私の名前はマリアンヘル・デイル・カスティージャ。
私の家はバハルス帝国の元貴族の家系で、かつて鮮血帝ことジルクニフ皇帝の粛清によって爵位が剥奪された。まあ、大勢の貴族が命を奪われたのだからまだ運が良かったと言えなくはないが、財産のほとんどを没収されて悲惨な状態だった。
没落した貴族の家は悲惨なもので、能力がある者は冒険者やワーカーとなったが、私のように無力なものには生活費を稼ぐ手段等なかった。
緩やかな死──先の見えない希望が全く無いそんな日々に微かな光明がもたされた、私達に否応はなかった。
「では、宜しくお願いします。……で、残金はいつ頃になりますか?」
父がまるで揉み手をしそうな表情で訊ねる。無理もない。モルガン男爵はそんな父を憐れむかのような表情を一瞬だけ見せ、答えた。
「先方が気に入ってくれたら、払いますよ。気に入ってくれたらね」
父は明らかに落胆したようだった。男爵の話だと『先方が気に入らなければ』残金は支払われない、のだから。
「では、行きますか。マリアンヘル」
モルガン男爵はバハルス帝国の新興貴族の家で、ジルクニフ皇帝の元で急速に台頭してきた家の一つだ。かつて父は田舎貴族だと歯牙にもかけなかったが、先の皇后一派の粛清により、立場は逆転してしまう。
そんな折、新しく出来た魔導国への友好のしるし、といえば聞こえが良いが、結局の所は力の劣る帝国の朝貢外交の一環として魔導国にメイドとして年若い娘が送られる事になり、かくして私達は、わずかばかりの金貨と引き換えに親に売られていった。
◆
エ・ランテルへ向かう三台の馬車の二台に私達は詰め込まれていった。皆、同じような十代半ばでやはり鮮血帝により没落させられた貴族の娘達だった。
「私はリリーナ。宜しくね」
ウェーブがかかったロングの金髪にソバカスだらけの少女が笑いかけてきた。歳は16と言っていたから私より二つ年下だ。決して美人ではないが、コロコロと目まぐるしく変わる表情は実に魅力的で愛らしい少女だった。私は少しばかり気圧されながら手を差し出した。
「私は、マリアンヘル。こちらこそよろしくね」
馬車の中は重い空気が流れていて、誰もが俯き一言も発しない。そんな中でリリーナの屈託ない笑顔は異質なものだった。
私達は互いの家庭についてや趣味等、当りさわりの無い話に終始した。他の娘達はそんな私達が存在しないかの如く、ずっと俯いたままだった。無理もない。私だって、リリーナが話しかけてこなければ同様に過ごしていただろう。なにしろこの馬車に乗せられた娘達は全て、親から売られてしまったのだから。
「…………これは噂なんだけれど──」
突然、リリーナが真剣な面持ちで耳元で囁いてきた。
「私達の前に何人かの女子がメイドとして送られたらしいんだけど……その人達、全員亡くなったらしい……」
私は思わずリリーナの目を見た。
「…………うそ」
私の呟きはリリーナによって否定された。
「……かなり確かな筋からの話。……で、その亡くなった少女ね、みんな同じ死に方だったそうよ」
リリーナの瞳が一際大きくなったような気がした。
「……その子達、ナイフを片手に『よくもスパイ等送り込んできたな。今度はお前の命が無いものと知れ!』って叫んで自分の首を──」
情けない事に私は気を失ってしまったらしい。目を覚ましたら、リリーナのボンヤリとした顔が必死に謝っていた。そのうちまたしても意識が遠くなった。
◆
エ・ランテルへの街道を半分程過ぎた所で宿営する事になった。私達は初めて馬車の外に出た。
「良いですか? この周囲にはモンスターもいるので決して離れないで下さい。何かあれば私に言って下さいね」
引率の女騎士が皆の顔を見渡しながら注意事項を伝えた。私は彼女の顔を見ながら(せっかく綺麗な顔なのに勿体ないな。髪で半分隠れているなんて……)と思っていた。と、不意に誰かが肘を小突いてきた。振り向くとリリーナだった。
「彼女、帝国の四騎士の一人よ。確か結構名門の出らしいわね」
私にはあまり興味が無い話だったので生返事で聞き流していたが、その時風が吹いて女騎士の髪がたなびいた。と、なんだか赤黒いものが見えた気がしてパチパチと瞬きをしてみた。そんな私の視線に気が付いたのか、女騎士が私を睨んできた。
……それは氷のように冷たい視線だった。私は思わず女騎士に背を向けた。
昔から、そうだった。不運とかついていない、そんな言葉では済まされない程、様々なトラブルに巻き込まれてきた。今回も、そうだ。私の視線が余程不愉快だったのか、女騎士──レイナースはいつも私の事を睨みつけてきた。
やがて、いよいよエ・ランテルにさしかかった頃──
◆
リリーナは目を覚ました。周りを見回すがマリアンヘルの姿は無かった。馬車を降りると付き添いの女騎士が一人、いた。
「あの……友達がいないのです。マリアンヘルという……」
マリアンヘルの名前を出した瞬間に『チッチッチッ』という舌打ちが聞こえたような気がした。
「──あの娘なら──たぶん故郷に帰ったと思うわ」
女騎士レイナースは感情を押し殺した声で呟いた。「うそだ──」と叫びそうになるが、じっと堪える。
「……そういえばレイナースさん。マリアンヘルを嫌っていたようだけれど、何かあったのですか?」
言葉には出さないが、マリアンヘルの姿が無いこととレイナースは無関係では無いだろう。たとえ彼女が本当に故郷に帰ったとしても。
「……世の中にはね、知らない事が沢山あって……知らなければ幸福だという事もあるのよ。……これは忠告ね」
「でも──」
明らかに理不尽だ。絶対に、おかしい。私は確信した。この女騎士──レイナースが彼女──マリアンヘルをどうかしたに違いない、と。
私はレイナースを睨みつけた。
「……まあ、いいわよ。きっと、貴女、後悔するわよ?」
その時はレイナースがただ脅かしているのだと思っていた。しかし、それも次の瞬間までの事だった。
「……あの娘は見てしまったのよ? それがどういう事を招くか……」
そう言いながら彼女はそっと髪をかき上げた。金色の髪の塊が持ち上げられ──
◆
マリアンヘルは途方にくれていた。彼女はレイナースから近くに小川があるから水を汲んでくるように命令され、ようやくの思いで水を汲んで戻るとそこには誰もいなかったからだ。
レイナースの言った場所には小川等無く、結局彼女はさらに山深くに入って小川を探すが見当たらない。三時間程探し回って、改めてレイナースに指示を受けようと戻ってみたのだが、宿泊地だった場所は元の草地に戻っており、誰もいなかったのだ。
(……捨てられたのだ)
何が原因かはわからないが、私は故意に置き去りにされたようだ。恐らく私に敵意を見せていたレイナースの仕業。泣き出したかった。泣きわめけば解決するのであれば、そうした。だが、そんな事で何も解決しない事はわかりきっていた。
「とりあえず……東を目指すわ」
私は自分自身を鼓舞するかのように呟いた。すっかり暗くなった空に一際明るく光る星、あれが北だ。夜道はどんな危険があるかはわからないが、ここにジッとしていても仕方ない。勇気を奮って歩き出した──と、茂みに人影があるのに気がついた。
「──誰?」
顔を覆ってうずくまっている人物は見おぼえがある服を着ていた。間違いない。リリーナだ。彼女も置いていかれたのだろうか?
「リリーナ? リリーナよね? 私よ。マリアンヘル」
リリーナはビクンと震えた。
「……マリ……アンヘル? 貴女……なの?」
リリーナの声は圧し殺したように小さく、愛憎が入り交じったように感じられた。
「……大丈夫? どこも怪我していない? 貴女も置いていかれたの?」
リリーナの身体がビクンと跳ねた。私は何か嫌な予感がした。
「……大丈夫? なによそれ! ……私が大丈夫なわけあるわけないじゃない!」
リリーナはそう言うと立ちあがり私に向いた。そして静かに顔を覆っていた両手を下ろした。
「見なさいよ! あんたのせいだからね! あんたがレイナースの顔を見たから、私の顔がこうなったのよ? なんであんたはなんともないわけ? おかしいじゃない! あんたも私と同じ苦しみを受けるべきよ!」
リリーナの顔の半面を覆った“そいつ”を見て、私は思った。──ああ、レイナースが髪で隠している下にも“そいつ”がいたんだな、と。そしてどういう訳か“そいつ”はレイナースだけではなくリリーナの顔にも寄生したらしい。そしてきっと私にも。
リリーナの顔面の怪物──人面疽が大きく口を開け──鋭い無数の牙を剥き出しにしながら、嗤うかのような鳴き声を上げて私に噛みついた。