椎名林檎を知った日
自分が初めて買ったCDは椎名林檎のCDだった。まだ小学生の頃の話。
椎名林檎を知ったきっかけはミュージックステーション。テレビで「ここでキスして」という曲を歌っている姿に衝撃を受けたのだ。
他の出演者と明らかに違う雰囲気の見た目。他とは全く違う耳に残る音と歌声。頭から離れない歌詞とメロディ。観ていて衝撃を受けた。
それが忘れられなかった。初めて「CDを欲しい」と思った。親が車でかけている音楽やテレビで流れる音楽を〝聴かされる〟のではなく、初めて自発的に〝聴きたい〟と思う音楽を見つけた。
2月の初め頃の話。お年玉の残りがまだあった。椎名林檎のCDを買うために、初めてCDショップへ行った。
ハローマックでおもちゃやミニ四駆やを買うのではなく、大人も出入りするCDショップで買い物をする。なんとなくCDを買うことに大人の階段を1つ登ったような、ワクワクする感覚があった。
椎名林檎の棚を見つけてCDを手に取る。手に取ったのは『歌舞伎町の女王』というシングルCD。ジャケットに書かれた曲名は見ていなかった。そもそも漢字が読めなかった。テレビで観た椎名林檎のイメージの顔が『歌舞伎町の女王』のジャケットの椎名林檎だったので「これだ!」と思い買った。
本当は「ここでキスして」を買おうと思っていた。間違えて買ってしまった。椎名林檎の曲であることは間違いないのだが、CDから聴きたかった曲とは違う曲が流れることにショックではあった。
しかし、『歌舞伎町の女王』にも衝撃を受けた。全く聴いたことない演奏。歌声はMステで聴いた林檎と同じ。歌詞は理解できなかったけど、カッコいい気がした。
椎名林檎の作る曲をもっと聴きたいと思った。もっと歌声を聴きたいと思った。椎名林檎がどんな事を考え、どんな想いを持っているのかも知りたくなった。
音楽だけでなく、ミュージシャンそのものを初めて好きになった瞬間だった。
自分が本当に好きなものができた
学校で椎名林檎を聴いている友達は居なかった。みんなが好きな音楽はモー娘やジャニーズやアニソン。椎名林檎を知らないクラスメイトも多かったし、知っていても「怖い人」「変な歌を歌っている人」というイメージのようだった。
椎名林檎を好きと言うだけで学校では変な趣味をしている扱いを受ける。しかし、そんなことは気にもならなかった。
椎名林檎を知る前、自分が本当に「好きなもの」はなかったかもしれない。周囲に合わせたり周囲で流行っているものを好きになった。周りに合わせて好きになろうとしていた。
自分が椎名林檎や林檎の音楽を好きになった理由は違う。周りの友達や家族に何を言われても好きだった。他人の意見や流行りなんて関係なく、心の底から良いと思った。
「本能」をリリースした辺りから友達も椎名林檎を知って聴き始める人も増え、ホームルームの時間に日直が林檎の曲をかけることもあった。
椎名林檎の良さが伝わって嬉しいと思った。ただのファンでしかないのに誇らしくも思った。自分が好きで良いと思っていた気持ちは間違いではなかったのだから。
ただの音楽の好みの話ではある。しかし、それは自分にとって大きなことだ。好きなものを自信を持って好きと言えたのは椎名林檎が初めてだったし、林檎の音楽がなければ今でも好きなものに対してそのような自信は持てなかったかもしれない。
音楽を好きになった
椎名林檎を好きになったことがきっかけで、様々な音楽に興味を持ち好きになった。椎名林檎の歌詞やインタビューなどの発言をきっかけに聴く音楽の幅はどんどん広がった。コロコロコミックや少年ジャンプだけでなく、音楽雑誌も読むようになった。
そしたらベンジー あたしをグレッチでぶって
上記は椎名林檎の『丸の内サディスティック』の歌詞だ。小学生の頃の自分のはベンジーが誰なのかもグレッチが何かも知らなかった。
林檎が何を歌っているのか知りたかった。他にも椎名林檎の歌詞には知らない人物や聞いたことない名称が沢山出てくる。それを全て調べた。
ベンジーがブランキージェットシティというバンドのボーカリストだともわかったし、グレッチもギターの名前だとわかった。そして、ブランキーを聴いて、その音楽のかっこよさにも衝撃を受けた。
「ここでキスして」にはシド・ヴィシャスという名前が出てくるし「ギブス」の歌詞にはカートとコートニーの名前が出てくる。
その名前も知らなかった。この歌詞をきっかけに調べ、シドがセックス・ピストルズのベーシストであったことや、カートがニルヴァーナのボーカルでコートニーもミュージシャンで2人は夫婦だとわかった。そして、ピストルズもニルヴァーナも聴いた。自分が今まで聴いたことのないような耳に突き刺さるような音に驚いた。
歌詞だけでなく、椎名林檎のインタビューやテレビでの発言でも知らなかったことは知ろうと思った。興味を持って触れてみようと思った。
ザ・イエローモンキーも林檎が好きだとテレビで話していたから好きになった。ラジオでくるりと「くるりんご」という名前のユニットを組みたいと話していたからくるりのファンになった。林檎が松浦亜弥のことが好きと言ったからアイドルへの偏見もなくなった。
椎名林檎は「唄ひ手冥利〜其ノ壱〜」というカバーアルバムをリリースしている。邦楽も洋楽も様々な年代の様々なジャンルの曲がカバーされているアルバム。
このアルバムを聴いてからカバー元の原曲も聴いた。元の曲はどれも良い曲だ。知らなかったアーティストを沢山知ることもでき、新しい音楽を沢山聴くことができた。
椎名林檎は自身が最高の音楽を奏でてくれるだけでなく、知らなかった様々な音楽と出会うきっかけをくれた。音楽を聴くことの楽しさを教えてくれた。
椎名林檎がいなければ自分は音楽を好きになることはなかったかもしれないし、音楽をわざわざ聴こうと思うことは一生なかったかもしれない。
椎名林檎がいるから自分は生きている
音楽がなかったとしたら、自分は今どうなっていたのだろうと思うことがある。
自分は毎日音楽を聴いている。他の多くの人よりも聴いている時間は長いかもしれない。依存していると言えるぐらいに何時間も書くこともある。
自分が音楽を聴くようになって19年以上経つ。その間、様々なことがあった。楽しいことも辛いことも。
19年間で覚えている記憶の殆どに音楽が結びついている。音楽を毎日ずっと聴いていたからだ。楽しい時や嬉しい時も音楽は流れていたし、辛い時や悲しい時には音楽が癒してくれた。
死にたいと思うこともあった。そんな時も音楽が踏みとどまらせてくれた。
今では音楽を聴かない自分を想像できない。椎名林檎が音楽の魅力を教えてくれなければ、今の自分は絶対に存在しなかった。
大型かもしれないが、椎名林檎に人生を変えてもらったとも言えるし、人生を作ってもらったとも言える。
たかが音楽と思う人もいるかもしれない。音楽が趣味になっただけの話なわけで。
しかし、きっと「人生が変わったと思うきっかけ」の何かがある人が多いのではと思う。それはスポーツ選手や芸能人かもしれないし、学校の先生や家族や友人かもしれない。飼っているペットかもしれないし、アニメやゲームかもしれない。服やプラモデルやぬいぐるみなどの物かもしれない。
自分にとっては、それが椎名林檎だった。
椎名林檎は今年でデビュー20周年。それを記念したアリーナツアーをやっている。自分はそのツアーの初日に行った。
椎名林檎はデビューしてから20年で色々と変わったし、色々なことがあったと思う。今の林檎は自分が初めて観た時とはファッションも見た目も変化した。自分が初めて聴いた時とは音楽性も変わった。
20年の間に椎名林檎は様々な作品を作ったし、多くのライブを行った。活動休止したり、バンドを組んだり、それを解散したり、結婚したり離婚したり。
自分も椎名林檎と出会って20年(正確には19年と8ヶ月)の間で変わったし、様々なことがあった。今は小学生ではないし、大人になって働いている。結婚もしたし、生まれた土地とは違う場所に住んでいる。
でも、変わらないものもある。
椎名林檎は今でもかっこよかった。ライブでも最高の音楽を奏でてくれる。音楽性やパフォーマンスは20年前とは変わった部分もあるけど、今も昔も変わらずに最高だ。そこだけはずっと変わらない。
自分も20年前から変わらない部分もある。今でも椎名林檎を観ると、あの時の衝撃やワクワクを思い出す。そして、今の椎名林檎にも改めて衝撃を受けたし、ワクワクした。椎名林檎を好きな気持ちも、音楽を好きな気持ちもずっと変わっていない。
椎名林檎の音楽を聴いた時、椎名林檎がステージに立っている姿を観た時、あの日のミュージックステーションで椎名林檎に衝撃を受けた小学生の頃の自分に戻れるような気がする。
改めて感じる。1999年2月5日のミュージックステーションに出演した椎名林檎を観てから、自分の人生は変わったと。
そんなことを椎名林檎のライブを久々に観て感じた。そして、音楽は素晴らしいと改めて感じた。
みんな知ってるかもしれないけど伝えたい。椎名林檎は最高だし、この世の音楽は全て素晴らしいから、音楽を聴いた方が良いですよ。