まんぷく 24話 感想あらすじ視聴率(10/27)なぜ自分は生き残ってしまったのか

昨日レビューの補足から。

爆弾か火炎瓶かって話ですが。
途中でソ連が、ディーゼル戦車にしてからは、炎上しなくなったそうです。ご指摘ありがとうございました!

また、
「戦中のことを知らないから楽しめる」
というご意見があるとも編集さんから聞きました。

なんでも『西郷どん』についても幕末史の知識がないからこそ楽しめるんだ、という層もいるとか。

申し訳ありませんが、歴史について書籍でも作品でも、学べるものは大量にあります。
このレビューでも、参考書籍や映画をたくさんあげております。

しかし、全く勉強もされずにご意見を発信される方はやはり不誠実だと思うのです。

『まんぷく』を見ていて、ふと、こんなコトを妄想してみました。

朝の連続テレビ小説『完全、ゲスい。』

「きゃあああ〜私の友人、被災にいたし海辺にいたけどぉ、偶然が重なって助かっちゃったあ」
「なんか被災地大変らしいけど、悲しいニュースなんか興味ないし見ないから、別にどうでもいいよね」
「そんなことより春だしぃ、散歩に行こうよぉ〜」
「被災地の田舎者ども、都会人の俺らに親切にしてくれるなあ。なあ、この被災地の田舎者どもに、都会センスで作った素晴らしいもの売りつけて一儲けしちゃわない?」
「素敵ぃ〜きゃああああ〜」

こんなドラマがあったら、袋叩きですよね?
本作は、戦時中バージョンでそれをしているわけです。

太平洋戦争とは、日本の歴史で最も多くの人々を苦しめ、傷つけたことです。

「出征しなかった人は割とお気楽な暮らしでした」
「うちの知人もそうです」
とか言う前に、まずは書籍でも何でも触れてくださいね。

幸いなことに、今の日本は自由に学べる環境や資料は整っております。

【24話の視聴率は10/29に発表です】

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御百度参り、これはエエ

はい、今朝の【ブケムスメプログラム】は御百度参りです。

文句ばかり書いているけど、これはエエと思いますね!!

どうやら、このレビューのコメント欄が荒れているようです。
私にも、確かに反省すべき点があるとは思います。

皆、この社会を構成する人々なんです。仲良くしないと!!
本作は、その仲直りの糸口を描いてくれました!

本作ファンでこのレビューが気に入らない方も、コメントやSNS、その他ようわからん同じ意見しか集わない何かを見るよりも、近所の神社で絵馬を描くなり、御百度参りすればいいってことですよ!

神頼みって素敵だもんね!!
ほっこりしました〜。

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ところでシゴトしてんの?

ここからは、ハセヒロセクシー劇場です。

なんで肝心の歴史背景はやらんのに、彼の寝顔は舐めるように撮影して、ダラダラ流すんでしょう。
そういうセクシー需要があんの?

ここで、さらりと「大阪と違ってここは米があって、味わえるからいいよね♩」というセリフが入ります。

徹頭徹尾、誰が苦しもうが悲しもうが、自分たちさえよければそれでハッピーということが伝わってきます。

戦地の兵士? どうでもエエがな!

『べっぴんさん』の君枝のように、戦地の兵隊さんも頑張っているのだから、私も頑張らなくては、というような気持ちを期待しちゃいけませんってば。

それにしてもコイツら、米や食費を支払っているかもわからなくなって来ました。
疎開地では、貴重な着物を預けることでようやく食べ物を得たという、そんな悲惨な話が有名です。

しかし、本作の疎開地では、空から農作物が降り注ぐ天国のようなシステム。
これもRPGですね。
ああいうゲームでは、主人公が村人の家にあるアイテムを持ち去っても、文句なんて言われませんもんね。

実写版クソゲーだと思えば、だんだんと楽しくなって来ました。

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三途の川、渡らなかったら大丈夫だったっす!

このあと、驚異の説明セリフが入ります。

「三途の川らしきところにいたら、鈴が向こう岸にいて助かった」

いやぁ、本作を見ている限り、説明セリフごときで驚いてちゃイケませんよね。自分が甘かった。

多分ここは、感動すべき場面なんですよね?
いや、もう、ただただビックリ。
具体的な治療過程は全部すっ飛ばして気づいたらこうです。

【チャラリラ〜♪】
「しにかけましたが すずの いのりによって たすかりました」

さすがに、ここまで雑な【ボタン連打回復ストーリー】が展開されるとは思いませんでした。

夢枕システムといい、本作は、何でもかんでも夢で解決しすぎていませんか?
本当に、プロがこの脚本を書いているの?
あまりにレベルが低くて驚愕。やっぱり『ナゾの悪の組織に脅されてるんでは?』という心配すら湧いてきます。

それともあれでしょうか。
本作のファンならば、御百度参りをすべきだ――とでも?

セクシー立花をあの世から呼び戻せたんだ!
ファンが御百度参りをしまくったら、本作だって三途の川から引き返せるッ!

春がエエ季節?やっぱ働いてないな?

数日後、
【また赤紙が届いて入隊したけど返された】
というナレーションが入ります。

以前、ナレーション処理について書いたことがありますね。

ナレーション処理するということは、作り手がその過程を重要視していない、別に描くべきことがあると考えていることであると。
本作は、戦況や時代背景、入隊できずに立花が味わったであろう屈辱体験折よりも、セクシー描写、缶詰や電気盗みで悪びれないことが大事だと考えていると。

そのことはビンビンと伝わって来ます。お、おう。

「まんぺぇさぁん、お散歩しましょ」と誘いだす福子ちゃん。

そうそう、空襲で燃え盛る日本列島より、ほのぼのカップルお散歩の方が大事だもんね!
ここは、ほっこりきゅんきゅんして楽しまないと!

ちなみに「一番エエ季節」というセリフも、田舎在住者をイラつかせるセンス抜群っすね。

春がエエ季節ぅ?
農作業やってたらそんな風に単純に喜ばんわな。

まぁ、勘違い都会人は仕方ない。
だって、居候させてもらっている八重夫妻が農作業していても、手伝う気すら見せずにお散歩するだけなんですよ。しかも当時は、働き盛りの男は戦地に向かっていて、地方の農村だって疲弊していた時代です。

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子供だって学校や家の手伝いがあるでしょうに、腹痛の治った立花を見て「おっちゃんや!」と騒いで歓迎して来ます。
どう見たって田舎者の扱いが、完全にクソゲーの背景扱い。辛い……。辛いぞ……。田舎者に対して、何か個人的な怨恨でもあるのでしょうか。

26 Comments

孤独の胃弱

「この朝ドラは戦争してても暗くなくて良いよな」と言う父と昨日わりと本気で喧嘩しました、本作アンチで前作ファンです。

多少の脚色はしても、戦争で何が起きたか、人々がどんな思いで生きていたかに向き合うのは、過去その時代を生きた人への尊意であり、未来を生きる若い世代への責任であると考えます。『まんぷく』は個々の事象を取り上げるのがバカらしくなるくらい全体として、それが微塵もできていない。踏みにじっている。悪意すら感じる。

例えば『アンネの日記』が、現代的な解釈で親しみやすい作品を目指しました~~~というコンセプトで「わたしアンネ·フランク。いたって普通のユダヤ人の女の子☆。ナチスの迫害から逃れるために隠れ家での生活が始まったの。なんだかスリル満点でドキドキしちゃう!ひょんなことで知り合ったヒットラーユーゲントの男の子から告白されちゃったけど、愛の力で乗り越えられる???どうしたらいいの~(>_<)」みたいなリメイクになったら。

怒られますよね。
怒りますよね。
私は怒ります。
『まんぷく』は私にとってそのくらい酷い作品です。

暗い話をドラマにしたくないなら、戦争を明るく軽く書くのではなく、最初から別の時代を書けばいいのに。

話は変わりますが、ご負担にならない範囲でレビューを続けていただきたいです。このサイトを、ネットの海に浮かぶ灯台のように感じています。武者さんの文はもちろん、コメントを投稿してらっしゃる多くの皆さんの意見に共感でき、とても救いになっています。

すずめっこ

かもがわ様へ

反論したいお気持ちは分かりますが、こちらのサイトでご意見を書かれても、殆どの人はあなたの意見に賛成しないと思いますよ。むしろ、半青アンチの人って、自分は「こうでなくちゃいけない」と言う思いが強いのに、他者がそのように思う事を許すことは出来ない人、と言うマイナスイメージを落とすだけになってしまうと思います。
まんぷくがお好きでしたら、ご自分のサイトでいかに素晴らしいかを表現したら良いのではないでしょうか。

ファンタジーなら

ファンタジー、アニメ、ゲーム、ご都合主義のドラマ
割り切ってみれば面白い、間違っているけれどそういう世界だから
きっとドラマ外ではフォローしているんだ

それはファンタジーであると判断できる知性と知識があってのことですよね。
私には、どうしても今作を褒めている人たちにその判断が出来ていると思えません。
ぷくがご都合ファンタジーだという前提で褒めているなら、そう但し書きをつけるくらいはするでしょう。それが歴史に対して、戦争で苦しんだ人たちに対してのせめてもの礼儀じゃないですか?
何より、ご都合ファンタジーと見抜けない若い人がこれを本当の戦争の姿だと思ってしまうことが非常に怖いし、腹立たしいです。この場所で、批評・批判されることは大変に意義のあることだと思います。
追記 ご都合ファンタジーだとしても、私には褒める部分は見つけられないです。

匿名

本人の自伝からwikipediaまで、「今さら」の話。
「積極的には示していない」というのと「公にすることを拒んでいる」のではまた異なる。

ななし

台湾ルーツ消失!日清は宣伝してもらえるからしぶしぶ承諾したのか?とか書いてるけど
台湾出身であることをやめたことが
ドラマ側ではなく安藤氏もしくは日清側の意向だった可能性がないということはもちろんウラ取りされてるんですよね?

GE

被災地出身者です。家族全員と親戚、友人が多く被災しました。
ユーコのように最期の言葉を残せた人は決して多くはないのは当然だと思いますが、あれは、その多くの人々が届けることのできなかった家族への言葉を描くことで、フィクションだからこそ可能な力を持って昇華させた場面だと思っています。だからこそあのシーンでは、ユーコの死が絶対的に描かれているのです。

また、私は福祉関係の仕事をしていましたが、重度心身障害者などの移送が困難な方々と生活をしていると、あの「諦め」にも納得がいきます。たとえ体重の軽い子どもであろうとも、座位保持装置や呼吸器、バイタル機器を装着している人を階段で運ぶのには大人の男性複数人がかりでも非常に難しいのです。
看護師を馬鹿にしている!という方もおられましたが、あれは決して医療者や福祉に携わるものをないがしろにし、責めるような描写ではありません。人々を守る立場である我々のやるべきことは、ドラマに誇りを傷つけられたと被害者になりきるのではなく、ではその移送困難な人々や医療者たちが、ああいった場面で一人でも多く助かるには、どう社会が変わらなくてはならないのか、と考え実行することに尽きると思います。

前作の話ばかりで申し訳ありません。まんぷくの話に戻します。
今作にある戦争と前作の震災では、どちらも史実であり多くの人命が失われ、今もなお沢山の人々の心に傷を残しているという点が似ています。
私がまんぷくで疑問なのは(今作だけでなく戦争描写を含む多くの作品にも言えることですが)、やはりその描写の軽さです。
どう軽いかというのはブログ主さんの記事や他の方のコメントにありますので省略しますが、実際にあった凄惨な出来事を語る上で、フィクションがフィクションである姿勢というのは非常に問われると思います。最近の戦争の描き方は、もはやそれそのものがフィクションであったかのような錯覚すら感じてしまうほどです。時の流れに甘えず、どっしりとしたドラマづくりをしてほしいと思います。

名無し

作り込みの浅さや演出の不手際のせいで、松坂慶子が戦時中なのにえらく肥えてるって話もYahoo!経由で出てしまった。
ごちそうさんからあさが来たまで良い流れだったNHK大阪のやる気はどこに行った…。

戦争は嫌だ。

ひろぶ様のご投稿で、砂浜を子供を背負って歩いていただけなのに戦闘機から銃撃されたというお話がありました。

見落としていました。申し訳ありません。

やはり、こういった行為もかなり多くあったのですね。

戦争は嫌だ。

今回、畑の中で米軍戦闘機から銃撃されるシーンがありました。
確か、比較的最近のNHKスペシャルで、米軍戦闘機のガンカメラ映像を分析し、戦争末期の戦闘機による空襲の様相を解説するものがあったと記憶しています。

最新の研究などを取り入れるのは、朝ドラでもしばしば行われることで、今回このシーンを入れようとしたこと自体は良いことでしょう。

ただ、出来は良くなかったですね。
上空からの映像では、地上にまるで「ここに何かありますよ」とばかりに何かを埋めた跡が二列に並んでいて、画面が寄っていくと案の定、その二列が着弾の土煙に…

場所も、何もない畑の真ん中。NHKスペシャルの実際の映像では、駅とか、物資が集積されていそうな場所とか、何かしら攻撃を受けそうな場所が狙われていたようでしたが。
もっとも、「何故ここが攻撃された!」といった理不尽な被害の話もありますので、全く無いとまでは言えませんが。

そのあとの萬平さんの叫びのシーンも、取って付けたような唐突感があまりに強く、違和感ばかりでした。

なかつがわ

かもがわさん、Twitterで流れてきた史実の美談をそのまま創作の人物像に援用するのはいささか危険です。史実の安藤百福氏は上郡に疎開した際に山を買って木炭生産の企業化を行っております。
戦時下に疎開地に雇用を生み出すとともに不足している燃料を供給する側で、地主で経営者なのです。戦後も贈り物をした際の「お世話になった方へのお礼」のお世話になった対象がもう少しアッパー層だったり、意味合いとして戦後に困窮していたであろう当時の労働者への支援を相手を立てた形で御礼と言ったということではないでしょうか?私もどのようなお相手にお礼をされていたかまで書かれたものを存じ上げないのでご存知でしたらシェアしていただけると皆さんのためにもなるのではと思います!
私個人の意見としては、持たざる者が戦中に血縁だけを頼って疎開し、村ぐるみで一方的に見返りなしに親切にしてもらった(創作の)恩を忘れず(史実で)後々成功した後までお礼をした、という結論を出すのは少しドラマが進むまで待った方が良いかもしれません。史実の安藤氏の伝記もとても面白いのでこれを機会に読んでみると楽しいかもしれません!
(武将さんのサイトで勝手申し上げて恐縮です)

セクシーピッグに膨満感

辛くて苦しい戦時中の描写がないことにもあきれますが、食べきれないほどの魚を八重さんたちに分けることもせず、農作業を手伝っている様子もないのもイライラします。
きっと分けているし、手伝ってもいるのでしょうね、『優しくて思いやりと常識がある』主人公たちなので。
だったら、なぜそこを描かないのか、不思議です。
ハセヒロが殴られたり苦しんだりするシーンはしつこいほど入れてくるのに。
「女性視聴者はこういうのが見れればいいんだろ」と、バカにされてるんですよ。
腹が立ちます。

かもがわさんに同意

私は看護師ではないですが、病院で働いてます。
同僚の看護師でたまたま見ていた者が、すごくショックを受けてました。
「ドラマのワンシーンとは言え、あんな状況で呑気に私的な遺言を残せるような無責任な仕事だと思われてるのが悔しい」と言っていました。
被災地で頑張っていた看護師への冒涜ととられてもしょうがない行為だと私も思います。

THIROL

かもがわさんへ
何故マンペイさんは坊主にしないのか、教えてください

ひろぶ

前作はリアリティー。
現実を見渡せば結構会う事が出来るキャラが多かった。
主人公もしかり。
それだけに、現実と重ね併せて嫌悪感を持ってしまう。
頭の中の空想だけで収まらず、現実に見えてしまうから攻撃的になってしまう。

今作はファンタジー。
アニメのような異次元の世界。
全てが最後の大団円に向けて、都合よく進む。
歴史やモデルなどはただの形作り、違いなど関係無い。
ネズミ~ミッキーマウスの様なファンタジー。
オープニングも、ジブリの名作「となりのトトロ」の様。
見ている側を挑発もしなければ、問いかけもしない。
安心して見流す事が出来る。
モデル、時代背景さえ無視すれば。

要は、好みの違い。
自分としては、あれこれ考えながら読み解きたいので前者派ですかね。
アニメと割りきれば、今作も結構面白いかも。

なぜか震災の話が出たので。
前作のユーコについては、何話かは忘れましたが、すずめが仙台に行った際に、ダンナさんから当時の様子を聞くシーンがあったはずです。
どうしても移動させる事が出来ない患者さんがあり、そばについていたのだと。
メッセージの作成は、津波襲来時では無く、その後なのでは?
津波以前の地震による部屋の散乱の始末もあるだろうし、患者さんのケアもある。
そう考えるのが妥当かと。
あれは、被災直後に最後を覚悟したユーコの、思い付く限りの人達に対する遺言なのだとおもいます。
あの時、被災直後に、閉じ込められたわずかな空間の中から、必死に最後のメッセージを送った方もかなり居たはずです。
親戚は、今でも機種交換せず、当時のメールを保存しています。

東北の田舎者として、伝え聞いた戦中の話を。
亡くなったうちの爺さんが、戦争前期に中国に出兵していました。
小学生の頃の私は戦争に興味津々で、何度も話を聞こうとしました。
しかし、一度たりとも話してくれません。
それは、息子である父に対しても同じだったようです。
話してくれたのは、婆さんでした。
残り少ない戦地での写真と供に、帰国後の戦争末期の生活等の話です。
写真等が少ないというのも、敗戦直後に親類親戚が、そんな物持ってたらGHQに連行されると、勲章その他と供に燃やしてしまった為だそうです。
見せてもらった写真は、村の城壁の門前に、数人の兵士がリラックスした姿で並んでいたものでした。
「戦友と」との、達筆な裏書きがしてありました。
40代後期となった今、戦時の話をしたくなかった爺さんの気持ちも、なんとなくわかる気がします。
退役帰国後は普通に生活していたようですが、やはり戦争末期は厳しかったようです。
東北の田舎の漁村とはいえ、数機の偵察機もしくは陸攻が飛んできたそうです。
本格的な空爆こそ無かったものの、婆さんが幼い父を背に砂浜を歩いていたところを、まるで遊ぶかのように機銃掃射してきたそうです。
パパッと2列に砂が舞い上がり、なにも考えられず、ただ走る事しか出来なかったそうです。
生活も楽ではなく、前記の様なことから漁に出るのも難しく、食事はほぼ芋で、夜に灯りを点けるなどもってのほか、共同防空壕では幼子の声に過敏で、静かに出来なければ最悪の事態にもなりえたそうです。
だからなのか、爺さん婆さんとも、毎日の食卓に食べきれ無い程の料理を並べ、食える時にはちゃんと食えが口癖でした。

それだけに、今作を見ていると、どうしても戦中には見えないのです。
初回を見た時の違和感が、回を重ねる程ハッキリしてきたようです。
これは空想物語で、ファンタジーアニメであると。
あれこれ深く考えずに、ただ流し見して楽しむものだと。

ならば、残念ながら私には視聴欲がわかないので、見ようとして見る事はもう無いでしょう。
こちらのレビュー記事だけで充分ですね。
だからと言って、好きで視聴している方々を非難する気もありません。

気の合う者同士が集まって、楽しく話をする。
作品の良さを、もしくは悪さを。

それで良いじゃないですか。

通りすがり

洋二さんが
裕子は患者さんを上に上に上げたそうです。でも全員が全員動かせるわけじゃない。寝たきりの人もいる、集中治療室にいる人もいる。裕子は最後まで動けない患者さんに寄り添ったそうです。

と言っていましたよ?
集中治療室で、たくさんの機械や管に繋がれていて、そう簡単には動かせない人をかもがわさんは見たことないでしょう。
他にも人工心肺や呼吸器をつけていると、移動が難しいですよ。それ相応の準備の時間や人が必要です。
もう時間がないとなって、患者さんをおいていけず最後まで寄り添った裕子ちゃんの、何がおかしいのでしょう。
その残り少ない時間に頭をよぎった大事な人たちに、なんとかメッセージを残した裕子ちゃんの、何がおかしいのでしょうか。
看護師ならこうあるべき!と熱弁されてますが、看護師から言わせてもらうと、そこまで怒り心頭!な場面ではなかったです。

匿名

かもがわさん
電気盗んで、それを問い詰めた村人に対して逆ギレする萬平&鈴って
どう思うんですか?

単に犯罪者であり、開き直りですよ。

親戚の家から借りたレベルじゃなかった。
法律と彼らの人間性の問題です。

匿名

今回出現のアンチ投稿を見てると、「前作アンチ」と言うより、もはや「武将ジャパンアンチ」に過ぎなくなっているように感じる。

前作や今作の内容自体はもうどうでも良くて、ただ「武将ジャパンの見解だから気に入らない!」というだけの理由で一生懸命揚げ足取り。

邪魔。コメント欄が見にくくなる。

つる

私も、出演俳優さんたちはみんな大好きなんですけど、本当に戦争や病気の描写の軽さにほとほと呆れています。
とくに今回は、東京大空襲などのくだりが冒頭にナレーションでありましたが、紙芝居のような絵をガタガタと震わせるという古臭いを通り越して子供だましな撮影手法……。本当にプロが作ったのか??と、脚本だけでなく制作スタッフすべてを疑ってしまいました。

疎開先の子どもたちの描写にも疑問が募ります。当時は、おっしゃるとおり若い男は戦闘にとられていましたので、年寄りと子供だけで生活をまかなっていました。農作業、家事、小さな妹や弟のお世話に、子供たちですら駆り出されていた時代です。
なかば子供向けのようなドラマなので、夢枕の描写くらいのご都合主義には笑っていられますが、さすがに戦争のはなしとなるとわけが違います。

腹膜炎は今も昔も大変つらい病気ですが、今作では途中で不必要なコメディ要素を混ぜてしまっていて、後の萬平の慟哭へつながるシリアスな雰囲気を台無しにしていました。

ただただ軽い、粗末な脚本に悲しくなるばかりです。

かもがわ

ちなみに川魚を分けるシーンもあり、あれだけたくさんの山菜を三人で食べきるわけはありませんから恐らく近所に渡したであろうこと容易く予想がつくので
主人公夫婦がただの穀潰しと考えるのは少し無理があるかと。
あとここの方が大切にされている史実を引用するならば先にも書いたように安藤夫婦は大阪に帰ってからも上郡の人々に贈り物を送り続けていました。
疎開当時からただ与えられるだけのはずがなかったと考えるのが普通です。

かもがわ

悠長にスマホいじってないで、ぎりぎりまで患者を上にあげる努力をしたということが描かれていませんから職務放棄と思われても仕方ないかと。
どうしても助けることができない患者がいたとしても他の避難可能な患者を更に助ける努力や(それとももう他の患者は全員避難し終えていたとでも?百歩譲ってそうだとしたら目の前の患者をもっと別の方法で助けられないか考えるべきでは?)、無事避難できている患者の世話も必要ですし、そもそも看護師という仕事であればきちんと生きて津波が去ったあとも病人怪我人をケアするため、看護師の皆さんはみんな奔走していらっしゃいました。
もう避難は無理ですね、諦めましょうかー大丈夫私もついてますよーだなんて考えの人間は誰一人いなかったと思います。
ですが、そういう考えの人もいたかもしれないじゃかいかという確率論の話になるのであれば
上郡のような比較的被害の少なくおおらかな人々がいる疎開場所がある可能性も否定すべきではないということです。

わたしも匿名

私も塩ラーメン好き様と同じように、ユウコのあのシーンを受け止めていたので、違和感は感じませんでした。
遺言を数分残して、同僚か患者さんに呼ばれて慌ただしく戻ったように終わっていましたし。
そこまで至る迄に様々な伏線や思いを伝えるシーンを丁寧に織り混ぜていたから、自然と物語に入れました。

疎開先が親切な人ばかりで不自由なく生活出来た可能性もそれは0.1%位の確率であったかもしれないですが、
疎開先の方々との繋がりを深める描写もなければ、農作業を手伝っている描写もないので、「人としてどうなの?」と言う感想を抱いてしまっても仕方がないと思います。
1つ1つの物事に至る迄の過程をすっ飛ばして、全てトントン拍子に雑に進んでいくので、8bitクソゲーシステムと言われても私は違和感なしです。
このドラマにピッタリの表現だと私は思ったので、毎回レビューを楽しませて貰っております。

演者の皆様が本当に気の毒でなりません。

匿名

おやおや、今回も早くから「前作アンチ」の嫌がらせ投稿か。
もはや「仮面まんぷくファン」を装うことすら忘れて。

「俺様はこんな立派な指摘をしてやったぜ」とでもふんぞり返ってるんだろうな。

浅はか・愚かの極み。

門外漢

まんぷくが2週目辺りの時何かのサイトでダメ男達の見本市とか言われ始めてから嫌な予感がしました。
第3週から違和感を感じ始めて第4週を最後まで見てDVD録画を含め見る事を放棄することを決断しました。
今はあさが来たの再放送の方を期待してる俺がいる。

塩ラーメン好き

かもがわさんが書かれた、
ユーコが看護師の職務を放棄、
と言う意味がわかりません。
彼女は、その場から動かせない患者に、最後まで付き添ったのでは?
置いていけないから、逃げずに一緒に残ったのでは?
職務を放棄していないと思います。

かもがわ

純粋な疑問なんですが
半分青いで親友さんが看護師の職務を放棄して他に救えるかもしれない患者を助けることもなく呑気にスマホに遺言吹き込んでたこととか、どう思われてるんですか?
冒涜云々ということで言えばあれこそ震災時の看護師全てを冒涜しています。
津波が来るかもしれない時に自らの命を諦めて他の患者の救出を放棄したなどあり得ませんし、どうしても救出することができず泣きながら謝ってその場を去った看護師がたくさんいます。
「そういう人もいたかもしれないじゃないか」というのであれば
「疎開先が親切な人ばかりで不自由のない生活をできた人もいたかもしれない」という可能性も否定するべきではないと思います。
何より安藤夫婦は上郡の人々と仲良くしていて、終戦後も上郡から去った人々にまでお礼の品を送り続けたという記録があるので「かもしれない」ではなく
実際ドラマのような関係性を築いていた可能性は
ユーコのような職務放棄の看護師がいた可能性よりよほど高いですけどね。

匿名

この役者に頼りきった薄っぺらい人物描写をみていると、この脚本家は人の内面を書けないんだと、つくづく感じます。

台湾設定を無くしたのって、実は書こうとしたけど、書けなくて、設定を変えて誤魔化したんじゃないかと疑ってしまいます。

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