北方謙三×カズレーザー、『チンギス紀』刊行記念特別対談
「いい表現、それがすべて」
五月二十五日に一巻と二巻が同時発売される『チンギス紀』。 著者である北方さんと、無類の読書家で知られるカズレーザーさんが、この新たなる英雄譚の魅力について語り尽くしました。そして話は、小説/ネタの作り方から、表現者としての「理想」についてまで広がりました。
構成|小山田桐子
撮影| c h i h i ro .
- 歴史小説や時代小説を読む時は
置いてきぼりにされたくない -
北方カズさんとはきちんと話すのは初めてだけど、一度会っているよね。覚えてる?
カズレーザー
(以下カズ)もちろんです! 『アメトーーク!』読書芸人の収録を本屋でしていたら、偶然、サイン会をされていた先生がいらっしゃって。
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北方乱入しろと私はけしかけられただけなんだけどね、書店員さんに。
カズほんと、び……っくりしました。
北方ああいういたずら大好きなんだよ。宮部みゆきが俺の顔見てしみじみと言ったぐらいだからね、「北方さん、心はいつも半ズボンね」って。
カズ最初、背中しか見えなかったんですけど、その時点でオーラがすごかったんですよ。なんだかすごい大物っぽい人が乱入してきたなと思ったら、北方先生でうわって。腰ぬけるかと思いました。まさか、今回、対談させていただけるとは。
北方もう対談は始まってるんだよ。改まらずに、砕けながらいこうよ。
カズこんな感じでふわーっと入るんですね(『チンギス紀』のゲラを取り出す)。
北方ゲラだと読みにくかったろう。普通の読書にならないもんな。
カズ続きが気になって、布団に入ってからもずっと読みたくて、読もうとするんですけど、ゲラの形なんで、すげえ大変でしたね。でも、ゲラでいただいたのも初めてだったので、すごい新鮮な体験でした。自分が編集者になったみたいで、わくわくがすごかったです(バッグから、びっしりメモが書き込まれたノートと手書きの人物相関図を取り出す)。
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北方(ノートを見て)うわっ、真面目だな。
カズ『チンギス紀』読ませていただいて、これについてお話しするとなったら、もうちゃんとしなきゃと思いまして。普段、こんなちゃんと準備することってないですよ。ただ、歴史小説や時代小説を読む時は、大体、全部メモしながら読んでいますね。歴史小説、時代小説ってすごい情報量じゃないですか。やっぱ置いてきぼりにされたくないっていうのがありまして。
北方人物表の人物名をマルや四角で囲ったり、色を変えたりしてるけど、自分でわかるように工夫してるんだ。
カズそうなんです。主人公とか重要だなと思ったらマルつけたり、敵側を四角く囲ったり。色を付けることで関係性とかがなんとなく自分でわかるんですよね。一回目読みながらがーっと書き込んで、二回目読み返しながら、自分の中の関係性があっているか色をつけていくんですけど、二巻読むと、やっぱ変わるんですよね、自分の中で、こういう人だと思っていた人物が回を重ねるごとに気持ちが変わっていく。そうすると、人物を囲む色を変えるんです。でないと、途中で本当に自分が理解しているのか不安になってくるので。
北方でも、途中で変わんないとダメでしょ、人は。変わらない人なんて面白くない。
カズそうなんですよ。人物を囲む色がどんどん新たにのっかっていくのが楽しいんですよ。見て変化がすぐわかるので。
北方そうか、面白い読み方だなあ。
カズでも、自分で重要だなと思って、書いたことが後半になって、あれ、なんでこれメモってたんだってことも多くて。だから、自分のメモを後で見るとすげー恥ずかしいんですよ。「ジェルメ、強い」とかバカみたいなメモも多くて(笑)。でも、いちいちメモをとらないと、置いてきぼりにされそうでほんと怖いんですよね。自分が生きていない世界の情報を本当に理解できているかわからないまま、気づいたらページをめくってしまいそうで。
北方大丈夫、絶対理解できてるんだよ。
カズでも、例えば、二巻の合戦シーンとか、急に遠くから馬が近づいてきて、ばっと殺し合うじゃないですか。気を抜いていたら、やべっ、今どうなってんだってなって。たぶん、俺その時死んでるんですよね。ついていけなくなったってことは殺されているんで。何回も死ぬんですよね。その度にちょっと呼吸整えて、ちょっと戻って。もう一回読み直して。一巻ではまだ直接の争いもそんなになく、テムジンが金国の文明に触れる話じゃないですか。そこはちょっとまだほのぼのしていて、ゆっくり読めるんですけど、二巻に入ると、フリなく急に争って、人の命取っちゃうから、「あ、うわっ、死んだ!」って。せっかく、この人の人となりわかってきたのに、もう死ぬの!?ていう。
北方俺はね。小説を書く時に、歴史の背景の説明や年号書いたり一切しないんだよ。
カズそうなんですよ。それが……ずるいと思うんですよね! ついぐいぐい読んじゃう。何年って書いてくれたら、僕もいちいち構えて読めるのに、それをさせてくれない。でも、そういうことを書いちゃったら、北方先生の世界ではなくなってしまうんでしょうね。
北方説明になっちゃう。説明じゃなくて描写で、書いていかなきゃいけない。描写をずっと読んでいると、大体時代の背景がわかるような書き方をしているつもりなんだけどね。
カズ映像はたぶん、自分の中で動いているはずなんですけど、それがまだ映画みたいに遠くから見ているのか、その現場に自分がいるのかが、まだ把握できていない時に、人が死んじゃうから、やべっ!てなるんですよね。
北方それすごい褒め言葉に聞こえるな、書く方としては。
カズええ、ほんとすごい作品ですよ。ただ、ついていく方はもう必死で、どうなるんだ、どうなるんだって。だからすげー、カロリー使う本ですよね。
北方カロリー使ってよ。ステーキでも奢おごるから(笑)。
カズ腹括(くく)ってから読み始めないとダメな本ですよね。なんとなく手に取ってなんとなく読める本って、今、たくさんあるじゃないですか。それの真逆だな、と。
北方なんとなくで読んでほしくないね。こっちは必死で書いてるんだから。
カズ歯を食いしばって読んでましたね。読み終わって顎が疲れるぐらい。ほんと咀嚼(そしゃく)している感じはすげーあります。
北方小説が力をなくしてしまった時代、どっかで力を込めたものを出して、読者にぶつけないと、どんどんどんどん小説というものが崩れてっちゃう。物語の力ってものを、『チンギス紀』のような小説を書くことによって見せたいっていうのがあるんだよな。
カズ今のベストセラーの本って、なんとなくのふんわりとした日常を書くものがすげー多いと思うんですよ。それもわかるんですけど、でも、それって日常にあふれているものじゃないですか。日常にないものを、僕ら経験したいから、小説読みたいんで。そういう気持ちにこたえてくれる小説ですよね、北方先生の作品って。
北方俺もね、日常にないものを自分で経験したいんだよ。小説家の経験なんていうのは、書くことだけ。書くことで経験しているわけだよ。人を殺す経験なんて、実際できるわけもないしね。
カズそうですね。ただ小説の中のことで言えば、北方先生、どえれえ数殺してますよね。
北方本当にそう。ある時、お酒関係の賞をもらった時に、わーっとテレビや新聞の記者やカメラに囲まれたんだけど、「どういう時に、お酒を飲まれるんですか?」って聞かれたんで、「いや、人を殺した時だよ」って答えたの。その後にちゃんと、「紙の上でだよ」って言ったんだよ、それなのに、それは外されて放送されちゃった。「なんてこと言うんだ」って見た人に言われて。全部、放送してくれなきゃ、困るよな。
カズフリを利かせたのに、オチが外されちゃったってことですもんね。芸人として、すごい気持ちわかります。
- 国をなくしたい
チンギスの見果てぬ夢 -
カズなるべく気にしないようにしているんですけど、やっぱり「大水滸伝」とのつながりが気になって。剣の描写が出てくる度に、もしかしてって思っちゃうんです。吹毛剣じゃないかって。一巻の最後の方にあった、モンゴル族の男たちが鹵獲品(ろかくひん)を分け合っているシーンとかでも、剣って文字が見えただけで、「えっ、もしかして」って思っちゃって。
北方いやいや、その剣はただの鹵獲品だから。もうね、頭の中には、ちゃんと在処(ありか)はあるから。誰が持っているかも。
カズ前の話から二十年ほどたっているじゃないですか。どうなってるんだって、すげー気になって。
北方もうすでに小説すばるの連載では書いてるんだよ。見当つくなってぐらいの書き方はしている。ただ本になってない。三巻ではわかってくると思うんだけど。
カズうわ、気になる。すげー予想立てながら読んじゃうんですよね。
北方当たったら、メシ奢るよ。
カズほんとですか? 何パターンも考えます! あとは……もちろん、テムジン、のちのチンギス・カンが帝国を築き上げるのは歴史の事実じゃないですか。でも、読めば読むほどこっからどうやってそこまでつなげていくんだって思えてならないんですよね。今はまだ、すげー無理っぽいというか。ユーラシア大陸に広がる大帝国への一歩もまだ踏み出せていないように思えて。
北方チンギス・カンっていう人は、国をなくそうとした人なんだよ。
カズ国をなくそうと?
北方そうすると、まず彼がやらなきゃいけないのは、氏族をなくす、それから、モンゴル族をなくす。そのための準備を、もう今の段階で、彼はちゃんとしている。つれてきた氏族の中の血縁関係で結ばれた百人隊を全部バラバラに分けて、組み直したり。
カズ血縁ではない集団にしましたよね。
北方それに反発して去っていった奴が相当いるんだけど、でも、テムジンは絶対にその方針を曲げなかった。
カズ自作の人物表で、今、対立している関係を赤線で区切っているんですけど、これが徐々になくなっていくってことですね。
北方そう。最初はまだ氏をなくすって段階だけど、次は、タタル族もバラバラにして、モンゴル族と一緒にする。そうすると段々と族もなくなってくる。そうすると、やがては国だよ。金国や西夏の捕虜もみんな分散させて、断ち割って、組み入れる。そうすると国家意識というものが、なくなってくる。
カズなるほど。
北方国をなくそうと思って攻めるわけだから、最初から軍隊に国がない。漠然と大地は一つだって思いだけ。どんどん拡張していって、結果的にユーラシア大陸のほとんどを治めることになるわけだけど、チンギスの夢は国をなくすことなんだよ。だから、どっか見果てぬ夢を見ている、最初から。
カズへええ、それはちょっと怖いぐらい僕らと発想が違いますね。自分の領土を広げたいとか、豊かになりたいみたいな欲が動機だったら、わかりやすいですけど、そういうのとは違う発想じゃないですか。
北方それはねえ、やっぱりチンギスが自分の部族をめちゃくちゃにされたからだよ。タタルにオヤジが討たれて、そうしたら、親戚だったはずのタイチウトにめちゃくちゃにやられたわけね。もうほとんど滅ぶ寸前までいったからね。それを少しずつ盛り返していく過程において、氏族ってなんだってどうしたって考えなきゃいけない。
カズはあー、なるほど。「血縁とか氏とかがあるから、悲劇が生まれた」っていう憎しみが彼を動かしたってことなんですか。
北方憎しみっていうよりね、疑問だね。なぜなんだって。同じ草原の民じゃないかって。なぜ部族として分かれてなきゃいけないのか、なぜ氏族として分かれてなきゃいけないのかって思いがある。俺はそういう風に想定して書いているんだよ。
カズ純粋な疑問から、なんですね。そういう疑問は、いつテムジンの中に芽生えたんですか。やはり金国に行って、いろいろなことを学んでからですかね。
北方金国でテムジンは史記を読むんだよ。あれには国のありようがずーっと書いてある。読むとよくわかるけれど、愚かな戦しかしていないんだよね。そうすると、愚かな戦を続けていいのかと思うわけじゃない。だから、要するにチンギスは戦をなくすために戦をしていた。極端な話。だから非常に健康な思考なんだよ。
カズ不思議な人っすね。ちょっと僕の中では、とらえどころがないといいますか。半分人間味あるんですけど、残りの半分があまりにも超然としているというか。
北方今のテムジンはまだ紳士な方。ちゃんと礼儀も心得ている。世界征服に近い行為をできるような人じゃない。今はせいぜいキャト氏を統べるぐらいの人格だろうな。でも、心の中では、彼はすでにもっと大きなものを見ている。だから、キャト氏を統べるためだったら、人数さえ集めればいいはずなのに、百人隊をバラした。
カズはあー、こっからさらに変わっていくんですか、テムジンは。
北方変わらなきゃダメでしょ。このまんまじゃ世界征服できないでしょ。
カズいやー、征服者の人格になっていくの、なんか怖いですね。見たいようで見たくないというか。
北方でも、やっぱり人はそうやって変貌していくと思わずにはいられないんだよ。
カズ我々が世界史で習ってきたチンギス・カンって、戦闘民族の長ってイメージがすごく強いですよね。歴史書とかでも、残虐な面が強調されますし。
北方記録をよく調べてみると、皆殺しなんてやってるけど、全部反抗した奴。両手を上げて、降伏したら大丈夫なの。それでね、文化だって生かしてるし、宗教も認めてる。
カズ宗教は確かにそうですよね。やっぱ、西洋史観でモンゴル帝国を見ている面があるんですかね。ワールシュタットの戦いのイメージがあまりに強いんで、みんな殺しているイメージなんです。
北方うん、一般的にはそういうイメージだろうね。でも、みんな殺しているわけじゃない。逆らった奴を殺すってことは、逆らうなよってメッセージなんだから。
カズ抑止力ですね。言い方悪いですけど、見せしめというか。
北方そうそう、もっといっぱい殺さなくて済むって考え方もできるわけでしょ。ただ、今の俺は、チンギスになったテムジンの心理まで到達してないから。今まだ成長期だから。
カズ今のテムジンが、二十年、三十年かけて変わっていくわけですもんね。
北方そう。テムジンについては、四十歳ぐらいから文献として記録が残っているんだけど、それまでは記録がないわけ。モンゴル族に文字がなかったから。だからね、四十歳までどうやって成長させるか、なんですよ。
カズそこは自由にできるんですね。
北方そう、私のもの。
カズすごいですね。歴史が自分のものってすげーかっこいいですね。
北方そりゃ、私のものでしょ。何もわかんないんだから。
- 北方謙三(きたかた・けんぞう)
- '47年佐賀県生まれ。'83年『眠りなき夜』で日本冒険小説協会大賞と吉川英治文学新人賞を、'85年『渇きの街』で日本推理作家協会賞を、'91年『破軍の星』で柴田錬三郎賞を、'04年『楊家将』で吉川英治文学賞を、'05年『水滸伝』で司馬遼太郎賞を、'07年『独り群せず』で舟橋聖一文学賞を、'09年日本ミステリー文学大賞を、'11年『楊令伝』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。'13年、紫綬褒章を受章。'16年、菊池寛賞を、'17年、歴史時代作家クラブ賞特別功労賞を受賞。
- 興奮を押し隠し
平常心を装う人間臭さ -
カズ僕が『チンギス紀』で一番好きなシーンって、なんでこれだって思われるかもしれないですけど、テムジンと蕭源基(しょうげんき)が襲われるシーンなんです。蕭源基というと、弟を殺し、金国に逃げてきたテムジンを雇い入れてくれた、書肆と女郎屋を営む男ですけど、彼の人間臭さが感じられてすごく好きで。
蕭源基が乗る馬車を走らせるテムジンが史記を音読していると、北から来た彼の追手三人が、襲ってくるんですよね。馬車から飛び降りたテムジンが二人斬って、残った一人の背中を、蕭源基が短刀で刺す。で、その後馬車に戻って、なんでもないような顔で、「史記の続きを読みなさい」みたいなことを言うじゃないですか。あの時、すげー手とか震えてると思うんですよ。もともと蕭源基は暴力の人じゃないですし。そういう意味で蕭源基ってすごく自分に近いレベルの人で、そういう人が、初めて人を倒してすごい興奮してるのに、「大丈夫、大丈夫、俺、平気だから」って感じを装ってる。その俗っぽさ、人間臭さが、すごいよくて。北方いいねえ、カズさんの視点。やっぱり人間臭くなきゃ、小説なんかはさ。あの場面は、何気ないけれど、歴史の分岐点でもあるよね。蕭源基が一人殺してくれたから、物語が続いたわけで。
カズそうなんですよ。未来の英雄の命を救うって、すごいでっかい歴史の中のすげー重要なところに関わっているわけじゃないですか。図らずも。そういうのってすげー面白いなって思うんですよね。それがちょっとした事件であることがまた面白いなって。
北方蕭源基はね、歴史の中で躍るように生きたかったんだよ。それなのにさ、女郎屋と書肆のオヤジとしてね、ずーっと本読んでさ、実人生を生きているって実感が薄かった。そこに、テムジンが現れるわけだ。彼の目を見て何かあるなと思いながら、名前も聞かず、ずーっと史記を読ませるんだよね。
カズ僕は腕っぷしに自信はないんですけど、やっぱどこか闘争本能への憧れと言いますか、男性として心動かされるものがある。それを蕭源基が自分の代わりにやってくれたような感じもしました。
北方俺もそう。登場人物にやってもらってんの。だから、もう死にそうになりながらも、また立ち上がって、戦うなんていうのはね、本当にね、自分の夢だよ。自分でできないから小説書いている。カズさんも表現する人だけど、表現っていうのは、実はすべて自己表現なんだよ。だから、私が書いた小説に登場するどの人物も私。卑怯な奴がいたらね、そいつだって私なんだ。もしくは、私の夢の中にいる人物であったりね。蕭源基なんていうのはね、本を読んでくらしたいなあ、でも、女郎屋がそばにあった方がいいなあっていう私の夢(笑)。
- 体温を共有できる
まっすぐなヒーロー -
カズ蕭源基も人間臭くてかっこいいんですけど、一番憧れるのは、モンゴル族ジャンダラン氏の長の息子ジャムカですね。テムジンにとって、ほんと宿命のライバルじゃないですか。テムジンってとらえどころがない部分がちょっとあると思うんですよ。そこがまた、カリスマ性にもつながってると思うんですけど。でも、ジャムカはまっすぐなわかりやすいヒーロー像なんで、体温を共有できる気がするんですよね。こいつがテンション上がる時、俺もテンションが上がるって思えるというか。
北方あのね、テムジンとジャムカを書く時、最初に設定した人物像っていうのは、項羽と劉邦だったんだよ。テムジンが劉邦で、ジャムカが項羽ね。
カズなるほど、スーパーヒーローですもんね、項羽は。
北方そう。ただ、それは最初の設定であってね、そこからいろいろ起きるからね。人間的にもどんどん変わっていく。
カズ実際の歴史でもライバルなわけですか。
北方そう。ただね、あんまり史料が残ってないんだよ。早く死んじゃうから。
カズあ、そうなんですか。早く死んじゃう……聞きたくなかったああ。
北方いやいや。モンゴル帝国ができる前に死んじゃうってことね。モンゴル帝国ができるまで、文字がなくて史料が残ってないわけだから。
カズあ、そういうことですね。こっからまだまだ二人は争うわけですもんね。今のところ、争うどころか、心から分かり合える無二の親友になりそうな空気なんですけど。
北方実際、親友だったもの。でも、親友だけど、戦わなきゃいけない。だから、面白いんじゃないですか、小説は。
カズひでえことしますねえ~。だって力を合わせて倒していく感じなのに。
北方いくら大好きな親友でも、価値観がどこかでくっとズレるだろ。そうすると、自分の価値を通すためには倒さなきゃいけないってお互いに思っちゃったりするんだよな。
カズやっぱりジャムカも変わっていくんですね。楽しみだけど、ちょっと怖いですね。 あと、好きなキャラクターでいうと、放浪の老人オルジャですね。口の上手さだけで渡っていく感じが、自分に近いなあ、と(笑)。俺はすごい好きです。
北方今、カズさんはね、すごく謙虚に自分を表現したね。本当は、絶対に違う人物を思い浮かべたろう。
カズいやいや、厳密に、自分が『チンギス紀』の中の誰かっていったら、オルジャどころか、最初の方で、キャト氏を裏切ってタイチウト氏についた名もなき人々ぐらいな感じなんですよ(笑)。長いものに巻かれて生きているんで。たぶん、結局タタルと戦う時に前線に送り込まれて、気づいたら死んでるって感じじゃないかな、と。
テムジンもジャムカも今後変わっていくという話でしたけど、登場人物が自分の手を離れて、変化していくこともあるんですか?北方しょっちゅうだね。精魂込めて書いてると、ある時に人格を持っちゃう。作者が左に行かせようと思っても、右にしか行かない人格になっちゃう。それはもうどうにもならない。
カズその場合は、そいつの意思を尊重して筆を走らせるんですか。
北方そう、だから、生殺与奪の権を作者が持っているというのは大間違い。自分の道を決定するだけの“自分”を持った人間を描き上げることができたら成功なんだよ。
カズどっちかっていうとすべての登場人物を思い通りにコントロールするのが小説家の醍醐味かと思ってました。
北方いや、違う、違う。計算通りに動いてくれた人っていうのはあまり面白くない。もう生きている奴と戦っているみたいな感じで書く方が面白い。
カズへえ~、難儀なお仕事ですね。毎回そんなことしてたら、すげー疲れるじゃないですか。
北方だから、こんな年取っちゃって。
カズいや、七十歳とは思えないぐらいの、熱量ですけどね。先生自身も作品も。
北方うん、俺はまだ死ねないだろうね。実際、何回か死にそうな目にもあってるけどね、ちゃんと生き残ってるんだよな。なんでだろうって思った時に、小説の神様が俺にもうちょっと書けって言ってるなって思ったんだ、本当に。
- カズレーザー
- '84年埼玉県生まれ。芸人。同志社大学卒業後、ピン芸人として活躍。'12年、安藤なつとともにお笑いコンビ、メイプル超合金を結成。'15年、漫才新人大賞、M‐1グランプリで決勝に進出したことをきっかけに大ブレイク。NTV「ヒルナンデス!」、EX「クイズプレゼンバラエティーQさま!!」など出演番組多数。
- 短編を書き続ける理由
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北方本が好きだということだけど、いつから読むようになったの?
カズたぶん、小学生の頃からだと思います。自然と図書室に行って読むようになって。最初何読んだかあんまおぼえてないですけど、星新一先生のショートショートとかを読んだんだと思います。
北方短編好きなんだ?
カズそうですね、やっぱり読みやすいので、小学生の頃は特に読んでいた記憶があります。
北方俺もショートショート書いてるんだよ、いま。一篇十五枚の短編を、いま六篇ぐらい書いてる。二十本書いたら本にしようと思って。
カズめちゃくちゃ読んでみたいですね。どういう感じなんだろうって。ショートショートってやっぱりライトなイメージがあるんですけど、北方先生は重厚なイメージなので。
北方短編で十五枚って重厚にやろうと思ったって、無理。十五枚になったら、すとんと切らないといけないわけだから。いかに切れ味鋭く書けるかだよ。集英社からも出しているんだけどね、『コースアゲイン』っていう短編集。最近復刊したんだけど、これも十五枚の二十篇。なんで短編も書くかというとね、要するにね、長いのを書いていると言葉が重なってくるんだよ。枚数の制限もないから、無駄な言葉を使っても大丈夫だろ。だから、描写だって力業でね、長々と言葉を費やして、それでなんとか描写できたって感じにすることもできる。短いと一言で表現しないといけないでしょ。その一言を選ぶって訓練ができるわけだよ。そうするとどれだけ長いのを書いても、冗長だったり、間延びしてるところがなく書ける。
カズじゃあ、長編と短編って、作家にとって、必要な両輪なんですね。
北方そう。若い人の小説ってすごい分厚いけど、同じ場所でずーっと足踏みしているような描写が続いたりするだろ。だから、俺はいつも若い人たちにも短編を書けって言ってるの。五十枚で注文を受けたら、五十枚目の原稿用紙のマスの最後に丸を打って、それから書き始めるぐらいの気持ちで書けって。
カズめちゃくちゃしんどくないですか、その作業って。入りきらない自分の言葉を断腸の思いで捨てていくわけじゃないですか。
北方削り落とす作業っていうのが大事なんだよ。二百枚でしか表現できないと思ったものを、百五十枚どこかから削り落として、五十枚にする。でも、若い人たちはパソコンで書いているから、削るどころか、足すことばっかになる。そうするとね、文体がやっぱり緩んでくる。重複が出てくる。
カズ『チンギス紀』二巻を読ませていただくと、大胆に一年がふぁっと終わったりするじゃないですか。でも、チンギス・カンの一生の年数はもう決まっているわけで、こんなに思い切って省略するんだな、と驚きました。書こうと思えばその一年いくらでも膨らませたりできると思うんですけど。
北方そうしたら、「大水滸伝」みたいに大長編になっちゃうじゃない。
カズいや、それはそれで読みたいんですけど(笑)。
北方長編でも全部書けばいいってわけじゃないんだよな。どっかでそぎ落としていかないと。だから、テムジンがくっと立ち上がるところだけ書いていくんだよ。
カズこの年は省略しようとか、それは自分の中で、最後まで見えているからできることなんですか。
北方いや、見えてない。何にも見えてない。
カズ見えてないんですか? 今の流れだと、もちろん、最後のマルまで見えているよって言うとこじゃないんですか(笑)。
北方長編の時はできないなあ、途中で誰が死んじゃうかもわかんないからさ。
カズどっちの方がやってて楽しいですか、長編と短編と。
北方短編がはるかに苦しい。長編十五枚書くエネルギーで短編十五枚なんてとても書けない。長編で五十枚ぐらいのエネルギーでやっと短編十五枚書けるかってところじゃないかな。それぐらい削り落とすっていうのは大変な作業なんだよ。漫才だって、長いものより、短いものを作る方が難しいだろ?
カズ短いネタを作ること自体は楽だと思うんです。漫才って、三分とか決まった時間でやるものなので、内容の濃い薄い関係なく、三分ある程度の笑いを取って、話し続けたら成立しちゃうんですよ。でも、M-1とかの賞レースに出す漫才って、十五分ぐらいのネタを四分に縮めている。表に出せるような本当に面白い四分のネタを作ろうと思ったら、それはめちゃくちゃ大変かもしれないですね。
北方そうだろ、やっぱり短い方が難しい。
カズ多分、七十点ぐらいのネタを作ってくれって言われたら、三分のネタも割と簡単にできると思うんです。でも、百点のものを作ろうと思ったら、七十点からの三十点が無茶苦茶大変だと思うんですよ。百五十点ぐらいのものを作ったうえで、ぎゅっと縮めないと百点にはならない。
北方小説もおんなじだよ。ほんと同じ。だからね、長編の方がずっと楽だよ。
カズいや、意外でした。なんか、勝手に長大な作品を書ける人が偉いと思ってたんですよ、絶対的に。
北方そんな全然偉くない。体力があれば書けるから。短いのは体力があってもダメ。根性があってもダメ。何かね、すぱーんっていう閃(ひらめ)きみたいなものが絶えずないと書けない。ふっと書きたいなって瞬間が浮かぶんだよ。その人生の瞬間を切り取って、十五枚で書き上げる。そういう閃きみたいなものは創造の命だと思うんだよね。それをできるだけ失わないように、短編を書き続けてる。
カズ閃いたらもう筆を走らせるものなんですか。それとも閃きってストックされているものなんですか。
北方いや、あのね、実を言うと十五枚の短編だったら、六、七枚書いたあたりで、閃く。
カズえっ!?
北方ぱっと閃いたら、最後までぶわっと行くんだよね。閃かなかったら、そこで止まっちゃう。だから、六、七枚ぐらいの分量が必要なの、閃くために。それは俺のやり方だから、最初から閃いて書く人もいるかもしれないけど。閃きなんてものは、モノを作っている途中でぱっと訪れるものなんじゃないかなあ。漫才の場合も、作っていて、何かしらの閃きがあるんじゃないかと思うんだけど。
カズ僕、閃きはない方だと思いますね。僕らの漫才が特殊といいますか、ストーリーがないので、ネタを作る時は、ありえない言葉とかをずっとメモったりしているんですけど。
北方ありえない言葉? でも、言葉なんでしょ?
カズ言葉ですね。例えば……えー、なんだろ(キョロキョロとして)あ、「四つ折りの革靴」とか。絶対存在しないじゃないですか。
北方四つ折りって言葉もあるし、革靴って言葉もある。でも、確かに「四つ折りの革靴」はありえない言葉だね。
カズそんな言葉が浮かんだ時は、メモったりするんです。その量が貯まってくると、言葉と言葉の間に勝手につながりができて、ひとつの話っぽくなったりするんですよ。そういう感じでネタは作っていますね。だから、本当になんのこっちゃわからない話をずっとしているんですよ、僕らの漫才。なんとなく存在しない言葉があるかのようにしゃべってる。
北方それが閃きだろ。「四つ折りの革靴」みたいな言葉、普通、思いつかないもんな。
カズその言葉自体が面白いと勝手に話が進んだりしますね。
北方そっか、そういうもんなんだ。
カズあ、これが漫才の普通じゃないですから。僕ら漫才師として邪道も邪道なんで。
北方あのね、表現に邪道もくそもありません!
カズそういうものですか?
北方表現があるだけだよ。見た人、聞いた人がちゃんと喜ぶかどうかでしょ。それだけ。
カズありがとうございます。本当に師匠方に聞いてほしいですね、今の言葉。大抵僕らの漫才怒られるんで。訳がわからないって。
- 本を読んで心を震わせる感覚
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北方カズさんは普段から本をすごい数読んでるんだろう? それが漫才に生きているって感じることはある?
カズ僕らの漫才が本当にしっちゃかめっちゃかなんで、ストーリーとかまったくないですし、ちょっと生かされているのかわからないですけど。でも、いろんなことを知ってた方が何か作品を残す上でプラスにはなるのかな、と。糧にはなっていると思いますね。
北方たぶん、具体的には生きないんだよな。でも、やっぱりさ、表現っていうのは総合力だから、いろいろと読んでると、それが総合力の根底の力になって、どっかで生きてきてるんだと思うよ。
カズああ、綺麗にまとめていただきました。
北方『チンギス紀』での好きな人物を挙げる時の素直な選び方とかなんかを見ているとね、やっぱりね、いわゆる知的な体験が全部生きてる人だろうと思う。
カズありがたいですね。絶対、今の言葉は記事にしていただきたいですね。でも、本当にいい作品、いい本とかを読ませてもらうことで、“正解”が自分の中にストックされていく気がするんですよ。こういう言葉遣い、こういう話はみんな面白いと思う、とか。そういう正解が自分の中にあるからこそ、人が思っているのと違うことを出すこともできるし、あえて外すことで笑いになるんじゃないかな、と。
北方そうそう、小説もそう。みんなが思ってるのと違うことっていうのは大事だね。それからね、カズさんの中で生きているのは、小説で心を動かせるっていうね、感覚だよ。しょっちゅう、本を読んで、心を動かしているでしょう。心が揺れ動いたり、震えたりしてるって感覚が、だんだんだんだん表現の中に生きていくんですよ。……また綺麗にまとめちゃったかな(笑)。
カズさすが言葉のプロ。ぜひ、僕の言葉として書いておいてください(笑)。
- 経験が価値のない厳しい世界
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北方編集者の方から、『チンギス紀』の内容にちなんで、カズさんの野望について聞いてくれって要望があったんだけどさ、これ質問がちょっと通俗的だよな。そう思うだろ? 野望って聞かれて現代に生きてて思いつくわけないじゃないか。もしかして、漫才界を席巻するとか、そういう野望でもあるの。
カズない、ないです! 野望、ですか……なんですかね。
北方だからね、表現者はいつだっていい表現したいんだよ。それがすべてだよ。小説家は、いい小説を書きたい。だから、あえて言うなら、漫才やってる人の野望はいい漫才をやるってことなんじゃないの。
カズ確かにそうですね。あとは、野望というより、理想ですけど、あいつずっといるねみたいな存在になれたら、とは思いますね。
北方それも、ちゃんといい漫才をやり続ければ、ずっといられるわけでしょ。つまんないといなくなる。我々だってそうですよ。二十歳の女の子が初めて書いた小説がものすごい話題作になって、書店の平台の真ん中に置かれるわけ。そうするとね、その分、端っこに置かれていた本が落ちるんだから。三十年、四十年経歴を積んだ人の本を押しのけて、二十歳の何の経験もない女の子の本が真ん中にいる状態になる。そういう世界ですよ。
カズ恐ろしい世界ですね。
北方だから、本当にね、経験とか何の価値もないです。作るってことにおいては、経験は価値があるかもわからないけど、売り場における人の評価では価値がない。これはもう対等ですよ。
カズ書店の平台は、芸人にとってのトーク番組のひな壇にあたると思うんですけど、その出演者に入れるかみたいな争いとか、切磋琢磨が苦手過ぎて。
北方自然にやってるんだよ。残るってことはそういうことだもん。ひな壇っていうのは、やっぱり、前に座っている人が人気なの?
カズそうですね、基本的には、前列で司会者に近い人が人気だったり、旬の人ですね。僕の理想としては、前列の端っことかにずっといる人になれたらな、と。
北方それって、一番欲張りかもしれない。俺だって、平台のね、端っこぐらいにじっといたいよ。
カズいや、そこは真ん中にいてくださいよ。先生みたいな人が平台の真ん中にいるから、僕ら端っこにいられるんですから。
北方え、カズさんも本を出すの?
カズ出さないです、出さないです。まず、書いてないですから。本好きだから、本書かないんですかってよく言われるんですけど、本書くってとんでもない才能だって、思うんで。僕には無理です。
北方書いたら、俺が二度と書きたくないぐらい添削してやるよ(笑)。
カズ怖いです、怖いです! 一言も残さず、全部赤ペンで添削されるだけですって。しかし、今日、お話しさせていただいて、びっくりしました。北方先生って、僕の中で、外国の俳優みたいなイメージなんですよ。昔の銀幕スターみたいな、渋い大人っていうか。それがすげーしゃべるんですね。
北方みんなに言われるんだよ、おしゃべりなんだよなあ。で、心は半ズボンだしさ(笑)。でも、黙ってじっとしてると今度は取っつきにくく見えるらしいんだよ。いや、しかし、対談面白かったね。
カズ本当に超楽しかったです。ほんと僕ばっかり楽しくて申し訳ないぐらい。
北方こっちも楽しかった。刺激になったし。
カズ今日、対談って言われた時に、しゃべっていただけるのかとか想像がつかなくて。実は内心びくびくしてたんです。どんな番組でMCとしゃべっている時よりも緊張しました。
北方でも緊張しているようには全然見えなかった。途中から。
カズいっぱいメモもとって、ああ話そう、こう話そうって身構えてたんですけど、でも、結局、先生にうまくしゃべらせてもらっちゃったって感じですね。先生のペースで。
北方たぶんね、お互いの感性が合ったんですよ。合わなかったらこうはいかない。
カズいやあ、本当にありがたいです、そんな風に言っていただいて。
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(「小説すばる」2018年6月号より)
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