エ・ランテル怪奇譚   作:善太夫
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オッドアイ

 シエスタはバハルス帝国の郊外の農民の娘だった。たまたま帝都に職を探しに来ていて、エ・ランテルの魔導王の館付きメイドの募集を知る事になる。

 

 まず驚いたのは破格の待遇だ。衣食住が提供される上、月に金貨二枚の給金が貰えるという。農民は半ば階級と化しており、農民の子供は農民になるしかない。ごく稀に魔法の才能がある一握りの者が魔術師になる事が出来るが、可能性は極めて低い。残念ながら才能は親からその殆どを受け継ぐからだ。トンビが鷹を産むなどという事は現実世界では起こるべくもなく、トンビの子供はトンビ、もしくはそれ以下の存在なのだった。

 

 メイド候補者は馬車でエ・ランテルまで運ばれていく。シエスタが驚いた事に彼女以外の殆どがいずれも良家の子女だった事だ。とはいえ道中は誰もが無言で暗かった。

 

 エ・ランテルはかつてのリ・エスティーゼ王国の一城塞都市で、魔導国の首都となってからも魔導王はそのまま領主の館を使用していた。それはバハルス帝国の王城と比べるとみずぼらしいものであった。

 

 メイド候補者は領主の館ではなく、近くに建てられたメイドの館で生活し、まずは研修を受ける事になった。

 

「皆さん、アインズ・ウール・ゴウン魔導国へようこそ。私が貴女達の指導を任されましたツアレニーニャと申します。どうぞよろしく」

 

 どことなく儚げな美人、それがメイド長のツアレニーニャの第一印象だった。彼女は館での規則を説明すると最後に「私の事はツアレと呼んで下さい」と結んだ。

 

 それから毎日研修が行われた。まずは姿勢の矯正、歩き方の練習。メイド服の着方にホワイトブリムの付け方まで。夕方には研修が終わり、夜までは自由時間だった。街に出掛けたり部屋で過ごしたり出来た。メイド候補者達はそれぞれ四人部屋があてがわれていて、研修を共に過ごす内に親しくなっていった。

 

 週末は丸一日休日で、自由だった。エ・ランテルにやって来て一週間もすると誰もがここでの生活に馴染んでいった。

 

 

 

 

「きゃー……どうしましょう? 私……ねえ、聞いて頂戴」

 

 研修が終わり、メイドとして魔導王の館で働くようになって一ヶ月になる頃、同室のアリスが興奮した面持ちで話しかけてきた。他のルームメイトのエレナとルーナはいささかうんざりしているようだった。

 

「昨日の夕方にモモン様にお会いしたのよ。モモン様は私の方をご覧になったわ。これって運命だと思わない?」

 

 モモン様とはエ・ランテル唯一のアダマンタイト級冒険者チーム“漆黒”のリーダーで、漆黒のフルプレートに二本のグレートソードを持つ生ける英雄である。ちなみにアリスはバハルス帝国でも名家であるリディル家の娘で同期で一番の美貌の持ち主だ。

 

「でも……モモン様にはナーベさんがいるじゃないの? アリス、いくら貴女でもかないっこないんじゃない?」

 

 エレナが意地悪そうに言うとアリスは唇を尖らせた。

 

「そんなのわからじゃない。可能性だってゼロじゃないと思うわ」

 

 アリスのツンとした、形の良い唇を眺めながらシエスタは羨ましく思った。シエスタは普通の容姿で、どこにでもいそうな普通の目立たない少女だった。そんなシエスタとは違う、彼女は華やかな一輪の薔薇のような美しさがあった。

 

 “漆黒”の噂はシエスタも聞いた事がある。リーダーのモモンは常に漆黒のフルプレートにフルフェイスヘルムを着用していて、誰もその素顔を見た事が無いらしい。少なくともシエスタの同期のメイドの誰も見た事が無い。だからアリスが恋い焦がれるのはおかしな話だが、彼女曰く『運命』なのだそうだ。“漆黒”という冒険者チームは二人組で、先程から話があがっているナーベとはマジックキャスターで、“美姫”という二つ名を持つ。シエスタも街で見掛けた事があるが、つい見とれてしまった程美しかった。──だけど、とシエスタは思う。あの美しさは冷たくて好きにはなれない、と。

 

 やがて互いの意中の人を教えあったりし、中でもエレナの想い人がミスリル級冒険者のモックナックだと判明するに至り、乙女達の夜は更けていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 翌日、シエスタとアリスはツアレに連れられて魔導王の館にやって来た。普段なら二階までしか立ち入れない館の三階のラウンジに二人を案内するとツアレが言った。

 

「私は陛下にご挨拶して参ります。貴女達は私が戻るまでここで待っていて下さい」

 

 ツアレの表情はいつもとは異なり固かった。シエスタとアリスは言われたまま、ラウンジでツアレの戻りを待った。

 

 三十分程経ってアリスの顔が青ざめてきた。緊張のあまり軽い貧血でも起こしたのだろうか?

 

 シエスタがアリスに近寄ろうとした時、アリスはそのままバタリと倒れてしまった。シエスタがアリスの名前を呼び掛けてみるが、どうやら意識を失ってしまったらしい。シエスタはツアレを呼びに行く事にした。

 

 

 

 

 

 

 魔導王の館の三階の奥に立派な扉の部屋があった。どうやら魔導王の執務室のようだった。シエスタは躊躇いつつも扉をノックしてみた。

 

「……どなたですか?」

 

 扉が少しだけ開き、女性の綺麗な声が尋ねてきた。

 

「……あの、私は新入りメイドのシエスタです。ツアレさんはこちらにいらっしゃいますでしょうか? あの、アリス……友人が大変なんです」

 

 先程の女性は部屋の主人とひと言ふた言言葉を交わすと扉を開けてくれた。シエスタは中の光景に思わず息を呑んだ。

 

 部屋の奥には重厚なマホガニーの執務机が据え置かれ、金細工で飾られた赤いビロードの椅子にはアンデッドの王が腰掛けていた。

 

 真っ暗な眼窩の奥に妖しい紅い光が揺らめき、まるで瞳のように乱入者であるシエスタを睨みつけた。シエスタは思わず後退りすると、助けを求めるかのように周りを見回した。と、先程扉を開けてくれた眼鏡を掛けた美しいメイドのとなりに同じくメイド服を着たツアレを認めて少しだけ安堵のため息をついた。シエスタの気持ちが落ち着くと、魔導王の膝の上にダークエルフの少年と少女が座っている事に気がついた。ダークエルフの少年は魔導を振り返りながら膝の上で身体を揺らしていた。

 

(……まるで父親に甘える子供ね)

 

 シエスタはなんだか微笑ましい気持ちになり、思わずふふふと笑った。

 

 

 

 

 ──その瞬間に空気が変わった──

 

 室内の誰もがシエスタを睨んでいた。感情が消え去った、能面の様な表情にただ悪意だけを込めた視線がシエスタを突き刺した。あの、優しかったツアレも、メイドも、だ。ダークエルフの二人は左右それぞれが異なる色の──オッドアイで睨みつけていた。シエスタはわけわからず死を覚悟した。

 

 

 

 

 

 それからどう逃げ出したかシエスタには記憶が無い。ただ、言える事は彼女は魔導王の館を飛び出したという事。そして無我夢中で逃げる道すがらでも、あのオッドアイが追いかけてくる恐怖に震えた事。

 

「……私はただ、微笑んだだけなのに……別にこんな思いをする事なんてなにもないのに……そうか。やっぱりアンデッドは生者を憎むからか……私が生きているのが許されないのね……」

 

 ボロボロのシエスタはようやくの思いでバハルス帝国に戻ってきた。でも、シエスタは理解していた。

 

 ──あのオッドアイからは逃げられない、と──

 

 フラフラとした足取りのシエスタが階段を登っていく。と、彼女の気配に白い猫がむくりと起き上がった。そしてシエスタの足にまとわりつくように身体をこすり、シエスタを見上げてニャーと甘える声で、鳴いた。

 

 白猫の、左右で異なる瞳──オッドアイ──に映るシエスタの顔が強張り──

 

 声にならない叫びをあげながら、シエスタの身体は階段を転がり堕ちていった








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