やってる感……安倍政権が体現する時代精神

トランプ大統領と国際社会をつなげる我らが安倍晋三総理!

 私は、2012年末に安倍政権が成立して以来、原則的な批判者の立場から発言してきた。同政権を成立せしめた12年12月の総選挙の晩、開票速報を見聞きしながら、最悪の気分になったことをよく覚えている。「最低最悪の政権が成立して、最低最悪の政治が行われるだろう」と私は確信していたが、当時私は『永続敗戦論』執筆の佳境を迎えていた。なぜ、安倍政権がそのようなものであるほかないのか、その根拠は同書に書いた。安倍晋三氏は、同書に言う「敗戦の否認」の権化のごとき政治家にほかならないからだ。

 そのような私にとっても、想像を超えたのは、同政権が長期本格化したことである。看板倒れで何の結果も出していない政策、常軌を逸した強引な国会運営、相次ぐ閣僚の不祥事、身贔屓(みびいき)によるスキャンダルの噴出、不誠実な災害対応──これらすべてにもかかわらず、今もって政権は続いている。「野党がだらしがない、代案がないからだ」等々としたり顔で言う評論家は掃いて捨てるほどいるが、事ここに至れば、「任意のn」が相対的にマシであるという理由だけで、代案になりうる。「最低最悪」の程度は、底なし沼である。

時代は一億総自分探し

 それでも安倍政権が維持されている理由は、メディアへの締めつけ等々もあるが、要するに、動機はともあれ有権者の支持を受けているという事実にあるだろう。言い換えれば、政権は民心をつかんでいる。それでは、その民心とは何か。

 安倍総理のこれまでの発言のなかで私が感心したのは、アベノミクスの成果について政治学者に聞かれて、「(大事なのは)『やってる感』なんだから、成功とか不成功とかは関係ない」と答えたというものである。なるほど、安倍総理は「時代精神」を見事に体現しており、それゆえこの政権は長期本格化したのだ。

 実際、安倍政権下の日本は「やってる感」の楽園ではないか。悪名高き日本の長時間労働とは、労働者が働いているフリを見せ合うことの産物である。あるいは、大学・研究機関で相次ぐ研究不正。「グローバル人材」の標本として振る舞ったショーンK。そういえば、ショーンKの二番煎じのごとき、斎藤ウィリアム浩幸なる人物もいて、こちらは内閣府参与をはじめ、政府の職にありついていたが、経歴詐称が表面化して失墜した。

 だが、総理自らが「やってる感」だけが大事だと言っているのだから、理化学研究所の笹井芳樹氏は気に病む必要などなかったのかもしれないし、現に「チャレンジ」を強要していた東芝旧経営陣で誰も逮捕された者はいない。

 さて、冗談が過ぎたようだ。しかし、この国の現状が悪い冗談以外の何物でもないことは、動かせない事実だ。そして、「やってる感」だけで生きてゆける人とは、本当にやりたいことが何もない人である。総理の掲げる「戦後レジームからの脱却」も、ポツダム宣言(=戦後レジームの始発点)を読まずにやるというのだから、まあ本気であるはずがない。こういうわけで、安倍晋三氏は現在の日本人を正しく代表している。

 

 ちなみに、小選挙区制になって公募議員が増えたが、この制度は「何をしたいわけでもないがとにかく議員になりたい」という人種を効率よく吸い上げる集塵機のようなものであり、「魔の2回生」(12年12月総選挙当選組)はこのことの証明である。

 かれこれ20年くらい前、「自分探し」という言葉が異様にはやった。最近は昔ほど聞かなくなったが、多分状況は変わっていない。否、むしろ悪くなったのだろう。皆なすべきことが見つからない、一億総自分探し。安倍政権がいつまで続くのか誰にもわからないが、一つ確実であるのは、この政権を支えてきた空気=ニヒリズムの岩盤を砕かないことには何も始まらないということだ。

※本稿は、『週刊エコノミスト』2018年9月18日号に寄稿したものです。