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2018-10-22

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・70歳の誕生日を目の前にして、娘にこどもが生まれた。
 「お孫さん」というものを、
 いつかいつかと待ち望む人もいるらしいが、
 ぼくはいなくてもかまわないと考えていたおやじだった。

 よく、こどもが生まれたばかりの後輩たちに向かって、
 「かわいいだろう?でもな、それはちがうんだ。
 これから、加速がついたようにかわいくなるんだ。
 それに比べたら、いまはあんまりかわいくないくらいだ」
 と、まことにおせっかいなことを言ったりしていた。
 生まれたての赤ん坊というのは、
 水につかっていたせいかしわしわした赤いやつで、
 家族や親族にとってはかわいく見えるものの、
 赤の他人のおじさんにとっては、
 なかなかかわいいようには見えないものである。
 ひと月でもふた月でも時間が経つと、
 他人にとってもかわいいものになるのだ、と思っていた。

 しかし、人間の身勝手さというものはおそろしい。
 孫を見て、「ちょっと、かわいいかもしれない」と、
 今回は、思いはじめているのである。
 まぁ、しばらく時間が経ったら、
 やっぱり、生まれたてのころの赤ん坊は、
 かわいいと言うには無理があったなとか言うのだろうが。
 いまでも、あんがいかわいい。

 孫が生まれて「おじいさん」と呼ぼうとする人がいるが、
 それについては、あんまり好ましいと思わない。
 おとうさんには、じぶんからなったのだけれど、
 おじいさんになろうと思っていたわけじゃないからな。
 ぼくは、なんにも変わってないつもりだ。

 変わったことがあるとすれば、
 赤ん坊の両親である娘と義理の息子のことを、
 いままで以上に好きになったことかもしれない。
 一所懸命に生きているという感じが、とてもかわいい。
 なかなかたいへんなこともあるだろうけれど、
 不安そうにしたり、過剰に心配したりもせずに、
 笑いを忘れずに生きているところも、尊敬できる。
 こどもが育つって、親が育つということなんだねー。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
100歳の人でも、0歳やら20歳やらを経験してきてるのよね。


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