(前編)「ノストラダムスはアイドル後藤真希の誕生を予言していた」から続く
「ヤバいですよ」「どうしますか」後藤真希は言った
1999年9の月。滅亡しなかった平成ニッポンに、その金髪中学生は東京都江戸川区からたった1人で舞い降りた。
「新メンバーになった、後藤真希、13歳です」
本当なら彼女の隣には、もう1人新メンバーがいるはずだった。そもそもモーニング娘。の第3期オーディションは、「1999年9月9日に9人になる」の触れ込みで始まったものである。先輩メンバー7人に対し、追加予定は2人。だがこの後藤真希の登場によって、それまで大人たちが用意していた計画はすべて吹っ飛んでしまった。“レベルがあまりにも違いすぎた”、それが後藤真希という存在である。
しかし、周囲の盛り上がりをよそに、本人は戸惑っていた。
「まさかわたしひとりだけ……とは想像もしてなかった」(後藤)
実際、当時の後藤はそのスター性こそ群を抜いていたものの、ステージでの本格的な歌やダンスはまったく経験がない。すでにオーディション時からその点に関しては「ヘナちょこすぎ」とたびたび厳しい指摘が入っていたが、中でも後藤が一番辛かったと話したのはこのモーニング娘。加入直後、10日後に迫ったグループのライブツアー初日までに加入前の楽曲13曲を、ダンスとフォーメーション移動も含めて、すべて完璧に覚えるよう指示されたことだった。
「ヤバいですよ」「どうしますか」(後藤)
その閃光で突然歴史を変えてしまったモーニング娘。の救世主、しかし本当の姿は、わずか1カ月前まで近所の土手で友達と溜まってしゃべっていた、ごく普通の中学生であった。当然、彼女は覚え方のコツどころか、まともな練習の方法すら知らない。
しかもライブツアー参加を告げられた翌日には加入後の初シングル『LOVEマシーン』がオリコン初登場1位を獲得したため、モーニング娘。のスケジュールはすでにテレビ収録や雑誌撮影などで埋め尽くされている。慣れぬ日々に、クタクタな頭と体。後藤はライブツアー前日になってもまったくパフォーマンスが覚えられず、ついに振り付けを担当していたコレオグラファーの夏まゆみにも苦言を呈されてしまう。
そして迎えたツアー初日。本番40分前の後藤は『ASAYAN』(テレビ東京)のカメラの前に、顔面蒼白の状態で立っていた。
「たぶん失敗するんですよ……」(後藤)
その言葉の直前、後藤は極限の不安と緊張により、初めて先輩メンバーの前で号泣していた。観客はわざわざチケットを買って来てくれるのに、自分が失敗してしまったら、観客をガッカリした気持ちにさせてしまうのではないか。しかもキャパ1000人ほどの会場で、ミスをすればきっとすぐに分かってしまう。
後藤の涙は結局止まることなく、本番を迎える。そんな彼女に舞台裏で、メンバーは1人、また1人と声をかけた。
「自信持ちな、大丈夫」(安倍)「後藤、負けちゃだめだよ」(飯田)
いざ始まった本番。ステージに上がったモーニング娘。の後藤真希はそれまでの不安をはねのけ、歌もダンスもそして笑顔も完全に揃えた、堂々としたステージングを行った。それは夏まゆみをして「リハーサルは40点、でも本番は98点」と言わせた出来である。
1カ月前まで普通に暮らしていた、普通の女の子。ただひとつだけ、彼女には幼い頃から後のエースたり得る、ある自負が存在していた。
「選んでくれたら。任してくれたら。それをちゃんとやり遂げる自信がある」(後藤)
夏の高い評価を楽屋で聞いた後藤は、嬉しそうに笑って、そしてもう一度涙を見せた。
後藤真希が語れなかった夢 石黒彩が語らなかった夢
しかしこのとき、同時にあるメンバーは、すでにグループからの卒業を心に決めていた。
「あ、わたしがいなくても大丈夫だな」
モーニング娘。の結成メンバー、石黒彩が卒業を決めたのは、やはり1999年9月、あの『LOVEマシーン』がリリースされたときだった。後藤真希の加入によってグループが勢いづき、初のミリオンセールスを記録したタイミング。それは彼女にとって「自分の頂点はここだ」と思えた、アイドル人生の大きな節目でもあった。
「服飾の仕事がしたくなっていた」「続けていたら、もっと面白くなっただろうという考えはなかったです。次のことに気持ちが向いていたし、ファンの人にも、自分がお客になってライブを見に行けば会場で会えると思っていました」(石黒)
後藤が加入し、石黒が最後となった『LOVEマシーン』のカップリングに『21世紀』という曲がある。このシングルがリリースされた1999年はあの「ノストラダムスの大予言」の影響もあり、この世の終末という意味を重ねて「世紀末」という言葉がよく使用された。しかし1999年に待ち受けていたのは人類滅亡ではなく、結論としてこれからも続く明日の存在であった。世紀末が訪れても、シングルがミリオンセールスを記録しても、今日は等しく過去になって、次の明日がやってくる。
『21世紀』ではモーニング娘。のメンバー全員が自分の夢を語るパートがある。だがまだ13歳と若かった後藤は、まだ具体的に夢というものを考えたことがなかった。
「わたし、自分の夢が何なのかわかんなくて。つんく♂さんに『夢、まだ決まってないんですよ』って言ったんです。そしたら『じゃ、そのままのことを言えばいいよ』って」(後藤)
当時の後藤はこの曲の中で、実際に「今、わたしは自分の夢をじっくり考えています」と語った。一方、同じ曲の中で石黒は、自分の夢をこう語っている。
「わたしの夢は、巨乳になること」。
やっとの思いでデビューをし、華々しい栄光とその後の人気の陰りを体験し、そこから持てる力の全てを『LOVEマシーン』に注いだ1999年。本当の夢を語らなかった石黒は、このときにはもうアイドルとしての今日ではなく、一人の人間としての明日を見つめはじめていた。
12月31日、モーニング娘。は『LOVEマシーン』で2回目のNHK紅白歌合戦出場を果たす。つんく♂にも同曲での活躍が大きかったと評されていた石黒は、このステージをもってモーニング娘。としてのテレビ出演を終えた。
「明るい未来に 就職希望だわ」
1999年の「世紀末」も、人々を明日へと振り向かせていた国民的アイドルグループ。その歌声とともに、平成ニッポンは2000年代への扉を開く。
モーニング娘。7枚目のシングル『LOVEマシーン』(1999年9月9日発売)