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2018-10-26

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・練習と本番というのは、まったくちがう。
 練習で、ある程度の「経験に似た技術や心構え」を
 身体におぼえさせることはできると思う。
 よくプロ野球の選手などが、
 見たことのないような連携プレイをしたりして、
 直後のインタビューで「練習はしていたんで」と、
 さらっと答えるのがかっこいい。
 一塁三塁にランナーがいて、
 一塁ランナーが盗塁を企図してつまづく、
 しめたとばかりに捕手がそっちのランナーに送球すると、
 その間に三塁ランナーがホームインする。
 そんなケースについても「つまづく」演技まで含めて、
 チームとして練習をしているのだそうだ。

 しかし、なにかあって急に怒り出して殴りかかってくる
 というような選手が現れたときの練習なんかは、
 おそらくしていないと思うのだ。
 「あってはならないこと」についての練習というのは、
 格闘技などではあるかもしれないが、野球にはないよね。
 野球のキャンプ練習でスケジュール表に
 「13:00〜ケンカ」などを記されていることはない。
 逃げるのか攻めるのか、止めるのかわからないけれど、
 あわてずに落ち着きつつすばやく反応しないと、
 大怪我になってしまうこともあるだろう。
 やられっぱなしでは士気も下がるという考えもある。
 そういうときには、かつてよくケンカしていたような
 いわばワル出身の選手は、うまく止めに入ったりする。
 ケンカの練習はしていないけれど、ケンカはしていた。
 そういう経験が、力や技でないところで生きたりする。
 そうだなぁ、だったら練習もしておかないとな、と
 思っても、そういうわけにもいかないのがむつかしい。

 じぶんのこどもが小さいときに、
 「歩いていて転ぶ」ということについての本番を、
 なんとかできないものかと考えたことがあった。
 幸い、こどもは「本番の転び」をちゃんとやるので、
 こちらが考える必要もなく「転び」を学べた。
 犬の遊び方なんかを見ていても、ケンカのような遊びは、
 やってないままで成長させることはできないようだ。
 「あってはならぬことを学ぶ」は高度な指導ではあるね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
本番でいろんなことができる環境を、どう創るかだよなぁ。


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