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50年前の「明治100年」の時、ボクは中学生だったのでよく覚えている。東京オリンピックの盛り上がりと、高度経済成長の高揚があって、物価も上がったが、賃金も増えて、世の中はどうにも落ち着かずざわついていた。
司馬遼太郎の「『坂の上の雲』史観」が受け入れられ安い時代だったが、当時も「明治」批判があったように記憶している。世の中は学生運動の断末魔で、過激な異議申し立ても需要する社会でもあった。
安倍一族肝入りの「明治150年」イベントは、その割に盛り上がらない。時代の空気を多くの国民も感じているのかもしれない。「23日」、文科省は学校での「日の丸」掲揚を通知するのだろうか?まさか「式典」をやって「君が代」を歌えとは言わないと思うが…。



150年祝う政府式典

「明治礼賛」に異議あり

反対集会23日に同日開催「侵略触れぬ歴史認識」
20181018日:東京新聞・こちら特報部


 「明治150年」を記念する政府の式典が23日、東京都内で開かれる。近代国家の礎を築いた栄光の時間をたたえる趣旨だが、同じ日、アジアの侵略につながった負の遺産の歴史を批判する都内の団体も反対集会を開く。平等を説きながら差別をなくせなかった時代を礼賛するとして、沖縄の人びとやアイヌ民族も複雑な思いを抱く。改憲に前のめりの安倍政権で迎える節目は、どんな意味を持つのか。

(中沢佳子、安藤恭子)

 「明治維新から150年の節目を、都合のイイところだけつまみ食いした政治利用の行事だ」

 反対集会で講演する予定の嶋伸欣・琉球大名誉教授(教育学)はそう切り捨てる。

  内閣官房「明治150年」関連施策推進室によると、政府式典は元号が「明治」に改められた18681023日にちなみ、千代田区の憲政記念館で開かれる。国歌斉唱、安倍晋三首相の式辞、衆参両院議長、最高裁長官のあいさつなどで、おおむね25分の予定だ。
 1968年に日本武道館で昭和天皇、光淳皇后や国会議員など約10000人が出席した「明治100年」式典より小規模だが、それでも首相や国会議員、企業代表など400人弱が出席する。同室の植草泰彦企画官は「若い世代を中心に、明治という激動の時代を生きた人々の考えに触れてもらう機会にしたい」と説明する。
 「明治150年」事業は2016年、菅義偉官房長官が閣僚懇談会で「明治以降の歩みを次世代に遺し、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは重要だ」と検討を求め、動き出した。政府は明治へのノスタルジーを駆り立てるべく、ロゴマークやチラシを作り、各自治体に関連事業を行うよう促した。
 開設した専用ポータルサイトには、多数の関係イベントや明治期の文書の紹介が並ぶ。各省庁でも明治に関する資料の収集や保持、文化イベントなどに取り組んでいる。「明治150年を冠した武道大会」(警察庁)「老人の日・老人週間の行事を活用したキャンペーン」(厚生労働省)など無理やり感が漂うものも含め、「明治」尽くしだ。
 一方、首相に近い国会議員有志は今春、憲法が公布された113日の「文化の日」が明治天皇の誕生日に当たることから、「明治の日」に変えることを目指す議員連盟を結成。安倍政権が演出する「明治礼賛」の空気を後押ししている。

 政府式典の当日に反対集会をぶつけた「村山首相談話を継承し発展させる会」の藤田景理事長は「安倍政権は明示を『近代化』『教育の充実』などの言葉を並べて評価するが、戦争や侵略には触れない。一方的な歴史認識を押し付ける式典への批判の意味を込めた」と話す。

 前出の高嶋氏も「日本は明治に日露戦争などでアジアへの帝国主義的侵略と支配を始めた。そういった負の面にも目を向けるべきだ」と指摘。今月初め、柴山昌彦文部科学相が教育勅語を巡り「現代風にアレンジした形で、今の道徳などに使えるという意味で普遍性を持っている部分がある」などと語ったことを挙げ、「安倍首相も取り巻きも歴史認識が甘く、薄っぺらい」と語気を強める。そしてこう危ぶむ。

 「日本お近代化を強調する振る舞いは、許されない、近隣諸国の警戒感を招く」


近代化の影 今も続く差別

沖縄やアイヌ抑圧の過去

改憲の動きに警鐘


 明治維新により、江戸時代の身分制度に代わって、「四民平等」が提唱された。だが、その一方で、蝦夷地(現在の北海道)や琉球王国(沖縄県)が日本の領土に組み込まれ、「脱亜入欧」思想の下で東アジアの植民地化が進んだ。支配された少数者の側から見える「明治150年」はどういうものか。
 「明治政府が軍と警察を首里城に派遣し、武力をもって日本の『植民地』としたのが1879年の『琉球併合』。そこに琉球の意思はなく、日本の財閥から中小の資本までが製糖業を支配し、労働力を搾取した。資本主義に絡めとられた支配の体制が形成された」と、沖縄出身の松島泰勝・竜谷大教授(島しょ経済論)は述べる。

 皇民化教育や日本語による同化政策が行われ、形式的には「臣民」として扱われながら差別は続いた。その究極の現れが、本土の捨て石とされた「沖縄戦」だったとみる。

 松島氏は今回の明治150年式典に、安倍政権が2012428日に催した「主権回復の日」の式典を想起したという。1952年の同日は、沖縄にとって本土から切り離され、米国の施政権下に置かれた「屈辱の日」だ。

 本土では戦後、基地反対運動が高まり、一部が沖縄に移駐された。「辺野古をはじめとした基地問題は、植民地としての差別が今も続く証左だ。琉球の痛みが顧みられることはない。本当にウチナンチュは日本国民なのか、と突き付けられてきた」と述べる。

 北海道は今年、明治政府が開拓使を設置し、北海道に改称して150年目の節目に当たる。
 上村英明・恵泉女学園大教授(国際人権法)は「蝦夷地の未開な外国人として扱われていたアイヌ民族は、明治政府によって一方的に国民とされたが、同時に『旧土人』と差別された。開拓移民が流入する中でアイヌ民族の文化や生活は破壊され、材木や石炭など膨大な資源が持ち出された。それが150年の実態だ」と語る。
 1899年には北海道旧土人保護法が制定されて和人への同化が進められ、1997年に廃止されるまで続いた。現在も経済政策を含む新たなアイヌ政策の立法化が進む一方で、アイヌが優遇されているというヘイトスピーチがやまない。「アイヌ民族にとっては当然の補償も、抑圧の歴史が共有されなければ、なぜ必要なのかかも理解されない」

 今も日本社会の中で、先住民族の権利を守ろうとする国際的な動きと反動的な差別がせめぎ合っていると上村氏はみる。「安倍首相は何かと未来志向を口にするが、歴史の連続性の上に今が成り立つ。もっとアイヌの人々の深い思いと向き合うべきだ」

 山田朗・明治大教授(日本近現代史)は「文明化、近代化のために多くの人びとに犠牲を強いたのが明治期だった。一部の光輝く部分がもてはやされているが、その色濃い部分も知らなければ、時代の本質は見えない」と説く。

 山田氏によれば、日本の植民地支配に象徴される「差別」は今も社会に生き残り、資本主義社会の格差構造と結びついて再生産されている。「在日コリアンへのヘイトスピーチや、朝鮮学校への攻撃などはその最たるもの。『脱亜入欧』の価値観が今も息づく表れだ」と指摘する。

 「明治はよかった」という一面的な明治礼賛論は、歴史修正主義、そして安倍政権が推し進める改憲の動きにもつながっていると警鐘を鳴らす。

 「権威主義的な明治憲法をベースに、緊急事態条項などの改憲の必要性が唱えられているが、その帰結が戦争、植民地支配、人権抑圧であったことは、歴史を見れば明らかだ。明治150年は今いちど、人々の圧迫の記憶を復元するための機会とするべきだ」


デスクメモ

 明治維新と言えば、政府の要職に就いた薩長の人物が注目されがちだが戊申(ぼしん)戦争に敗れた東北地方の受け止め方はかなり違う。

 「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉もあるが、歴史は勝者や為政者の視線で残されやすい。敗者や民衆の立場からも検証しなくては。                       (本)


外務省問われる見識
「歴史問題いじめ」窓口に右派団体
被害にも疑問「肩入れおかしい」
2018108日:東京新聞・ニュースの追跡


 米国の在ニューヨーク日本総領事館が従軍慰安婦問題などの「歴史問題に起因する邦人に対するいじめ相談窓口」を、慰安婦像設置に反対する右派団体「ひまわりJAPAN」に委託し、物議を醸している。同団体は過去に主催した講演会に、差別的発言で強い批判を浴びている杉田水脈衆院議員らを招いていた。外務省の見識が問われそうだ。                           (石井紀代美)


 「歴史問題に起因するいじめ被害に遭われた方、またはその被害をお聞きになった方は、当館にご連絡を頂くか、上記民間団体の相談窓口にいつでもご相談ください」
 今年6月、ニューヨーク総領事館はホームページ上でこんな呼び掛けを始めた。記載されたアドレスをクリックすると、ヒマワリ畑を背景にした団体のサイトに移る。「慰安婦問題などの過去の歴史問題に関わることであれば、ささいなことでも結構です」などの文言が並んでいる。
 ホームページによると、この団体は20166月、ニューヨークとニュージャージーに住む日本人女性らで結成された。米国に住む日本人に正しい日本の歴史を伝え、子どもたちが日本人として誇りを持って生きられるようサポートするのが目的という。近年、米国では、中国、韓国系米国人らによって慰安婦像が設置されるなどの「歴史戦」「情報戦」が仕掛けられ、日本人の子どもらを巻き込む「偏向教育、嫌がらせ、いじめ」が問題になっているとも書いてある。
 結成後に開かれた講演会のテーマは「このままでいいのか、日本!」。休刊が決まった「新潮45」で性的少数者に対する差別的な論考を寄稿した杉田氏や、慰安婦問題に否定的な論者が名を連ねた。
 杉田氏は著書で「いじめられた経験くらいなければ、社会出て使いものにならないんじゃないか」と、いじめ問題への無理解も示していたことから、ネットでは、「ひまわりJAPANを選んだ理由を明らかにすべき」「ニューヨークで子どもを育てて15年。現地校にずっと通わせているが、歴史問題に起因するいじめなんて聞いたことない」と批判が噴出している。
 そもそも民間の相談窓口を設けた理由は何か。外務省アジア大洋州局地域政策参事官室の木戸大介首席事務官は「大使館や総領事館へ相談するのは敷居が高い。市民目線で相談できないものか、とニューヨーク在住者から要望があったことがきっかけ」と説明。個人と団体計4件の公募があり、対応できる団体としてひまわりJAPANを選んだという。
 同団体の杉田氏との関係については「特にコメントすることはない」とし、「思想信条の自由に触れるところでは排除できないしチェックもしていない」と話す。相談は「ある」としつつも件数などは、「プライバシー保護のため明かせない」と口をつぐんだ。
 同様の相談窓口は14年からワシントンの大使館やサンフランシスコ、ロサンゼルス、シカゴの各総領事館に設けられているが、こちらは外務省が直接運営する。「これまでに具体的な被害は寄せられていない」という。
 現地の右派団体の活動に詳しい米国モンタナ州立大の山口智美准教授(文化人類学)は「ひまわりJAPANの関係者は、朝日新聞の慰安婦報道が原因で米国在住の日本人がいじめにあっていると主張し、同紙に謝罪広告などを求めた民事訴訟の原告にもなっていた」と指摘。「そのために今でも必死になっていじめの事例を探しているのではないか」との見方を示す。
 「歴史問題に起因するいじめが蔓延しているという具体例はないのに、外務省がここまで肩入れするのはおかしい。歴史問題以外が原因のいじめには関心がないのか」


【外交安保取材】
歴史浅い「アンチ旭日旗」キャンペーン
 デザインが問題視された形跡なし
20181018日:産経新聞



 日本政府は、韓国が11日から開いた国際観艦式への海上自衛隊護衛艦の派遣を取りやめた。韓国が旭日を描いた自衛艦旗の掲揚自粛を求めてきたためだ。韓国では、旧軍旗の意匠でもある旭日旗を「戦犯旗」と決めつける動きが横行しているようだが、韓国がことさらに旭日旗を非難し始めたのはつい最近のことだ。日本国内でも昭和29年の自衛艦旗の制定時を含めてデザインが問題視された形跡はない。
 10月6日付の朝鮮日報電子版(日本語版)の記事「なぜ今になって韓国は旭日旗に怒っているのか」によると、韓国国会図書館の資料で「戦犯旗」に言及した論文は0件で、メディアに「戦犯旗」との言葉が登場し始めたのは2012(平成24)年ごろ。記事タイトルが示すように「なぜ今になって」という感覚は韓国メディアにもあるようだ。
 日本ではどうか。同記事にならい、国会議事録のデータベースで「旭日旗」を検索したところ、昭和20年以降のヒット数は14件だけ。うち12件は平成に入ってからの議事録だった。
 平成3年には海自掃海艇がペルシャ湾に派遣され、湾岸戦争後の機雷除去で国際貢献したが、ある野党議員は旭日旗の掲揚をあげつらい「アジアの人たちはどう感じたでしょうか」と述べていた。15年には別の野党議員が政府に対し、自衛艦が旭日旗の掲揚を止めるよう要求する質疑があった。
 とはいえ、いずれも瞬間的なやりとりに過ぎず、自衛艦旗が制定された昭和29年を含め、国会で旭日旗のデザインや掲揚の是非が本格的に議論された形跡はなかった。
 報道もチェックしてみた。産経新聞のデータベース(4年~)で「旭日旗」は120件ほどヒットした。韓国との関連では13年、新潟・苗場で開かれたロックフェスで韓国のバンドが旭日旗を引き裂いたという記事が最も古い。同じ年には中国でも旭日旗をあしらったデザインのワンピースを着た女優が暴行され、猛批判を受けたと報じられていた。いずれも旭日旗に対する反発を伝える内容だが、ニュースとしては単発的だ。
 報道がぐっと増えるのはここ5年ほどだ。23年1月、サッカー日韓戦で韓国選手がカメラに向かいサルのまねをして批判され、「観客席の旭日旗を見て腹が立った」などと釈明したことがきっかけだ。25年にも日韓戦での旭日旗掲揚が騒動になった。韓国で与党議員が旭日旗禁止法案を国会に提案し、政治問題化する動きが出たのも同じ25年だった。
 社旗が旭日デザインである朝日新聞の報道も調べると、昭和29年8月3日付の夕刊に「軍艦旗そっくり 自衛艦旗授与」という見出しの記事があった。本文10行のベタ記事。自衛艦旗が完成し、吉田茂首相(当時)が木村篤太郎防衛庁長官(同)に111隻分を授与したとの事実を淡々と伝えている。「大きさ、図案とも旧海軍の軍艦旗そっくりの十六光線旭日日章旗で布地は麻かナイロン」などと記しただけで、ことさらに問題視してはいない。
 同紙のデータベース(59年~)では、「旭日旗」「旭日(きょくじつ)旗」のキーワード検索で約140件の過去記事がヒットした。うち130件近くはサッカー日韓戦をめぐる騒動など、20世紀以降の記事。直接的に旭日旗を問題視する記事はほとんど見当たらず、読者投稿欄に散見されるだけだった。
 韓国や中国の反日運動は日本国内の左派やメディアによる日本政府批判と連動して展開されてきた経緯がある。しかし、旭日旗に関しては日韓両国とも、そうした積み重ねは乏しい。アンチ旭日旗キャンペーンは歴史的な底も浅いと言えそうだ。
(政治部 千葉倫之)


20181010日:LITERA


 先週発売の「週刊ポスト」(小学館)101219日号が、靖国神社の宮司による衝撃的な天皇批判をすっぱ抜いた。
「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう?」
「はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」
 記事によれば、今年620日、靖国神社の社務所会議室で行なわれた「第1回教学研究委員会定例会議」で、靖国宮司・小堀邦夫氏の口からこの不敬発言は飛び出した。小堀宮司は皇太子夫妻に対しても「(今上天皇が)御在位中に一度も親拝なさらなかったら、今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?」「皇太子さまはそれに輪をかけてきますよ。どういうふうになるのか僕も予測できない。少なくとも温かくなることはない。靖国さんに対して」と批判的に言及したという。
 小堀宮司は「週刊ポスト」の直撃に対して「何も知らないですよ」などと誤魔化しているが、すでに、録音された音声が動画で公開されており、靖国宮司が今上天皇を猛烈に批判したことは疑いない。
 いうまでもなく、靖国神社は戦前・戦中の皇室を頂点とする国家神道の中枢であり、いわば「天皇の神社」だ。そのトップである宮司が、今上天皇が皇后と共に精力的に行ってきた各地への慰霊の旅を全面否定し、「靖国神社を潰そうとしている」と批判するとは、ただ事ではなかろう。
 複数の神社関係者によれば、神職の間でも「小堀さんはわかっていない」「神道の慰霊は様々な場所で行われるものだ」「靖国のことしか考えていないのか」などの反発の声があがっており、大きな波紋を広げている。当然、保守系言論人を巻き込む一大騒動に発展するものと思われた。
 ところが、である。この「週刊ポスト」のスクープから一週間が経つというのに、反応したのはごく一部のメディアだけ。一般紙はまったく後追いせず、あの産経新聞ですら沈黙状態なのだ。それだけではない。普段、「首相の靖国参拝」をあれだけ熱心にがなりたてている極右メディアや安倍応援団もまた、完全に無視を決め込んでいる。
 これはいったい、どういうことなのか。


富田メモに残された「昭和天皇が靖国神社に参拝しない理由」


 そもそも、小堀宮司による天皇批判の背景は、来年4月末日をもって退位する今上天皇が、即位してから一度も靖国を参拝していないことにつきる。
 しかし、それは昭和天皇の意志を引き継ぐものであり、当然の姿勢と言えるだろう。
 周知の通り、昭和天皇は、1975年の親拝を最後に、靖国参拝を行わなかった。その直接の原因は、1978年に松平永芳宮司(第6代)が行ったA級戦犯合祀に、昭和天皇が強い不快感を持ったためだ。
 実際、日経新聞が2006720日付朝刊でスクープした通称「富田メモ」には、その心情が克明に記されていた。当時、昭和天皇の側近であった元宮内庁長官・富田朝彦が遺した1988428日のメモの記述である。
〈私は或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取までもが筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と松平は平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ〉
「松岡」というのは国際連盟からの脱退で知られる近衛文麿内閣の外相・松岡洋介。「白取」とは松岡とともに日独伊三国同盟を主導した元駐イタリアの白鳥敏夫のことをさす。両者とも戦後にA級戦犯として東京裁判にかけられたが、昭和天皇がわざわざ「その上」と言っているように、この「あれ以来参拝していない それが私の心」は、松平宮司による14名のA級戦犯合祀そのものにかかっていることは自明だ。
 ところが当時、「富田メモ」の発表で大混乱に陥り、驚くべきペテンと詐術を繰り返したのが右派勢力、とりわけ、現在の安倍晋三を支える極右応援団の面々だった。いま、あらためてその御都合主義に満ちた反応を振り返ってみると、連中が、今回の小堀宮司による天皇批判に沈黙を貫いている理由も自ずと理解できるだろう。


「昭和天皇の思い」を攻撃、無視した極右文化人たちのご都合主義


 たとえば、極右の女神こと櫻井よしこ氏はその典型だ。「週刊新潮」の連載で〈そもそも富田メモはどれだけ信頼出来るのか〉(200683日号)とその資料価値を疑い、さらにその翌週には、3枚目のメモの冒頭に「63・4・28」「Pressの会見」とあることを指摘、〈428日には昭和天皇は会見されていない〉〈富田氏が書きとめた言葉の主が、万が一、昭和天皇ではない別人だったとすれば、日経の報道は世紀の誤報になる。日経の社運にも関わる深刻なことだ〉(2006810日号)と騒ぎ立てた。
 しかし、実際には「63・4・28」というのは富田氏が昭和天皇と会った日付であって、「Pressの会見」はそのときに昭和天皇が425日の会見について語ったという意味だ。ようするに、櫻井氏は資料の基本的な読解すらかなぐり捨てて、富田メモを「世紀の誤報」扱いしていたわけである。いかに、連中にとって、このA級戦犯の靖国合祀に拒否感を示した昭和天皇の発言が邪魔だったかが透けて見える。
 もっとも、本性をさらけ出したのは櫻井氏だけではなかった。たとえば百地章氏、高橋史朗氏、大原康男氏、江崎道朗氏ら日本会議周辺は、自分たちの天皇利用を棚上げして「富田メモは天皇の政治利用だ!」と大合唱。長谷川三千子氏は〈これ自体は、大袈裟に騒ぎたてるべき問題では全くありません〉〈ただ単純に、富田某なる元宮内庁長官の不用意、不見識を示す出来事であつて、それ以上でもそれ以下でもない〉(「Voice20069月号/PHP研究所)、小堀桂一郎氏は〈無視して早く世の忘却に委ねる方がよい〉(「正論」200610月号/産経新聞社)などとのたまった。
 また、あの八木秀次氏も、富田メモについて〈この種のものは墓場までもっていくものであり、世に出るものではなかったのではあるまいか〉とうっちゃりながら、〈首相は戦没者に対する感謝・顕彰・追悼・慰霊を行うべく参拝すべきであり、今上天皇にもご親拝をお願いしたい〉(「Voice20069月号)などと逆に天皇に靖国参拝を「お願い」する始末。
 いったい連中は天皇をなんだと思っているか、改めて訊きたくなるが、なかでも傑作だったのは、長谷川氏、八木氏と並んで安倍晋三のブレーンのひとりとされる中西輝政氏だ。中西氏はどういうわけか、この富田メモを同年75日の北朝鮮のミサイル発射、そして安倍晋三が勝利することになる920日の自民党総裁選に結びつけて、こんな陰謀論までぶちまけていた。
〈いずれにせよ「七月五日」と「七月二十日」(引用者注:富田メモ報道)に飛び出したこの二つの「飛翔体」は、確実に「八月十五日」と「九月二十日」に標準を合わせて発射されていることだけは間違いなく、それぞれの射程を詳しく検証してゆけば、それらが深く「一つのもの」であることが明らかになってくるはずである。〉(「諸君!」20069月号/文藝春秋)
 こうした「保守論壇」の反応は、保守派の近現代史家である秦郁彦氏をして〈「多くの人は、見たいと欲する現実しか見ない」(ユリウス・カエサル)という警句を思い出した〉〈はからずも富田メモをめぐる論議は、一種の「踏み絵」効果を露呈した〉(『靖国神社の祭神たち』新潮社)と言わしめたが、結局のところ、昭和天皇が側近にこぼした言葉を北朝鮮のミサイルと同列に扱う神経をみてもわかるように、「富田メモ」が明らかにしたのは、昭和天皇のA級戦犯合祀への嫌悪感だけでなかった。
 つまり、普段、天皇主義者の面をして復古的なタカ派言論をぶちまくっている右派の面々たちは、ひとたび天皇が自分たちの意にそぐわないとわかると、平然と逆賊の正体をむき出しにし、やれ「誤報だ」「無視しろ」「まるでミサイル」などと罵倒しにかかる。そのグロテスクなまでの政治的ご都合主義こそが、連中の本質であること暴いたのだ。


戊辰戦争の賊軍合祀を主張して辞任に追い込まれた徳川前宮司


 事実、こうした自称「保守」による反天皇的反応が見られたのは「富田メモ」の一件だけではない。今上天皇が2013年の誕生日に際した会見で日本国憲法を「平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました」と最大限に評価したときも、八木氏が〈両陛下のご発言が、安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねない〉〈宮内庁のマネジメントはどうなっているのか〉(「正論」20145月号)と攻撃した。
 また、一昨年の生前退位に関する議論のなかでも、安倍首相が有識者会議に送り込んだとも言われる平川祐弘東大名誉教授が「ご自分で定義された天皇の役割、拡大された役割を絶対的条件にして、それを果たせないから退位したいというのは、ちょっとおかしいのではないか」と今上天皇を「おかしい」とまで言い切った。
 こうした流れを踏まえても、つまるところ、今回の靖国神社宮司による天皇批判は、極右界隈がいかにご都合主義的に天皇を利用しているかをモロにあわらしているとしか言いようがないだろう。「保守論壇」や産経新聞がいまだに小堀宮司の「今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ」なる発言になんら反応を見せないのも、ようはそれが、戦中に靖国が担った国民支配機能の強化を夢見る連中の偽らざる本音だからにほかなるまい。
 その上で念を押すが、そもそも靖国神社という空間自体が、極めて政治的欺瞞に満ちたものだ。事実、靖国神社に祀られている「英霊」とは戦前の大日本帝国のご都合主義から選ばれたものであり、たとえば数十万人にも及ぶ空襲や原爆の死者などの戦災者は一切祀られていない。靖国派は「世界平和を祈念する宗教施設でもある」などと嘯くが、実際には、靖国神社を参拝するということは、先の大戦に対する反省や、多くの国民を犠牲にした贖罪を伴った行為とは真逆の行為なのである。
 だいたい、靖国の起源は、戊辰戦争での戦没者を弔うために建立された東京招魂社だが、この時に合祀されたのは「官軍」側の戦死者だけであり、明治新政府らと対峙し「賊軍」とされた者たちは一切祀られていない。そのご都合主義的な明治政府の神聖化国家神道復活の野望は、靖国の人事にもあらわれている。
 小堀宮司の前任者である徳川康久前宮司は、今年2月末、5年以上もの任期を残して異例の退任をした。表向きは「一身上の都合」だが、賊軍合祀に前向きな発言をしたことが原因というのが衆目の一致するところだ。徳川前宮司は徳川家の末裔で、いわば「賊軍」側の人間であった。徳川氏は、靖国神社の元禰宜で、神道政治連盟の事務局長などを歴任した宮澤佳廣氏らから名指しで批判され、結果、靖国の宮司を追われたのである。
 その後任に送り込まれたのが、伊勢神宮でキャリアを積んだ小堀宮司というわけだが、複数の神社関係者によると「小堀氏を直接推したのはJR東海の葛西敬之会長だが、その葛西氏に入れ知恵をしたのが、神社本庁の田中恆清総長と神道政治連盟の打田文博会長だと囁かれている」という。真相は定かではないにせよ、田中・打田コンビといえば、昨今の「神社本庁・不動産不正取引疑惑」(過去記事参照https://lite-ra.com/2018/09/post-4272.html)でも頻繁に名前が取り沙汰されるなど、神道界で強権的支配を強めている実力者だ。
 いずれにしても、靖国神社の理念が「祖国を平安にする」「平和な世を実現する」などというのは詐術であり、その本質は国家のために身を捧げる新たな英霊を用意するためのイデオロギー装置に他ならない。


小堀宮司になって金のためみたままつりの露店を復活させた靖国


 同時に、戦争世代・遺族の減少によって寄付金等の右肩下がりが止まらない靖国にとって、「天皇親拝」の実現は、二重の意味で生き残りをかけた悲願でもある。
 靖国神社は川宮司時代の2015年、夏の「みたままつり」での露店出店を取りやめた。川氏は「若者の境内でのマナーの悪さ」「静かで秩序ある参拝をしてほしい」などを理由に挙げていたが、実際、祭りに際した暴行や痴漢などの性的被害なども靖国内部で報告されていたという。結果、参拝客が激減したのだが、その消えた露店が、小堀氏が宮司となった2018年に復活している。そのことからも連中の本音がうかがえよう。
 川宮司批判の急先鋒であった前述の元靖国神社禰宜・宮澤氏は、当時、靖国の総務部長として露店中止に強く反対していた。著書『靖国神社が消える日』(小学館)では〈将来の靖国を支える若者の教化という観点に立てば、あれほど多くの若者を集め、しかも「平和を求める施設であることをアピールするためにはじめられたこの試みは、大きな成功をおさめた」とまで評価されていたみたままつりを活用する方が、はるかに合理的で生産的でした〉と書いている。
 ものは言いようだろう。しかし、実際は、靖国神社が喉から手が出るほど欲しがっているのは、信仰に繋がる卑近なPRとゼニなのだ。
 煎じ詰めれば、A級戦犯が合祀されている靖国の「英霊」ではなく、各地で亡くなった戦争犠牲者を分け隔てなく慰霊する、それこそが平成の天皇の責務だと自覚した今上天皇の在り方は、国家神道的イデオロギーの復活を目論む集団から見て、あるいは今後の先細りを宿命づけられた靖国神社という宗教法人にとって、まさしく「不敬」をはばからず攻撃したくなる目の上のたんこぶなのだろう。
 だが、それは所詮、八つ当たりでしかない。気鋭の政治学者である白井聡は、著書『「靖国神社」問答』(小学館)の解説文のなかで、靖国の歴史的欺瞞の分析を踏まえたうえで、こう提言していた。
〈してみれば、われわれが目指すべきは靖国の「自然死」である。多くの人が、靖国の原理を理解すること――すなわち、そこには普遍化できる大義がないことを知り、「勝てば官軍」の矮小な原理を負けた後にも放置しながら、あの戦争の犠牲者たちに真の意味で尊厳を与えるための施設としては致命的に出来損ないであり続けているという事実を知ること――がなされるならば、誰もがこの神社を見捨てるであろう。〉
 靖国神社と靖国至上主義を叫ぶ右派勢力は天皇を攻撃する前に、まず、自分たちの姿勢を考え直すべきだろう。



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    <昨日の贅沢>東京地教研の現地見学の集合場所に向かう途中、帝国ホテル探検をして、M2にある“オールド・インペリアル・バー”に突撃調査を決行。アメリカンクラブサンドとオランダのグローリシュをフランク・ロイド・ライトのテラコッタの前のカウンターでいただく贅沢をした。バーテンさんと「次はタンカレー10のソーダ割を飲みたい」と約束して日比谷公園有楽町門に向かった。

    [ 退職瘋癲老人 ]

    2018/10/21(日) 午前 9:04

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