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始まりあるものには必ず終わりがある。
そんなことはみんな解っている。

しかし、それでも人は「永遠」を求める。
それが人間の最大の愚かしさだ。

今日は「終わり」の、いや「終わらせ方」の話をしよう。


今年はいろんなものが「終わった」。
「アニメの父」高畑勲が「終わった」。
「死ぬときぐらい好きにさせてよ」と豪語した怪優・樹木希林が「終わった」。

アニメや実写はまだまだこのくらいだからいい(全然良くないが)。
アイドルは次々に「終わった」。

ももクロでは有安杏香が「終わった」。
でんぱ組.incでは夢眠ねむが「終わった」。
AKBでは選抜総選挙で一位となった松井珠理奈が、センターを異例に「欠席」した。

そして今、BABYMETALでは、YUIMETALが「終わった」。

あとものごっつついでだが、WUGも終わるらしい(笑)。
まぁあんなのはほっといて、しかしアイドル業界は特に深刻だろう。
遂には自殺するご当地アイドルまで現れ、まったく穏やかな雰囲気ではない。

アイドル業界の地盤が、確かに崩れたのを感じざるを得ない。


もう一度言うが、物事には「始まり」があるなら必ず「終わり」がある。
それは絶対に逆らえない。

僕らにできることは、それらをいかに「終わらせる」か、その方法を考えるのみである。

特にアイドルは、「血の入れ替え」によって「永久機関」化できると、モーニング娘。以降思われるようになった。
48グループはまさにそれをなぞろうとしている。
しかし、それはかなりの無理があることを次第に感じさせるようになった。

モー娘。に至っては、OGの不祥事ばかりが目立つようになった。
今活動しているのは、優劣はともかく、名前だけ一緒の別物だと考えるしかない。

AKBも既にそうなっている。

アイドルは、特に女性のアイドルユニットは、どうあがいても「永遠」などということはないのだ。
アイドルユニットはキャンディーズ以降、必ず「どう終わらせるか」を前提に作られ、活動しなければならないのだ。

しかし今年はあらゆるメジャーユニットから、メンバーがポロポロと抜け落ちている。
果たして運営は、その後の「物語」を用意できているのだろうか?
僕はまったくもって悲観的だ。

「終わらせ方」を考えないアイドルが多すぎる。
僕はこの意固地が、アイドル文化の腐敗を加速度的に進行させると考える。


因みに昨晩は、なべりんに誘われて『赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道』の特別上映を観てきた。
これまたもう20回近くは観ている作品だが、色褪せることがまったくない。

これを観ながら、「ああ、アニメはやはり高畑勲で終わったのだ」と実感した。

宮﨑さんや富野さんがまだ作品を作られている中でこの発言はなかなかに不遜だとは思う。
しかし、事実だろう。

アニメという実に単純で薄っぺらい表現を、豊かな映像表現にまで昇華させることができたのは、高畑さん程の高度すぎる知性がなければ不可能だったのだ。
そして、そのスタイルを真似する監督はいても、その知性を受け継ぐ者は、今誰もいない。


2018年は、アニメとアイドルに限られてしまうのかも知れないが、「終わり」というものを意識しながら活動をしなければ、本当に終わらせざるを得なくなった時、実にみっともない、ファンを酷く落胆させる結末が待っているのだろう。そう予感させる年となった。
それはプロとして最悪の振る舞いである。


と、最後にWUGに結び付けておく。