あなたの仕事は、あなたにとってどのくらいの価値がありますか。

生涯をかけて挑むにふさわしいものですか。

仕事や職場への帰属があいまいになり、はたらく人が流動的になりつつある今では、こうした問いかけはもしかしたらナンセンスかもしれません。

一方で、黙々とひとつの仕事にずっと取り組み続ける、という生き方も存在します。ひとつの会社や仕事に骨を埋める、という価値観がどんどん希薄化する状況下で、“黙々と”はたらく人たちはなにをきっかけに、どんなモチベーションで、その仕事に生涯を賭そうとしているのでしょうか。

九州大学総合研究博物館の准教授を務める丸山宗利さんは、職業人として多くの時間を昆虫の研究、より正確に言えば「アリと共生する(好蟻性)ハネカクシという昆虫」の研究に捧げてきました。まさにライフワークとともに生きる道を選んだ丸山さんは、はたしてどのような思いとともに仕事をし、自身の働き方を確立してきたのか、その過程を聞いてみました。

「アホみたいに自分を信じて」いやいやハネカクシ研究の道へ

丸山宗利

幼い頃から生き物全般が好きだった、と丸山さんは振り返ります。書籍をあさり、野山で昆虫などの採集活動に明け暮れていた丸山少年が昆虫の研究者になるのは、必然とも考えられます。しかし、実は一番最初のモチベーションは「研究者になりたい」というものでした。

「研究者になりたい、と思ったのは高校生の頃ですが、そのときはまだ“昆虫の研究者”になりたいと思っていたわけではなかったんです。まずは研究者になりたかった。大学ではアホウドリの保護をしている先生に憧れて生物学に進んだのですが、そこで改めて、研究するなら一番好きな昆虫の研究をしよう、と決めたんです」

丸山さんの専門は『昆虫系統分類学』。昆虫を集め、その特徴を発見し種類や系統を特定し、新種の虫であれば名前を付けていく基礎的な研究です。こうした基礎を研究する人は数としては多くはない、と丸山さんは言います。

「大学時代に環境調査のバイトで、特定の場所に棲息する昆虫を調べたのですが、その時、新種の虫がたくさんいることを知って、分類の面白さにのめり込んでいったんです。もうひとつ、分類のためには標本の収集はもとより昆虫の採集が不可欠です。昆虫研究の中で、分類が一番採集活動ができる、というのも大きな理由でした(笑)。もっとも、基礎的だからか、軽んじられることも時にはありますが」

丸山さんが研究対象とするハネカクシの一例。ハネカクシは世界で5万種類以上が確認されている。多くは落ち葉の下や朽木に内部に棲息するが、一部の種はアリの巣でアリとともに共生する。丸山さんが研究するのは、後者の「好蟻性」ハネカクシだ。写真はタイ産のアリノスハネカクシの一種。

ハネカクシ
(写真提供:小松貴)

無数にいる昆虫の中からハネカクシを研究対象に選んだ理由は何だったのでしょうか。実はハネカクシに興味があったわけではないと丸山さんはいいます。

「卒業論文を書くために、ある博物館で研究員をされていた先生から昆虫の分類に関して学んでいたんです。その先生がハネカクシを研究しておられて、その影響ですね。もっとも、最初はあまり興味が持てず、先生に『今日からこれを研究しろ』と米粒ほどのハネカクシがぎっしり詰まった標本を渡された日は、悩んで一晩中眠れなかったほどです(笑)」

かくして丸山さんは自身が取り組む研究テーマに出会います。しかし「好蟻性ハネカクシの研究」というテーマは、丸山さんが研究に着手した20年ほど前にはまだ未開の部分が大きく、先達となる研究者がいない分野でした。つまり、その後キャリアを積んでいく上で参考にできるロールモデルが存在しなかったのです。先行きのまったく見えない世界に自分の時間や情熱を投資していくのはリスクとは感じなかったのでしょうか。

「研究者はそうしたリスクを考えても、何もいいことがないんですよ(笑)。きっと成果が出るはずだ、とアホみたいに自分を信じていかないとうまくいかないと思うんです。そして大事なのは自分や先の成果を信じた上で、研究者として生き残るための道筋を考えることです」

研究者として生き残る術

こうすれば、研究者としての自分を確立できる──。このような道筋が明確に見えない中、丸山さんは生き残りの術、研究者としての生存戦略を模索します。そしてそのヒントは大学院時代の先輩たちを観察することで得られたと言います。

「北海道の大学院にいた頃です。先輩たちを見ていると、成果を出す人、出せない人。どこかの大学で職を得られる人、得られない人がいることがわかります。両者の間にどんな違いがあるのかを冷静に観察して、どうすれば研究者の職を得られるかを考えたんです。そしてもうひとつ、ある優秀な先輩から受けたアドバイスが大きかった。それは、『どんなことでもいいから、一番になれ』というものです。ハネカクシの分類なら一番詳しい、論文を書いた数が一番多い、など、本当に“何でもいいから”一番になるのが重要だと教えられたんです。この先輩の言葉は今でもよく思い出します」

丸山宗利

未開の分野で自己を確立させていくためには、自分を明確に説明できるわかりやすい勲章が必要だったのです。

プロの研究者になるためには、ある王道があります。その最初のステップが、博士課程の間に日本学術振興会(以下、学振)の特別研究員になることです。そのためには、わかりやすい勲章を持つことが大事、と丸山さんは続けます。

「学振の特別研究員になるために、まずは論文を書こうと決めたんです。それも修士課程に入ってすぐにです。普通、修士1年めで論文が書かれることはあまりないんです。まあ、大学から大学院に進学したばかりだったので、できあがった論文は今にして思えば恥ずかしい仕上がりでしたけど(笑)。でも、下手な論文だから表に出さないというプライドも、先生に見てもらうのが申し訳ないという遠慮も忘れて、とにかく“論文を出す”ということを達成したかった。学振の研究員には論文業績とともに応募するのが重要です。修士の間に論文を書く学生はあまりいないので、いい実績になるわけです。他にも、短いものでしたが複数の論文を書いて実績を積みました」

学振の特別研究員になれば、給与が支払われ、学費が免除になり、さらに研究費も支給されるそうです。つまり、より研究実績を積み上げやすくなるのです。また、大学や博物館に就職活動をする際、「職歴」として認められます。まさにプロの研究者になるための登竜門です。いかにすればこの門をくぐれるのか、から逆算し、丸山さんは研究活動の道筋を立てたのです。そしてその逆算思考は、その先にある大学や博物館への就職という目標に向かいます。

丸山宗利の論文実績(スクリーンショット)
丸山さんの論文実績は、自身のWebサイトに細かく記載されている。今も、業績は積極的に公開している。画像は丸山宗利研究室より。

先行きは、不透明。不安を打ち消すためになお没頭

大学の教員、大型博物館の職員という立場は、他の職に比べて安定して研究活動に集中できるという意味で、ひとつの標石ですが、その職を得られるのはほんの一握りという狭き門なのです。その倍率は20倍や30倍は当たり前。多いときは50倍や100倍にも達すると丸山さんは説明します。

「就職のためには履歴書に論文のリスト、主要な論文の印刷版などが必要です。これを見られて、その次に面接に進むのですが、面接の前段階でほぼ勝負は決まっている印象です。私は論文の他に著書があるといった実績も作っていました」

実績を作り上げても、それでも就職できるか否かは運次第。特に丸山さんの勤める九州大学は同大学出身者を採用する傾向が強く、他大学出身の丸山さんが就職できたのはかなり異例のことだそうです。どれだけ研究に打ち込んでも、望んだ職は得られないかもしれない。こうした先行きの見えない状況に、時に不安になることもあったといいます。

「年に何回かはものすごい不安に襲われていた覚えがあります。このまま、40歳になっても就職できなかったらどうしよう、と。こんな不安を打ち消すためには、さらに頑張るしかない。スポ根の世界ですよ(笑)。どう頑張ったかというと、日々の研究もさることながら、『研究発表のやり方』にこだわったんです。自慢ではないですが、学会での僕の研究発表はすごく人気があったんです(笑)。会場に人が入り切らないほどでした。なぜかというと、資料の見え方、順番、話し方、抑揚などを徹底的に練って、事前にものすごく練習していたからです。セリフもすべて頭に入れて、原稿を見ながら話す、ということはありませんでしたね。

何を発表するかも重要です。研究をしていると、面白い発見をすることがあるんですよ。たとえば、ある昆虫が変なものを食べていた、のように。こういう研究者でなくとも楽しめるような、プラスアルファの部分を積極的に発表すると、聞く人の心に残ると思うんです。研究者である以上、研究の魅力を人に伝えることはとても大事なことです。そのためには、ただ研究の話をするのではなく、人が聞いて面白いネタを同時に収集しておくのです。このことは、今の私の教え子にも同じことを伝えていますよ。

私が九州大学に職を得られたのは、ある先生が私の実績を評価して下さったからだと思っています。直接の面識はなかったにもかかわらず、私のことを認めてくださったんです。確証はないですが、もしかしたら私の発表をどこかで見てくれていたのかもしれませんね」

究めるべきものはどこにあるのか

丸山宗利作成の吸虫管
これは吸虫管と呼ばれる道具で、左のシルバーの管からストローで吸い込むように息を吸うことで、小さな虫を潰すことなく捕獲できる。試行錯誤の末、丸山さんが独自に改良したものだ。採集活動では非常に重要な道具で、丸山さんは「パスポートの次に大事なもの」と語る。(写真提供:丸山宗利)

好蟻性のハネカクシを専門的に研究し、プロの研究者となる。決して簡単ではない道を模索し、丸山さんは好蟻性のハネカクシの研究ではアジアの第一人者、という立ち位置を確立しました。興味が持てず、研究しろと言われた日には眠れないほどだったハネカクシにここまで情熱を投じてこれたのは、なぜだったのでしょうか。

「未開の部分が大きく、新たな発見ができそうだったから、というのが動機のひとつでした。ただ、こうした動機は研究の世界ではあまり褒められるものではありません。『もっと先の目的意識を持つ』というのが研究の王道だからです。いわば、何かの仮説を立て、それを検証することこそ研究、というわけです。ただ、私が志したのは、昆虫系統分類学で、そもそも未知の昆虫に名前をつけていく学問です。未開の部分に可能性を感じるのは自然な流れです。それに未開の部分が大きいほど、発見する、未知のものを知る、という根源的な欲求を満たせる。そうするとどんどん楽しくなってくるんです」

丸山さんは研究者が取り組むべきテーマは「研究対象のことが好きで、その対象に未開の部分が大きかったら理想」とブログで述べています。“いやいや始めた”研究は、いつしかライフワークと呼べるものになっていったのです。

「ハネカクシの研究を始めて間もない頃、当時の師匠と採集に出かけて、蟻の巣の中にたくさんのハネカクシを見つけました。ハネカクシの研究に取り組んでみたい、という欲求が湧いたのはその時からです。今の私は、ハネカクシとアリの不思議な共生関係に強い興味を感じています。家族の中に知らない生き物がいて、それなのに当たり前のように共同生活をしているんだから、不思議で面白いですよね。あの時、アリの巣の中で見つけたハネカクシがこうした魅力に気づかせてくれたように思います。

確かにいやいや始めた研究でしたが、自分だけの発見や面白さが増えてくると、どんどん愛着が生まれます。私は『愛着』と『好き』は似ていて、突き詰めていくとどんな対象でも愛着が生まれていくと思っているんです。仮に、明日から違う昆虫の研究をやっても、必ず何かを発見できるし、愛着が出てくるでしょうね」

人生を丸ごと投資しようと、いつ思う?

丸山宗利

昆虫の研究をするだけなら、大学に就職せずともさまざまな方法があったでしょう。他の道を探すことを考えたことはなかったのでしょうか。

「確かに、企業の環境調査などの仕事もあるでしょうし、高校の生物の教師になる道もあったかもしれません。しかし、僕は決められた時間に、決められた場所に行く、ということがどうしてもできない。だから一般的な会社員とかは務まらないんですよ(笑)。その点、大学の先生であれば講義以外の時間は自由です。自分の研究に好きに没頭できるんです。だから他の道を考えたことがないですし、『何歳までに就職できなかったらあきらめる』という期限も考えたことはなかったですね」

では、ハネカクシ以外の研究を選ぶ道もあったのか、と聞くと、丸山さんは確信に満ちた様子でこう続けます。

「まったく考えたことはないですね。研究をする過程で、新しい情報がたくさん出てきたんです。学振の特別研究員だった頃に東南アジアで採集活動をしたら、すごい数の新種が見つかるわけです。そして、新しい情報を手にいれると、さらに新しく、『これを調べよう、あれをやろう』という思いが湧いてくる。きっと、一生かかっても研究し尽くせないだろうし、少なくとも途中で投げ出すことはなく、死ぬまでハネカクシの研究をやるんだろうと思っています」

丸山宗利(まるやま・むねとし)

1974年東京都出身。北海道大学大学院農学研究博士課程を修了後、日本学術振興会の特別研究員として国立科学博物館、シカゴのフィールド自然史博物館で研究活動に従事。2008年より九州大学総合研究博物館の助教となり、2017年に現職である准教授に就任する。著作も多岐にわたり、代表作に『アリの巣をめぐる冒険』(刊:東海大学出版会)、『昆虫はすごい』(刊:光文社新書)、『昆虫こわい』(刊:幻冬舎新書)などがある。

Twitter:@dantyutei

ブログ:断虫亭日乗

<取材・文/初瀬川裕介(はてな)>