「高い野心」には「高い家賃」――デーブ・スペクターさん【上京物語】

インタビューと文章: 園田菜々 写真:藤原慶

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進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。

◆◆◆

今回「上京物語」に登場いただくのは、デーブ・スペクターさんです。1983年、米国ABC放送の番組プロデューサーとして日本に来日したデーブさんは、まるで日本で生まれ育ったのかと錯覚してしまうほどに流暢(りゅうちょう)な日本語を喋り、一躍人気外国人タレントに。現在はテレビ番組のプロデューサーや作家、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍しています。

時に鋭いコメントを放ったかと思えば、お寒いギャグを連発するなど、どこか食えない部分が魅力的なデーブさん。

実はそんなデーブさんの東京での暮らしは、意外にも苦労の連続から始まったそうです。留学での1年間の貧乏生活から、ビジネスとして来日してから13年間のホテル暮らしまで、デーブさんの東京での思い出について伺いました。

5円が足りなくて「チャルメラ」が買えなかった留学時代

――今回はデーブさんが上京したときのお話を伺いたいのですが。

デーブ・スペクター(以下、デーブ):僕、上京っていうか、来日ですけどね。

――そうですね。東京に来たときのお話ということでお願いします。

デーブ:まずは、留学ですね。どうしても日本に来たくて、1年間だけ上智大学に留学してたの。

――そのときは、どこに住まれていたんですか。

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デーブ中野坂上です。アメリカに住んでいた日本人の友達の実家が大家さんだったので、紹介してもらって、下宿に住んだんです。学生向けのアパートで、四畳半、トイレは共同、お風呂は大家さんに借りて入る。一番印象に残っているのが……。


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(突如カメラのほうに振り向く)


――びっくりした……。

デーブ:フィルムの無駄遣いさせてみた。デジタルじゃ意味ないか。

一番印象に残っているのは、大家さんに「暖房のスイッチはどこですか」って聞いたら「そんなのあるわけないでしょ」って返されたときですね。アメリカはセントラルヒーティングで、どんなぼろアパートにも暖房や冷房はあるんです。だからそもそも、暖房器具を「持ち込む」という概念がないわけ。

結局大家さんに言われたとおり、商店街で石油ヒーターを買ってきましたけどね。せっかくだから服も温めようと思ってストーブの上に乗せてたら、ストライプ状に焦げて恥をかいたな……。その下宿は壁も薄いから、テレビのリモコンを使うと隣の部屋のテレビが反応して番組が切り替わっちゃう。「バカ野郎! 巨人戦見てたんだよ」って怒られたこともありました。

――そんな時期がデーブさんにあったのが意外です。

デーブ:絵に描いたような貧乏学生でした。5円が足りなくてチャルメラのラーメンが買えなかったときもあった。学生の間はアルバイトをすることができないから、親に送金をしてもらっていたのですけれど。そのお金を銀行までもらいに行く電車賃をとっておかないといけないから、お腹が空いているのにインスタントラーメンひとつ買えない。あれはつらかったな。

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――その下宿に1年住んでいたんですか。

デーブ:いいえ。すぐ引越した。というかどこも全部気に入らなくて、1年の間に9回引越しました。

――9回!

デーブ:中野坂上の次は、赤坂見附南砂町アジア会館……引越しというか、お金がなかったから頼み込んで居候することが多かったです。家自体はよくなかったけど、いつも東京の中心地にいたから、出かけやすいのはよかった。うーん、この1年はほんと楽しくなかったですね。

ここで得た教訓は、住まいが悪いとモチベーションが上がらないってこと。家賃をケチって壁が薄い部屋に住んだら、どうせ隣の部屋の音が漏れてきてイライラする。電車やバスがあまり通っていないところに住むと、交通の便が悪くてイライラする。そうやって最初からイライラするって分かっていながら住んだって、幸せになるわけがないんですよ。

――住まいに恵まれなかったせいで、幸せな生活が得られなかったんですね。ちなみに留学当時って、外国人の方ってどれくらい日本にいたんですか。

デーブ:ほとんどいない。よっぽど好きで観光に来ている人か、ビジネスで来ている人、親戚が日本にいる人、くらいかな。今みたいな観光客ばかりの状況では全くなかったですよ。

――それで肩身がせまい思いをしたことはありましたか。

デーブ:特にないかな。喫茶店で「アメリカン?」と聞かれて、なんで国籍聞かれてるんだろう、って思った、みたいなことはありましたけどね。

――カルチャーショック的なこととか。

デーブ:それはもう一通り経験しましたよ。まず、「敷金」の高さに驚いた。向こうはセキュリティの工事費用でとられることもあるけど、それでも家賃1カ月分くらい。更新料という文化もない。もちろんめちゃくちゃ汚したらお金を取られることはありますけど、日本ってそれほどのアパートでもないのにけっこうな金額取るでしょ。

――確かに。

デーブ:留学から帰るとき、こんなことがありましたよ。泊まっていたアパートを引き払うことになって、あわてて電話帳で昆虫を売っているお店を探したんです。

――はい?

デーブ:青山通りにお店があるのをみつけて、電話をかけて、「申し訳ないですけどゴキブリを300匹ほど買いたいんですが」と。そしたら店員さんが「それはいいんですけど、何に使うかお聞きしてよろしいですか」っていうから、僕はこう答えたんです。

――はい。

デーブ:「今住んでるアパートの契約書によると、部屋を元に戻さないと敷金が返してもらえないって書いてあるんです」ってね。

――……。

デーブ:敷金のオリジナルギャグです。

シカゴからロサンゼルスへ「上京」

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――とにかく、留学時代は苦労の連続だったんですね。勝手ながら、デーブさんはいろいろとスマートにこなす人のような印象だったので、たくさん失敗を重ねていたというのは意外です。

デーブ:土地勘がなかったらどうしようもないからね。日本での留学のあと、アメリカでも似たような失敗をしましたよ。シカゴからロサンゼルスに引越したとき。僕はテレビの仕事をしたくて、自分を売り込もうと思ってロサンゼルスに住むことにしたんです。ちなみにシカゴからロサンゼルスに移住するのは、日本でいう「上京」に近いですよ。

――なるほど。

デーブ:上京者が日本で「代官山に住みたい!」と憧れるように、僕はロサンゼルスで「ビバリーヒルズに住みたい!」って思った。住所でどこに住んでるかが分かるから、ハッタリにもなるしね。それで調子にのってビバリーヒルズのボロいアパートに住んだの。でもそこって大通りの外側で、まったくお金持ちが住む地域ではなかったんだよね。だからわかるひとが住所をみたら貧乏だってバレバレ。あのときは大恥かいたな。

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――恥ずかしい思いはしたかもしれませんが、お金がないまま上京して、都市の中心地に住もうという勇気はすごいです。それを重荷に感じたり、不安になったりはしないんですか。

デーブ:もちろんプレッシャーはありますよ。でも、僕には野心があったから。その人に野心がなければ、離れた場所で妥協できちゃうんじゃない? もちろん離れた不便な場所に住みながら「ここを抜け出すために頑張るぞ」と張り切るのもいいかもしれないけど、時間がもったいないし、面倒臭いから。最初からプレッシャーをかけておいたほうがいいですよ。「高い野心」に「高い家賃」ですよ。

――野心があるからこそ、いい場所に住むプレッシャーに耐えられると。

デーブ:はい。それに、テンション上がるしね。例えばニューヨークで暮らすとしても、グリニッジビレッジやソーホーのような中心地に住むのがいいんですよ。住んでいて「ニューヨークに来たぞ!」と自然とガッツポーズが出るようなところ。

家賃は高いかもしれないけど、その高さには付加価値があるんです。気分もよくなるし、何より都市の中心部は刺激的なものがたくさんある。交通の便がいいから、すぐにどこにでも行ける。もし野心をもっているなら、ちょっと無理をしてもその土地の中心に住むべきですよ。じゃなきゃ、出不精になる。短い人生で損をする。

やむをえず始まった13年間のホテル暮らし

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――ロサンゼルスでテレビの仕事を得て、その後日本にいらっしゃった、という流れですか。

デーブ:そうです。ロサンゼルスでテレビの仕事を始めて、1983年に、米国ABC放送の番組プロデューサーとして来日したんです。2週間の出張のつもりで来たのですが、日本にいる間にNHKから依頼があって、少しずつ仕事が増えていった。その一方で、向こうに日本の番組を録画して送っていたら、「この映像を使いたい」となって、次第に契約や取引が増えていった。

当時はYouTubeとかないから、ネットで日本の番組を見て問い合わせ、なんてできない。僕が間に入ってやるしかなかった。ABC放送ではびっくり映像のような番組をやっていたのですが、ときには一本の番組の25%が、こちらが送った日本の番組で構成されるようになっていました。そしたらもう帰れませんよね。向こうから「帰ってこないで」とも言われてました。

――日本での出張中にビジネスが大きくなっていったんですね。そこからホテル住まいはどれくらい続いたんですか。

デーブ13年

――13年!

デーブ:最初の4年間は番組側がホテル代を出してくれていたんだけど、そのあとは自分で払ってました。

――その間に、どこかアパートやマンションに住もうとは思わなかったんですか。

デーブ:番組がいつ打ち切りになるか分からないし、アメリカのテレビ局は日本と違って夏休みがあるからその時期は一旦帰るんです。おまけに当時はバブル時代で、家賃も敷金も今よりずっと高かった。もしマンションに住むとなったら、一から家具もそろえないといけない。テレビにも出演し始めて楽しい時期ではあったけど、100%日本に残るとも限らないから、ホテル暮らしを選んだんです。

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――ホテルはどこに泊まっていたんですか。

デーブ:赤坂プリンスホテルに3年いたあと、ニューオータニに少しだけ滞在して、あとは新宿のヒルトンホテルかな。できたばかりのころできれいでしたよ。

――貧乏な留学時代から一転、こんどは優雅なホテル暮らしになるんですね。ただそれだけ長い期間の滞在ともなると、やっぱりストレスはあったんじゃないですか。

デーブ:いや、まったく。ホテル暮らしって、フロントになんでも頼めるんですよ。ルームサービスも頼めるし、ベッドメイキングもしてくれる。ロビーで打ち合わせをしたり、そのまま部屋をオフィス代わりに使えたり、実はとっても便利だったんです。

――ホテルにそれほど長期間泊まっていると、宿泊料金が安くなったり、サービスが手厚くなったりといった、いいことは起きたりするんですか。

デーブ:はい、ありますよ。

――例えば、どんないいことがあるんですか?

デーブ:シャワーキャップがたまる。

――はい?

デーブ:毎日捨てずにためておくの。そして中国に売るんです。

――なるほど……特別にいいことはない、ということで。

チャンスを最大化するためにも「中心」へ行く

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――13年間のホテル暮らしを終えたあとは、どこに引越したんですか。

デーブ:ここ。

――あ、ホテル暮らしのあとは、ずっとこのオフィスのあるビルに住んでるんですか。

デーブ:そうそう。ホテルでの暮らしは便利だったけど、それでも限界はきていて。ちょうどそのタイミングでバブルが弾けたんですよ。一気に都心部のビルやマンションからみんな出て行って、このビルにも空室ができた。スカスカでしたよ。バブルが弾けて景気が悪くなる、というのは、一概に悪いことともいえないんですよね。

――空室だらけということは、部屋を探すのにも選択肢が多くて迷ったんじゃないですか。

デーブ:いや、もう最初に「真ん中に住む」って決めてたから。テレビ局がすべて近いこの地域に住むって決めていたので早かったですよ。日テレまで歩いて行けるし、TBSもタクシーで5分くらい。一番遠いのは琉球放送かな。あんまり呼ばれないんだけど。

――ロサンゼルスのときのお話にも通じますが、デーブさんが住まいを選ぶときの一番の基準は「真ん中」なんですね。

デーブ:うん、昔から都市の真ん中や高いビルが好きで、ロサンゼルスで夫婦で暮らしていたときはハンコック・センターという100階建てのビルやダウンタウンに住んでましたよ。

そうそう、たくさん失敗してきたからこそ言えますけど、上京する人たちにしたいアドバイスは「まず住みたい地域を決める」ことですね。ここに住みたい、と決めてから部屋を探す。じゃないと、日本は数ばかり多くて似たり寄ったりの物件が多いから、どれを選べばいいか分からなくなってしまうんです。そして、予算ギリギリだとしても、ちょっと無理していいところに住んだほうがいい。

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――野心がある人にとってはモチベーションにつながるから、ですよね。

デーブ:それもあるし、家賃をケチって不便なところに住むと、タクシー代や交通費がかさむんですよ。飲み会に行ったって、帰りのことを思うと気が重い。急な誘いにも乗りづらいし、面倒臭いから休日もわざわざ外に出なくなってしまう。都市の真ん中に住めば、終電を逃してもタクシー代は安く済むし、電車やバスも多く通っているからどこに行くにも便利ですよね。

それに、無料で入れる展示や催しがそこかしこでやっているから、散歩しているだけで刺激的なんです。東京は世界一の安く遊べる街ですよ。それって、1、2万の家賃を多めに払っても得たいものではないですか? そもそも上京する人たちって、目的があってくるわけじゃないですか。だからそのチャンスをつかむためにも、自分の欲望は裏切らないで、正直に住みたいところに住むべきだと思いますよ。

――デーブさんのお話を聞いていると、常に最もチャンスに恵まれた場所にいたい、という思いが強いように感じました。

デーブ:そうそう。ここでいいや、という妥協はダメですよ。人生短いんだから、遠回りする時間がもったいないし、何より面倒臭いです。だから、自分で払える家賃より少し高いところに住んで、頑張らざるを得ない状況にする。例えば目黒や中目黒や西麻布だって、一人で住むならぎりぎり払えるような家賃の部屋、たくさんありますからね。そして外に出れば、麻布十番商店街ですっぴんの芸能人が歩いている……楽しいじゃないですか。で、デート現場とかを写真に撮ってフライデーに電話するんです。

――野心がある……。

デーブ:あと、男目線でいったら、遠くに住んでる女の子って重たいなって思う。例えば横浜に住んでる女の子と、渋谷で待ち合わせの約束をしても、彼女がこちらに向かっている最中に、もっといい子見つけちゃうもん。

――横浜でもダメなんですか。

デーブ:「横浜に住んでる」っていう女の子は、だいたい山下公園や中華街のほうじゃなくて、山の方だから。嘘つきだよ。君はどこに住んでるの?

――世田谷区です。

デーブ:ダメ、くそ遠い。迎えに行きたくない。迷子になっちゃうもん。

――デーブさんの時間に対するシビアな感覚はとても伝わりました。ちなみに、当初は仕事の都合で想定外に日本に長く滞在することになったわけですが、いまは日本での永住は考えていますか。

デーブ:もちろん、今はもうずっといると決めてますよ。すべての芸能人の秘密をつかんでるからね、もう今更帰れない。暴露本を書く仕事が残ってますから(笑)。



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お話を伺った人:デーブ・スペクター

デーブ・スペクター

米国でテレビプロデューサー、放送作家として活躍し1983年、米国ABC放送番組プロデューサーとして来日。大人気のツイッターのフォロワー数は約176万人に上る。

Twitter:@dave_spector

聞き手:園田菜々

園田菜々

1991年7月7日生まれ。ライター。

Twitter:@osono__na7


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編集:ツドイ