【読書メモ】『ギリシャ正教』『正教会の祭と暦』『東方正教会』 。原罪による堕落説、 ピラミッド型支配構造の教会、 政教分離も西方ヤソ思想であり 正教にはなし!311年にローマがキリスト教の迫害を停止したのでキリスト教にとって311は特別!
Posted on 2018.06.23 Sat 18:25:55 edit
↓を意識して学んでください
あきらンドール@akicanis
2016年2月16日
宗教を勉強した上で無宗教であるのは大変結構だが、
宗教に無知な状態で無宗教であるのは大変危ういから気をつけてね。
(自分自身の思想を正確に把握しないと無宗教の立場になるなんて無理。
無宗教を選択するとしても
中立とか無記的立場とか不可知論とか懐疑論とかになるだろうが
これも原始仏教や儒教とかだから結局宗教思想の一派。
あと倫理道徳も宗教の一部だ。
ここまで読んで違和感を感じなかっただろうか?
無宗教な者なんて実在しないので
無宗教の立場を選択することは不可能。
自分の思想に自覚的であれ)
正教入門はこちらの手引きをどうぞ
正教の解説書もグノーシス主義に言及している。
「物質=無条件に悪」はグノーシスの根本教義の一つ。
私の考えでは
「物質=無条件に悪」は有害。
「物質も善なるものとして創造された。
使い方次第で悪用されることはある」
という正統派(少なくとも正教)の思想のほうがまとも。
正教は肉体と精神は相互作用という思想。
なお私の思想は一神教正統多数でも異端少数派(グノーシス含む)でもない。
本記事を読めば
中世西欧の専制主義的教会機構、
法皇を頭とするピラミッド型組織は法皇権主張の産物。
311年にローマがキリスト教の迫害を停止したのでキリスト教にとって311は特別!
「キリスト教は原罪で罪悪感を植えつけ支配」
は正教に西方教会流の原罪はないので厳密には誤り!
原罪による堕落説、
ピラミッド型支配構造の教会、
政教分離も西方ヤソ思想であり
正教にはなし!
「両剣論
=カトリック教会>王様」
などがわかる。
グノーシスについては
などから学んでおくれ。
塔の上での修行期間が世界一長い、登塔者聖シメオンの絵画の衝撃↓
高橋保行『ギリシャ正教』講談社学術文庫 1980
注意点
イオアン高橋保行は正教会の聖職者。
本書の文庫初版は1980年、つまりソ連の共産主義政権下。
・ギリシャ正教の聖職者たちは
いつも黒い帽子をかぶり、
黒いマントのようなものを身にまとい、
足早に歩く。
必ずひげをたくわえ、なかには髪を長く伸ばし、
後ろでまとめている者もいる。
ギリシャでは西のキリスト教のシンボルである
黒シャツに白い襟(カラー)(西のキリスト教の聖職者の正装)を
絶対に着用しない。
ひげをのばす、
髪をやたらと切らない、
黒い服に身をつつむという聖職者の姿は
正教の伝統の大切な部分で
聖職者は必ず守るよう指示されて
聖職者になるときに署名する宣誓書の中にあるだけでなく
教会規定(カノンとギリシャ語で呼ばれる)の条項のひとつともなっている。
心にある信仰は形として明らかにされるべきであるというギリシャ正教の信仰に対する
基本的な姿勢からくる。
キリスト教発生のときにおいて
中近東でひげと髪は信仰を守るためのものであった。
ひげを剃り、髪を切る者は
当時のヘブライの民やキリスト教徒にとって異教の者であるという意味があった。
聖書を題材とした映画で極端に強調される。
エジプトの民、ソドムとゴモラの民はすべて坊主頭で、ひげがない。
ひげがないのは女と子供と考えられていたから、
ひげや髪をそり落とすことはキリスト教徒にとって性の混同(不道徳)をも意味していた。
聖書の解釈では髪は力を示す。
サムソンという長髪の力持ち。
髪は神秘的な力の存在と強さを示すものと、
旧約の時代に考えられていた。
砂漠に隠遁者が出ていき始めたころは
ギリシャ正教の4、5世紀である。
このころは脱税を考えて砂漠に出たものも多く
中には隠遁者たちの影響を受け修道士となる者もいた。
こうした隠遁者が修行に出るとき旅ではないから着替えはもたない。
長い年月をへると着てきた服も
着ているといえるようなものでなくなる。
すりきれていく服と逆に、
髪とひげがのびはじめる。
服がなくなることには
たっぷりと髪とひげがのびて服の代わりとなる。
髪とひげは修行の年月を物語るものとなり、
隠遁者が苦行を通して体得した力の存在を表すものとなる。
髪とひげののびない者は代わりに毛皮の衣を身につけたりした。
・ギリシャ正教の聖職者たちは長髪を乱さないためという機能的理由からかいつも帽子をかぶっている。
円筒形でふちのない帽子や
おわんの形をした帽子の裏にヴェールがついているものは
ギリシャ、ロシアどちらでも使われている。
これは修道士だけがかぶる権利をもっている。
ヴェールの寸法はふつうかぶっている者の背丈にあわせてあるから
修道士が永眠したときにひざをかがめさせてヴェールに入れる長さ。
ヴェールの下が袋のようになっていて、
両側にひも状のものがついている。
ヴェールに包んだ修道士をこのひもで結んで埋葬する。
つまり修道士は常に墓を背負って歩いて
みずからをこの世に対して死んだものとしなければならない。
修道士や聖職者が衣いがいに身に着けているものとして
ひもを編んで作るきれの数珠がある。
・聖像(イコン)のキリストの顔はどの顔も柔和なものではなく
いつもひきしまった顔。
後光=信条のイメージ化。
イコンは描き出された聖書。
聖書は書かれたイコン。
イコンは聖書の代わり。
このため伝統的な描き方が世襲され
いつどこで誰が描いてもほぼ同一のイメージが打ち出される。
イコンはギリシャ語のイメージという語。
・キリスト教文化で一番古い祭りは復活祭(パスハ)と本来よばれるべき
イースターでありギリシャ正教では別格大祭。
クリスマスは正教では十二大祭の一つにすぎない。
キリスト教は
キリストが復活した日から毎週その同じ日に集まり
イースターを祝ったところから始まっている。
毎週のイースターが後に日曜日とよばれるにいたった。
祭りは生活習慣や暦と密接。
現在、西のキリスト教文化の国々や日本で使われている
曜日はもとはキリスト教以前に
アレキサンドリアからローマに伝えられたもので
天体の名称をそのまま使用。
キリスト教とはまったく関係がない。
ギリシャをはじめとするオリエントでは
曜日ではなく
キリスト教起源から使われている旧約聖書の中の曜日をもとにした
純然たるキリスト教の曜日と同様のものをつかっている。
日曜日を週の第一日とし
主イエス・キリストの日という意味から
主日(キリアキ)と呼ばれる。
復活日ともよばれる。
復活日という名称は
ギリシャ正教とともにロシアに入り、建国以来今でも受け継がれている。
次に
月曜日を二日目(デフテラ)、
火曜日を三日目(トリティ)
水曜日を四日目(テタルティ)、
木曜日を五日目(ペムプティ)、
金曜日を準備の日(パラスケビ)
(安息日の前日なので)、
土曜日を安息日(サバト)
(パラスケビとしたが
本書では”バ”ラスケビだった)
・キリスト教側のギリシャ伝道の動きに一役かっていたのが
コイネー・ギリシャ語。
当時ローマ帝国デギリシャ語が万国共通(コイネー)語となっていたところに由来し
古典ギリシャ語をもとにしたアティカ方言を土台としているといわれる。
このギリシャ語の普及はアレクサンドル大王の働きによる。
忘れてならないのは
コイネー・ギリシャ語が聖書を書いたヘブライの民にとって
第二外国語という域を脱したものであったことである。
場所によっては流動的な万国共通語としてだけでなく
民族にとって定着した言語ともなっていた。
新約がギリシャ語で書かれたことからもわかるように
すでにギリシャ語によって文化をあらわすのに慣れていた。
旧約もキリスト教が生まれてくる前に
ヘブライ語からギリシャ語に訳され一般化していた。
七十人訳聖書は地中海一帯に散在していた母国語を忘れたヘブライの民のために編集し直されたものである。
・最初、キリスト教はローマ帝国では無神論者とよばれ
キリストの血と体を食べるところから人肉食主義(カニバリズム)と呼ばれて恐れられた。
(元ネタは生贄を食べる儀式でしょ。
イエスが生贄になったことを感謝するのがキリスト教)
最後で最大の迫害が
ディオクレティアヌス帝(284-305年在位)によって始められ
311年まで続く。
311年迫害停止を命ずる。
(311はキリスト教にとって迫害が終わった記念の数字。
311年にローマがキリスト教の迫害を辞めたのでキリスト教にとって特別。
ヒストペディア
@cubeworldvdma
311年、ガレリウスの寛容令。キリスト教を合法的宗教として認める。
義視
@kamo1868
5月4日
【今日の墓碑銘】
311年5月5日。ガレリウスが死去。ローマ皇帝。貧農出身だがディオクレティアヌスに抜擢され権力を握る。305年に正帝となり四分統治下での主導権確保に腐心。特にキリスト教に対しては過酷な弾圧を行った。死の直前に神の復讐を恐れ迫害解除の布告を出す(51歳・大腸癌) #生寄死帰 pic.twitter.com/IyK9Lq5uJs)
・64年のネロ帝の迫害から40年目ぐらいに(つまり二世紀)
口伝えや部分的に書き残されたキリストの教えや
行動をまとめた文書、新約聖書が作成される。
師父たちは聖書とキリスト教内部の生活形態を基盤として
迫害者やキリスト教の亜流といえるグノーシス派に対して
キリスト教の立場を明らかにする。
・西の原罪説
西のキリスト教は
人間をまず堕落したものとみるところからはじまっている。
原罪という言葉で代表される人間堕落説。
この説の裏には
堕落した人間を救うためにキリストが来たのであるが
キリストがきても堕落した人間は、
所詮救われないのではないかという現実的な人間観がひそんでいる。
(ゴッドが全知全能で完全な善に反しているな)
それゆえ堕落した人間をどう救うかと西のキリスト教は四苦八苦する。
堕落した人間を救えるのは規律であるとする。
中世カトリシズムではローマ法皇が規律の化身となる。
プロテスタンティズムは信仰と聖書が救いのためになると説く。
しかし聖書もプロテスタンティズムの中で規律の書と化する。
西のキリスト教の規律を重要視する傾向は
合理主義的にものを考える人間を生み出す。
社会形態も規律を明確に打ち出せる中央集権のピラミッド形となる。
次に人間の救いとなるのは堕落しているという認識をもつことであるとする。
堕落から抜け出るように努力させるという考え。
ここに発展を生み出す改革の論理がある。
現状を悪とみなし、改革を善とする動き。
ところがどんなに改革し改善しても生み出される状態を否定的にみるから
改革の動きはつねに存在する。
(カルヴァン派では人が努力しても救われるかどうかと無関係だから不正確では?)
西のキリスト教の世界観は堕落人間説と関連して
聖と俗をはっきり区分する。
本来のキリスト教思想には聖俗の二元的区分はない。
しかし西のキリスト教は聖なるあの世に対し
俗なるこの世があるとする。
教会はこの世にあるがこの世に対するあの世の延長。
この世を俗界とするならば教会はあの世という聖界の一部である。
聖なる教会に対し
俗なる社会という考えが生じる。
プロテスタンティズムはこの二元性に対抗しつつ俗化してしまい聖性を失ってしまう。
・東の性善説
東の伝統的なキリスト教には
原罪に代表される堕落人間説や
聖に対する俗という二元的な考えはない。
東のキリスト教は
人間が神に善なるものとして創造されたことを強調する。
人間はまず神のイメージとしてつくられたのである。
堕落は人間存在の前提ではない。
東のキリスト教でも堕落という言葉を使うが
これは人間が神に与えられたイメージを失ってしまっていることをさす。
キリストの救いは
人間にこのイメージを回復させるためにある。
こうした伝統的なキリスト教の人間観は
聖俗を二元的に対立させることを許さない。
堕落した状態とされる俗は
人間が神のイメージを失ったときの仮にとる形態であり
人間存在の絶対条件でも前提でもない。
聖俗は対立関係ではなく
聖により回復せらるべき俗、
聖を回復すべき俗という調和の関係にあり
最終的には一元に復帰する。
俗なるこの世と聖なるあの世の関係も
東のキリスト教は
はっきりと区別しつつも
キリストによって隔たりがとられたとする。
つまり、すでにこの世にあの世の力が及んでいると考える。
この世は悪とか俗とかいう言葉で否定されるものでなく
あの世への橋渡しをするものとなる。
この世はあの世の写しでなければならない。
したがって堕落した人間も世も、
俗悪だとして区別し切り捨ててしまうことなく
その中に浸透し変容を試みようというのが伝統が提示するキリスト教の姿勢である。
・初代キリスト教の形態で重要なことが二つある。
①
機能として与えられた師父と弟子の関係がキリストの前では兄弟の関係となる。
主教や司祭は個人的な権威をもつ者でなく
弟子に教会の生活形態を伝授する役割を担う者。
中世の西のキリスト教にみられる
上から下へ権威が下降していくピラミッドの形、
とくに一般のクリスチャンを平信徒とよぶ態度はない。
聖職者と平信徒という格付けは初代キリスト教にはみあたらないし、
ギリシャ正教でも
カトリックの影響を受けた後のロシアにおいて多少みられる程度で、
一般的でない。
東のキリスト教ではなんの役職にもついてない者が、
一週間で総主教とよばれる最高統治者になっても不思議はない。
(ヤソ=西のキリスト教の原罪による堕落説や
ピラミッド型支配構造は
精神が病んだ者が考えたのだろうな)
②
個々の教会と教会全体の関係
初代から東のキリスト教会では
教会というとき
現にある特定の教会をさすのがふつう。
ひとつの共同体を完全な教会の形態とみなす、
つまりキリストをかたどる者を中心とし
そこに使途が最初につくった共同体と内容的に全く同一の要素があるならば
それを永遠、不変の教会と呼ぶのである。
ひとつひとつの教会は基本的に独立した存在。
しかしそれぞれの共同体は互いの生活形態と伝統の共通性により結ばれている。
四世紀からつけたされた役職とともに
ギリシャ正教は初代からの形態を着実に世襲している。
・正教はキリスト教を宗教としているのでなく生活としている。
西のキリスト教は生活の一部であって生活そのものとなることはなかった。
・中世西欧キリスト教は
国家を俗とし
教会を聖なるものとして
互いに対立する位置に両者を置いている。
政教分離という考えが近代西欧で出たのは
カエザロ・パピズム
(皇帝が法皇になったり、
法皇が皇帝になったり、
両者ともに力関係が崩れたときに起こる状態)
の関係に
宗教と国家が置かれないため。
東のキリスト教の
ビザンチン・ハーモニーでは
原則として国家と教会を対立する力関係や位置に置かない。
教会はこの世の救いに専念するものであり
政治的に国家と競う機構ではない。
皇帝と総主教が共通のゴールに向かって歩む形を
ビザンチン・ハーモニーとよぶ。
敵対か断絶か、政教分離という考えはない。
・正教では体と心を二分し
体を俗的でだめなもの、
心を聖なるものでよいものとする二元的な考えはない。
心と体は分かちがたい。
・コンスタンチノープル公会議は
信経を決定すると同時に
ローマ帝国内の各都市の重要度によるランキングの問題を討議している。
古いローマを筆頭に
コンスタンチノープル(新ローマ)
アレキサンドリア
アンティオケ
エルサレムという順位が定められる。
しかし古いローマとアレキサンドリアは
新しい都となってまもないコンスタンチノープル(新ローマ)
を二番目に置くのを嫌う。
古いローマはコンスタンチノープル(新ローマ)に競争心を
アレキサンドリアは嫉妬心を燃やしていたからだ。
この順位は都市の重要性からつけられたもので
教義的な理由からでない。
五大総主教はすべて平等であり
各総主教区の父(パパ)的存在である。
この順位づけのあと、
ローマ帝国西側は蛮族の手中にあるようになり
古いローマは自分の道を歩まなければならなくなる。
蛮族の中にあり
他の四総主教区と連帯制が薄れてくると
当然首位の座から去らねばならない。
帝国内の重要な都市のひとつと数えられないからだ。
ローマは首位の座を保持しようとやっきになった。
ここから教義的理由を創作して法皇権というものが考えだされ
東西の違いがすこしずつあらわれてくるようになる。
(教皇自体がローマが他の総主教地区より上位だと権威づけるための
イエスの教えと何の関係もない新設定だから
正教はローマ法皇を認めない。
西のキリスト教は初代教会の伝統を保持する正教から見れば
野蛮な田舎の勝手な教えを捏造する劣化品なのだろう)
・正教徒はイコンに描かれている者に祈るのであり
イコンを崇拝するのではない。
キリストはこの世に全き人として存在した全き神であり、
歴史的に存在した神キリストを描き出すことは
見えない神を創造して描き出す(偶像)とはわけが違う。
キリストをイコンに描けるのは神が救いのために人となったからである。
(そうえばイエスのイコンはあっても
神のイコンはおそらくないな)
イコンは神の救いを表明する。
イコン容認には印刷物がなかった時代を反映する実際的な理由
視覚にうったえる効果的な教材として不可欠だからというのもあった。
イコンを認めるか否かの論争は
843年にイコンは問題なしとされて終わる。
・第四回全地公会議あたりからローマの総主教地区が他の総主教地区、
とくにコンスタンティノープル総主教区に競争心を燃やし始めた
この競争心はローマ総主教(師父、法皇(パパ))に蛮族からの圧力がかかり、
燃え始めたものであった。
ローマは蛮族がローマの西側を手に入れたことからローマは帝国の重要都市として
数えられなくなり、五大総主教の首位の座をおりなければならないのではないかという憂いを抱いた。
他方、
四大総主教はローマが蛮族の手に入っても、ローマの首位としての位置を否定したことは一度もない。
彼らはつねにどの総主教区も平等でありつつ古のローマの都としての首位の座を尊ぶという態度をとっていた。
しかしローマは平等性を無視して
上下関係を他の総主教区に要求。
(ローマ総主教の逆恨みでカトリック誕生ってまさにルサンチマンの宗教だな)
ローマ総主教区は蛮族に対抗するために駆け引きと政治を必要とした。
教会のまとめ役でなく政治権力をもつ法皇とならなければならなくなる。
こうして法皇権が生まれてくる。
中世西欧の専制主義的教会機構、
法皇を頭とするピラミッド型組織は法皇権主張の産物。
・フィリオケ(子より出で)はすでに六世紀ごろから西側で地方的に受け入れられていた。
九世紀までローマ教会はフィリオケを全面的に唱えてはいなかったが
地盤とメンツの問題で受け入れ法皇権とともに固守するようになる。
正教は、フィリオケをローマが全地公会議の承認なく加えたこと
神学的にはフィリオケをにつめると異端となると否定。
・奉神礼は新約聖書がかかれる前から有り、
新約の下地。
奉神礼はギリシャ語でリトルギア
=ラオス+エルゴン。
ラオスは人々、民衆。
エルゴンは仕事。
リトルギア=公務。
奉神礼では参加者は必ず役割が与えられる。
・奉神礼にて。
司祭が司会であるところから
会合のなかでとくに注意を喚起するようなときには
開会と閉会の挨拶と同様に司祭により特定の祈りの句が唱えられる。
ひんぱんに唱えられるものとして
英知
つつしみて聞くべし(聖書が読まれるとき)
つつしみて立て(大切な行為が行われるから注意をはらえ)
衆人に平安(会衆が「なんじの神(しん)にも」と答える)
という句がある。
英知はギリシャ語のソフィアを訳したもので
神の知をあらわした聖書をさすと同時に
神の知を具現したイエス・キリストの臨在を表現するために唱えられる。
古くから神の臨在を表現するために唱えられるハレルヤ(ギリシャ正教ではアリルイア)
という語の役割と同じである。
衆人に平安(会衆が「なんじの神(しん)にも」と答える)と唱えられるとき
司祭は会衆を祝福する。
奉神礼だけでなく司祭や主教は信徒に会うときに祝福する。
祝福は右手で行われる。
人差し指をたてI
中指を曲げてC
親指と薬指を交差しX
小指を曲げC
という文字配列を作り出す。
IC・XCはイエス・キリストのギリシャ語でのイニシャル。
右手なのはイエスが神の右腕であることを示す。
祝福はイエスによることを表明する動作。
この指の形で十字架を描く以外に
比較的大きい握りのついた十字架や聖書を使い場合もある。
祝福は公の場では司祭や主教に限られるが
私的生活では誰でもしてよい。
・神の前に起立するのが信仰表明。
死の床から起された人間の姿勢と解釈される。
・十字を描くときによく礼をすることがある。
抑拝という。
(礼は人ではなく神に対して行うもの。
典型的日本人みたいにやたら人に礼すると不敬に思われそう)
・祭服は主教、司祭が奉神礼のために着用し
会衆の瞑想の助けとしたのであるが
奉神礼の行われる場である教会の建物の役割も同じ。
建物の造りをはじめとし
内外に設置されているものすべてに意味が秘められ
それらを見ていつでも瞑想が初められるようになってる。
ロシア教会の玉ねぎ形のドームは
火の玉を瞑想するようにつくられている。
新約の使徒行伝二章にある神の力をあらわす火の玉であり
その力が教会にあることを示す。
初代からキリスト教は建物ではなくクリスチャンの集まりをさして教会とよぶ。
・啓蒙礼儀
洗礼とよばれる入会の礼儀は
啓蒙礼儀とよばれる記帳と魔除けの礼儀から始まる。
洗礼を受ける決断をした者の真剣さを保証する代父と代母と呼ばれる者が
主教もしくは司祭のところに洗礼を受ける者を連れて行き承認を得る。
承認されると教会名簿に記帳されクリスチャンであることが宣言される。
この宣言は悪魔と縁を切りキリストと縁が結ばれたことを表明する。
この悪魔とは中世ヨーロッパの迷信の中で流行した戯画的悪魔とは違う。
神や善を見失った人間の状態や生活をさす現実的なものである。
人間にのりうつり、狂わせてしまう現実的な得体のしれない悪の力である。
・喜びの油がつけられるとすぐに洗礼を受ける。
至聖三者の御名によりて祈りが唱えられ
受洗者はアミンと三度答えつつ全身、
洗礼用の衣をつけたまま水の中に三度静められる。
この浸水によりキリストの死と復活が体験される。
三は完璧さをあらわす。
今までの古き自分を洗礼の水で溺死させ
キリストの死と復活の形にならい
新しい自分を復活させる。
・結婚
互いの生活がキリストに向かう同一のものでなければならないという前提条件のもとに、
一身同体となる約束がかわされる。
この約束を指輪で表す。
指輪は古代において主人と僕の関係を輪であらわしていたことに由来する。
二人がキリストを主人とする僕であると同時に
互いが相手の僕であることを意味している。
ギリシャ正教では指輪を右手のくすり指にはめる。
右手は信経の句にあるようにキリストが天の父の右に座し、
クリスチャンを僕とする主であることを記憶するためだえる。
くすり指は、親指から、人さし指、中指とキリスト教の三位一体の神の名を
父と子と聖神と唱え、この神に従うことを承認するアミンを唱える指だからである。
神の僕である二人は
互いに対しても僕として
謙虚さをもち、
互いを受け入れあうとき
性のへだたりがとかれ、一身同体となる。
神により一身同体に合わせられた者を分かつことは
何人といえどもできないと祈りの句は言う。
指輪の交換は三度行われる。
終わるとすぐに戴冠礼儀が始まる。
離婚で終わりとなる結婚観はない。
(結婚=男女が一心同体になる儀式。
指輪をつけることもキリスト教の儀式。
指輪はもとは主従契約の証)
・コンスタンチノープルの聖テオドルの時代には
不眠者とよばれる修道士たちがいて
四六時中祈りを行っていた。
祈り八時間、仕事八時間、睡眠八時間。
(一日八時間労働は修道院由来っぽいな)
・一日は夕暮れから始まる。
暦には動暦(復活祭が毎年不定)
と不動暦(九月一日が新年の始まり)
の二種類がある。
・8は永遠、来世、天国、神の国という意味。
7は天地創造、この世が完璧で善であることを示す。
7に唯一神の1を足して8。
四世紀から正式に主日の名称の中に加えられた日曜日は
ローマ帝国時代は太陽神の日であった。
・ドストエフスキーは正教会の信徒であり、『カラマーゾフの兄弟』にて
特に注目すべきが大審問官の章とゾシマ長老の最後の説教である。
(カラマーゾフは大審問官とゾシマの教えだけちゃんと読んだが、他の個所は適当に読んだ)
ギリシャ正教は信仰と理性を一体のものとして考える。
この調和はドストエフスキイが提示する人間観にも反映されている。
イワンが大審問官の話の中で、
カトリシズムを始めとして
社会主義、奇蹟、神秘、
政治権力、自由という問題と交叉させて明らかにする人間観は
ギリシャ正教でなく合理主義的キリスト教のもの。
この人間観は
中世ローマン・カトリシズムの個人の自由を認めない教会機構による人間の統一と、
それに対抗して出たプロテスタンティズムの統一のない人間の自由という二つの考え方を生み出し
それぞれの教会形態の基盤となった。
社会主義と資本主義はこの両者の写しであるともいえようか。
(カトリックは社会主義的らしい)
・正教は学問と無縁な者でも信仰を保持しているならば神学を保持しているといえる。
信仰体験即神学とする。
正教神学は現実の信仰体験を前提としている。
神学者は信仰を哲学的な言葉で体系化する代わりに、
聖書をもとに体験的な言葉で詩的に表現し
信仰の論理を明快にうちたてているところからもわかる。
知的なレベルにおける神学論議を机上の空論、思考遊戯とし
知的空想の領域をでないものと考えていた。
神について知的に学ぶのが西のキリスト教の神学なら
キリスト教文化の中に生きて神を体験的に身をもって学ぶのが東のキリスト教神学といえる。
つまりギリシャ正教の思想をまとめた神学を習得するには
その文化の中に生きなければできないということである。
必ずしも体験を論文にできなくてもよい。
師父たちがまとめた神学は論文として提出されるよりも
聖歌、イコン、教会規則、主教たちの書簡や、説教の形で提出され、
対象はいわゆる神学者ではなく全教会員であった。
ギリシャ正教の思想家の中で誰も神学大全を書こうと試みなかったのは
思想というものを知的な領域に限定したとき
現実の信仰体験も同時に限定されてしまうという弱さを
ギリシャ哲学という遺産の中から聖師父たちが十分学んでいたからである。
初代キリスト教がギリシャ哲学の合理主義の影響で変質することを
双方に通暁していた聖師父たちはこうして回避した。
・グノーシス派も、
知ることのできない神という概念をもっているが
人間が神を知ることができないのは
人間が堕落し、肉体に依存しているからだとしている。
ここから禁欲が強調され、
肉体から離れれば、
人の英知により神を知るだけでなく
人が神に到達し、神そのものになれると発展する。
ここにおいて知ることのできない神とは
実は人の英知そのものをさし、
他者としてあるのではなく人が知性をとおして到達する地点となる。
これに対しギリシャ正教は
人間が神を知ることができないのは人間の堕落と肉体依存のためではなく
神が最初から人間やこの世とは異質な他者としてあるからだとしている。
人間の英知は自分とこの世に対する理解であって、
神に対するものではない。
神が異質のものであるという基本の考えを強調するために
神はすべての存在を超える者であるから存在しない者であると言い切る形でまとめられている。
神は人やこの世があるようには存在しない。
神は人の思考や創造の中にいるものでなければ
この世の物質とその構造の中にいるものでもない。
人が神を創りだしたり神そのものになることはありえない。
旧約で偶像崇拝が禁じられている理由はここにある。
神は知ることができない、
存在でない、人でない、
この世のものでないと
否定を続けていくときに
知ることのできない神が知られるようになってくるパラドックスが起きる。
・神は見えると見えざる万物を創造した。
あくまでも創造物はひとつで、ふたつではない。
見える世界と見えない世界という二つの世界がひとつになっているという
グノーシス派の二元論的考えはここにない。
ギリシャ哲学に影響された思想家のなかから、
創られたものは神の一部であり神を永遠とするならば
その部分も永遠なもので
始めも終わりもないという考えや
神は善であり愛であるから善と愛を行う対象を必要としてこの世が創られたという考えが出されるようになる。
ギリシャ正教の思想家たち、聖師父たちは
こうした哲学を反映する意見に対し
聖書をもとに、創られたものは
神が自分の意志と考えにより創りだした他者で
神自身を創造物として表示したり、
神自身の一部を創造物としたのではないと主張。
神は創られたものとはまったく異質で
それが神に依存するように神は創られたものに依存せず、
ましてや神には創られたもののような存在の条件はまったくない。
神は創られらものを超える創ったものであるから創られたものに限定されない。
創られたものはまったく反対で神により創られ神に依存する。
創世記にあるように
神はすべての創造物を善きものとして創っているから
この世は神により愛され養育されるものである。
愛され養育される対象だから独自の本質をもった形で創られているということも
哲学的思想に対して強調される。
この世は別世界の写しや投影ではないし
現象だけのものでもない。
創造物は独自の本質をもつ、現実的な世界である。
天地創造が過去のある時点に一回限り行われたという考えはない。
(ちゃんと
聖書>それ以外の哲学など
という正しい一神教の姿勢だ!
正教は霊肉の善悪二元論を否定する。
グノーシス主義をかなり意識して否定している。
)
・悪魔の正体
人間は神に代わってこの世を治め、
神化されるために創られている。
ところが人間は実際には神に代わってこの世を治めきることができず、
逆にこの世によって治められている。これを人間の堕落という。
この堕落に深いかかわりをもつものとして聖書の中に悪魔が出てくる。
悪魔といっても
中世に流行した魔術に関係する悪魔とか
神話の中に出てくる悪魔とはすこし違う。
神は悪なるものを創ってはいない。
悪魔はどこから生じたのか。
万物の一番最後に創られた人間が生き方の選択を誤り、
神の意志と考えに背を向けるところから
悪が生じるようになったのである。
これにより人は神との交わりを失うと同時に
自分とこの世の間にある調和を失った。
悪が実体として存在しはじめるようになる。
人はこの世を神との交わりの場とせず
自分の意志と考えでこの世を自分との交わりの場、自己満足の場としてしまった。
この世は人にとって神に代わるものとなり
人の交わりの対象となる。
本来、神からこの世を治める主人の役割をまかされていたのにそれに合意せず
人は自分の考えと意志に従うことによってこれを放棄してしまった。
ここに悪が生じる。
人はこの世に隷属するものとなった。
人がみずからの誤りのために生じた自分とこの世の関係が悪なるものであり
人がこの関係を是正しない限り
この世は悪なるものとして
人間に使用されると同時に君臨する。
これが悪魔の正体である。
実は存在しないのに
人の誤りのために現実的に存在しはじめるという得体のしれないもの。
こうした悪の存在を認めても
善悪二元論を提唱していない。
この世は悪用されても終始一貫して善きものとしてありつづける。
神の善き創造物は人間の誤りから悪の化身に変化する。
偶像崇拝は人が始めた一人芝居。
(偶像=被造物≠ゴッド。
正教は悪魔を個人的存在とみなしていないらしい。
一神教は悪の存在理由の説明が大変だなあ。
悪は人間の自由意志のせいとすることが多いな。
じゃあ最初から自由意志なんて与えるなよ。
全知全能視点だと自由も意志も実質存在しないだろうけど。
生じた悪を放置するのはいいのだろうか)
死は悪の究極の形である。
・グノーシス派は天使と天空の世界を詳しく説明しようとするが
ギリシャ正教の思想家たちの中では
ディオニシウスを除いて誰もそのようなことを試みていないし
その必要もなかった。
善と悪、悪魔と天使の抗争に代表される二元論をとらないからであり
神と天地創造をきわめて現実的に解釈するからである。
・助けるもののほうが助けられるものよりも強くなければならないのが当然。
男女関係も同じ。
女は男を助けるものとして強く創られている。
この女の強さは助け人としての強さであるから
誤用すると、男女の仲を裂き、関係を乱す力となってしまう。
ロシアで嫁が髪の毛をスカーフでおおい
アラビアで顔を隠し
日本で一歩さがって妻が夫の後ろを歩くという古い習慣は
男尊女卑という言葉の裏に隠された女の力を暗示するものといってよい。
スカーフを取り、
顔を見せ
一歩さがらず歩くときに
その力によって男の影が薄くなってしまう。
・プラトニズムの影響を受けたオリゲネスの
人間が永遠なるものであるが
肉化して人間となった時に肉体という墓場に入り自由でなくなった。
だから自由になるのは肉体との闘争を終え、
死により霊が体から出たときであるとする。
これに対し聖師父たちは人は神により創られたもので
人が人間とよばれるには体も霊も必要であると主張。
体のない霊は土に帰る死体であり
物体であり人間とはよばれない。
この逆もしかりで
体のない霊は幽霊という言葉もあるように
化物であり人間ではない。
体と霊は不可分として存在する。
正教は肉と霊を分けて考える二元論に対抗している。
(正教は性善説。
正教は霊肉善悪二元論を否定。
霊も肉体も必要な善なるものとして神が創造した。
よく考えたら一神教で全知全能の善なる絶対者が創造した~
という教義なのにカルヴァン派みたいな極端な性悪説っておかしいな。
正確には善として創造されたが堕落した説だが、
全的堕落が予定=人間の意志と行動で変更不可能
とされている時点でゴッドが善でなくなってしまう。
罪が引き継がれる時点でアダムとイブとイエスとマリア以外は性悪になってしまう。
)
・( 像…image。
神の像は堕罪によって破損。像は消滅せずに残存。
∴人間は神の像(イコン)なので尊い。
肖(似る。似せる)…likeness。
神の肖は堕罪によって失われた。が意思によって求め得る。)
人はすべて神の像をもっているが
肖はこの世に生きるときに人と神との交わりにより
自分の意志と力で自分の中に築きあげてゆくものである。
像は人間がどんな人生を送ろうが消えないが
肖は人が意志と力により自分の中にとりいれなければならない。
肖は人がみずからの神との交わりにより形成するものである。
創世記の人間は自分の意志を放棄することにより
神の肖を達成できなくなった。
神の意にそむいて木の実を食べ
自分の中に死を招いたと聖書にあるのはこのことをさす。
すでに神の像と肖を与えられている人間に
神のようになれると誘惑を与える蛇は
人間に偽りの像を与えた。
この虚像に意志をゆだねたのは人間である。
・正教では人が自分の意志と力で神の似姿を脱いでしまうことを堕落という。
堕落の罪は人の行為により生じるとするので
アダム以来人の性質に本来あるという西のキリスト教の原罪の考え方は正教にはない。
堕落の罪が人と人との交わりにより伝染することを否定するわけではない。
阻止しなければこの堕落は伝染していく。
西のキリスト教に生じた原罪の概念が
聖フォチウスなどにより誤解として強く否定される理由はここにある。
堕落により人が神の肖をみずからの中に形成せず
この世に従属しても神の像はかろうじて保たれているが
人間とよばれるにふさわしい状態ではない。
肖をとらずに像をもちつづけて生きることは
すでに述べた人間の生命の概念を半減してしまうので
ややもすると像まで傷つけられてしまう。
・正教は聖人はいても俗人はいないという考えが強い。
・聖師父たちが繰り返し唱えている
神が人となったのだから、人も神となれる
という言葉はイエスにある神化された人間性を前提としているものであり、
神が人となったことにより、
人間性が完全に神と交わりをもち、
神の命にあずかれるようになったことを意味する。
神が歴史的な人間イエスとして生まれることにより具体的に神化された人間性が
この世に生まれてくるひとりひとりの人間性となった。
人がこの事実に目覚め、
イエス・キリストの生活形態をとりはじめるとき
今度は人の人生の中に神化された人間性が実際に具体化されていき
聖人と呼ばれる者が生まれてくる。
(神そのものになるという意味ではないことに注意。
あくまで近似でないと、グノーシス主義になってしまう。
正統多数派も神が人になったという教えなのでグノーシスっぽさを完全に消せない)
・マリアはイエスを生んだ後も処女とされている。
イエスは男女の性の結合なく生まれた人間。
・性に対する嫌悪感はない。
神と人の結合が
人間男女の結合の基盤。
・教会は聖神の力と働きを反映するものであって
決してそれらと混同されるものでない。
聖神による神の力と働きを受け
イエスに明らかにされた人間性を自分の中に回復した人々が創りだす
この世における機構である。
だから中世ヨーロッパで流行した
教会に神の絶対的な権力がゆだねられ
全てのものがこれに従うべきであるとする考え方はここにない。
神に代わってこの世に対し道徳的価値基準や絶対的権力を主張するのが教会ではない。
教会がこの世と人に対してもつ使命は
イエスによって導き出された人間性を
教会の中にある聖神による神との交わりをとおして
今日に生きる人々にもたらすこと。
・正教の経典は大まかに分類すると十一ある。
福音経
四福音書が入っている。
文字で書かれたイコンとも考えられる。
かならず金か銀ときれの表紙で
皮表紙のものは絶対にない。
使徒経
使徒行伝と聖使徒の書簡が入っている。
福音経でも使徒経にも黙示録は入っていないことに注意。
聖詠経
旧約の詩編全巻が入っている。
以上の三経典が一組。
(黙示録を外していることが重要。
黙示録も聖典には含まれる。
黙示録カルト対策のために正教が公式で注意が必要と強調している。
本書年表には
398年
金口イアオン(金口聖ヨハネ)、コンスタンチノープル総主教となる。
があり、
このイアオンはヨハネス・クリュソストモスとも呼ばれる。
黄金の口
=クリュソ(黄金) +ストモス(口)。
金口イアオンと他の主教たちの間で『黙示録』の聖書正典収録に関しての議論が巻き起こった。
理由は『黙示録』が難解で、都合よく解釈して悪用されることを恐れたから。
公式見解
http://www.orthodoxjapan.jp/tebiki/oshie02.html
”正教会の奉神礼の中で、「使徒経」と「福音経」はセットにして読まれます。正教会にとって聖書とは何よりも「祈りの書」なのです。
イオアン(ヨハネ)による「黙示録」は、特別な書物であり、勝手な解釈を施さないよう注意が必要です。
新約聖書の原語はギリシャ語であり、それらを写本して伝達してきたのは、正教会であるという事実は知っておくべきです。”)
・コンスタンチノープル総主教に
エキュメニカル総主教という尊称が与えられているのは
ギリシャ正教の世界を総代するという重要な立場のためである。
ギリシャ正教は地方自治体的性格をもっているので国単位で教会が建てられるようになっている。
・日本で知られている修道、
俗界をはなれ西域の中で禁欲苦行する、
は西欧のもの。
正教の修道は聖か俗かの選択から始まっていない。
西欧キリスト教の修道の起源はギリシャ正教の修道。
ギリシャ正教の修道はビザンチン・ハーモニーのアンチ・テーゼとして発生した。
意図はキリスト教本来の信仰形態を確実に伝承すること。
師父たちは街を捨てて荒野に出たのであるが世捨て人になったのではない。
みずからキリストの完璧な生きた映(うつし)(イコン)となることを目的とした。
目的が達成されれば街に帰る者もいた。
修道が盛んになると都で行をする者も出てくる。
・修道が神学の基礎
聖師父たちの神学はキリストの生きた映たらんとする生活から
湧き出る祈りの心を歌いあがえたもので
たんなる頭の中の知的遊戯ではない。
聖アントニイを中心に
四世紀の修道は精神向上を求める者だけでなく
生活の苦しいものや
税金を納めることが出来なくなり砂漠に逃げ出した者なども
吸収して大きくなる。
隠遁者たちは木の上、叢、洞窟、野牛の群れの中と修行の場を広げる。
・天に近づく修行者
一風変わっているのは
聖シメオン(459年永眠)の塔の上の隠遁。
聖シメオン自身、
あまりにも修道熱心で修道院から出されてしまったほどの変わり者。
ひとりで隠遁を始めると
聖シメオンは体を土の中に埋め頭だけを出していたり、
針だらけの腰巻を身に着け寝起きするという苦行を行う。
これらの苦行にも満足できなくなった聖シメオンは
ついに柱を建ててその上に登った。
天の神に近づこうという意味をふくんで始められたこの修行は
彼が永眠するまで続けられる。
最初は低かったが
最後の柱は約28メートルもの高さがあった。
この高さになると柱ではなく塔と呼べる。
彼は登塔者聖シメオンと呼ばれる。
柱が塔になったのは
一風変わった隠遁者を訪れる者が増え、
柱の下で彼の徳にあやかるために彼の衣の切れ端でもよいからと
もらおうとする騒ぎがひんぱんに起こるようになったから。
もちろん、騒々しさを避けるためだけでないのは
柱を建てるようになった意図からわかる。
すこしでもキリストのいる天に近くあろうとする信仰の高まりを示すものでもある。
柱の上に自分が寝起きできるぐらいの台を築き、
そこで苦行する隠遁の形は何人かの後継者をもつ。
・修道生活の第一原則は
働かざる者、食うべからず。
教育施設や病院設置だけでなく
刑務所の役割も果たした。
修道士ではないから一見して犯罪者とわかる衣を身に着ける。
そのほとんどは軽犯罪で入ったものばかりだったが
彼らにとってはこのうえもない人生の修行の場であったに違いない。
退職者を多く受け入れていたから生産的でもあった。
年表
30
イエス・キリスト死と復活
(イエス実在の聖典以外の根拠はない)
70
エルサレムのユダヤ教の神殿破壊される
140
マルキオン派盛んとなる。
グノーシス派の隆盛。
185
オリゲネス誕生
242
マニ教始まる
252
オリゲネス永眠
313
ローマ帝国、ミラノ勅令でキリスト教公認
323
アレキサンドリア公会議でアリウス派が異端とされる。
325
第一回全地公会議ニケヤで開催
330
ローマ帝国、首都をコンスタンチノープルに移す
375
聖エロニムス砂漠に出て修道
ゲルマン民族大移動開始
444
聖キリル永眠
500
クロヴィス洗礼を受ける
533
古代ローマ法を集大成
990
ロシアがギリシャ正教を国教とする
1215
ジョン王、マグナ・カルタに署印。
1560
モスクワを第三のローマとする動き。
イワン雷帝発狂。
1880
日本の聖ニコライ、主教となる。
モスクワでドストエフスキーと会見。
クリメント北原史門著『正教会の祭と暦』
・21現在、ユリウス暦とグレゴリオ暦の間には13日間のズレがある。
ユリウス暦は実際の季節とはズレが出てきたため、
16世紀にローマ・カトリック教会ではローマ教皇によってグレゴリオ暦が導入されたが
正教会は復活大祭の計算に問題が発生することなどからこの新暦の導入を拒否。
プロテスタントでもグレゴリオ暦に対して異論が起こり
同じ西欧でも
プロテスタント諸国ではグレゴリオ歴の導入が遅れた。
しかし20世紀に入り
正教会でも実際の天体の運行とユリウス暦のズレが拡大することが問題だと考える人々が出てきた。
結果、修正ユリウス暦が一部教会で採用された。
これは2800年まではグレゴリオ暦との間にズレは生じない。
ユリウス暦を使用する正教会
エルサレム、ロシア、セルビア、
グルジア、アトス山、日本、
各地の旧暦派(古暦派)
修正ユリウス暦
コンスタンディヌーポリ(現代希語表記)、
アレクサンドリア、アンティオキア、
ブルガリア、ルーマニア、
ギリシャ、アメリカ
グレゴリオ
フィンランド、エストニア
・偶像
は正教会では
存在しないものの像
神ではない被造物なのに崇拝される者。
正教のイコンは存在するものの像であり
かつ崇拝対象ではないので
偶像崇拝に当たらないと位置づけられる。
刻まれた像に限らず
例えば金銭も崇拝されるほどになれば偶像になり拝金主義となる。
・正教の聖歌は無伴奏声楽。
・正教の
来世
=いつ来るかは事前には絶対に分からないこの世の終わりが来た後、
永遠に続く次の世のこと。
輪廻転生といった概念は正教会のみならず全キリスト教にありません。
(新約には終末がいつくるかわからないとあるので
年月日計算して騒いでいる奴は全員無知か嘘つき。
著者はグノーシス派キリスト教(一部輪廻を認める派閥あり)は
キリスト教とみなしていないのだろうか?)
来世がどのようなものか、
良い状態での復活後の身体がどのようなものなのかは
正教においても今は理解を超えているとされ
輝かしく、病もなく、神の似姿に至った状態などということ以外
具体的に語られていない。
復活の際に死に別れた人とも再開できるとされていることから
家族や友人に死に別れた人にとって
復活大祭は深く慰められ力づけられる祭りでもある。
・成聖(せいせい)
対象を聖にし、神とのつながりを回復すること。
水を成聖すれば聖水になる。
・十字架出行祭(しゅっこうさい)
8/1か
8/14
コンスタンディヌーポリで
疫病が頻繁に流行る8月に十字架を聖堂から出して町を成聖し、
病の根絶を祈願したことに由来する祭り。
988年のこの日にキエフ・ルーシの集団洗礼が行われたことを記憶し、
ロシア正教会、ウクライナ正教会などでは小聖水式が行われる習慣がある。
この日はロシア正教会、ウクライナ正教会などでは
蜜蜂の救主(きゅうしゅ)
とも呼ばれ蜜蜂の収穫を神に感謝し
蜜蜂に聖水をかけて成聖する習慣もある。
・永遠の生命(いのち)
正教会において
いつ来るか分からない
この世の終わりが来た後
霊(たましい)だけでなく肉体も伴って復活し
新しい生命をもって永遠に生きることを表す。
全ての人が復活するが
良い復活を遂げるように今から備え続け
また良い復活に今この世でも部分的に与り続ける。
古代からキリスト教で議論になってきた
非信者も救われるか
については
正教会では断言されていない。
ただ
非信者が正教信者になること
非信者も救われること
の両方を正教会は願う姿勢をとっている。
(正教では非信者も救われるかは断言しない
=地獄行きと断定しない)
・生神女(神を生んだ女)がマリヤ(マリア)の称号。
聖なる母は一人ではないので
(母親で聖人となった女性は数多く、
これから増え続ける)
限定として不十分であるから
聖母という用語はほとんど使われない。
英語を使う正教会でもHoly Motherとはまず呼ばない。
・罪は元の希語、
現代ではアマルティア
古典ではハマルティアでは
的外れ
という意味であり
日本語の罪とは範囲が大分異なる。
例えば思い通りにならないことに対する舌打ちまでも罪に数えられる。
そうした罪までも悔い改めれば救われると教えられる。
原罪の捉え方は東西教会間で違う。
正教の原罪観は
西方教会の
原罪責
とは無縁。
正教では誤解を呼びやすい理由から
原罪という用語を避けることすらある。
正教ではローマ・カトリックの
聖母の無原罪
は存在しない。
・天使創造の日数
実際に24時間×7日で創造されたとする考えと
象徴的記述であり
旧約に
神にとって千年は一日の如し
とある通り1日を24時間とそのまま捉えるべきではないという考えの
両方が正教会内にある。
『東方正教会』 (文庫クセジュ)
オリヴィエ・クレマン,冷牟田修二,白石治朗
白水社
1977/01
・静寂主義者(ヘシカスト)は
静寂という意味のギリシア語ヘーシュキアに由来する。
主の御名と憐れみをこう祈りの反復や、
呼吸訓練などの禁欲的修行によって
神との神秘的な合一を信奉する修道士たちのこと。
10世紀ごろからみられ、
14世紀にビザンツの聖アトス山の修道心を中心にさかんになった。
・ローマ教会の離反の重要な原因についてはフィーリオークェ主義の確立とともにあらわれ
これと深くかかわっている。
教皇は従来各地方教会の中心にあり(名誉上の首位)、
道徳的な愛による指導をもってのぞんでいたが
この態度をあらため
地方教会にたいして直接的・法的な権限をもとうとした。
結果、主教や府主教、総主教がもつ伝統的な権威は無視された。
11世紀になると教皇グレゴリウス七世の改革がおこなわれ
教皇権は皇帝から独立し教会は封建君主から自由になった。
司教は教皇に直属し(国王も直属させられた。すなわち両剣論)
またローマ教皇の無謬性が主張されるようになった。
もっともこの無謬性が教理として定められたのは
やっと1870年のことである(第一ヴァチカン公会議)。
両剣論
両剣とは教会と国家のこと。
中世において、
ことに教皇ボニファティウス8世
(位1294-1303)
によってとなえられた。
二本の剣はもともとキリストからペテロ、
ついで教皇に委託されたものであるが、
教会はみずからのうちに霊剣を保留し、
俗剣は君主に渡す。
しかし、俗剣は教会のために使用されるべき剣であって
霊剣に服さなければならないとされる。
(「両剣論
=カトリック教会>王様」
新ナチ工作員のboはカトリック史に詳しそう(笑))
・佯狂者(ようきょうしゃ)
はロシア語の
ユロージヴィ
にあたる。
預言の能力を持つ狂人、
もしくは狂人とみせかける禁欲者。
キリストのためにあらゆる人知をすてさることは、
ビザンツでも聖性の一つのありかたとして考えられていたが
ロシアでさらにさかんになった。
聖ヴァシーリー・ブラジェーンヌイ(1552没)などが代表的。
(佯=見せかけ)
宗教狂人、神の使い、
神がかり的狂人、痴愚の行者、
瘋癲行者などの訳語がある。
・教皇ピウス9世が
1846年の回勅で教皇の無謬性を主張した。
(数字が狙っているっぽい)
1870年の第一ヴァチカン公会議で
教皇が聖座より宣した信仰・道徳上の教示は不可謬だという教理が認められた。
・神のかたちをもつもの(像)としてつくられた人間は
自発的に神にむかいながら
神に似たもの(肖)とならなければならない。
( 像…image。
神の像は堕罪によって破損。像は消滅せずに残存。
∴人間は神の像(イコン)なので尊い。
肖(似る。似せる)…likeness。
神の肖は堕罪によって失われた。が意思によって求め得る。)
・悪とは神から離れていること。
・プラトーン学派は、
知性と神性とに一種の同質性を認めているが、
ビザンツの神学は教父神学以上にはっきりとこのような同質性を否定している。
超越的な神は本性上、人間には近づくことのできない神である。
・神化(テオーシス)はヘレニズムからの借り物ではない。
事実、新プラトーン主義では
魂はみずからが神的であるという意識をもつにすぎない。
テオーシスはもともとキリスト教徒がつくりだした言葉であり
人間と神との親子・養子関係の言葉と深く結びついてものである。
聖アタナシオス
「聖霊によって言葉(キリスト)は被造物を栄光あるものとし、
神化し、養子として、父のもとへ導いていく」
・オーリゲネースは
最後には信仰をもたないものも、
悪魔も、すべてのものが救われるとしたが、
教会はこうした思想を認めず異端とした
(400年のアレクサンドレイア公会)。
オリゲネス主義を教会は拒否したのは
すべてのものの復活はとても確実なこととはいいきれないから。
参考資料
https://twitter.com/pteras14/status/999840552609693696
>ω<
@u_akihiro
5月25日
>ω<さんがLing-muをリツイートしました
こういう人たちにとって、死海文書って、どう見えるんだろう。永久不変の聖書なんてないとわかっているのに。
>ω<さんが追加
Ling-mu
@Ling_mu
教科書から「進化論」が消えようとしている、原因は「聖書に矛盾するから」 - GIGAZINE https://gigazine.net/news/20180525-arizona-delete-evolution/ …
ぐだトマト
@pteras14
5月25日
まず、大まかにキリスト教には既知の
通り二大派閥があります。カトリックと
プロテスタントですね。(東方系の正教
は今回は除いておきます)
「聖書」の記述を重視するのは
プロテスタントの方なんですね。
カトリックは聖書よりも教会の神父の
お説教の方が重視されます。
🇺🇸は新教系なので前者
何でこんな違いがあるのかと言うと
古代ローマの黎明期のカトリック
には聖書なんてまだ作られてなかった
んですね。なので神父の講義が基本でした。
これをラテン語で「traditio」と言い、
英語のtradition(伝統)の語源ですね。
で、最初の聖書はギリシャ語で書かれ
ました。古代ローマ圏の→
リンガ・フランカがギリシャ語(コイネー語)
だったからです。
中世以降は専らラテン語で聖書が写本
されて使用されましたが、ギリシャ語
の聖書は段々と使用されなくなりました。
そこでエラスムスという奴がギリシャ語
訳聖書を発売してしまうんですね。
→
→
で、「ラテン語の聖書と中身が違う!
神父のお説教も間違ってる!💢」
みたいな伝言ゲームの粗探しみたいな
状況になってプロテスタントの勃興
へと繋がりました。
アメリカはこのプロテスタントの
系列なのでやたらと聖書の内容に
拘る文化を引き継いでいるのです。
修行中のとんくん
? @ixthusnesos
2月12日
新約聖書のギリシャ語訳、エラスムスが無茶な期間と手法で1615年に出版したものが爆発的に売れ、何度も重版になり、ルターがドイツ語訳の底本にし……というぐにゃぐにゃの状態のままどんどん浸透してしまうの、どっかで聞いた話だよなぁと思ったんだが→
ラメセス4世のお墓の設計図。レプシュースが写し間違えていたヒエラティックの図を、そのままガーディナーが引用しちゃって、それをさらに聖刻文字に直しちゃったのをたくさんの人が読み……っていうやつだわ。一度権威を持たれてしまうと、真実が埋もれてしまう。
textus receptus, sed non recipiendus(受け入れられているが、受け入れ難いテキスト) だって。このあたりの写本の問題は文字に関する学問ならではのような気がしなくもないが、なかなかに興味深い。
あ、ちなみに今読んでるのは、加藤隆(1999)『新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか』、大修館書店 です。
>カトリック教会はフスを1411年に破門し、コンスタンツ公会議によって有罪とされた。その後、世俗の勢力に引き渡され、杭にかけられて火刑に処された
フスの思想の根幹
>本来の教会は、一般に教会が主張する階層制度ではない。
教会は、時をこえて救世を運命づけられた人の聖体であり、その長は教皇ではなくキリストである。
教皇に従えば救済を受けられるなど、神の教義の条文には書いてない。
>さらに、形式的に教会に所属することや、教会の職務や職位は、その人が真実の教会の一員であることを保証はしない。
フスの思想の下敷きにあるのはウィクリフの著作。というか、殆どウィクリフの主張と一致。
公務員試験用世界史bot
? @bot67963600
【中世欧州⑫】シスマ解消:コンスタンツ公会議(1414)→
これで教会は再び統一され
教皇を批判したイギリスのウィクリフやボヘミアのフスなどの処刑も決定した
(その後もフスを支持する人らがフス戦争などの住民蜂起をボヘミアで起こした)
峨骨さんがリツイート
難関私大向け世界史bot
? @nankansekaishi
5月22日
【ジシュカ】
フス派の指導者。独眼の特異な風貌で知られる。フスの熱狂的支持者であり、
彼の火刑後「至福千年説」を唱えるタボール派を形成、その指導者となった。農民主体の軍隊を編成し数々の新兵器を導入、彼の軍隊はジギスムントの十字軍を破るなど無類の強さを発揮し、フス戦争の英雄とされる。
中卒アスペニート
@mmmnvivi
半アリウス主義を初めアリウス派から派生した派閥もあるんですけど、
少なくともアリウス派がイエスを人と主張したから異端になった、というのは明らかな誤りなんですよね。
イエスは神であり人である、が正統教義なので、多数派にとってもイエスは人である。
御子従属説といって、父なる神に対してイエスが従属的な立場に位置する、
といういうことにイエスが父なる神の被造物だとするならなってしまう点が多数派教義との断絶ポイントだった。
このサイト割りと好きなんだけどこの解説は頂けない。
>「平たく言うと、イエスはやっぱり人だった、ということ」
いやいやそれではモナルキア主義の一部とか養子論とかという別の異端になるから、アリウス派の説明としては不適切。
https://www.y-history.net/appendix/wh0103-150.html …
ちなみに「イエスは人ではなかった」は
アタナシオス派ではもちろんなくて、仮現説という異端です。
聖書にははっきりと人間としてのイエスの姿が描かれていますが、それは単にそうやって見えただけという考え方です。
キリスト教的グノーシス主義もこの立場を取ります。
このあたり、ネットはもちろん本によっても書いてあることがかなり違って
確からしいことを掴むのにだいぶ苦労したのです。
結局より経緯の詳しい記述がある本を信用するしかない
まあとにかく、アリウス派と多数派の論点はイエスが人か神かじゃなくて、
「イエスは父なる神と同格なのか、それとも少しでも下なのか」という点だったと覚えておけば間違いないと思う。
あと実はアリウス派はイエスを人間と主張した訳ではない
というか、アタナシウス派(カトリックとか正教会とかその他)もイエスは人間と言っているので神学上の論点はそこではなかった。簡潔にいうとアリウス派はイエスを神そのものとは認めず、そこが異端とされた。
アリウス派の主張では、イエスは神が創った最初の被造物とされた。
父なる神は創造されず始まりもなく存在しているが、
子はそうではなく、始まりはずだがあったというのがアリウスの意見だった。
これがアタナシウス派と対立する。
たまにアリウス派はイエスの人間としての属性(人性)を強調した、というような説明が見られるが、これはほぼ間違いと言っていいと思う。
少なくともアリウスはイエスは最初の被造物であるという点を強調しているのであり、
そこらへんの人間や預言者とは全然別格の存在として扱われていたはずである。
アリウス派はイエスの人性を強調した、というのはアタナシウス派の言い分に過ぎないと思われる。
アタナシウス派からすれば、イエスが神の被造物なら父なる神と一体の存在ということが言えなくなるので受け入れられないのだ。
こんな神学上の微妙な論争は一般の信徒はもちろん非聖職者の貴族もほとんど理解していなかったはずで、
アリウス派とアタナシウス派とかその他で対立が生じていたのはほぼ純粋に所属する宗派が党派性を生んでいたからだと思われる。だからクロヴィスの改宗も、党派を明らかにした行動と捉える方が良い
アリウス派だったのはゲルマン人全般というか、東西ゴート族とヴァンダル族及びスエビ族、ランゴバルド族あたりですかね。
中卒アスペニートさんがリツイート
Sato(サトー)P@小物
? @kumakoto711
20時間20時間前
アリウス自身の主張≒アリウス派というの何かで読んだことあるけど、異端認定自体レッテル張りめいたものあるし、微妙な問題だよなぁ…
ヒストペディア
? @cubeworldvdma
5月20日
エラスムスのギリシャ語訳聖書を読んだイングランドの人文主義者トマス・リネカーは「これが福音で無いか、我々がキリスト教徒でないか、どちらかだ」と述べた。それほど、当時の教会の在り方は聖書が指し示す事柄(サクラメントなど)とかけ離れている、と考えられた。
岡沢 秋(maat)@Aki_Okazawa
5月16日
・ロシアは「モスクワは第三のローマである」とローマの後継者名乗ってた
・「正教」の名は、自分たちこそ正しいキリストの教えを受け継ぐ者という自負から来ている。(カトリックは異端と見なしている)
というのを知ってると一粒で二度美味しい。
The Monks of Mount Athos
https://www.youtube.com/watch?v=wo49zWpWkz4
A Visit To The Holy Mountain ATHOS, Greece (CBS Documentary)
https://www.youtube.com/watch?v=5D8OxrSZZU8&t=1188s
The Orthodox Christian Church's Patriarch Bartholomew
https://www.youtube.com/watch?v=K6ZXxgjKk2o
お読みくださり感謝!
あきらンドール@akicanis
2016年2月16日
宗教を勉強した上で無宗教であるのは大変結構だが、
宗教に無知な状態で無宗教であるのは大変危ういから気をつけてね。
(自分自身の思想を正確に把握しないと無宗教の立場になるなんて無理。
無宗教を選択するとしても
中立とか無記的立場とか不可知論とか懐疑論とかになるだろうが
これも原始仏教や儒教とかだから結局宗教思想の一派。
あと倫理道徳も宗教の一部だ。
ここまで読んで違和感を感じなかっただろうか?
無宗教な者なんて実在しないので
無宗教の立場を選択することは不可能。
自分の思想に自覚的であれ)
正教入門はこちらの手引きをどうぞ
正教の解説書もグノーシス主義に言及している。
「物質=無条件に悪」はグノーシスの根本教義の一つ。
私の考えでは
「物質=無条件に悪」は有害。
「物質も善なるものとして創造された。
使い方次第で悪用されることはある」
という正統派(少なくとも正教)の思想のほうがまとも。
正教は肉体と精神は相互作用という思想。
なお私の思想は一神教正統多数でも異端少数派(グノーシス含む)でもない。
本記事を読めば
中世西欧の専制主義的教会機構、
法皇を頭とするピラミッド型組織は法皇権主張の産物。
311年にローマがキリスト教の迫害を停止したのでキリスト教にとって311は特別!
「キリスト教は原罪で罪悪感を植えつけ支配」
は正教に西方教会流の原罪はないので厳密には誤り!
原罪による堕落説、
ピラミッド型支配構造の教会、
政教分離も西方ヤソ思想であり
正教にはなし!
「両剣論
=カトリック教会>王様」
などがわかる。
グノーシスについては
などから学んでおくれ。
塔の上での修行期間が世界一長い、登塔者聖シメオンの絵画の衝撃↓
高橋保行『ギリシャ正教』講談社学術文庫 1980
注意点
イオアン高橋保行は正教会の聖職者。
本書の文庫初版は1980年、つまりソ連の共産主義政権下。
・ギリシャ正教の聖職者たちは
いつも黒い帽子をかぶり、
黒いマントのようなものを身にまとい、
足早に歩く。
必ずひげをたくわえ、なかには髪を長く伸ばし、
後ろでまとめている者もいる。
ギリシャでは西のキリスト教のシンボルである
黒シャツに白い襟(カラー)(西のキリスト教の聖職者の正装)を
絶対に着用しない。
ひげをのばす、
髪をやたらと切らない、
黒い服に身をつつむという聖職者の姿は
正教の伝統の大切な部分で
聖職者は必ず守るよう指示されて
聖職者になるときに署名する宣誓書の中にあるだけでなく
教会規定(カノンとギリシャ語で呼ばれる)の条項のひとつともなっている。
心にある信仰は形として明らかにされるべきであるというギリシャ正教の信仰に対する
基本的な姿勢からくる。
キリスト教発生のときにおいて
中近東でひげと髪は信仰を守るためのものであった。
ひげを剃り、髪を切る者は
当時のヘブライの民やキリスト教徒にとって異教の者であるという意味があった。
聖書を題材とした映画で極端に強調される。
エジプトの民、ソドムとゴモラの民はすべて坊主頭で、ひげがない。
ひげがないのは女と子供と考えられていたから、
ひげや髪をそり落とすことはキリスト教徒にとって性の混同(不道徳)をも意味していた。
聖書の解釈では髪は力を示す。
サムソンという長髪の力持ち。
髪は神秘的な力の存在と強さを示すものと、
旧約の時代に考えられていた。
砂漠に隠遁者が出ていき始めたころは
ギリシャ正教の4、5世紀である。
このころは脱税を考えて砂漠に出たものも多く
中には隠遁者たちの影響を受け修道士となる者もいた。
こうした隠遁者が修行に出るとき旅ではないから着替えはもたない。
長い年月をへると着てきた服も
着ているといえるようなものでなくなる。
すりきれていく服と逆に、
髪とひげがのびはじめる。
服がなくなることには
たっぷりと髪とひげがのびて服の代わりとなる。
髪とひげは修行の年月を物語るものとなり、
隠遁者が苦行を通して体得した力の存在を表すものとなる。
髪とひげののびない者は代わりに毛皮の衣を身につけたりした。
・ギリシャ正教の聖職者たちは長髪を乱さないためという機能的理由からかいつも帽子をかぶっている。
円筒形でふちのない帽子や
おわんの形をした帽子の裏にヴェールがついているものは
ギリシャ、ロシアどちらでも使われている。
これは修道士だけがかぶる権利をもっている。
ヴェールの寸法はふつうかぶっている者の背丈にあわせてあるから
修道士が永眠したときにひざをかがめさせてヴェールに入れる長さ。
ヴェールの下が袋のようになっていて、
両側にひも状のものがついている。
ヴェールに包んだ修道士をこのひもで結んで埋葬する。
つまり修道士は常に墓を背負って歩いて
みずからをこの世に対して死んだものとしなければならない。
修道士や聖職者が衣いがいに身に着けているものとして
ひもを編んで作るきれの数珠がある。
・聖像(イコン)のキリストの顔はどの顔も柔和なものではなく
いつもひきしまった顔。
後光=信条のイメージ化。
イコンは描き出された聖書。
聖書は書かれたイコン。
イコンは聖書の代わり。
このため伝統的な描き方が世襲され
いつどこで誰が描いてもほぼ同一のイメージが打ち出される。
イコンはギリシャ語のイメージという語。
・キリスト教文化で一番古い祭りは復活祭(パスハ)と本来よばれるべき
イースターでありギリシャ正教では別格大祭。
クリスマスは正教では十二大祭の一つにすぎない。
キリスト教は
キリストが復活した日から毎週その同じ日に集まり
イースターを祝ったところから始まっている。
毎週のイースターが後に日曜日とよばれるにいたった。
祭りは生活習慣や暦と密接。
現在、西のキリスト教文化の国々や日本で使われている
曜日はもとはキリスト教以前に
アレキサンドリアからローマに伝えられたもので
天体の名称をそのまま使用。
キリスト教とはまったく関係がない。
ギリシャをはじめとするオリエントでは
曜日ではなく
キリスト教起源から使われている旧約聖書の中の曜日をもとにした
純然たるキリスト教の曜日と同様のものをつかっている。
日曜日を週の第一日とし
主イエス・キリストの日という意味から
主日(キリアキ)と呼ばれる。
復活日ともよばれる。
復活日という名称は
ギリシャ正教とともにロシアに入り、建国以来今でも受け継がれている。
次に
月曜日を二日目(デフテラ)、
火曜日を三日目(トリティ)
水曜日を四日目(テタルティ)、
木曜日を五日目(ペムプティ)、
金曜日を準備の日(パラスケビ)
(安息日の前日なので)、
土曜日を安息日(サバト)
(パラスケビとしたが
本書では”バ”ラスケビだった)
・キリスト教側のギリシャ伝道の動きに一役かっていたのが
コイネー・ギリシャ語。
当時ローマ帝国デギリシャ語が万国共通(コイネー)語となっていたところに由来し
古典ギリシャ語をもとにしたアティカ方言を土台としているといわれる。
このギリシャ語の普及はアレクサンドル大王の働きによる。
忘れてならないのは
コイネー・ギリシャ語が聖書を書いたヘブライの民にとって
第二外国語という域を脱したものであったことである。
場所によっては流動的な万国共通語としてだけでなく
民族にとって定着した言語ともなっていた。
新約がギリシャ語で書かれたことからもわかるように
すでにギリシャ語によって文化をあらわすのに慣れていた。
旧約もキリスト教が生まれてくる前に
ヘブライ語からギリシャ語に訳され一般化していた。
七十人訳聖書は地中海一帯に散在していた母国語を忘れたヘブライの民のために編集し直されたものである。
・最初、キリスト教はローマ帝国では無神論者とよばれ
キリストの血と体を食べるところから人肉食主義(カニバリズム)と呼ばれて恐れられた。
(元ネタは生贄を食べる儀式でしょ。
イエスが生贄になったことを感謝するのがキリスト教)
最後で最大の迫害が
ディオクレティアヌス帝(284-305年在位)によって始められ
311年まで続く。
311年迫害停止を命ずる。
(311はキリスト教にとって迫害が終わった記念の数字。
311年にローマがキリスト教の迫害を辞めたのでキリスト教にとって特別。
ヒストペディア
@cubeworldvdma
311年、ガレリウスの寛容令。キリスト教を合法的宗教として認める。
義視
@kamo1868
5月4日
【今日の墓碑銘】
311年5月5日。ガレリウスが死去。ローマ皇帝。貧農出身だがディオクレティアヌスに抜擢され権力を握る。305年に正帝となり四分統治下での主導権確保に腐心。特にキリスト教に対しては過酷な弾圧を行った。死の直前に神の復讐を恐れ迫害解除の布告を出す(51歳・大腸癌) #生寄死帰 pic.twitter.com/IyK9Lq5uJs)
・64年のネロ帝の迫害から40年目ぐらいに(つまり二世紀)
口伝えや部分的に書き残されたキリストの教えや
行動をまとめた文書、新約聖書が作成される。
師父たちは聖書とキリスト教内部の生活形態を基盤として
迫害者やキリスト教の亜流といえるグノーシス派に対して
キリスト教の立場を明らかにする。
・西の原罪説
西のキリスト教は
人間をまず堕落したものとみるところからはじまっている。
原罪という言葉で代表される人間堕落説。
この説の裏には
堕落した人間を救うためにキリストが来たのであるが
キリストがきても堕落した人間は、
所詮救われないのではないかという現実的な人間観がひそんでいる。
(ゴッドが全知全能で完全な善に反しているな)
それゆえ堕落した人間をどう救うかと西のキリスト教は四苦八苦する。
堕落した人間を救えるのは規律であるとする。
中世カトリシズムではローマ法皇が規律の化身となる。
プロテスタンティズムは信仰と聖書が救いのためになると説く。
しかし聖書もプロテスタンティズムの中で規律の書と化する。
西のキリスト教の規律を重要視する傾向は
合理主義的にものを考える人間を生み出す。
社会形態も規律を明確に打ち出せる中央集権のピラミッド形となる。
次に人間の救いとなるのは堕落しているという認識をもつことであるとする。
堕落から抜け出るように努力させるという考え。
ここに発展を生み出す改革の論理がある。
現状を悪とみなし、改革を善とする動き。
ところがどんなに改革し改善しても生み出される状態を否定的にみるから
改革の動きはつねに存在する。
(カルヴァン派では人が努力しても救われるかどうかと無関係だから不正確では?)
西のキリスト教の世界観は堕落人間説と関連して
聖と俗をはっきり区分する。
本来のキリスト教思想には聖俗の二元的区分はない。
しかし西のキリスト教は聖なるあの世に対し
俗なるこの世があるとする。
教会はこの世にあるがこの世に対するあの世の延長。
この世を俗界とするならば教会はあの世という聖界の一部である。
聖なる教会に対し
俗なる社会という考えが生じる。
プロテスタンティズムはこの二元性に対抗しつつ俗化してしまい聖性を失ってしまう。
・東の性善説
東の伝統的なキリスト教には
原罪に代表される堕落人間説や
聖に対する俗という二元的な考えはない。
東のキリスト教は
人間が神に善なるものとして創造されたことを強調する。
人間はまず神のイメージとしてつくられたのである。
堕落は人間存在の前提ではない。
東のキリスト教でも堕落という言葉を使うが
これは人間が神に与えられたイメージを失ってしまっていることをさす。
キリストの救いは
人間にこのイメージを回復させるためにある。
こうした伝統的なキリスト教の人間観は
聖俗を二元的に対立させることを許さない。
堕落した状態とされる俗は
人間が神のイメージを失ったときの仮にとる形態であり
人間存在の絶対条件でも前提でもない。
聖俗は対立関係ではなく
聖により回復せらるべき俗、
聖を回復すべき俗という調和の関係にあり
最終的には一元に復帰する。
俗なるこの世と聖なるあの世の関係も
東のキリスト教は
はっきりと区別しつつも
キリストによって隔たりがとられたとする。
つまり、すでにこの世にあの世の力が及んでいると考える。
この世は悪とか俗とかいう言葉で否定されるものでなく
あの世への橋渡しをするものとなる。
この世はあの世の写しでなければならない。
したがって堕落した人間も世も、
俗悪だとして区別し切り捨ててしまうことなく
その中に浸透し変容を試みようというのが伝統が提示するキリスト教の姿勢である。
・初代キリスト教の形態で重要なことが二つある。
①
機能として与えられた師父と弟子の関係がキリストの前では兄弟の関係となる。
主教や司祭は個人的な権威をもつ者でなく
弟子に教会の生活形態を伝授する役割を担う者。
中世の西のキリスト教にみられる
上から下へ権威が下降していくピラミッドの形、
とくに一般のクリスチャンを平信徒とよぶ態度はない。
聖職者と平信徒という格付けは初代キリスト教にはみあたらないし、
ギリシャ正教でも
カトリックの影響を受けた後のロシアにおいて多少みられる程度で、
一般的でない。
東のキリスト教ではなんの役職にもついてない者が、
一週間で総主教とよばれる最高統治者になっても不思議はない。
(ヤソ=西のキリスト教の原罪による堕落説や
ピラミッド型支配構造は
精神が病んだ者が考えたのだろうな)
②
個々の教会と教会全体の関係
初代から東のキリスト教会では
教会というとき
現にある特定の教会をさすのがふつう。
ひとつの共同体を完全な教会の形態とみなす、
つまりキリストをかたどる者を中心とし
そこに使途が最初につくった共同体と内容的に全く同一の要素があるならば
それを永遠、不変の教会と呼ぶのである。
ひとつひとつの教会は基本的に独立した存在。
しかしそれぞれの共同体は互いの生活形態と伝統の共通性により結ばれている。
四世紀からつけたされた役職とともに
ギリシャ正教は初代からの形態を着実に世襲している。
・正教はキリスト教を宗教としているのでなく生活としている。
西のキリスト教は生活の一部であって生活そのものとなることはなかった。
・中世西欧キリスト教は
国家を俗とし
教会を聖なるものとして
互いに対立する位置に両者を置いている。
政教分離という考えが近代西欧で出たのは
カエザロ・パピズム
(皇帝が法皇になったり、
法皇が皇帝になったり、
両者ともに力関係が崩れたときに起こる状態)
の関係に
宗教と国家が置かれないため。
東のキリスト教の
ビザンチン・ハーモニーでは
原則として国家と教会を対立する力関係や位置に置かない。
教会はこの世の救いに専念するものであり
政治的に国家と競う機構ではない。
皇帝と総主教が共通のゴールに向かって歩む形を
ビザンチン・ハーモニーとよぶ。
敵対か断絶か、政教分離という考えはない。
・正教では体と心を二分し
体を俗的でだめなもの、
心を聖なるものでよいものとする二元的な考えはない。
心と体は分かちがたい。
・コンスタンチノープル公会議は
信経を決定すると同時に
ローマ帝国内の各都市の重要度によるランキングの問題を討議している。
古いローマを筆頭に
コンスタンチノープル(新ローマ)
アレキサンドリア
アンティオケ
エルサレムという順位が定められる。
しかし古いローマとアレキサンドリアは
新しい都となってまもないコンスタンチノープル(新ローマ)
を二番目に置くのを嫌う。
古いローマはコンスタンチノープル(新ローマ)に競争心を
アレキサンドリアは嫉妬心を燃やしていたからだ。
この順位は都市の重要性からつけられたもので
教義的な理由からでない。
五大総主教はすべて平等であり
各総主教区の父(パパ)的存在である。
この順位づけのあと、
ローマ帝国西側は蛮族の手中にあるようになり
古いローマは自分の道を歩まなければならなくなる。
蛮族の中にあり
他の四総主教区と連帯制が薄れてくると
当然首位の座から去らねばならない。
帝国内の重要な都市のひとつと数えられないからだ。
ローマは首位の座を保持しようとやっきになった。
ここから教義的理由を創作して法皇権というものが考えだされ
東西の違いがすこしずつあらわれてくるようになる。
(教皇自体がローマが他の総主教地区より上位だと権威づけるための
イエスの教えと何の関係もない新設定だから
正教はローマ法皇を認めない。
西のキリスト教は初代教会の伝統を保持する正教から見れば
野蛮な田舎の勝手な教えを捏造する劣化品なのだろう)
・正教徒はイコンに描かれている者に祈るのであり
イコンを崇拝するのではない。
キリストはこの世に全き人として存在した全き神であり、
歴史的に存在した神キリストを描き出すことは
見えない神を創造して描き出す(偶像)とはわけが違う。
キリストをイコンに描けるのは神が救いのために人となったからである。
(そうえばイエスのイコンはあっても
神のイコンはおそらくないな)
イコンは神の救いを表明する。
イコン容認には印刷物がなかった時代を反映する実際的な理由
視覚にうったえる効果的な教材として不可欠だからというのもあった。
イコンを認めるか否かの論争は
843年にイコンは問題なしとされて終わる。
・第四回全地公会議あたりからローマの総主教地区が他の総主教地区、
とくにコンスタンティノープル総主教区に競争心を燃やし始めた
この競争心はローマ総主教(師父、法皇(パパ))に蛮族からの圧力がかかり、
燃え始めたものであった。
ローマは蛮族がローマの西側を手に入れたことからローマは帝国の重要都市として
数えられなくなり、五大総主教の首位の座をおりなければならないのではないかという憂いを抱いた。
他方、
四大総主教はローマが蛮族の手に入っても、ローマの首位としての位置を否定したことは一度もない。
彼らはつねにどの総主教区も平等でありつつ古のローマの都としての首位の座を尊ぶという態度をとっていた。
しかしローマは平等性を無視して
上下関係を他の総主教区に要求。
(ローマ総主教の逆恨みでカトリック誕生ってまさにルサンチマンの宗教だな)
ローマ総主教区は蛮族に対抗するために駆け引きと政治を必要とした。
教会のまとめ役でなく政治権力をもつ法皇とならなければならなくなる。
こうして法皇権が生まれてくる。
中世西欧の専制主義的教会機構、
法皇を頭とするピラミッド型組織は法皇権主張の産物。
・フィリオケ(子より出で)はすでに六世紀ごろから西側で地方的に受け入れられていた。
九世紀までローマ教会はフィリオケを全面的に唱えてはいなかったが
地盤とメンツの問題で受け入れ法皇権とともに固守するようになる。
正教は、フィリオケをローマが全地公会議の承認なく加えたこと
神学的にはフィリオケをにつめると異端となると否定。
・奉神礼は新約聖書がかかれる前から有り、
新約の下地。
奉神礼はギリシャ語でリトルギア
=ラオス+エルゴン。
ラオスは人々、民衆。
エルゴンは仕事。
リトルギア=公務。
奉神礼では参加者は必ず役割が与えられる。
・奉神礼にて。
司祭が司会であるところから
会合のなかでとくに注意を喚起するようなときには
開会と閉会の挨拶と同様に司祭により特定の祈りの句が唱えられる。
ひんぱんに唱えられるものとして
英知
つつしみて聞くべし(聖書が読まれるとき)
つつしみて立て(大切な行為が行われるから注意をはらえ)
衆人に平安(会衆が「なんじの神(しん)にも」と答える)
という句がある。
英知はギリシャ語のソフィアを訳したもので
神の知をあらわした聖書をさすと同時に
神の知を具現したイエス・キリストの臨在を表現するために唱えられる。
古くから神の臨在を表現するために唱えられるハレルヤ(ギリシャ正教ではアリルイア)
という語の役割と同じである。
衆人に平安(会衆が「なんじの神(しん)にも」と答える)と唱えられるとき
司祭は会衆を祝福する。
奉神礼だけでなく司祭や主教は信徒に会うときに祝福する。
祝福は右手で行われる。
人差し指をたてI
中指を曲げてC
親指と薬指を交差しX
小指を曲げC
という文字配列を作り出す。
IC・XCはイエス・キリストのギリシャ語でのイニシャル。
右手なのはイエスが神の右腕であることを示す。
祝福はイエスによることを表明する動作。
この指の形で十字架を描く以外に
比較的大きい握りのついた十字架や聖書を使い場合もある。
祝福は公の場では司祭や主教に限られるが
私的生活では誰でもしてよい。
・神の前に起立するのが信仰表明。
死の床から起された人間の姿勢と解釈される。
・十字を描くときによく礼をすることがある。
抑拝という。
(礼は人ではなく神に対して行うもの。
典型的日本人みたいにやたら人に礼すると不敬に思われそう)
・祭服は主教、司祭が奉神礼のために着用し
会衆の瞑想の助けとしたのであるが
奉神礼の行われる場である教会の建物の役割も同じ。
建物の造りをはじめとし
内外に設置されているものすべてに意味が秘められ
それらを見ていつでも瞑想が初められるようになってる。
ロシア教会の玉ねぎ形のドームは
火の玉を瞑想するようにつくられている。
新約の使徒行伝二章にある神の力をあらわす火の玉であり
その力が教会にあることを示す。
初代からキリスト教は建物ではなくクリスチャンの集まりをさして教会とよぶ。
・啓蒙礼儀
洗礼とよばれる入会の礼儀は
啓蒙礼儀とよばれる記帳と魔除けの礼儀から始まる。
洗礼を受ける決断をした者の真剣さを保証する代父と代母と呼ばれる者が
主教もしくは司祭のところに洗礼を受ける者を連れて行き承認を得る。
承認されると教会名簿に記帳されクリスチャンであることが宣言される。
この宣言は悪魔と縁を切りキリストと縁が結ばれたことを表明する。
この悪魔とは中世ヨーロッパの迷信の中で流行した戯画的悪魔とは違う。
神や善を見失った人間の状態や生活をさす現実的なものである。
人間にのりうつり、狂わせてしまう現実的な得体のしれない悪の力である。
・喜びの油がつけられるとすぐに洗礼を受ける。
至聖三者の御名によりて祈りが唱えられ
受洗者はアミンと三度答えつつ全身、
洗礼用の衣をつけたまま水の中に三度静められる。
この浸水によりキリストの死と復活が体験される。
三は完璧さをあらわす。
今までの古き自分を洗礼の水で溺死させ
キリストの死と復活の形にならい
新しい自分を復活させる。
・結婚
互いの生活がキリストに向かう同一のものでなければならないという前提条件のもとに、
一身同体となる約束がかわされる。
この約束を指輪で表す。
指輪は古代において主人と僕の関係を輪であらわしていたことに由来する。
二人がキリストを主人とする僕であると同時に
互いが相手の僕であることを意味している。
ギリシャ正教では指輪を右手のくすり指にはめる。
右手は信経の句にあるようにキリストが天の父の右に座し、
クリスチャンを僕とする主であることを記憶するためだえる。
くすり指は、親指から、人さし指、中指とキリスト教の三位一体の神の名を
父と子と聖神と唱え、この神に従うことを承認するアミンを唱える指だからである。
神の僕である二人は
互いに対しても僕として
謙虚さをもち、
互いを受け入れあうとき
性のへだたりがとかれ、一身同体となる。
神により一身同体に合わせられた者を分かつことは
何人といえどもできないと祈りの句は言う。
指輪の交換は三度行われる。
終わるとすぐに戴冠礼儀が始まる。
離婚で終わりとなる結婚観はない。
(結婚=男女が一心同体になる儀式。
指輪をつけることもキリスト教の儀式。
指輪はもとは主従契約の証)
・コンスタンチノープルの聖テオドルの時代には
不眠者とよばれる修道士たちがいて
四六時中祈りを行っていた。
祈り八時間、仕事八時間、睡眠八時間。
(一日八時間労働は修道院由来っぽいな)
・一日は夕暮れから始まる。
暦には動暦(復活祭が毎年不定)
と不動暦(九月一日が新年の始まり)
の二種類がある。
・8は永遠、来世、天国、神の国という意味。
7は天地創造、この世が完璧で善であることを示す。
7に唯一神の1を足して8。
四世紀から正式に主日の名称の中に加えられた日曜日は
ローマ帝国時代は太陽神の日であった。
・ドストエフスキーは正教会の信徒であり、『カラマーゾフの兄弟』にて
特に注目すべきが大審問官の章とゾシマ長老の最後の説教である。
(カラマーゾフは大審問官とゾシマの教えだけちゃんと読んだが、他の個所は適当に読んだ)
ギリシャ正教は信仰と理性を一体のものとして考える。
この調和はドストエフスキイが提示する人間観にも反映されている。
イワンが大審問官の話の中で、
カトリシズムを始めとして
社会主義、奇蹟、神秘、
政治権力、自由という問題と交叉させて明らかにする人間観は
ギリシャ正教でなく合理主義的キリスト教のもの。
この人間観は
中世ローマン・カトリシズムの個人の自由を認めない教会機構による人間の統一と、
それに対抗して出たプロテスタンティズムの統一のない人間の自由という二つの考え方を生み出し
それぞれの教会形態の基盤となった。
社会主義と資本主義はこの両者の写しであるともいえようか。
(カトリックは社会主義的らしい)
・正教は学問と無縁な者でも信仰を保持しているならば神学を保持しているといえる。
信仰体験即神学とする。
正教神学は現実の信仰体験を前提としている。
神学者は信仰を哲学的な言葉で体系化する代わりに、
聖書をもとに体験的な言葉で詩的に表現し
信仰の論理を明快にうちたてているところからもわかる。
知的なレベルにおける神学論議を机上の空論、思考遊戯とし
知的空想の領域をでないものと考えていた。
神について知的に学ぶのが西のキリスト教の神学なら
キリスト教文化の中に生きて神を体験的に身をもって学ぶのが東のキリスト教神学といえる。
つまりギリシャ正教の思想をまとめた神学を習得するには
その文化の中に生きなければできないということである。
必ずしも体験を論文にできなくてもよい。
師父たちがまとめた神学は論文として提出されるよりも
聖歌、イコン、教会規則、主教たちの書簡や、説教の形で提出され、
対象はいわゆる神学者ではなく全教会員であった。
ギリシャ正教の思想家の中で誰も神学大全を書こうと試みなかったのは
思想というものを知的な領域に限定したとき
現実の信仰体験も同時に限定されてしまうという弱さを
ギリシャ哲学という遺産の中から聖師父たちが十分学んでいたからである。
初代キリスト教がギリシャ哲学の合理主義の影響で変質することを
双方に通暁していた聖師父たちはこうして回避した。
・グノーシス派も、
知ることのできない神という概念をもっているが
人間が神を知ることができないのは
人間が堕落し、肉体に依存しているからだとしている。
ここから禁欲が強調され、
肉体から離れれば、
人の英知により神を知るだけでなく
人が神に到達し、神そのものになれると発展する。
ここにおいて知ることのできない神とは
実は人の英知そのものをさし、
他者としてあるのではなく人が知性をとおして到達する地点となる。
これに対しギリシャ正教は
人間が神を知ることができないのは人間の堕落と肉体依存のためではなく
神が最初から人間やこの世とは異質な他者としてあるからだとしている。
人間の英知は自分とこの世に対する理解であって、
神に対するものではない。
神が異質のものであるという基本の考えを強調するために
神はすべての存在を超える者であるから存在しない者であると言い切る形でまとめられている。
神は人やこの世があるようには存在しない。
神は人の思考や創造の中にいるものでなければ
この世の物質とその構造の中にいるものでもない。
人が神を創りだしたり神そのものになることはありえない。
旧約で偶像崇拝が禁じられている理由はここにある。
神は知ることができない、
存在でない、人でない、
この世のものでないと
否定を続けていくときに
知ることのできない神が知られるようになってくるパラドックスが起きる。
・神は見えると見えざる万物を創造した。
あくまでも創造物はひとつで、ふたつではない。
見える世界と見えない世界という二つの世界がひとつになっているという
グノーシス派の二元論的考えはここにない。
ギリシャ哲学に影響された思想家のなかから、
創られたものは神の一部であり神を永遠とするならば
その部分も永遠なもので
始めも終わりもないという考えや
神は善であり愛であるから善と愛を行う対象を必要としてこの世が創られたという考えが出されるようになる。
ギリシャ正教の思想家たち、聖師父たちは
こうした哲学を反映する意見に対し
聖書をもとに、創られたものは
神が自分の意志と考えにより創りだした他者で
神自身を創造物として表示したり、
神自身の一部を創造物としたのではないと主張。
神は創られたものとはまったく異質で
それが神に依存するように神は創られたものに依存せず、
ましてや神には創られたもののような存在の条件はまったくない。
神は創られらものを超える創ったものであるから創られたものに限定されない。
創られたものはまったく反対で神により創られ神に依存する。
創世記にあるように
神はすべての創造物を善きものとして創っているから
この世は神により愛され養育されるものである。
愛され養育される対象だから独自の本質をもった形で創られているということも
哲学的思想に対して強調される。
この世は別世界の写しや投影ではないし
現象だけのものでもない。
創造物は独自の本質をもつ、現実的な世界である。
天地創造が過去のある時点に一回限り行われたという考えはない。
(ちゃんと
聖書>それ以外の哲学など
という正しい一神教の姿勢だ!
正教は霊肉の善悪二元論を否定する。
グノーシス主義をかなり意識して否定している。
)
・悪魔の正体
人間は神に代わってこの世を治め、
神化されるために創られている。
ところが人間は実際には神に代わってこの世を治めきることができず、
逆にこの世によって治められている。これを人間の堕落という。
この堕落に深いかかわりをもつものとして聖書の中に悪魔が出てくる。
悪魔といっても
中世に流行した魔術に関係する悪魔とか
神話の中に出てくる悪魔とはすこし違う。
神は悪なるものを創ってはいない。
悪魔はどこから生じたのか。
万物の一番最後に創られた人間が生き方の選択を誤り、
神の意志と考えに背を向けるところから
悪が生じるようになったのである。
これにより人は神との交わりを失うと同時に
自分とこの世の間にある調和を失った。
悪が実体として存在しはじめるようになる。
人はこの世を神との交わりの場とせず
自分の意志と考えでこの世を自分との交わりの場、自己満足の場としてしまった。
この世は人にとって神に代わるものとなり
人の交わりの対象となる。
本来、神からこの世を治める主人の役割をまかされていたのにそれに合意せず
人は自分の考えと意志に従うことによってこれを放棄してしまった。
ここに悪が生じる。
人はこの世に隷属するものとなった。
人がみずからの誤りのために生じた自分とこの世の関係が悪なるものであり
人がこの関係を是正しない限り
この世は悪なるものとして
人間に使用されると同時に君臨する。
これが悪魔の正体である。
実は存在しないのに
人の誤りのために現実的に存在しはじめるという得体のしれないもの。
こうした悪の存在を認めても
善悪二元論を提唱していない。
この世は悪用されても終始一貫して善きものとしてありつづける。
神の善き創造物は人間の誤りから悪の化身に変化する。
偶像崇拝は人が始めた一人芝居。
(偶像=被造物≠ゴッド。
正教は悪魔を個人的存在とみなしていないらしい。
一神教は悪の存在理由の説明が大変だなあ。
悪は人間の自由意志のせいとすることが多いな。
じゃあ最初から自由意志なんて与えるなよ。
全知全能視点だと自由も意志も実質存在しないだろうけど。
生じた悪を放置するのはいいのだろうか)
死は悪の究極の形である。
・グノーシス派は天使と天空の世界を詳しく説明しようとするが
ギリシャ正教の思想家たちの中では
ディオニシウスを除いて誰もそのようなことを試みていないし
その必要もなかった。
善と悪、悪魔と天使の抗争に代表される二元論をとらないからであり
神と天地創造をきわめて現実的に解釈するからである。
・助けるもののほうが助けられるものよりも強くなければならないのが当然。
男女関係も同じ。
女は男を助けるものとして強く創られている。
この女の強さは助け人としての強さであるから
誤用すると、男女の仲を裂き、関係を乱す力となってしまう。
ロシアで嫁が髪の毛をスカーフでおおい
アラビアで顔を隠し
日本で一歩さがって妻が夫の後ろを歩くという古い習慣は
男尊女卑という言葉の裏に隠された女の力を暗示するものといってよい。
スカーフを取り、
顔を見せ
一歩さがらず歩くときに
その力によって男の影が薄くなってしまう。
・プラトニズムの影響を受けたオリゲネスの
人間が永遠なるものであるが
肉化して人間となった時に肉体という墓場に入り自由でなくなった。
だから自由になるのは肉体との闘争を終え、
死により霊が体から出たときであるとする。
これに対し聖師父たちは人は神により創られたもので
人が人間とよばれるには体も霊も必要であると主張。
体のない霊は土に帰る死体であり
物体であり人間とはよばれない。
この逆もしかりで
体のない霊は幽霊という言葉もあるように
化物であり人間ではない。
体と霊は不可分として存在する。
正教は肉と霊を分けて考える二元論に対抗している。
(正教は性善説。
正教は霊肉善悪二元論を否定。
霊も肉体も必要な善なるものとして神が創造した。
よく考えたら一神教で全知全能の善なる絶対者が創造した~
という教義なのにカルヴァン派みたいな極端な性悪説っておかしいな。
正確には善として創造されたが堕落した説だが、
全的堕落が予定=人間の意志と行動で変更不可能
とされている時点でゴッドが善でなくなってしまう。
罪が引き継がれる時点でアダムとイブとイエスとマリア以外は性悪になってしまう。
)
・( 像…image。
神の像は堕罪によって破損。像は消滅せずに残存。
∴人間は神の像(イコン)なので尊い。
肖(似る。似せる)…likeness。
神の肖は堕罪によって失われた。が意思によって求め得る。)
人はすべて神の像をもっているが
肖はこの世に生きるときに人と神との交わりにより
自分の意志と力で自分の中に築きあげてゆくものである。
像は人間がどんな人生を送ろうが消えないが
肖は人が意志と力により自分の中にとりいれなければならない。
肖は人がみずからの神との交わりにより形成するものである。
創世記の人間は自分の意志を放棄することにより
神の肖を達成できなくなった。
神の意にそむいて木の実を食べ
自分の中に死を招いたと聖書にあるのはこのことをさす。
すでに神の像と肖を与えられている人間に
神のようになれると誘惑を与える蛇は
人間に偽りの像を与えた。
この虚像に意志をゆだねたのは人間である。
・正教では人が自分の意志と力で神の似姿を脱いでしまうことを堕落という。
堕落の罪は人の行為により生じるとするので
アダム以来人の性質に本来あるという西のキリスト教の原罪の考え方は正教にはない。
堕落の罪が人と人との交わりにより伝染することを否定するわけではない。
阻止しなければこの堕落は伝染していく。
西のキリスト教に生じた原罪の概念が
聖フォチウスなどにより誤解として強く否定される理由はここにある。
堕落により人が神の肖をみずからの中に形成せず
この世に従属しても神の像はかろうじて保たれているが
人間とよばれるにふさわしい状態ではない。
肖をとらずに像をもちつづけて生きることは
すでに述べた人間の生命の概念を半減してしまうので
ややもすると像まで傷つけられてしまう。
・正教は聖人はいても俗人はいないという考えが強い。
・聖師父たちが繰り返し唱えている
神が人となったのだから、人も神となれる
という言葉はイエスにある神化された人間性を前提としているものであり、
神が人となったことにより、
人間性が完全に神と交わりをもち、
神の命にあずかれるようになったことを意味する。
神が歴史的な人間イエスとして生まれることにより具体的に神化された人間性が
この世に生まれてくるひとりひとりの人間性となった。
人がこの事実に目覚め、
イエス・キリストの生活形態をとりはじめるとき
今度は人の人生の中に神化された人間性が実際に具体化されていき
聖人と呼ばれる者が生まれてくる。
(神そのものになるという意味ではないことに注意。
あくまで近似でないと、グノーシス主義になってしまう。
正統多数派も神が人になったという教えなのでグノーシスっぽさを完全に消せない)
・マリアはイエスを生んだ後も処女とされている。
イエスは男女の性の結合なく生まれた人間。
・性に対する嫌悪感はない。
神と人の結合が
人間男女の結合の基盤。
・教会は聖神の力と働きを反映するものであって
決してそれらと混同されるものでない。
聖神による神の力と働きを受け
イエスに明らかにされた人間性を自分の中に回復した人々が創りだす
この世における機構である。
だから中世ヨーロッパで流行した
教会に神の絶対的な権力がゆだねられ
全てのものがこれに従うべきであるとする考え方はここにない。
神に代わってこの世に対し道徳的価値基準や絶対的権力を主張するのが教会ではない。
教会がこの世と人に対してもつ使命は
イエスによって導き出された人間性を
教会の中にある聖神による神との交わりをとおして
今日に生きる人々にもたらすこと。
・正教の経典は大まかに分類すると十一ある。
福音経
四福音書が入っている。
文字で書かれたイコンとも考えられる。
かならず金か銀ときれの表紙で
皮表紙のものは絶対にない。
使徒経
使徒行伝と聖使徒の書簡が入っている。
福音経でも使徒経にも黙示録は入っていないことに注意。
聖詠経
旧約の詩編全巻が入っている。
以上の三経典が一組。
(黙示録を外していることが重要。
黙示録も聖典には含まれる。
黙示録カルト対策のために正教が公式で注意が必要と強調している。
本書年表には
398年
金口イアオン(金口聖ヨハネ)、コンスタンチノープル総主教となる。
があり、
このイアオンはヨハネス・クリュソストモスとも呼ばれる。
黄金の口
=クリュソ(黄金) +ストモス(口)。
金口イアオンと他の主教たちの間で『黙示録』の聖書正典収録に関しての議論が巻き起こった。
理由は『黙示録』が難解で、都合よく解釈して悪用されることを恐れたから。
公式見解
http://www.orthodoxjapan.jp/tebiki/oshie02.html
”正教会の奉神礼の中で、「使徒経」と「福音経」はセットにして読まれます。正教会にとって聖書とは何よりも「祈りの書」なのです。
イオアン(ヨハネ)による「黙示録」は、特別な書物であり、勝手な解釈を施さないよう注意が必要です。
新約聖書の原語はギリシャ語であり、それらを写本して伝達してきたのは、正教会であるという事実は知っておくべきです。”)
・コンスタンチノープル総主教に
エキュメニカル総主教という尊称が与えられているのは
ギリシャ正教の世界を総代するという重要な立場のためである。
ギリシャ正教は地方自治体的性格をもっているので国単位で教会が建てられるようになっている。
・日本で知られている修道、
俗界をはなれ西域の中で禁欲苦行する、
は西欧のもの。
正教の修道は聖か俗かの選択から始まっていない。
西欧キリスト教の修道の起源はギリシャ正教の修道。
ギリシャ正教の修道はビザンチン・ハーモニーのアンチ・テーゼとして発生した。
意図はキリスト教本来の信仰形態を確実に伝承すること。
師父たちは街を捨てて荒野に出たのであるが世捨て人になったのではない。
みずからキリストの完璧な生きた映(うつし)(イコン)となることを目的とした。
目的が達成されれば街に帰る者もいた。
修道が盛んになると都で行をする者も出てくる。
・修道が神学の基礎
聖師父たちの神学はキリストの生きた映たらんとする生活から
湧き出る祈りの心を歌いあがえたもので
たんなる頭の中の知的遊戯ではない。
聖アントニイを中心に
四世紀の修道は精神向上を求める者だけでなく
生活の苦しいものや
税金を納めることが出来なくなり砂漠に逃げ出した者なども
吸収して大きくなる。
隠遁者たちは木の上、叢、洞窟、野牛の群れの中と修行の場を広げる。
・天に近づく修行者
一風変わっているのは
聖シメオン(459年永眠)の塔の上の隠遁。
聖シメオン自身、
あまりにも修道熱心で修道院から出されてしまったほどの変わり者。
ひとりで隠遁を始めると
聖シメオンは体を土の中に埋め頭だけを出していたり、
針だらけの腰巻を身に着け寝起きするという苦行を行う。
これらの苦行にも満足できなくなった聖シメオンは
ついに柱を建ててその上に登った。
天の神に近づこうという意味をふくんで始められたこの修行は
彼が永眠するまで続けられる。
最初は低かったが
最後の柱は約28メートルもの高さがあった。
この高さになると柱ではなく塔と呼べる。
彼は登塔者聖シメオンと呼ばれる。
柱が塔になったのは
一風変わった隠遁者を訪れる者が増え、
柱の下で彼の徳にあやかるために彼の衣の切れ端でもよいからと
もらおうとする騒ぎがひんぱんに起こるようになったから。
もちろん、騒々しさを避けるためだけでないのは
柱を建てるようになった意図からわかる。
すこしでもキリストのいる天に近くあろうとする信仰の高まりを示すものでもある。
柱の上に自分が寝起きできるぐらいの台を築き、
そこで苦行する隠遁の形は何人かの後継者をもつ。
・修道生活の第一原則は
働かざる者、食うべからず。
教育施設や病院設置だけでなく
刑務所の役割も果たした。
修道士ではないから一見して犯罪者とわかる衣を身に着ける。
そのほとんどは軽犯罪で入ったものばかりだったが
彼らにとってはこのうえもない人生の修行の場であったに違いない。
退職者を多く受け入れていたから生産的でもあった。
年表
30
イエス・キリスト死と復活
(イエス実在の聖典以外の根拠はない)
70
エルサレムのユダヤ教の神殿破壊される
140
マルキオン派盛んとなる。
グノーシス派の隆盛。
185
オリゲネス誕生
242
マニ教始まる
252
オリゲネス永眠
313
ローマ帝国、ミラノ勅令でキリスト教公認
323
アレキサンドリア公会議でアリウス派が異端とされる。
325
第一回全地公会議ニケヤで開催
330
ローマ帝国、首都をコンスタンチノープルに移す
375
聖エロニムス砂漠に出て修道
ゲルマン民族大移動開始
444
聖キリル永眠
500
クロヴィス洗礼を受ける
533
古代ローマ法を集大成
990
ロシアがギリシャ正教を国教とする
1215
ジョン王、マグナ・カルタに署印。
1560
モスクワを第三のローマとする動き。
イワン雷帝発狂。
1880
日本の聖ニコライ、主教となる。
モスクワでドストエフスキーと会見。
クリメント北原史門著『正教会の祭と暦』
・21現在、ユリウス暦とグレゴリオ暦の間には13日間のズレがある。
ユリウス暦は実際の季節とはズレが出てきたため、
16世紀にローマ・カトリック教会ではローマ教皇によってグレゴリオ暦が導入されたが
正教会は復活大祭の計算に問題が発生することなどからこの新暦の導入を拒否。
プロテスタントでもグレゴリオ暦に対して異論が起こり
同じ西欧でも
プロテスタント諸国ではグレゴリオ歴の導入が遅れた。
しかし20世紀に入り
正教会でも実際の天体の運行とユリウス暦のズレが拡大することが問題だと考える人々が出てきた。
結果、修正ユリウス暦が一部教会で採用された。
これは2800年まではグレゴリオ暦との間にズレは生じない。
ユリウス暦を使用する正教会
エルサレム、ロシア、セルビア、
グルジア、アトス山、日本、
各地の旧暦派(古暦派)
修正ユリウス暦
コンスタンディヌーポリ(現代希語表記)、
アレクサンドリア、アンティオキア、
ブルガリア、ルーマニア、
ギリシャ、アメリカ
グレゴリオ
フィンランド、エストニア
・偶像
は正教会では
存在しないものの像
神ではない被造物なのに崇拝される者。
正教のイコンは存在するものの像であり
かつ崇拝対象ではないので
偶像崇拝に当たらないと位置づけられる。
刻まれた像に限らず
例えば金銭も崇拝されるほどになれば偶像になり拝金主義となる。
・正教の聖歌は無伴奏声楽。
・正教の
来世
=いつ来るかは事前には絶対に分からないこの世の終わりが来た後、
永遠に続く次の世のこと。
輪廻転生といった概念は正教会のみならず全キリスト教にありません。
(新約には終末がいつくるかわからないとあるので
年月日計算して騒いでいる奴は全員無知か嘘つき。
著者はグノーシス派キリスト教(一部輪廻を認める派閥あり)は
キリスト教とみなしていないのだろうか?)
来世がどのようなものか、
良い状態での復活後の身体がどのようなものなのかは
正教においても今は理解を超えているとされ
輝かしく、病もなく、神の似姿に至った状態などということ以外
具体的に語られていない。
復活の際に死に別れた人とも再開できるとされていることから
家族や友人に死に別れた人にとって
復活大祭は深く慰められ力づけられる祭りでもある。
・成聖(せいせい)
対象を聖にし、神とのつながりを回復すること。
水を成聖すれば聖水になる。
・十字架出行祭(しゅっこうさい)
8/1か
8/14
コンスタンディヌーポリで
疫病が頻繁に流行る8月に十字架を聖堂から出して町を成聖し、
病の根絶を祈願したことに由来する祭り。
988年のこの日にキエフ・ルーシの集団洗礼が行われたことを記憶し、
ロシア正教会、ウクライナ正教会などでは小聖水式が行われる習慣がある。
この日はロシア正教会、ウクライナ正教会などでは
蜜蜂の救主(きゅうしゅ)
とも呼ばれ蜜蜂の収穫を神に感謝し
蜜蜂に聖水をかけて成聖する習慣もある。
・永遠の生命(いのち)
正教会において
いつ来るか分からない
この世の終わりが来た後
霊(たましい)だけでなく肉体も伴って復活し
新しい生命をもって永遠に生きることを表す。
全ての人が復活するが
良い復活を遂げるように今から備え続け
また良い復活に今この世でも部分的に与り続ける。
古代からキリスト教で議論になってきた
非信者も救われるか
については
正教会では断言されていない。
ただ
非信者が正教信者になること
非信者も救われること
の両方を正教会は願う姿勢をとっている。
(正教では非信者も救われるかは断言しない
=地獄行きと断定しない)
・生神女(神を生んだ女)がマリヤ(マリア)の称号。
聖なる母は一人ではないので
(母親で聖人となった女性は数多く、
これから増え続ける)
限定として不十分であるから
聖母という用語はほとんど使われない。
英語を使う正教会でもHoly Motherとはまず呼ばない。
・罪は元の希語、
現代ではアマルティア
古典ではハマルティアでは
的外れ
という意味であり
日本語の罪とは範囲が大分異なる。
例えば思い通りにならないことに対する舌打ちまでも罪に数えられる。
そうした罪までも悔い改めれば救われると教えられる。
原罪の捉え方は東西教会間で違う。
正教の原罪観は
西方教会の
原罪責
とは無縁。
正教では誤解を呼びやすい理由から
原罪という用語を避けることすらある。
正教ではローマ・カトリックの
聖母の無原罪
は存在しない。
・天使創造の日数
実際に24時間×7日で創造されたとする考えと
象徴的記述であり
旧約に
神にとって千年は一日の如し
とある通り1日を24時間とそのまま捉えるべきではないという考えの
両方が正教会内にある。
『東方正教会』 (文庫クセジュ)
オリヴィエ・クレマン,冷牟田修二,白石治朗
白水社
1977/01
・静寂主義者(ヘシカスト)は
静寂という意味のギリシア語ヘーシュキアに由来する。
主の御名と憐れみをこう祈りの反復や、
呼吸訓練などの禁欲的修行によって
神との神秘的な合一を信奉する修道士たちのこと。
10世紀ごろからみられ、
14世紀にビザンツの聖アトス山の修道心を中心にさかんになった。
・ローマ教会の離反の重要な原因についてはフィーリオークェ主義の確立とともにあらわれ
これと深くかかわっている。
教皇は従来各地方教会の中心にあり(名誉上の首位)、
道徳的な愛による指導をもってのぞんでいたが
この態度をあらため
地方教会にたいして直接的・法的な権限をもとうとした。
結果、主教や府主教、総主教がもつ伝統的な権威は無視された。
11世紀になると教皇グレゴリウス七世の改革がおこなわれ
教皇権は皇帝から独立し教会は封建君主から自由になった。
司教は教皇に直属し(国王も直属させられた。すなわち両剣論)
またローマ教皇の無謬性が主張されるようになった。
もっともこの無謬性が教理として定められたのは
やっと1870年のことである(第一ヴァチカン公会議)。
両剣論
両剣とは教会と国家のこと。
中世において、
ことに教皇ボニファティウス8世
(位1294-1303)
によってとなえられた。
二本の剣はもともとキリストからペテロ、
ついで教皇に委託されたものであるが、
教会はみずからのうちに霊剣を保留し、
俗剣は君主に渡す。
しかし、俗剣は教会のために使用されるべき剣であって
霊剣に服さなければならないとされる。
(「両剣論
=カトリック教会>王様」
新ナチ工作員のboはカトリック史に詳しそう(笑))
・佯狂者(ようきょうしゃ)
はロシア語の
ユロージヴィ
にあたる。
預言の能力を持つ狂人、
もしくは狂人とみせかける禁欲者。
キリストのためにあらゆる人知をすてさることは、
ビザンツでも聖性の一つのありかたとして考えられていたが
ロシアでさらにさかんになった。
聖ヴァシーリー・ブラジェーンヌイ(1552没)などが代表的。
(佯=見せかけ)
宗教狂人、神の使い、
神がかり的狂人、痴愚の行者、
瘋癲行者などの訳語がある。
・教皇ピウス9世が
1846年の回勅で教皇の無謬性を主張した。
(数字が狙っているっぽい)
1870年の第一ヴァチカン公会議で
教皇が聖座より宣した信仰・道徳上の教示は不可謬だという教理が認められた。
・神のかたちをもつもの(像)としてつくられた人間は
自発的に神にむかいながら
神に似たもの(肖)とならなければならない。
( 像…image。
神の像は堕罪によって破損。像は消滅せずに残存。
∴人間は神の像(イコン)なので尊い。
肖(似る。似せる)…likeness。
神の肖は堕罪によって失われた。が意思によって求め得る。)
・悪とは神から離れていること。
・プラトーン学派は、
知性と神性とに一種の同質性を認めているが、
ビザンツの神学は教父神学以上にはっきりとこのような同質性を否定している。
超越的な神は本性上、人間には近づくことのできない神である。
・神化(テオーシス)はヘレニズムからの借り物ではない。
事実、新プラトーン主義では
魂はみずからが神的であるという意識をもつにすぎない。
テオーシスはもともとキリスト教徒がつくりだした言葉であり
人間と神との親子・養子関係の言葉と深く結びついてものである。
聖アタナシオス
「聖霊によって言葉(キリスト)は被造物を栄光あるものとし、
神化し、養子として、父のもとへ導いていく」
・オーリゲネースは
最後には信仰をもたないものも、
悪魔も、すべてのものが救われるとしたが、
教会はこうした思想を認めず異端とした
(400年のアレクサンドレイア公会)。
オリゲネス主義を教会は拒否したのは
すべてのものの復活はとても確実なこととはいいきれないから。
参考資料
https://twitter.com/pteras14/status/999840552609693696
>ω<
@u_akihiro
5月25日
>ω<さんがLing-muをリツイートしました
こういう人たちにとって、死海文書って、どう見えるんだろう。永久不変の聖書なんてないとわかっているのに。
>ω<さんが追加
Ling-mu
@Ling_mu
教科書から「進化論」が消えようとしている、原因は「聖書に矛盾するから」 - GIGAZINE https://gigazine.net/news/20180525-arizona-delete-evolution/ …
ぐだトマト
@pteras14
5月25日
まず、大まかにキリスト教には既知の
通り二大派閥があります。カトリックと
プロテスタントですね。(東方系の正教
は今回は除いておきます)
「聖書」の記述を重視するのは
プロテスタントの方なんですね。
カトリックは聖書よりも教会の神父の
お説教の方が重視されます。
🇺🇸は新教系なので前者
何でこんな違いがあるのかと言うと
古代ローマの黎明期のカトリック
には聖書なんてまだ作られてなかった
んですね。なので神父の講義が基本でした。
これをラテン語で「traditio」と言い、
英語のtradition(伝統)の語源ですね。
で、最初の聖書はギリシャ語で書かれ
ました。古代ローマ圏の→
リンガ・フランカがギリシャ語(コイネー語)
だったからです。
中世以降は専らラテン語で聖書が写本
されて使用されましたが、ギリシャ語
の聖書は段々と使用されなくなりました。
そこでエラスムスという奴がギリシャ語
訳聖書を発売してしまうんですね。
→
→
で、「ラテン語の聖書と中身が違う!
神父のお説教も間違ってる!💢」
みたいな伝言ゲームの粗探しみたいな
状況になってプロテスタントの勃興
へと繋がりました。
アメリカはこのプロテスタントの
系列なのでやたらと聖書の内容に
拘る文化を引き継いでいるのです。
修行中のとんくん
? @ixthusnesos
2月12日
新約聖書のギリシャ語訳、エラスムスが無茶な期間と手法で1615年に出版したものが爆発的に売れ、何度も重版になり、ルターがドイツ語訳の底本にし……というぐにゃぐにゃの状態のままどんどん浸透してしまうの、どっかで聞いた話だよなぁと思ったんだが→
ラメセス4世のお墓の設計図。レプシュースが写し間違えていたヒエラティックの図を、そのままガーディナーが引用しちゃって、それをさらに聖刻文字に直しちゃったのをたくさんの人が読み……っていうやつだわ。一度権威を持たれてしまうと、真実が埋もれてしまう。
textus receptus, sed non recipiendus(受け入れられているが、受け入れ難いテキスト) だって。このあたりの写本の問題は文字に関する学問ならではのような気がしなくもないが、なかなかに興味深い。
あ、ちなみに今読んでるのは、加藤隆(1999)『新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか』、大修館書店 です。
>カトリック教会はフスを1411年に破門し、コンスタンツ公会議によって有罪とされた。その後、世俗の勢力に引き渡され、杭にかけられて火刑に処された
フスの思想の根幹
>本来の教会は、一般に教会が主張する階層制度ではない。
教会は、時をこえて救世を運命づけられた人の聖体であり、その長は教皇ではなくキリストである。
教皇に従えば救済を受けられるなど、神の教義の条文には書いてない。
>さらに、形式的に教会に所属することや、教会の職務や職位は、その人が真実の教会の一員であることを保証はしない。
フスの思想の下敷きにあるのはウィクリフの著作。というか、殆どウィクリフの主張と一致。
公務員試験用世界史bot
? @bot67963600
【中世欧州⑫】シスマ解消:コンスタンツ公会議(1414)→
これで教会は再び統一され
教皇を批判したイギリスのウィクリフやボヘミアのフスなどの処刑も決定した
(その後もフスを支持する人らがフス戦争などの住民蜂起をボヘミアで起こした)
峨骨さんがリツイート
難関私大向け世界史bot
? @nankansekaishi
5月22日
【ジシュカ】
フス派の指導者。独眼の特異な風貌で知られる。フスの熱狂的支持者であり、
彼の火刑後「至福千年説」を唱えるタボール派を形成、その指導者となった。農民主体の軍隊を編成し数々の新兵器を導入、彼の軍隊はジギスムントの十字軍を破るなど無類の強さを発揮し、フス戦争の英雄とされる。
中卒アスペニート
@mmmnvivi
半アリウス主義を初めアリウス派から派生した派閥もあるんですけど、
少なくともアリウス派がイエスを人と主張したから異端になった、というのは明らかな誤りなんですよね。
イエスは神であり人である、が正統教義なので、多数派にとってもイエスは人である。
御子従属説といって、父なる神に対してイエスが従属的な立場に位置する、
といういうことにイエスが父なる神の被造物だとするならなってしまう点が多数派教義との断絶ポイントだった。
このサイト割りと好きなんだけどこの解説は頂けない。
>「平たく言うと、イエスはやっぱり人だった、ということ」
いやいやそれではモナルキア主義の一部とか養子論とかという別の異端になるから、アリウス派の説明としては不適切。
https://www.y-history.net/appendix/wh0103-150.html …
ちなみに「イエスは人ではなかった」は
アタナシオス派ではもちろんなくて、仮現説という異端です。
聖書にははっきりと人間としてのイエスの姿が描かれていますが、それは単にそうやって見えただけという考え方です。
キリスト教的グノーシス主義もこの立場を取ります。
このあたり、ネットはもちろん本によっても書いてあることがかなり違って
確からしいことを掴むのにだいぶ苦労したのです。
結局より経緯の詳しい記述がある本を信用するしかない
まあとにかく、アリウス派と多数派の論点はイエスが人か神かじゃなくて、
「イエスは父なる神と同格なのか、それとも少しでも下なのか」という点だったと覚えておけば間違いないと思う。
あと実はアリウス派はイエスを人間と主張した訳ではない
というか、アタナシウス派(カトリックとか正教会とかその他)もイエスは人間と言っているので神学上の論点はそこではなかった。簡潔にいうとアリウス派はイエスを神そのものとは認めず、そこが異端とされた。
アリウス派の主張では、イエスは神が創った最初の被造物とされた。
父なる神は創造されず始まりもなく存在しているが、
子はそうではなく、始まりはずだがあったというのがアリウスの意見だった。
これがアタナシウス派と対立する。
たまにアリウス派はイエスの人間としての属性(人性)を強調した、というような説明が見られるが、これはほぼ間違いと言っていいと思う。
少なくともアリウスはイエスは最初の被造物であるという点を強調しているのであり、
そこらへんの人間や預言者とは全然別格の存在として扱われていたはずである。
アリウス派はイエスの人性を強調した、というのはアタナシウス派の言い分に過ぎないと思われる。
アタナシウス派からすれば、イエスが神の被造物なら父なる神と一体の存在ということが言えなくなるので受け入れられないのだ。
こんな神学上の微妙な論争は一般の信徒はもちろん非聖職者の貴族もほとんど理解していなかったはずで、
アリウス派とアタナシウス派とかその他で対立が生じていたのはほぼ純粋に所属する宗派が党派性を生んでいたからだと思われる。だからクロヴィスの改宗も、党派を明らかにした行動と捉える方が良い
アリウス派だったのはゲルマン人全般というか、東西ゴート族とヴァンダル族及びスエビ族、ランゴバルド族あたりですかね。
中卒アスペニートさんがリツイート
Sato(サトー)P@小物
? @kumakoto711
20時間20時間前
アリウス自身の主張≒アリウス派というの何かで読んだことあるけど、異端認定自体レッテル張りめいたものあるし、微妙な問題だよなぁ…
ヒストペディア
? @cubeworldvdma
5月20日
エラスムスのギリシャ語訳聖書を読んだイングランドの人文主義者トマス・リネカーは「これが福音で無いか、我々がキリスト教徒でないか、どちらかだ」と述べた。それほど、当時の教会の在り方は聖書が指し示す事柄(サクラメントなど)とかけ離れている、と考えられた。
岡沢 秋(maat)@Aki_Okazawa
5月16日
・ロシアは「モスクワは第三のローマである」とローマの後継者名乗ってた
・「正教」の名は、自分たちこそ正しいキリストの教えを受け継ぐ者という自負から来ている。(カトリックは異端と見なしている)
というのを知ってると一粒で二度美味しい。
The Monks of Mount Athos
https://www.youtube.com/watch?v=wo49zWpWkz4
A Visit To The Holy Mountain ATHOS, Greece (CBS Documentary)
https://www.youtube.com/watch?v=5D8OxrSZZU8&t=1188s
The Orthodox Christian Church's Patriarch Bartholomew
https://www.youtube.com/watch?v=K6ZXxgjKk2o
お読みくださり感謝!
« デザイン、絵と物語創作技術、プログラミング、フォントなど⑥2018-7-1~-3頃 | 311以前に出版された原子力系の紙の本の、主に放射性物質対策に役立つ記述集(『放射化学概説』『基礎放射化学』『基礎核化学』『放射化学概論』) »
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