時代の正体〈645〉民主主義の礎が問う社会 記者の視点=報道部・田崎基
安田さん帰国 再燃する「自己責任論」
- 神奈川新聞|
- 公開:2018/10/26 20:56 更新:2018/10/26 20:58
2015年、寒風吹く1月の深夜、東急東横線中目黒駅近くで安田純平さんと待ち合わせた。手ごろな場所がなく、駅近くのカラオケ店に入り話を聞いた。過激派組織「イスラム国」とみられるグループに日本人2人が人質になり、オレンジ色の服をまとい後ろ手に縛られた映像が流れた直後だった。
うち一人は、安田さんとも知人のジャーナリスト、後藤健二さんだった。
「勝手に危険なところに行き、いい迷惑だ」「政府が行くなと勧告している地域に入ったのだから殺されても仕方ない」
ネット上には「自己責任」という正体不明の批判があふれていた。
安田さんは言っていた。
「こんな国は日本くらいじゃないか」
その矛先はいま安田さんに向けられている。より増大し先鋭化し、ネット上を駆け回っている。
「謝れ」の倒錯
〈「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」の一言くらい言え〉
〈まず「恥ずかしながら…」と謝りなさい〉
謝罪を要求するコメントがツイッターやヤフーコメントといったSNSにあふれる。
誰に何を謝罪しろと言うのか。「ご迷惑」「ご心配」と定番の字句が浮かぶが、そうした言葉は迷惑を被った人や、心配した人に対して個別に言えば足りることであって、社会が当事者に要求すべきものではない。そもそも安否を心から気遣っていた人が本人に謝罪など求めるはずもない。
つまりは「謝れ」という罵言には、迷惑を被ってもいない、心配すらしていない人による何事かを批判したいがための主張という倒錯が透ける。
この世界で起きている、最悪の人権侵害である戦争、紛争、大量殺戮(さつりく)についてその現場を報道しようと、命の危険を覚悟して自ら赴き、そして帰還したジャーナリストにもたらされるべきは、報告とさらなる活躍の機会ではないか。
南スーダン日報隠蔽(いんぺい)問題を追及したジャーナリストの布施祐仁さんは、「ジャーナリストの役割は、どこかへ行くことではなく、報じることで完結する」と今後に期待を寄せる。
しかしなぜこれほどまでに責め立てられるのか。布施さんは根底に「政府が行くなと言っていたところに行った」ことがあるとみる。
日本政府は15年6月当時、シリア全土に最も危険度の高い「退避勧告」を出していた。
「行くな」と言われたところに行き、「拘束された」。それは自業自得だという安直な構図だ。
権力の側が命じたことに従い続けていては、しかしその暴走による人権の蹂躙(じゅうりん)を止めることはできない。
政府は常に都合の悪いことを隠す。戦時であればなおさらだ。政府の情報だけを報じていては、その非人道的暴力性を晒(さら)すことはできない。ジャーナリズムはこれを前提に成り立つ。
防衛省が、自衛隊の海外での活動を記録した日報を隠蔽していた問題と重ね合わせ、布施さんは指摘する。
「爆弾を落とされる市民の側で取材してこそ、戦争で本当に何が起きているのか、その真実が明らかになる。権力を監視するのがジャーナリズムの役割であり、民主主義社会を維持するために欠かせない機能の一つだ」
「防波堤」として
ネット上を席巻する罵言に即応したのは、報道機関の仲間たちが集まる「新聞労連」だった。
「安田純平さんの帰国を喜び合える社会を目指して」と題する声明を出したのは、安田さんが機上にいた25日午後5時半。帰国の前に、と急いだ。文案を仕立てたのは、ことし9月に中央執行委員長に就任したばかりの朝日新聞記者、南彰さんだった。
〈同じ報道の現場で働く仲間の無事が確認された喜びを分かち合いたいと思います〉
南さんはこの早い段階で声明を出した狙いについて、「『自己責任論』による安直な批判で埋め尽くされようとしていることを見過ごすことはできなかった」と話す。
「安田さんへ向けられている非難を和らげる防波堤が必要だと感じた」
「自己責任だ」「謝れ」という言説に違和感を覚える人もいる。その思いを言葉にする必要もあった。
南さんは、菅義偉官房長官の会見を500回以上取材し、繰り返し質問を重ねた記者として知られ、共著に「権力の背信-森友・加計学園問題スクープの現場」がある。政府による「退避勧告」という一般市民に対する注意喚起をもってジャーナリストにも同調の空気を醸すことへの疑念もある。
2005年に朝日新聞がインタビューした際の安田さんの言葉を引いて、声明にこうつづった。
〈「自己責任論は、政府の政策に合致しない行動はするなという方向へ進んでしまった。でも、変わった行動をする人間がいるから、貴重な情報ももたらされ、社会は発展できると思う」〉
「他者」を知る営み
危険で容易には立ち入ることのできない地域の惨状を、私たちが知ることは難しい。その困難さを乗り越えて得た貴重な情報に価値を見いだすことで、私たちは、自らは見聞きすることのできない他者を知ることができる。そうした営みを続けていくことでしか、この社会は豊かになりはしない。
なぜ「残虐なテロリスト集団」という存在が生まれたのか。なぜ列強各国は街が焦土と化すほどに一般市民の命をも奪う空爆を続けたのか。
面倒から目を背ける怠惰が生む無関心、そして理解できない存在を蔑(さげす)む構図は、異端としての安田さんにも向けられる。
声明の核心部はここだと南さんは言う。
〈今回の安田さんの解放には、民主主義社会の基盤となる「知る権利」を大切にするという価値が詰まっているのです〉
あの日、隣室の重低音だけが響くカラオケ店での私の取材は2時間近くに及んだ。
安田さんは言っていた。
「戦場へ自ら足を踏み入れるなんてばかげている。だから助ける必要などない。そうして他者への想像を遮断してゆけば、他者への共感も持ち得ない寒々しい社会になってゆく」
この5カ月後に安田さんはシリアで拘束される。
そして3年4カ月がたったいま、安田さんの目にこの国の殺伐はどう映るか。
「いかに残忍な存在であっても、なぜ存在しているか考える必要はある。そのためにも彼らが何を主張しているのか、耳を傾ける必要がある」
安田さんが私に語った言葉が耳底から消えない。