矢野渉の「金属魂」Vol.37:父との絆、ローレットの感触――富士フイルム「FinePix X100」

» 2018年10月26日 08時00分 公開

 「昔、どこの家庭にも1台あったようなカメラを作りたかったんです」

 新製品インタビューの席で、開発担当者はこのカメラの素性を端的に表現した。一家の家長であるお父さんが、親族の集まりや旅行のときなどに記念写真を撮るためのカメラ。確かにうちにもそんなカメラがあった。それは高価で、子どもたちは触らせてもらえないものだった。写真が特別だった時代を思い出させるようなカメラがそこに置かれていた。

 富士フイルムの「FinePix X100」は、ノスタルジックなデザインと細部に拘った作り込み(マグネシウム合金をあえて鉄に見せるような表面処理など)で僕を魅了した。子どものころにあっても違和感のない、金属のダイヤルが2つもついたアナログな感じがたまらなく懐かしかった。

 早速予約を入れて発売日を待った。僕が仕事のカメラとは別に、家族のためのデジタルカメラを買ったのは初めてだったように思う。それまではお仕事カメラのお下がりばかり使っていたから。

 今はミラーレス一眼の「T」、中判の「GFX」にまで発展しているXシリーズだが、全てはこのX100が始まりだった。印象的だったのは発売日の2011年3月5日の6日後に、東日本大震災が起こったことだ。宮城県の製造工場も被災し、一時は製造が危ぶまれるほどだった。

 トイレットペーパーが店頭から消えたり、ガソリンスタンドに長い車の列ができたり、計画停電が始まったのもこのときだ。本当に暗く長い春だった。

 この年の年末の漢字に選ばれたのは「絆」だ。世の中の人々が家族の絆を強く感じた年だったといえる。そんな中でX100は生まれたのだ。たぶん、何かの使命を持たされて。

出色のローレット

 ローレットとは、ダイヤルの側面に施される滑り止め加工のことで、ありふれたものではある。しかし、X100の「綾目」と呼ばれるピラミッドパターンのローレット加工は、別次元の仕上がりだ。特に露出補正ダイヤルは、親指の腹への引っ掛かりと回転のトルクのバランスが素晴らしく、ストレスなく回り、正確にクリックする。

 後継機ではこのダイヤルはデザインが変更されて、側面が樽型に膨らんだ。良しあしはともかく、僕はこの初号機の角ばった形がシンプルで気に入っている。

 この綾目の精密さは見ていてとても美しい。金属ブロックから削り出されたものだけが持つ精度の高さだ。「機能美」とはこういうものをいうのだろう。

家族の肖像

 妻から、入院している父親がもう危ないから意識があるうちに写真を撮ってほしいと頼まれたのは、X100が家に来た翌年の秋だった。

 僕は何も迷うことなく、X100を肩にかけて妻と病院に向かった。家族の写真はX100で撮ると決めていたからだ。

 父は脳溢血で倒れ、右半身が付随となり、声を失い、リハビリもむなしく寝た切りに近くなり、入院後は咀嚼(そしゃく)もうまくいかなくなり、胃ろうで生きながらえていた。結婚した当初から僕とは気が合い、会えば酒を酌み交わしていた父が、荒い息で横たわっていた。

 肺炎を起こしては少し回復という状態を何度も繰り返していた父は、この日は意識がはっきりしていて、目で僕に何かを訴えていた。それは「後を頼むぞ」だったのか、「今までありがとう」だったのか。

 妻がベッドの横から父に顔を寄せ、こちらを向く。父もX100のレンズの方を向いた。

 設定はJPEGだ。RAWデータなど必要ない。後で現像して最高画質に、という種類の写真ではない。今のこの空気感が切り取れればいい。一枚で決めてやる。

 絞りはf4で絞り優先のオート。無粋な病院の機材などが写り込んでもボケるだろう。ホワイトバランスもオートでいい。FUJIFILMの色のアルゴリズムは、ミックス光下でも実に良い設定をしてくれる。

 光は、左後方の窓からの太陽光が強い斜逆光だが、病室の白い壁にバウンスして全体に柔らかい光が回っている。

 そのとき僕はある意志を持って露出補正ダイヤルを回し始めた。この状況なら、プラス二分の一段ぐらいの補正が僕の経験値なのだが、このときはさらにプラス側へと補正をかけた。

 死をむかえる父の顔が醜く写ることが許せなかったのだ。シミもシワも、こけた頬も、全部白く飛ばしてしまえ!

 右手の親指がダイヤルのローレットに心地よく引っ掛かり、本当にスルスルと回り、撮影は終わった。

 僕は今も時々、X100のローレットの感触を確かめながらあのときの写真のプリントを眺めている。そして写真っていいものだなと思うのだ。

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