2018-10-27

赤木かん子さんの萌え絵児童文学記事が納得できない

子供選択がそのまま正しいといっているみたいに読める。

市場選択即ち正しいという、市場万能主義市場原理主義と近い危うさがあるのではないか

https://www.cyzowoman.com/2018/10/post_206184_1.html

子どもの中には“好きな萌え絵”と“イヤな萌え絵”の区別歴然とある」と、赤木氏は語る。

「その違いは、子どもに聞くしかありません。でも、子どもに売れているのなら、それは子どもたちが認めたということ。それが、これから世界定番になっていくんです」

よく『若い頃はアイドルの顔が区別できたけれど、今はどのアイドルも同じ顔に見える』というのも、年を取ってビジュアルセンスが使えなくなったからなんです

の子に才能があろうがなかろうが、頭や顔がよかろうが悪かろうが、親にとって子どもって、生まれた瞬間から愛おしいもの。そんな子が、どんな絵を好きであろうといいじゃないですか

子どもは多くの大人が近くできないセンスでもって物事を見ているから口出しをすべきでないって、子ども新人類とかニュータイプじみたものとしているようで、いやいやそんなわけないでしょう、と思う。

また、「子どもに選ばれてるんだったら、良いんだろう」とただ追認するのは無責任ではないか

子供を良い方向に指導教育していくという大人責任について赤木さんはどう思っているのだろうか。

子供指導する必要はなくただ肯定して愛してあげれば良いというスタンスだとしたら、それは楽天的すぎるだろう。

  • anond:20181027195805

    良い方向に指導できる絵・悪い方向に指導できる絵って具体的にどう分別するのよ お前の分別基準でいいから根拠と一緒に具体的に聞かせてよ

  • anond:20181027195805

    「お父さんこの絵気持ち悪い」の時は子供を全肯定するくせに「子供が好きな萌え絵もある」の時は子供の意思に疑問を挟むの?

  • anond:20181027195805

    >子供を指導する必要はなくただ肯定して愛してあげれば良いというスタンスだとしたら、それは楽天的すぎるだろう。 フェミを否定する必要はなくただ肯定して規制してあげれば良い...

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