2012年09月14日発行 1247号
【「固有の領土」?「実効支配」?/領土問題解決の視点/植民地支配の清算と東アジアに非戦平和の共同体を】
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8月24日、衆院本会議は韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領の竹島(韓国名「独島」)
上陸と中国人活動家の尖閣諸島(中国名「釣魚諸島」)上陸に対する抗議決議を採択。29日には参院本会議でも同様の決議が採択され、政府・メディアあげて
の排外主義キャンペーンが強まっている。日本政府は、尖閣については「尖閣諸島は日本固有の領土。領土問題は存在しない」としながら、竹島については「韓
国は領土問題が存在しないと言っているが、日本が存在すると言っている以上、客観的には領土問題が存在する」と平然と二重基準を用いる。2つの問題をどう
見ればよいのだろうか。
【竹島(独島)】
編入は略取
国会決議は「(竹島が)わが国固有の領土であるのは歴史的にも国際法上も疑いはない」「不法占拠を韓国側が一刻も早く停止することを強く求める」と強調
する。
外務省は、国際法上の根拠として1905年1月の閣議決定と2月の島根県告示による竹島の島根県への編入をあげ「近代国家として竹島を領有する意思を再
確認したものであり…有効に実施されたものである」(外務省ホームページ)とする。
しかし、閣議決定すればそれで竹島を領有できるのか。
当時すでに日露戦争が開始されており、1904年2月にはソウルを軍事的に制圧した上で「日韓議定書」に調印させ、8月「第1次日韓協約」調印後は外交
顧問を送り込んで外交案件について事前に日本政府と協議することを認めさせた。竹島の島根県編入の閣議決定等は、韓国が事実上外交権を剥奪された中で強行
されたものであり、植民地支配の歴史と密接不可分だ。第2次世界大戦末期のカイロ宣言(1943年)は「日本国は暴力および貪欲により日本国の略取したる
他の一切の地域より駆逐されるべし」としている。1905年の島根県への一方的編入は「略取」に他ならず、日本政府がポツダム宣言受諾によって受け入れた
このカイロ宣言に従えば、編入決定を根拠とする主張は国際法上無効である。
また、「遅くとも江戸時代初期にあたる17世紀半ばには、竹島の領有権を確立」(外務省ホームページ)とする「歴史的事実」についても、竹島問題研究の
第一人者である島根大学内藤正中名誉教授は「1696(元禄9)年と1877(明治10)年の二度にわたって、日本には関係がない島であると決めている。
領有権について否認したことはあるが、日本領だと主張したことは一度もなかった」(『竹島=独島論争 歴史資料から考える』)と真正面から否定する。日本
政府の主張は歴史の検証に耐えうるものではない。
歴史の清算
戦後の日韓国交正常化交渉(日韓会談)で日本政府は一貫して「植民地支配は合法」と主張し、何度となく決裂寸前に至った。軍事クーデターで韓国に朴正熙
(パク・チョンヒ)独裁政権が誕生する中で1965年、両政府は植民地支配の被害者を切り捨て日韓条約・請求権協定を締結した。竹島問題の解決は棚上げに
され、自国民に向けて「固有の領土」と宣伝し、民族排外主義をあおって政権維持や軍事力強化に利用してきた。
李明博大統領の独島訪問は、大統領選を11月に控えレームダック化している政権維持を狙った政治的パフォーマンスだ。だが、植民地支配清算の外交交渉に
応じない不誠実な日本政府の態度が対日強硬姿勢と抗議世論をエスカレートさせている。
昨年8月、韓国の憲法裁判所は「慰安婦問題、被爆者問題は日韓請求権協定で解決していないと政府が公式に表明したにも関わらず、日韓請求権協定に基づく
交渉や仲裁による解決に踏み出さないのは韓国の憲法違反である」と勧告した。年末の日韓首脳会談で李明博は歴代大統領として初めて野田首相に慰安婦問題の
解決を申し入れた。韓国政府も日韓請求権協定に基づく再交渉を正式に申し入れたが、現在まで日本政府は無視し続けている。
今問われるのは、切り捨てられてきた植民地支配の清算問題を正面から外交交渉で進展させることだ。その中でしか竹島問題の解決もない。
【尖閣(釣魚)】
戦争の論理
尖閣はどうか。
尖閣諸島が明の時代(16世紀)から中国領として知られていたことを示す航海記録や地図などは多く存在する。明治以前の日本や琉球王朝の文献でも、中国
の支配圏内とみなされていた。
日本領への編入は、日清戦争の勝利が確実となる中で秘密裏に行った1895年1月の明治政府の閣議決定による。外務省は「無主地(どこの国にも属さない
地域)の先占」による取得で国際法上「合法」と主張する。
しかし、無主地先占とは、どの国も警察力の配備などの実効支配をしていない土地は先に実効支配した国の領土となるというものだ。その際、たとえ先住民が
生活していようとその意思は関係ないとされる。武力による植民地支配を国際法上正当化するために用いられた帝国主義諸国の理屈なのである。しかも、その閣
議決定に基づき石垣市の行政区であるとする標杭が建てられたのは、閣議決定から74年も経た1969年5月。海底に豊富な油田・ガス田がある可能性が国連
などの調査で明らかになった後のことだ。日本の尖閣領有は、帝国主義的領土拡張の一環であった。
一方、中国が釣魚諸島領有に言及し始めたのは1970年12月の新華社の記事だ。海底油田の可能性が発表されたとたんに、日本と同様に領有権を強く主張
しだし現在に至っている。中国も明・清の時代から継続して実効支配していたわけではない。
日中どちらも、資源狙いありきであり、政権への不満を排外主義をあおることでそらそうとしているのである。
互恵を追求
尖閣問題での対立を機に、野田首相は「(米軍のオスプレイが)南西諸島防衛に有用」と強調し、防衛省は「南西諸島防衛」と称して軍隊の上陸時に用いる侵
攻用水陸両用車4両の導入を決めた。これらは、陸上自衛隊の与那国島配備とあわせ、不信感を増幅させ軍事的緊張感を高めるだけだ。
同時に、中国の急速な軍拡と資源確保のための海洋進出は周辺諸国との摩擦を生み、日本の好戦勢力に絶好の口実を与えている。
危険な動きのエスカレートには、元外務官僚すら「話し合いを拒否したまま強硬路線をとれば、行き着く先は日中間の武力衝突。戦争を招くことほど愚かなこ
とはない」(8/19東郷元外務省条約局長)と警鐘を鳴らす。
もともと尖閣諸島周辺は、中国、台湾、沖縄(琉球)の漁民の漁場であり、生活圏であった。08年6月の福田首相・胡錦濤国家主席会談では、東シナ海のガ
ス田について共同開発に合意している。また、日中漁業協定では、尖閣諸島周辺海域を「中間水域」として、いずれの国の漁船も相手国の許可を得ることなく操
業でき、両国は自国の漁船についてのみ取り締まり権限を有することを取り決めている。
平和・互恵の原則で紛争を回避する流れを強め、東アジアに非戦平和の共同体をつくり出していかねばならない。軍隊のない無防備地域づくりはその力とな
る。こうした取り組みを強めていくことで尖閣問題解決も可能となる。
2つの問題は、65年日韓条約、78年日中平和友好条約の締結時には、ともに「棚上げ」された経緯を持つ。竹島は韓国が、尖閣は日本が実効支配する現実
と領土をめぐる係争の存在を認めた上で、平和的外交交渉の徹底が求められる。対立と緊張激化を喜ぶのは好戦勢力だけで、民衆には何の利益もない。国境を超
えた市民の連帯・交流と互恵関係の発展が領土問題の根本的解決への唯一の道だ。
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