ヤマザキ春のパンまつりを思わせるMT初主演作。
北海道の親元を離れ、大学に通うために上京した卯月。新しい人々との出会いなど小さな冒険の中で、卯月は東京の生活に少しずつ慣れていく。そんな彼女には、憧れの先輩と同じ大学を選んだという人には言えない不純な動機があった。(映画.comより)
昨日はひどい一日だった。意味もなく友達にワン切りもしてしまったし。
こんなときは『人生の特等席』(12年)で顔なじみのバーテンダーから「調子はどうだ?」と訊かれたイーストウッドが吐き捨てるように言ったセリフを思い出そう。
「クソだよ。まったくのクソだ」
私はこの「まったくのクソ」という言い回しがとても気に入っているし、隙あらば使っていきたいと考えているんだ。
さて。本日は季節外れの映画を取り上げたいと思う。『四月物語』だ。
4月といえばほぼ10月の真裏だけど、そんなことをいちいち気にしていられるほど私は暇ではないし、人は真冬にサマーソングを聴いたりクソ暑い日に鍋を食ったりすることだってある。本当はあんたも分かってるんだろう?
俺たちはそうしてここまでやってきたし、これからもそうしていくつもりだ。あんたがどれだけ偉かろうが凄かろうが、俺たちを止めることはできねぇ。俺たちの絆を引き裂くことはできねぇ。分かったらさっさと自分の星に帰ることだな。この俺を怒らせる前になっ…!
◆岩井瞬時によるMT映画◆
サブカル趣味の若者から狂信的な支持を集める岩井俊二だが、その分アンチも多い。
私も例に漏れず『リリイ・シュシュのすべて』(01年)を観たときはずいぶん荒れた文章で嫌悪感を示したものだが、今となっては怒り疲れてどうでもよくなった監督の一人である。
ちなみに私が怒り疲れてどうでもよくなった監督群には、テレンス・マリック、ソフィア・コッポラ、ハーモニー・コリン、新海誠…といったサブカル系御用達の映画作家が名を連ねており、彼らに共通する繊細かつ散文的な淡い映像を得意とする空気系中二病監督という傾向は、見事なまでに岩井俊二の作家性に符合するのである。
本作『四月物語』はお気に入りの作品になった。おめでとうございます。
かつて岩井俊二の映画を口汚く罵っていた私が、今となっては槍を奪われた悪魔のごとき大人しさで岩井ワールドを静観している。そういえば去年はじめて観た『花とアリス』(04年)にも肯定的な評を書いた。劇映画の骨法を持つ『花とアリス』に「岩井俊二ってこんな普通の映画も撮れたんだ」と感心さえしたほどだ。
あれほど嫌っていた岩井俊二が、次第にどうでもよくなり、最終的には肯定までする。
たぶん私はこの人に対してまるっきり関心がないのだろう。
主演は当時21歳で映画初主演を飾った松たか子。通称 MT。レリゴー絶唱女と言ってもいいが、ややディスが入っているのでMTと呼ぶ。
北海道から上京したMTの大学生活が描かれるが、わずか67分というコンパクトな作品なのでアッー!と言う間に終わる。
岩井俊二の作品は上映時間が極端に短い岩井瞬時と、上映時間が極端に長い長井俊二のどちらかに分けられる。90分もしくは120分といったオーソドックスな上映時間におさまることは極めて稀である。
~岩井瞬時作品~
『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(93年)→45分
『undo』(94年)→45分
『PiCNiC』(96年)→68分
~長井俊二作品~
『スワロウテイル』(96年)→149分
『リリイ・シュシュのすべて』(01年)→146分
『リップヴァンウィンクルの花嫁』(16年)→180分
振り幅がすげぇ。
処女作『undo』と最近作『リップヴァンウィンクルの花嫁』の差が実に4倍という。
ウィンクル観てる間に4回もアンドゥーできるのだ。夢のある話である。
◆春の自転車漕ぎ◆
MTはよく自転車を漕ぐ。彼女が乗っているのは変速なしのママチャリなので自転車自体はMTではないのだが、MT自体はよく自転車を漕ぐ。意味のわからないことを言ってすまない。
畦道や街中をスイスイ走っていくさまを瑞々しく捉えた岩井ショットは、良くも悪くも甘味満載である。
桜並木、新生活、新たな出会い…。そうした映像季語が機関銃のように乱射されるこの四月の物語は、まるで季重なりの俳句のようにMTの新生活を叙情的に活写していく。
急に「ヤマザキ春のパンまつり」のCMが挟み込まれても何ら不思議ではないほど、武蔵野の春めいた風景のなかにMTが静かに溶け込んでいる。MTのくせに。
また、ハンディカム、ドキュメンタリズム、自然光、ソフトフォーカス、散文的モンタージュといった岩井俊二の作家性がよく出ているが、そうした岩井的身振りにこそイライラするかつての私のような人間でもスッと受け入れられるほど『四月物語』に見られる岩井的身振りにはクドさがない。ていうか岩井的身振りってなんなんだ。
岩井俊二は「個性的な映画作家」ということになっているが、本作を観ると実は逆っつーか、かなり謙虚な監督ではないかと思う。無色透明だからこそ独自の映像技法をいくつも確立して自分のカラーを作り上げるのだ。岩井作品には「我の強さ」がなく、どこか個性派を演じているような気配すら感じるのである。
これをハッタリと呼ぶ(悪い意味ではない)。
だから上映時間の長さが二極化したり、実写とアニメ、あるいは日本映画と海外映画のあいだを涼しげに往還するのではないか。
だが『四月物語』は徹頭徹尾ピュアである。たしかに甘味満載だが砂糖入れすぎな甘さではなく食材本来の透き通った甘味なのである。MTの若さや愛らしさを引き出したカメラは文句なしに素晴らしいし、クライマックスで降る大雨もいい。岩井俊二に映画が撮れることを初めて知った(ナメすぎ?)。
MTってこんなに可愛かったっけ?
とは言え、不満がないわけではない。
MTが映画館で見ていた『生きていた信長』という劇中劇が黒澤明風というか…40年代日本映画のタッチで描かれるのだが、「この時代の日本映画にそんなカッティング・イン・アクションはねえよ!」とか「40年代にステディカムは存在しないのにカメラびゅんびゅん振りすぎだろ」とか、なまじ古典を再現したことでボロが出てしまうあたりに妙な恥ずかしさを感じてしまう。やけに尺が長いのも問題だ。ただでさえ67分しかない作品なのにこんな劇中劇で時間食ってる場合か。
あと、信長役の江口洋介が悲しくなるほどヘタとか…。
まぁ、この観ててこっちが恥ずかしくなる感じもまた岩井俊二なのだが。
『四月物語』は好きだけど、劇中劇の『生きていた信長』は嫌いです!
浪漫飛行をする石井竜也(左)と浪漫飛行はしない伊武雅刀(右)。
追記
タマネギみたいな頭をした引越し屋の兄ちゃんがMTの新居に荷物を運ぶファーストシーンで「このタマネギヘッドの人、どこかで見たことあるなぁ…」と思ってたら親戚のおっさんでした。
城 明男という芸名で俳優活動をしている私の親戚である。やくざの役ばっかりやってて怖いです。
あーびっくりした。MTそっちのけで「アキオーッ!」ですからな。私の反応。せっかく映画の世界に没入しようとしてたのに親戚登場という雑情報に心乱されて。
満を持してアキオ登場。