医療の場での生活保護差別 ~ 放置すると、困るのは誰?

(ペイレスイメージズ/アフロ)

 生活保護で暮らす人々の医療機関受診に際しては、「医療が無料だから無駄に使いすぎる」「生活保護だからモンスターペイシェント化しやすい」という批判が多く見られます。

 そういう方が、多数ではないとはいえ実在することは、私もよく知っています。

 しかし、実際に身辺で多く見られるのは、「なるべく医療を利用しない」という選択です。医療機関に行かなければ、医療の無駄遣いも問題ある医療利用にもつながりません。

 その人々の「なるべく医療を利用しない」という選択の背景には、主に生活保護での医療がもともと利用しやすいものではないこと(原則として、まず福祉事務所で医療扶助を申請して医療券を受け取る手続きが必要)、次に、医療の場で時に見られる生活保護差別があります。

生活保護で暮らす女性が語ったこと

 2008年、私は生活保護で暮らす女性・Aさん(当時40代)から、ご自身および同じ立場のご友人が受けたという、医療の場での生活保護差別について聞きました。

 当時の私は、障害者として生き延びるために自動的に福祉と社会保障に詳しくなっていましたが、「生きて職業生活を守るための基盤として必要なので、しかたなく」というスタンスでした。

 Aさんは、生活保護を利用し始める以前、十数年間にわたって都内のC病院をかかりつけとしていました。しかし生活保護で暮らし始めると、C病院の長年の男性主治医から「もう来ないで、バイバイ」と言われたそうです。Aさんが、「とにかく差別されない」という一点を最重要視して探した転院先には十分な設備がなく、ちょっとした検査が全部外注となり、診断・処置までに時間がかかります。しかしAさんは特段の不満を抱いていませんでした。私は「時間をかけている間に悪化すれば、医療コストがさらに高くなるのではないか」という点が気になりましたが、Aさんの居住地の福祉事務所は、特に気にしていなかったようです。

 生活保護で暮らしているAさんの友人の女性たちは、治療のためにやむを得ず、差別を受けながら医療を受けていたそうです。その一人であるBさん(当時40代)は、ごくありふれた手術をD病院で受けました。手術の後の縫合はいいかげんで、傷口が化膿して苦しむことになったそうです。しかしBさんが手術を行なった医師に苦痛を訴えると、ニヤニヤ笑われたそうでした。

 Aさんは、Bさんと自分の体験を私に語りながら、「どうせ私たちはモルモット、人間じゃなくて実験動物」「どんなひどいことをしても訴えられないから舐められている」と泣き出しました。

もしや被害妄想? そして不正受給?

 私は正直なところ、Bさんの経験が事実だとは思えませんでした。そもそも、Aさんからの伝聞です。聞いただけで「事実」と考えること自体に、無理があります。

 C病院とD病院の医師たちの言動が、AさんとBさんを傷つけたのは事実かもしれません。しかし、「生活保護だからといって、わざわざ、医療事故につながりかねない治療をする」ということは、ありうるのでしょうか? 患者自身が訴えなくても、周囲には他の医師もスタッフもいます。「おかしな治療をしているのでは?」と見られて損をするのは、その医師本人ではないでしょうか?

 Aさんと私の関係は、その後、長くは続きませんでした。Aさんが、意図的な生活保護費不正受給の渦中にあったからです。

 Aさんは生活保護を利用して単身生活していたのですが、実は妻子ある企業経営者の男性と付き合っており、その男性から現金その他の支援を受けていました。つまりAさんは「愛人」だったわけですが、男性にはAさんの生活を支えるだけの余裕はなかったので、Aさんに生活保護を受けてもらって、小遣いや楽しみくらいの支援はしていたわけです。

 不正は不正です。しかし個人の生活を、公共がどこまで知るべきなのでしょうか? どこまで介入すべきなのでしょうか? 生活保護を利用しているかどうかで、どこまでの差が許されるのでしょうか? 私には、今も結論が出せない問題です。

 それに、もしもAさんの居住地の所管福祉事務所が不正受給の事実を知ったら、罰を受けるのはAさんです。愛人関係にある男性が主導して生活保護を利用させているとはいえ、生活保護の対象者はAさん自身です。少し、過去の事件の例を調べてみたりしましたが、Aさんのケースが明るみになると「罰されるのはAさんだけ」という結果になりそうでした。なんとも釈然としない話です。

 ともあれ、私はAさんとも男性とも距離を置きたくなり、2008年のうちに自然に離れました。今、どうしているのか、全く知りません。

 その後の私は、2011年に災害下の障害者についての記事を書き始めたことがきっかけで、2012年、生活保護について記事を書き始めることとなりました。障害と生活保護は、歴史的に切っても切れない関係にあるからです。日本初の公的介護保障も、1970年代、障害と生活保護の関係の中から生まれました。それは、現在も生活保護制度の中に残る「他人介護料加算」です。

「生活保護だから」差別、ではなかった

 C病院とD病院については、その後、生活保護で暮らす人々から数多くの経験を聞きました。

C病院は生活保護指定医療機関なので、生活保護の患者さんが救急搬送されることもあり、「生活保護のくせに救急車に乗るな、と言われた」といった声を多く聞きます。ふだんの「かかりつけ」に選んでいる人はいません。

 D病院も生活保護指定医療機関ですが、交通の便がやや悪いため、「かかりつけ」に出来る地域に住んでいる人だけが利用している感じです。しかし、Bさんが問題ある手術を受けたという科を受診したという人からは、「手術をいいかげんにされた」という話は聞きません。手術以前に逃げ出すことが多いからです。生活保護ではなく保険診療の場合は、福祉事務所のケースワーカーに転院の理由を説明する必要がありませんから、特にそうです。

 逃げ出す理由は「診察も検査もせずに処方を決める」「ありもしない異性関係を前提に、診察せずに病名を言う」といったことです。D病院の同じ科の医師全員ではなく、医師1名に限られていたようですが、一度そういう思いをしたら「ここで手術なんて冗談じゃない!」という判断になるでしょう。

 「もう二度と行かない!」という怒りとともに経験を話してくれた人は、全員が女性、または見た目で分かる障害者でした。生活保護の場合も保険診療の場合もありました。

 私は、D病院の医師が全員「差別しやすそうなら差別する」というわけではなく、むしろその逆であることを知っています。真っ当な医師が圧倒的に多く、女性医師比率も比較的高いのです。私自身、何回か利用したことがあり、悪い印象は持っていません。しかし1名の医師のために、少なくとも5年程度の期間にわたって、D病院の好ましからぬ評判が生活保護で暮らす女性を中心に「口コミ」で伝わっていました。心身を傷つけられた患者さんの存在とともに、心から残念に思います。

そこに「生活保護差別」があるのなら、何をすべきか?

 私はなぜ、2008年にAさんからの伝聞でBさんの経験を知ったとき、Bさんに会わせてもらって話を聴かなかったのでしょうか。今となっては後悔しています。

 当時の私は、福祉や社会保障について書いていこうという気持ちを全く持っていませんでした。だから、特段の関心を向けなかったのです。しかし、最も差別されやすい人が人知れず受ける差別は、いつか、そうではない人を襲う可能性があります。

状況を変えるのは、「差別しても大丈夫」なのか、あるいは「差別しないほうが安全」なのかの判断のラインがどこに移動するか。それだけです。

 あなた自身が生涯にわたって生活保護と無縁でも、あなた自身を「生活保護と同じ」ということにする線引きが行われたら、あなたは生活保護で暮らす人々と同様に、生活保護差別を受けることになります。

 医療だけではありません。

 あらゆる差別は、「生活保護差別」あるいは特定の弱者やマイノリティに対する差別にとどまっているうちに、根絶しなければなりません。

「あの人たちだから、仕方ない」「あの人たちだから、私には関係ない」と油断しているうちに、「特別なあの人たち」の問題ではなくなるかもしれません。もしかすると現在すでに、「特別なあの人たち」の問題ではなく、もっと広い範囲の問題になっているのかもしれません。D病院の例にみるとおり。

 あらゆる差別は、あなた自身のためになくすべきです。

 根拠は、「差別は悪だから」で十分です。