結局今日は『Distosion』を凄い勢いでヘビロテしているという。
当分引かないね、この感情。
昨晩は2016東京ドームのBDを流しながら寝ました。
こうなるといけないね。
アイドルにこうセンチメンタルになっても恥ずかしいだけなのだが、やっぱりアイドルという「物語」には、どうしても惹かれてしまう。
さて、引用したツイートで、ふと思った。
もうアイドルは、役目を終えたのではないか?
それに気付き始めた人々が、徐々に離れ始めているのではないか?
震災直後、日本人が「すがる」対象はアイドルしかなかった。
AKBはその後押しで大ブレイクした。
ももクロがそれに続いた。
歴史的に見ても稀な一大アイドルブームが生まれた。
そしてBABYMETALが世界を席巻した。
しかし、今はどうだろう?
若者はアイドルよりYoutuberを見ているのではないだろうか?
あるいは自らがTikTokなどで露出したがっているのではないだろうか?
かつて『あまちゃん』も中森明夫も「すべての人がアイドルになれる」と断言したが、その通りになってきたのだろう。
その一方で、職業人としてのアイドルは、岐路に立っている。
自分は今も夢を与えられているのか?
もう役目は終わったのではないか?
アイドルに夢を託したことのある多くの人は「そうじゃない!」と言うと思う。
しかし、アイドルとはやはり「偶像」であり、その偶像性にみんな悩むのだと思う。
自分の「実像」とは?と。
僕はYUIMETALもその一人だったのだと思う。
もちろん物理的、体調的な理由も考えられる。しかし、彼女に「実像」への欲求がもし高まっているのだとしても、僕は何の誹りも受ける必要はないと思う。
僕がどうしても寂しくて堪らないのは、アイドルの「虚像」性なのだと思う。
彼女達は必ず、どこかで「偶像」を演じる。演じざるを得ないのだ。
かつてアイドルはオシッコもウンコもしないと言われていたが、そうじゃない!と言ったところで、オシッコやウンコを見せる訳にもいかないだろう。
某アニメ映画ではないが、ありのままの姿を見せることなど、誰にもできないのだ。
少なくとも人前に出る限り。
当たり前だが、大人になり社会に出れば、誰もがペルソナを持ち、「虚像」となる。それはしょうがないことだ。
しかし、思春期のただ中、あるいはそれすら迎えていない少女達が、それを強いられるとするならば?
その根本的な大命題に、僕らは直面したようだ。
誰もがアイドルになれるということは、誰もが虚像になり得るということだ。
それが日本人の(特に少年少女の)アイデンティティにどのような影響を与えるのだろうか?
アイドルブームの衰退というだけでは済まされない、より重大な問題が、ここにはある。