自分の仕事にとって大切な人たちのことも、伝えよう - 病理医の認知度の低さから思ったこと

現在の日本に一人で完結する仕事はありません。

たとえば著述物は編集者・発行者・流通業者・販売者・関連業務に従事する方々との協力あって読者さんに届きます。

そういう自分の大切な人々のことを、私たちは、ふだん充分に伝えているでしょうか?

病理医の認知度って、そんなに低かったの?

畏友の病理医・榎木英介さん(榎木さんのYahoo!ニュースページ)が、過日(2014年11月13日)、朝日放送「ビーバップ・ハイヒール」に出演したとのこと。

関西のみでの放映であることに加え、そもそも「TV持ってない歴31年目」の私には見るすべがないのですが、視聴者の方々の感想はネット空間で数多く見受けられます。

時系列で感想を見られるこちらのページでは、

最初の方には

「病理医? 法医学医と何が違うの?」

というような感想も見受けられるものの、仕事の内容が明らかになっていくにつれ

「かっこいい」

「すごい」

「感謝しなくちゃ」

というような感想が増えてきます。

それを見て、私も嬉しくなりました。ふだん、ビールとソーセージで榎木さんと一杯やっているとき、病理医の認知度や医師の世界での地位が決して高くはないことを聞く場面も結構あるもので。

しかし次の瞬間、

「ん? 病理の先生って、そんなに認知されてないものなの? 私、病理医の存在、めっちゃ意識してるけど? 榎木さんが友達だからというわけでもないけど?」

と首をかしげてしまいました。

病理診断の専門家を否応なく意識する動物医療

私は、これまでに延べ4匹の猫と暮らしてきました。現在も2匹(17歳女子・6歳男子)と暮らしております。

17歳女子は、12歳で慢性腎不全、15歳で糖尿病に罹患し、現在も病気と付き合っております。少なくとも月に一度の定期検査は欠かせません。

我が家がお世話になりはじめて18年目になる近所の動物病院には、一般的な検査装置は最先端に近いものが概ね揃っています。しかし、ありとあらゆる検査に対応できる装置の全部を取り揃えているわけではありません(おそらくそれは、個人経営の動物病院には不可能に近いでしょう)。

というわけで、ときどき

「この検査は外注しないとできませんが、よろしいでしょうか? 今、ウチでできる検査では、○までは確かなんですが、その○が△や□である可能性は分からないんです」

ということになります。「よろしいでしょうか?」というのは、100%自費の動物医療では、その外注に私の自費負担が発生するからです。

病気にもよりますが、外注検査の頻度は、高齢猫がいる時期に年間2~15回といったところです。検査内容は、血液検査・腫瘍の内容とステージの判断など多岐にわたります。

特に2013年3月に他界した猫(男子・享年14歳)は、11歳から14歳にかけて、慢性腎不全・甲状腺疾患・悪性腫瘍(2回)と、高齢猫に多発する病気をつぎつぎと制覇(?)した末、最後は肺がんで亡くなりました。

自然科学畑出身の私が

「よく分からないまま手探りで治療」

より

「診断に費用はかかっても、内容を明らかにして、必要かつ最小限(治療によるダメージもありますから)の治療」

を好んだという背景が多分にあって、彼の晩年、外注検査には相当の頻度でお世話になりました。おそらくこれは、

「効果最大に近く、費用と本猫の苦痛は最小に近く」

という結果に結びついたであろう、と思います。

院内でも「どうも腫瘍らしい」「どうも肥満細胞腫(猫に多い悪性腫瘍)らしい」くらいの判断は、顕微鏡その他で可能なことが多いのですが、

「どういう内容の、どういう状態の腫瘍なのか」

の判断は、検査機関にいる病理専門の獣医師でないと無理なのでしょう。

というわけで、血液検査のうち院内でできないものに加え、細胞・切除した組織の病理検査が専門の検査機関で行われることになります。結果が戻ってくると、獣医さんから

「××という病理診断の結果、内容は○で、程度は△で……あ、□先生が見てくれたんだ。□先生は腫瘍(例)の診断が専門で、すごく腕がいいんですよ。で、考えられる治療法はアレとコレとソレで、それぞれのメリットとデメリットは、予想される予後は、費用は……」

という説明が行われ、治療方針や目指すべきゴールについての話し合いのもと、治療開始、という感じです。病理検査や行った獣医さんに関する説明の細かさは、時間の都合や状況によって異なりますが。

街の動物病院は、医療機関ではなくサービス業に分類される業種です。また、

「お金を出すのは人間の家族、その家族が納得してない状態での検査や治療は基本ありえない」

という動物医療の特殊性はあります。動物医療の中に、たとえば「外科と病理では外科の方が偉い」というような細分化や序列があるという話は聞いたことがありません。しかし、

「アレのためにコレをソレします、その一部分は、こういう事情により、ダレが行います。そのダレはこういう職種のこういう人で」

という説明が、人間の(保険)医療で行われて悪い理由はないだろうと思います。

人間の医療では確かに影の薄い「病理医」

もちろん私も、病理医にはお世話になっているはずです。その病院の中にいなくても、検査機関等にいる病理医のお世話に。しかし私は、我が家の猫たちの検査結果を聞くときのような説明を受けた記憶がまったくありません。

私が自分の病気で病理検査を必要とした時に受ける説明は、100%、

「病理検査の方法は○で、してくれたのは△先生で、△先生はこういう方です。で、結果は×ということです」

ではなく、

「病理検査の結果は×ということです」

でした。

まあ、一患者としては、それで充分ではあるんです。最大の関心事は、たとえば

「こないだ切除した大腸ポリープが、単なるできものだったのか、それともガンになる可能性の高いものだったのか」

といったことです。もしかすると、それより関心が高いのは

「今までと同じように、辛いカレー・唐辛子がぷかぷか浮いた四川料理・酒といったものを食べていいのかどうか」

かもしれません。

たぶん多くの患者にとって、病理検査の結果は、「それで自分はこれからどうなるの?」という文脈で最大に気になるものです。そういう人々にとって、

「病理検査の結果は×ということです」

は必要にして充分な説明です。

でも、「いいのかな、これで?」と思ってしまいます。

人間の保険診療での医療費の自費負担は、基本100%の動物医療の場合に比べれば、少なかったり無料だったりします。でも、無料の場合でも、病院に行く時間と労力を支払っています。生活保護利用者の場合は「福祉事務所に行って、時に渋られながらも医療券の支給を受ける」という少なからぬ手間がかかっています(「だって無料だろ!?」と言いたい方は、「不調だったり発熱していたりする心身で福祉事務所に行っている」ということを考えてください)。

そして、10割~7割が公費で支払われていることを忘れてはなりません。であれば

「自分と公共の医療費支出」

に関わります。その医療費支出において、

「問題は何で、どうすべきで、予想される結果はどうで、いくらかかるのか?」

を医療サイドと患者サイドが判断するために、病理診断は極めて重要な位置づけにあるはずです。

なのに、患者に病理医の存在が伝えられることが極めて少ない現状は、やはり、よろしくないのではないでしょうか?

結論:自分と自分の仕事を成り立たせている人々を、伝えよう

「重要なのに影が薄い」という扱いを受けているのは、病理医だけではありません。

Amazonで何かを「ポチる」とき、倉庫での箱詰めという重労働に就いている非正規雇用の方々を思い浮かべることは、私自身、ふだん多くはありません。配送業者の方々は直接接しますし、その焦りぶりを見れば、どういう状況にあるのかの想像もつきますが。

はっきりしているのは、Amazonで取り扱われている商品は拙著も含めて、そういう方々の働きなしには読者さんたちやユーザさんたちのお手元には届かないということです。Amazonだけではありません。自らお金を払って(あるいは公費で誰かがお金を払って)、手にする商品や受け取るサービスのすべてに、よくよく見ようとしなければ見えないことの多い、誰かの働きがあります。

私は、榎木さんの出演した番組への好反応を見ながら、

「せめて、自分自身の関わる業務に関して誰かに話すときに、その仕事を成り立たせている人々のことを、今までより少し多く伝えるということを心がけてみたい」

と思いました。

そのくらいなら大きな無理なく出来るでしょう。現に、我が家のかかりつけ動物病院で日常的に行われていることですから。

そして案外、こういった小さな積み重ねが

「自分から見えない労働? 興味あるのは成果物だけ、報酬はダンピングできるだけダンピングするのが正しい」

という、いわゆる「ブラック労働」の「根」を断ち切ることにつながるのではないかとも思うのです。