というをご存知だろうか? 台湾から台湾峡を挟んで西に約270キロ、中華人民共和国の福建厦門合いわずか5キロの場所に浮かぶ、中華民国の実効支配下にある地域だ(下の地図)。現在、このがちょっとホットな話題の場所となっている――。

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砲戦記念イベントを欠席した蔡英文

「なぜ、蔡英文に来ないのか?」

 今年(2018年8月23日、かつて陳政権時代の副総統だった呂秀を訪れた際に、地元住民からこうした質問攻めに遭ったと台湾自由時報』が報じている。呂は記者会見の席で「台湾は(に対して)情がなさすぎる、冷たすぎる。もしも門が存在しなければ今日台湾はなかったでしょう?」と発言。蔡英文の姿勢を批判した。

 この日は、過去中華民国軍と大陸人民解放軍をめぐるしい撃戦「八二三戦」を開始した日からちょうど60にあたる。この日の前後、台湾からは当時の戦役に参加した老兵600人以上がを訪れて記念イベントに参加し、往年の戦いをんだ(下の写真)。

 だが、中華民国総統蔡英文民進党)は、外遊の直後であることや、エルサルバドル台湾との断交を発表したことによる多忙もあって、でのイベントを欠席。蔡は公式フェイスブックに「60年前も60年後も、台湾人が故郷を守る決心を弾で変えることはできない」と関連する投稿おこなったのみで、副総統の陳建仁を代理出席させることもなかった。

 ゆえに、高齢層やの地元住民を中心にうっすらとした反発が広がっている。野党・国民党は同18日に台北市内で「八二三戦」を記念する式典を開き、蔡政権の姿勢に批判的な構えを見せた。

中華民国の最後の大陸領土「金門島」

 現在は「台湾」とほぼイコールのようなイメージがある「中華民国」は、かつては中国全土に権を持つとされた国家だった。だが、日中戦争の終結直後に起きた第2次共内戦に敗北し、臨時首都台北に移転して、台湾と周辺地域を実効支配するに変わる。中華民国1950年代前半までに大陸要部をすべて失い、1955年には浙江嶼部の拠点も放棄した。

 ところが、台湾から見て峡を挟んだ向こうにある福建北部の連江県の嶼部(祖列)と、同南部嶼部の門県だけは、その後も「中華民国」のまま残存した。この領域が事実上確定したのが、60年前の「八二三戦」だったのだ。

 1958年8月23日中華人民共和国人民解放軍は、厦門に残された中華民国支配地域・の「解放」をして大規模な軍事作戦を開始。1カ半にわたり中華民国軍との間で猛戦をおこなったものの、戦略的を達成できずに終わった。この戦は「八二三戦」と呼ばれ、500人以上の死者を出した中華民国軍の頑強な抵抗はとなっている。

 中華人民共和国側は、この後も1960年ごろまで断続的に戦闘行為をおこなうが結果が出ず、やがて決められた曜日に儀式的に弾を撃ち込むだけになる。これは1979年まで続いた。対して中華民国側は、共内戦の最前線として小さなに10万人の兵士を貼りつかせ、軍政のもとで内住民への移動制限を布告。民兵の組織化をはじめとした総動員体制を敷いて防衛し続けた。

 やがて中台間の軍事的緊解けを迎えた後も、門県における厳令の解除は台湾や澎より5年も遅い1992年となり、民主的な県議会選挙の実施もその翌年までずれ込んだ。2002年までは、門地域だけで通用する幣も発行されていた。

 は、まさに中華民国版の「基地の」だったというわけだ。徴兵制が敷かれていた台湾では、40代以上の多くの男性が、「最前線」の雰囲気が残っていた時代の内での勤務経験を持っている。民としても、軍隊に地域生活のすべてを管理されていた時代の思い出はいまだに風化し切っていない。

 そもそも、は第2次大戦中の8年間の日本占領期を除けば、1912年に建された中華民国106年の歴史上でほぼ一貫して「中華民国領」であり続けた、世界でも稀な土地でもある(台湾戦前日本領、中国大陸の大部分は戦後中華民国の範囲ではなくなっているためだ)。

 往年、を基地化されて弾を撃ち込まれ続けるなかで民のプライドを支えたのは、自分たちが中華民国オリジナルの土地に住み、それゆえに「中華民国」体制を守る立場を担っていることへの自負だったという。

 往年の八二三戦は、そんな歴史徴だ。それゆえに、現在中華民国の代表者である蔡英文に来てほしいという民の感情も存在したわけである。

「私たちは台湾人ではない」と話す住民たち

 もっとも、民たちが蔡英文の来を望んだのは彼女が「中華民国総統」だからであって、別に蔡英文民進党を支持しているからではない。むしろ、与党・民進党人気は、内では極めて低い。

「正直、民進党は嫌いです。陳政権時代(20002008年)に進められた台湾正名運動で、パスポートに『TAIWAN』と書かれたり、『中華郵政』だった郵便局が『台湾郵政』に変わったり(注:その後に中華郵政に再度変更)した。でも、私たちは台湾人じゃなくて、福建人で中華民国人なんですよ」

 すこし前の話だが、2013年4月に筆者がに行った際に、地元の人からこんな話を聞いたことがある。中華民国では1990年代李登輝政権のもとで台湾化が進み、やがて陳蔡英文など「台湾」のアイデンティティを強調する民進党総統が登場するようになった。

 だが、これに複雑な思いを抱くのがの人たちだ。中華民国台湾化に対しては、内戦後中国大陸から台湾へ流入した外省人とその子孫たちの一部も反発しているが、彼らは少なくとも現住所の点では「台湾人」である。だが、民はいかなる意味でも「台湾人」ではない。

 民に言わせれば、自が「中華民国」ではなく名実ともに「台湾」になってしまうと、自分たちとは本来関係な「台湾」というに、をさながら植民地支配されるような形になってしまうのである。

「そもそも民進党は党旗に台湾しか描かれていない。私たちのことなんか、どうでもいいんでしょ?」

 こんな発言からも分かるように、内で民進党は全然支持されていない。門県は選挙においては国民党をはじめとする営(青色営)の票田で、県会議員の約9割が営系議員で占められている。2016年1月蔡英文が地滑り的な勝利を収めた総統選でも、門県では国民党総統補だった朱立倫が蔡英文の4倍近い票を集める現が見られた(似たような歴史的経緯を持つ、がある連江県も同様だ)。

 行政区画のうえでは「福建」で、地理的にも中国大陸の一部であるは、中華民国の各地のなかでもかなり特殊な場所なのである。

やむを得ない面がある「対中傾斜」

 ゆえに共内戦が沈静化した2000年代以降は、はすぐ近くの中国大陸との結びつきを強めている。多くの民が対経済特区・厦門の土地に投資して豊かになり、国民党馬英九政権時代には中国人観光客の誘致も進んだ。中国大陸客の誘致に対する現地のアレルギー感情は非常に薄い。

 と対中国領の厦門や州は、方言(閩南台湾台湾も同系統の言だが、台湾と違い日本語由来の彙がない)のレベルでも言が同じで、親族がと福建本土にまたがる例もある。で支持者が多い国民党や新党は中国大陸との交流に熱心で、全体として中台融和は歓迎ムードだ。

 今年8月5日には、慢性的な不足に悩んでいるに対して、対の厦門中華人民共和国)からを供給する海底パイプが開通した。この建設は中台関係が良好だった馬英九時代に決められ、蔡英文政権は開通記念式典の開催に難色を示したが、地元は式典の開催を強行。さらに中国大陸からの送電や、両を直接つなぐの建設への地元の要望も強い。

 中国大陸への接近は、台湾本土や東南アジアで進む「対中傾斜」とは意味が異なる。なぜなら民自身が、自分たちの土地が紛れもない「中国」で、自分自身が「中国人」であると考えているためだ。

 中国大陸との違いは民と人民共和という政体だけで、民族的にも文化的にも同じ。そう考える人たちの地域が中国大陸と結びつきを深めるのは、あながち「悪い」とも言えないのが悩ましいところである。

 1990年代民主化してからの中華民国台湾)は、中国大陸と対峙するうえでの生存戦略の面もあって、人権を打ち出すリベラル国家になった。台湾では、客や山地原住民などのマイノリティアイデンティティを重視する政策が採用され、市民の理解も進んできた。だが、「第5のエスニックグループ」とも呼ばれる(および)の住民について、台湾人の関心は決して高くない。

 まぎれもない「中華民国民」ではあるものの、「台湾人」ではない人たち――。中国への警感を強める蔡英文政権にとって、過去歴史いたずらが作り出した住民の問題は、なかなか頭の痛い話ではある。

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