに首をつった状態で、踊り場にあったかばんの中から遺書が見つかった。(略)同署は笹井氏が自殺を図ったとみて調べている。(後略)
笹井さんは、心療内科にも通われていたということです。それも早い時期から。自分の自助努力だけでは何ともしがたいストレス状況であるというご自覚、おありだったのでしょう。
理化学研究所の同僚によると、自殺した笹井芳樹氏は、STAP細胞の論文問題発覚後から心療内科を受診していた。最近は薬の副作用ではっきりと会話することが難しかったという。
また、理化学研究所の関係者は笹井氏について「こんなことになるとはみじんも思わなかった。毎日出勤していたが、少し衰えているように見えた」と話した。
大組織で「自己責任なし」とはいえない追い詰められ方をしたときの状況は、分かるつもりです
私自身、前世紀に研究者として勤務していた大手企業で家庭や原家族や生活圏まで巻き込んでの攻撃を受け続けた上(退職しても終わりませんでした)、横領の濡れ衣を着せられそうになった経験があります。
私は、「余人をもって代えがたい」というほどの能力や実績を持っていたわけではありません。パワハラやセクハラに遭いながら必死で続けた仕事のいくつかが、学会全国発表レベルで少し話題になったくらいです。いわゆる「世渡り上手」でもありませんでした。だから、会社からの総攻撃を受けたことについて、自分自身に落ち度がまったくなかったとは思っていません。すべての人がパーフェクトでないのと同程度の落ち度なら、あったと思います。でも、会社の尻馬に乗って私を攻撃した人々は、私が「住まいのマンションのベランダで雪駄を履いている」というようなことまで問題視して「自己責任、自己責任」と大声を張り上げ、さらに「女のくせに」「女なんだから」「女というものは」と私を責めました。その人々に、自己責任論の根拠を一つも与えないでいることは、私には不可能でした。そういう意味で、私はやっぱり、今でもいくらか自分の「自己責任」を感じています。就職先の選択がいけなかった、上司に酒席で専業主婦の素晴らしさを説かれた時の対応がいけなかった……と、もう20年以上経過することも含めて内心ジクジクしています。
今でも、ウツっぽいときには「ああいう選択と行動をした自分は自殺しなくては」と思ってしまうことがあります。
私は、当時から、心療内科にもかかっていました。その心療内科医が会社の産業医でもないのに、会社の側に立ったことは大きな痛手でした。
でも私は、さまざまな問題に面し続けつつも、命を取られず、社会的にも抹殺されず、未だに生存しつづけています。自殺を考えたことは何度もありますし、社会から事実上放逐されてしまうのかと絶望したことも何度もあります。しかし、自分でも「宝くじ高額当選レベルの幸運」と感じる偶然のかずかずが幸いし、未だにしぶとく生き延びております。その中には「そのタイミングで猫が重病にかかった」というようなものまで含まれています。
前世紀に勤務していた企業の上司は、私に「猫を処分しろ」と迫ったことがあります。私は、自分の命に変えても、2匹の猫を守ろうと決意しました。上司に「処分しろ」と言われた猫のうち1匹は14歳で天寿を全うしました。もう1匹は現在17歳2ヶ月、マイペースで高齢猫ライフを楽しんでおります。私は、ライターとして生き延びるために猫たちを守ったわけではなく、ただ、私が望んで私の家族となった小さい者たちを守りたいから守っただけです。現在から振り返ると、どうも私は猫たちに守られてここまで来たように思えますが、その話はさておきます。
一定のステータスを持つ大組織の中で苦境に立たされるめぐり合わせとなった時のストレス状況や自責感情がいかなるものなのか、想像くらいはつくつもりです。
笹井さんに、私の「猫」に相当する存在があったのかどうかは知りません。
それ以前に、笹井さんと私には、比べるのもおこがましいほどの差があります。
私は、研究者とはいえヒラでした。それも塩漬けにされていたヒラ。しかも配偶者からも原家族からも、取るに足らない、潰してもかまわない存在と考えられていた女です。小保方さんの真似はしたくてもできませんでした。というより、そういう発想も持てないような状況にありました。
「スター」と呼ばれることもあった上級管理職の笹井さんとは、まったく立場も状況も違っていたと思います。
共通していることは、被雇用者であったことと、ストレス状況です。
被雇用者としての管理職に出来ること
管理職には人事権があります。査定を行う立場にもあります。ヒラから見れば経営側です。また、経営の立場に立っての言動を求められる立場でもあります。
でも、少なくとも一般的な部課長クラスであれば、法的には経営陣ではなく、被雇用者です。
「副センター長」の立場にあった笹井さんは、民間企業でいえば経営陣だったのか管理職だったのかは分かりません。でも少なくとも「幹部」ではなかったわけですから、上級管理職といったところでしょう。
正確にはどうなのか、労働法の専門家の方にご指摘願いたいのですが、少なくとも
- 休職する権利
- 退職する権利
- 休職・退職に関して、妥当な範囲を越えた不利益待遇や恣意的懲戒を受けない権利
もないわけはありません。まあ、実際には何だかだで侵害されていることの多い権利ではありますけれども。
産経の報道が事実ならば、自発的に早期にメンタルヘルスの専門家に助力を求めるという判断をされた笹井さんが、なぜ同じ理由で休職なさらなかったのだろうかと不思議です。
お立場がら、それ以上に「世間を騒がせる」可能性のある行動は可能な限り避けたいとお考えになったのかもしれませんけれども。
向精神薬は、苦境を乗り切るためのものではありません
向精神薬の多くは、脳の活動を鈍らせます。そのことによって睡眠が取りやすくなり、全身的な健康状態が低位ながら安定します。
職場のさまざまなストレスに関連して起こった精神疾患に対しては、最初はその「低位安定」が目指されます。寝られて食べられてなければ、回復するものも回復しませんから。ついで少しずつ高位安定に近づいてゆき、職場復帰や復職に結びつけばよし……というのが一般的な流れです。そのプロセスでは、薬物だけではなく認知行動療法などが併用されることも多くなっています。
低位安定が目指されるべき段階で、無理に勤務を継続するということは、
「向精神薬で心身の活動を全体的に鈍らせた状態で、そうではない状態で要求される仕事をこなす」
ということです。そもそものストレスに加えて、向精神薬による負荷もあるわけです。一説によると「20~30kgの荷物を背負い続けているのと同じ」ともいいます。
向精神薬によって身体に不快な影響が現れる(「明瞭に発声できない」は、よくある副作用の一つです)ような状況ならば、少なくとも通常の勤務を行うこと・管理職としての任務を果たし続けることは、もう原理的に無理です。
では、休職の勇気を持てるか? 言うのは簡単ですが、実行は困難でしょう。
ヒラの私だって、そんなに簡単には決心できませんでした。休まざるを得ないところまでこじれてから休職し、休職も短期間では済まなくなるパターンに陥りました。すると復職がさらに困難になるという悪循環です。心身ともに復帰が困難になるところに、会社の状況がどんどん悪化していくため、立場が非常に悪くなる形での復職しかできないという状況でした。あがいても努力しても、結果としては会社を追われてしまいました(形式的には自己都合退職でしたが)。今となっては「早い時期に追い出されてよかった」と思っていますれけども、それは、あくまでも結果論です。
でも、なおかつ申し上げます。どうか休職の勇気を持ってほしい、と。
中高年管理職の場合、かなりの確率で、そのまま会社を追われてしまうことになるでしょう。でも、ただちに命まで取られるわけではありません。
養うべき家族? 一人の働き手だけで支えていたのだったら、そのこと自体がもともと無理を含んでいたわけです。いずれにしても継続させることが不可能な無理なんですから、見直すしかないだろうと思うのです。
労働者性を自覚して、同じような人とつながりましょう
心療内科や精神科の治療の及ぶ範囲は、基本的には本人です。家族・職場・地域に影響が及ぶ場合もありますが、多くはありません。
自分の立ち位置の「地政学」をなんとかするには、心療内科や精神科ではいかんともしがたいのです。
その「地政学」に働きかけるために有効なのは、現在のところ、労働組合しかありません。
管理職になって職場の労働組合に加入できなくなったのに、もう一度組合員に戻るのはプライドが許さない?
どっちみち、職場の労働組合には加入できないことが一般的です。
だったら、管理職のための独立系労働組合に加入しましょうよ。
「サヨクに助けを求めるなんてイヤ」? 「自分は立場が弱いと訴えるなんて恥ずかしい」?
死ぬよりマシじゃないですか!
職種が研究であれクリエイティブであれなんであれ、その職種の特殊性より、その人が「人間」として生きるために必要なものの方が優先されると私は思っています。その一つが労働者性です。
被雇用者として義務を果たすためには、最低限必要な権利というものがあります。
義務を果たすための権利の主張も白眼視されるとしたら、その状況はおかしいと思います。
誰にとっても同じこと。
研究の世界では、立場の弱いポスドク・大学院生の権利侵害が著しくなりやすく、したがって問題にもされやすくなっています。
程度の軽重はあれ、同じ世界にいれば管理職にも同じことは起こる可能性があります。おそらくは、かなりの確率で実際に起こっています。
愛する分野、愛する業種、愛する職種を守るためには、若手が希望を持って入ってくることのできる状況を維持する必要があります。
だから管理職は、自分の権利を守って、若手の権利を守れるようにすべきなのです。
そうではありませんか?
最後に
どんな状況に陥っても、死ぬことはありません。
日本国憲法には生存権が規定されており、生活保護制度という形で実現されています。
不足や不備の多い制度ではありますが、せっかくあるんです。
必要になったら大いに利用しましょう。
参考:生活保護問題対策全国会議:生活保護のことで相談したい場合は、こちらへどうぞ(相談先リスト)
「実は、そちらの地域には生活保護以外にも利用できる制度があって、それは建前ではなくて実際に役に立つもので」
「実は、そちらの地域には失業者の自立支援を表看板にした相談窓口があるんだけど、そこには行かないほうがいいです」
といったアドバイスも受けられる可能性が大です。
生活保護には「他法・他施策優先」という原則がありますから、他に利用できる制度があって「間に合う」ようならば、法律家も支援者も、その制度の利用を勧めることになるからです。
ほんとは「生活保護なんて恥ずかしい」とか思わないでほしいんですけど、
「実は、生活保護は恥ずかしいから、できれば避けたいと思っていて」
という方にも、生活保護の利用を推進する組織はお役にたちます。
後記:煮詰まったら温泉
財布に2万円か3万円くらいの現金、またはクレジットカードはあるのなら、
「死にたい」「消えたい」 と思ったら、スパか温泉にGo!
をお勧めします。
もし、小さいお子さん・毎日の介護が必要な高齢のご家族がいないのなら、一泊してきちゃいましょう。2万円あれば、スパに一泊してマッサージを受けて晩酌と朝食を食べること、あるいは大浴場のある近場の温泉地のビジネスホテルに一泊してマッサージと朝食、くらいはできます。
身体が気持ちよくなったら、少なくとも「今これから死ぬ」とか「行くと殺されそうな会社に翌日も行く」よりマシな選択肢は見つかるでしょうし、実行も容易になっていると思うのです。少なくとも私は、そんなふうにしのいできました。