すたいるのちゃれんぢ

普段はサーファーです。 ナンパ歴5年目突入。今は梅田か渋谷で活動中。たまに表参道でも、 きれい目なお姉さんが大好き。 ギャル嫌い  日記とか書いてなかったけど、のんきんたまの日記を見て、自分も日記書こうかと、

「海の旅」を続けていると、 おもいがけない場所で 良い波に出会う事がある。 普段、雑誌等で紹介されたサーフポイントを、与えられたようにサーフィンするが、本当は世界中のあらゆる場所で波があり、無数のサーフポイントがある。 いくら湘南で低い波を乗れるようになっても、大波は乗れるようにはならない。 挑戦するスピリットがない奴にサーフィンの神様は微笑みをくれはしない。 本当はCMで流れるような大波に乗りたいんだろ? だったらチャレンジしようぜ!! これはナンパだっていっしょだろ?

おれはナンパ自体が邪道やおもってるねん。

正直、後悔してるわ。

大学生でナンパ師してるやつとかおるけど、

そんなんやめとけや。

ナンパ師なんて、セコイ人間ばっかりや。

何処の馬の骨ともわからん汚い女とセックスして何が楽しいねん。

ただのセックス依存症やないか。

月何十即って、何の自慢やねん。パスポートの判子の数自慢してるバックパッカーと一緒や。



そんな大人になるために大学行ってんのか?

自由、 それは確かに若者の特権や。

でもな、同時に潔癖でないとあかん。 自由と潔癖、 それこそが青春や。

自分は潔癖って言えるんか?

好きでも、好みでもない、汚い女とセックスして、潔癖って言えるんか。

そんな青春送るために大学行ってるんか?


そんなやつは、社会にでても、大物にはなられへん。

もう、自分の人生に限界が見えた大人がナンパに走るんは、

別にええねん。もう、王道で勝負すんのは無理やからな。

もう二流でええねん。



せやけど、20歳そこそこでやったら、10年かけて、一流の男目指したらええやん。
最初から、二流以下を目指すなや。

自分では、周りの大学生とはひと味違うと思ってるかも知らんけどな。


代わりに、大事なもの喪ってるんやぞ。

俺は、美味しい思いもしたけどな。

やっぱり、めっちゃ後悔してるねん。楽な道を選ぶ人間になってもうてるんや。

でも、それは生まれ持った俺の弱さなのかもしらんな。

女に振られて、ナンパに走るとか、一発逆転でナンパ始めるやつは

もうその地点で、正攻法で勝つ事を諦めた人間や。
一回逃げたやつは、同じ事をまた繰り返すんや。




王道と覇道っていう言葉があるやろ。


俺はどんな世界でも王道がすきやねん。


それはコンプレックスの裏返しかも知らんけどな。

俺のサーフィンは我流で変則的やった。

いうたら、邪道や、

変則的なやり方って、やっぱり一流にはなかなかなられへんねん。

それはどんな世界でもそうちゃうかな。

王道は三流の壁はなかなか超えられへんもんやけど。

ほんまの一流はやっぱり王道やねん。

おれはサーファーとしては、せいぜい二流の上ってとこやろな。

一流の下のやつより上手いところもあるけど、

やっぱりほんまもんの一流に横綱相撲取られたら、勝たれへんわ。

名人の将棋が王道で

真剣師の将棋が覇道や。

こう言うたらわかりやすいやろ。


せやけど、俺には出来へんかったけど、

邪道も極めたら、覇道になるんや。

エル、ブジの創作スペイン料理なんて、

王道から見たら、邪道や。

でも、あそこまで極めると、

誰にも負けへん。それが覇道なんやろな。

名人に勝てる真剣師の将棋も覇道や。


テニスのウィリアムス姉妹も覇道や。
フォームがキレイなわけでもない。

せやけど、崩れたフォームから男みたいなサーブ打つんねん。

あんなんにかかったら、王道もくそもあらへんになってくるんや。

ナンパの王道ってなんやろな。

それはやっぱり、ルックスや、顔やろ。

やっぱり顔が良くて、かっこいいやつが勝つねん。

竹野内とか、水島ヒロとか、に小手先のテクニックとかいらんやろ!

ドーンと構えて、

大きな心で押しの一手や!

そういう横綱相撲で無敵や。

ネタでナンパするとか、キャラ作りとか、ウソの職業とか、
そういう小手先のテクニックなんかな

そんなもんただの邪道や。

それを極めて覇道になれるかな。


おれはまあ、無理や思うわ。催眠術が使えるようにでもならん限り無理ちゃうか。

覇道に行くために必要なもんは、金や!それとカリスマ性や!

女は弱い生きもんや。

どこかしら、覇道に屈する弱さを持ってる、

確かにそんな気がするんや。

それこそが女という生き物が生まれながらにして持っている業ではないか。

そんな気がするんや。


作品、
ウディ アレンのミッドナイト イン パリ作品という作品を見た。

これがなかなか、おもしろいんですよ。

作中に、1920年代のパリが出てくるんですね。

フィッツジェラルドのジャズ エイジ という言葉で この時代は表されるのだけれども。

ピカソ、 ヘミングウェイ、 フィッツジェラルド、 などが
活躍した時代です。


この、1920年代というのは、偶然、


私が、日本の好きな年代でもあるんですね。

私の、大好きな、詩に


佐藤春夫の 秋刀魚の歌というのがあるのですが、

この詩が発表されたのが、1922年何ですね、

あはれ
秋風よ
情〔こころ〕あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉〔ゆふげ〕に ひとり
さんまを食〔くら〕ひて
思ひにふける と。
さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸〔す〕をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみてなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児〔こ〕は
小さき箸〔はし〕をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸〔はら〕をくれむと言ふにあらずや。
あはれ
秋風よ
汝〔なれ〕こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒〔まどゐ〕を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証〔あかし〕せよ かの一ときの団欒ゆめに非〔あら〕ずと。
あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児〔おさなご〕とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。
さんま、さんま
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。



この詩は佐藤春夫が29歳の時に発表したしなんですが、

谷崎潤一郎の妻 千代に横恋慕している心境を吐露した切ない詩なんです。


当時の谷崎潤一郎は、痴人の愛のモデルとなる

千代の妹に恋い焦がれていたんです。

複雑ですね、、、、



人妻に対する報われない愛に、執着を断ち切りえない自分自身をあわれみ嗤う・・・、そこにこの詩人の本質と宿命とが見え隠れします。
「人に捨てられんとする人妻」「夫を失はざりし妻」は谷崎千代であり、「妻にそむかれたる男」「父ならぬ男」は、結婚していた妻香代子と離婚したばかりの佐藤春夫なのです。



愛とは、


何とも、得難いものなのか、

昔から変わりませんね。。。。。。


今日12月20日はナポレオン三世が第二共和制において、フランス大統領になった日です。


1848年、ナポレオン三世は皇帝ナポレオンの甥という血縁を活かし、圧勝で大統領に選ばれた、ここから、彼は権力を掌握し、
やがて、皇帝への道を進んで行くこととなる。


こんにちは

私には どんなに 忙しくても 
朝「必ず行う!」と 決めていることがあります。

それが 東京に居るときの、仕事前の スイミングです。

「すたいるって、エネルギッシュで健康的!」と思われるかも知れませんが
実は 必ずしもそうではなく、

元来 自由人で マイペースの私は
何か そのような 自分の中での 決め事がないと、
普通の人以上に 朝 時間ぎりぎりまで 寝てしまうのです。

ですから 敢えて 何か 決め事を作っているわけです。

ところで、私が スイミングで利用しているホテルも
他のホテル同様、季節毎に 
全体の飾り付けを 変えています。

今は ツリー、リース、イルミネーションなど
クリスマスの景色に染められています。

季節というものは 
大自然に囲まれていなくても
こんな形で しっかり感じることができ、
それと同時に、
子供の時 ワクワクした クリスマスの楽しい想い出が
沸き上がっています。

この時期はフェードアウトしていく塾生が多い時期でもあります。

結果が出ないし、寒いし、投げ出したくなる気持ちはわかります。


しかし、私がそんな塾生たちに あえて言おう!!


サヨナラ、お疲れっす。


ナンパむいてなかったな(笑)








今日、12月17日は

フランスがアメリカ合衆国を世界で始めて承認した日です。
1777年の出来事です。

さて、 先日のけんやさんを祝う会でございますけども。


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当日の受付の様子。
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記念品を用意する、すたいるとバイトの女の子
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けんやさん

この度、けんやさんを出席していただいた皆様、

ありがとうございました。

らふてさん クロスさん コーさん 杉本さん バトンさん

野獣さん けんやさん yoshiさん

お疲れっす。

欄さんも来れなくて、残念でした。



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