少女漫画と萌え絵
こうして人種的特徴を廃していく動きは少女漫画にも見られた。西洋人顔だった少女漫画絵も、丸みを帯びてアジア人とも西洋人ともつかない顔になっていく。
またそもそも「美少女戦士セーラームーン」のように、少女漫画では金髪碧眼でも日本で生まれ日本で育った日本人として描かれるなど、人種的特徴と実際の人種は一致してないことも少なからずあった。髪の色もピンクや青など、実在する人種とはかけ離れて描かれることも少なくなかった。
こうした動きは「人形化」として考えると原点回帰にも思える。人種も含む人間としての特徴が消えていき、人形のように描かれていく。中原淳一が目指したものも、やはり人形だった。
こうした少女漫画テイストの絵は、そのかいわらしさからポルノに転用されていく。アニメ「くりいむレモン」を筆頭に、90年代表現規制問題の端緒となった遊人による「ANGEL」などが代表的だ。
とくに遊人の絵はおそらく無断使用であろうが、街の性風俗店の広告などに広く利用されていく。バンコクの歓楽街でまで遊人の絵を見たときにはたいへん驚いた。少女漫画テイストの絵をポルノと勘違いしてる人たちが多いのだが、そうした人たちはおそらくロクに漫画も読まずに歓楽街で過ごす時間が長かったのだろうと思われる。性風俗店と少女漫画テイストの絵柄がイコールで結ばれてしまってるのだろう。子供たちには迷惑な話である。
また90年代に大ブームを迎えることになるアダルトゲームでも、やはりこうした少女漫画テイストの絵が使われるようになる。
またやはり少女漫画テイストの絵で描かれたポルノコミックも多かった。その後児童文学の挿絵を描くことになる okama などが代表的である。
これまであげてきた作品やそれ以外の作品でもそうだが、設定上西洋人であったり東洋人であったりしても、まったく同じように描かれてることにお気づきだろうか。人種は設定上存在しても、文脈で理解するのがスタンダードなのだ。
こうした絵で鍛えられた絵師たちは、ライトノベルやアニメや漫画とどんどん活動の場を広げていった。いわゆる萌え絵と呼ばれるものはこうした少女漫画テイストだが少女漫画以外の媒体で使われてるものを指すようだ。
ライトノベルやアニメや漫画、アダルトゲームなどは、「人形化」された絵に人格とストーリーを宿すようになる。それが萌え絵の本質であると以前にも書いた。
「萌え絵」と呼ばれるスタイルがジャポニズムを超える日 - 狐の王国
人形であるがゆえに人種という属性を持たない。だが人格とストーリーはある。それゆえに愛される。人種などいう細かいことは気にしないのである。これは受け手もそうで、日本のアニメキャラクターに黒人が少ないことを嘆く向きはあるにはあるのだが、気にしない人たちもたくさんいるのである。黒人女性がセーラームーンのコスプレをしても、人種を理由に文句を言う人は見たことがない。宗教上の理由で髪を出せなくても、ヒジャブを髪の毛に見立ててコスプレしてる人たちもいる。いいぞもっとやれ、もっと楽しもう。
そもそも人間ではないのではないかという意見もあった。
どうみても白人とはまったく別の何かで、人間ですら無いというのが現状だ
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萌え絵はグローバル
以上のように、日本の発信する萌え系と言われる女性表象はそもそもが無国籍なのである。浮世絵のように明らかに東洋人が描かれてるわけではない。日本を感じさせるなんてこともおそらくないだろう。今の時代は韓国人や中国人が萌え系のイラストを描いて日本で出版してる時代である。
おそらく次第に欧米人にも浸透し、欧米人の萌え系イラストレーターも出てくるであろう。アマチュアレベルではすでに存在してるはずである。
無国籍な表象であるからこそ、髪の色も肌の色も気にしない。同じキャラクターの肌や髪の色が変わったくらいでは揺れの範囲内。西洋人形を由来に持ち、少女漫画が生み出した「萌え絵」はまさしくグローバルなのだ。
この現状でジャポニズムのときのようなオリエンタリズムが発生しうるだろうか。まあ、ないだろうね。