追撃Ⅲ 両権(両剣論=カトリック神学用語)boらが本当は名指しで叩きたいのはキリスト教の異端派・神秘主義とイスラームでは? 名指しで叩くと自分の立場がモロバレなので 「ユダヤ」と命名
Posted on 2017.12.18 Mon 15:29:26 edit
・更新報告とか(そのうち移動)
・両建てと両権(両剣論=カトリック神学用語)
・boが詭弁を特に使うところ
=隠したい個所
=キリスト教内の派閥争いにすぎずユダヤ教徒はせいぜい下っ端
・更新報告とか(そのうち移動)
『儒教入門』メモ。
『論語』と『史記』の人物評価基準。
吉田松陰と安岡正篤で有名な陽明学はキリスト教と相性が良く儒教カルト✝を作りやすい。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-235.html
完成して、bo軍について考えたことを書いたら長くなりすぎたのでこの新記事にした。
の後ろに書いて長くなりすぎた個所が本記事。
こーしんほうこく これそのうち移動
『ロクでなし魔術講師と禁忌教典』(アカシックレコード)で学ぶ現実魔法。主人公もヒロインも耶蘇教異端派のシンボル側でワロス。ナルトやフェイトと同じ陣営。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-165.html
”本作の結社制度も
黄金の夜明け団(GD)の位階制度が元ネタ。
英国系作品なら高確率で黄金の夜明け団がモデルになる。
ナルトの敵の暁の元ネタでもある。
黄金の夜明けの別名は、黄金の暁。
ボルトの敵の結社の名前が「殻」=クリフォト(邪悪の樹)。
インナーとかアウターとか言っているから暁と元ネタが同じ。
暁のボスが輪廻眼だが仏教の輪廻ではないだろう。術が六道だけでなく外道もあるからだ。
バラモン教だろう。
天の智慧研究会の位階
【元ネタの対応するGDの位階】”
とか追加。
”宗教は深く死とかかわる。
隠れキリシタンが発覚したときは、しばしば葬儀の特異さが見咎められたのが発端であったように、
人がどの宗教を信じていたかは葬儀の方法を見れば見当がつく。
それはそれこそが宗教としてゆずれない場面だからである。”
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-235.html
『儒教入門』メモ。
『論語』と『史記』の人物評価基準。
吉田松陰と安岡正篤で有名な陽明学はキリスト教と相性が良く儒教カルト✝を作りやすい。
更新報告だけでなく目を引きそうな一部引用もつけるか検討中。
これも拡充した。
検索技術と史料批判方法。
-マイナス検索と"完全一致検索"は最低でも使いこなすこと!
『統計でウソをつく法』流判定基準5つ:
出所、調査方法、足りない隠されている資料、詭弁、意味
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-145.html
本題
両建てと両権(両剣論=カトリック神学用語)
↓名言
https://twitter.com/narukemist/status/622354282696695808
小・中・大ボス、魔王、ラスボスの範囲が気になる。
王侯貴族の内、寸止め陰謀論者が名前を出している範囲までが中ボス?
右翼×左翼トラップが小ボス?
私は最上位が魔王(特定の固有名詞ある人々や団体)ではなく魔王製造思想・システムだと現在考えておりXと名づけた。
boグループが私に一切絡んでこないのが笑える。
私は彼らにとって無慈悲の災厄でありしかもほとんど返信しないからだろう。
菊池さんに粘着するのは仏教に詳しいのと、来る者拒まずだからだろう。
来る”者”なので実質スパムなのには適用しなくていいのでは?
無慈悲の厄災↓
画像に大ちゃんママ登場(笑)
×bo
△bot
○ 肉入りbot=挙動がBOTの人(ゲーム用語)
一部自動投稿で粘着しているのでは?
https://twitter.com/kikuchi_8/status/942441349197938693
boのツイート時間帯の傾向
http://ja.whotwi.com/jackiemopsy
をどうぞ。
いつ寝ているの?
ツイートゼロ時間帯が16時のみ。
中の人複数?
菊池さんが一番の仲良しと判定されていて苦笑。自動判定の限界。
菊池さん以外のアカウントも中身を見てboグループか判断すべき。
自動と手動の組み合わせアカウントかな?
ツイッターにはミュートという便利機能があり、
ブロックと違って「ブロックされた」証拠画像を撮ることができないので
スクショ曝しという工作ができない利点がある。
あまりに大量の(すでに大量だが)妨害ツイートが来たら活用してほしい。
菊池さんは
「問うに落ちずに語るに落ちる作戦=失言での自滅を狙う」かもしれない。
実際何度も成功している。
もう騙せないなら相手に情報与えたり失言しないために引くのが一流スパイだと思うのだが、
粘着しているので所詮はやがて処分される下っ端なのだろう。
藁人形論法を行うには対象を正確に理解する必要があるが、
それすらできないので結果的に藁人形になっているだけかもしれない。
反知性主義的妄想による結果的藁人形。
キリスト教の異端やプロテスタント思想もユダヤだと言って隠すのは
ユダヤを手先に使うキリスト教内の派閥争いなのを隠すため。
敵派閥のキリスト教思想をユダヤ・悪魔・イルミナティ・メーソンと呼んで叩けば
キリスト教思想全体自体は叩かなくてすむので工作員の信仰心も守れるし、共倒れを防げる、
キリスト教の昔からの伝統戦略。
キリスト教の派閥争いも見える範囲であり、
この争いを監視し調整しているX、Y、Z…がいるのでは?という仮説が謀議論。
大原則「黒幕は陰に隠れ固有名詞を出さない」が根拠。
「両建」を「両権」と書いてしまう事から2つの可能性が出てくる。①「両建」を知らなかった。②敢えて「両権」と書いている。①なら完全にモグリか寸止めの「猶太問題研究家」。②ならにわかにカトリック的な雰囲気が醸し出されてくる。「両権(論)」とはカトリックの神学や教会法上の用語らしい。
”教皇ボニファティウス8世(在位1294‐1303)が1302年に与えた教書《ウナム・サンクタム》は,教皇がキリストの代理者として霊界と俗界の二つの剣をもつこと,すなわち,後者を行使するのは王と騎士であっても,命令を下すのは教皇の側にあることを主張し,こうして〈すべての人間は霊魂の救いをまっとうすべくローマ教皇に服従すべきである〉と宣言した(両剣論)”
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%A1%E5%89%A3%E8%AB%96-149958
世界大百科事典
両建てをよりにもよってカトリック神学用語と見間違えた疑惑。
・boが詭弁を特に使うところ
=隠したい個所
=キリスト教内の派閥争いにすぎずユダヤ教徒はせいぜい下っ端
boらが本当は名指しで叩きたいのが、
キリスト教の異端派・神秘主義とイスラームでは?
しかし、これらを名指しで叩くと自分の立場がモロバレなので
「ユダヤ」と名づけて叩く。
悪魔・メーソン・イルミナティではなくユダヤという言葉を選んだのは「ヒトラーはいい人」陣営だから。
boはカトリックだと指摘したが、異端・神秘主義寄りである可能性もある。
ウェイクアップ=覚醒!
正統派でも異端派でも神秘主義・異端は叩けない。
ナチスは神秘主義大好きなので「ヒトラーはいい人」陣営にとっては叩きにくい。
ナチスのオカルト好きは超有名。
メイソンも神秘主義と異端大好き。
「ヒトラーはいい人」陣営は叩ける対象がユダヤぐらいしかなくて大変。
間違ってもキリスト教は正統も異端も叩けないので必ずユダヤと呼ばないといけない縛り?
工作員や謀議論者がイスラムを叩かない理由
①マスコミを敵だと言うので、イスラムを叩くのはマスコミと同じ主張となり正しいと言いにくい
②イスラム思想を学ぶとかなりまとも
(一神教内で一番完成度が高い)
③キリスト教異端派・神秘主義・古代宗教陣営はイスラムに大変お世話になっている
(受け入れと資料保存)
④一神教自体が持つ欠点はあるがヤソ教・新ヤソ教の悪行が酷すぎるので優先順位は低い
私は②と④に該当する。
イスラムとユダヤで思い出したのが
偽救世主サバタイ・ツヴィ。
https://twitter.com/search?q=%20%40jackiemopsy%E3%80%80%E3%82%B5%E3%83%90%E3%82%BF%E3%82%A4&src=typd
見るにboらも言及しているが思想には踏み込まない。
正統派ラビはカバラを異端視しているので、カバリストのツヴィをユダヤ教徒と呼べるのか怪しい。
寸止め陰謀論者=支配層側のプロ陰謀論者の中にはサバタイ・ツヴィを叩きたい勢力がいるので取り上げる。
私が日頃より全記事読む価値ありだと言っているオカルト百科の
にせ救世主サバタイ・ツヴィ
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/sabatai.htm
イサク・ルリア
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/shinpi/isakururia.htm
より。
ツイートはこちら。
https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/867027711578918912
サバタイ・ツヴィ
17世紀トルコのスミルナ生まれ。
当時スミルナは、スペイン(イスラム時代が長いことに注目)を追放されたユダヤ人がたどり着いた場所。
父親は息子をラビにするべく、ユダヤ学院で学ばせる。
がツヴィは正統的なユダヤ神学には関心が持てず、ルリア派のカバラに興味を示す。
(ルリアはグノーシス主義に極めて近い思想を取り込んだ。
17世紀頃からユダヤ教カバラの主流派となった)
自分を救世主だと信じ込むようになった。
ユダヤ教にはメシア待望論がある。
一部のカバリスト達が「ゾハール」を解釈し、1648年に救世主が現れると予言。
カイロでユダヤ人有力者でカバラ主義者ハラビの支持を得る。
エルサレムへ移住。
トルコ政府がエルサレムのユダヤ人達に多額の税金の支払いを命じ支払いができないのなら、街から追放すると命令。
ツヴィは大富豪ハラビに助けを求め、ハラビは、エルサレムのユダヤ人に代わり税金を立て替える。
ツヴィは大きな支持を集めた。
サラと結婚。サラはユダヤ人大虐殺の生存者で、強引に入れられたキリスト教の修道院から脱出した経歴があり、
カバラの信望者で自分は将来メシアの妻になると固く信じ込んでいた。
エルサレムのラビはツヴィを危険視し始め、ツヴィは本拠地をガザへと移し自分こそユダヤの救世主であると正式に宣言。
凄まじい数のユダヤ人が同調。
ラビはインチキだと糾弾。
ラビの中からもツヴィに同調する者が、少なからず出始め、ユダヤ教会の有力者もいた。
ツヴィは本拠地を、ガザから生まれ故郷のスミルナに移しスミルナの実権を掌握。
噂は遠くイギリスにまで伝わり、多くのユダヤ人が、彼を本物の救世主と信じたという。
1666年にツヴィはスミルナからコンスタンチノープルへと移動し、
彼を危険視するトルコ政府によって逮捕され、城に幽閉される。
が丁重な扱いを受ける。
トルコ皇帝(スルタン)のモハメッド4世に呼び出され
「イスラムに改宗するか、死刑になるか?」の二者択一を強いられる。
ツヴィはあっさりとイスラム教に改宗しサバタイ・ツヴィ運動は途端に勢力を失う。
彼に同調した高名なラビが10人ほど処刑される。
ツヴィはユダヤ教の祈りを行っているところを目撃され、トルコより追放(処刑されていない)。
アルバニアの小さな町で1676年に死去。
ツヴィがイスラム教に改宗した後も、彼を救世主とする運動は消滅はしなかった。
イスラム教徒の支持者すら居た。
彼らは、ツヴィのこの改宗は、一種の「秘儀」であり、イニシエーションのようなものと考えた。
サバタイ主義は18世紀まで生き延びた。
しばしば、ユダヤ教カバラ衰退の責任の一端は、このサバタイ・ツヴィにあるとされる。
サバタイ主義の思想は、キリスト教に類似した所があり、多くのラビが異端とみなした。
ツヴィはゾハールにある「父、母、子」の三原理を、キリスト教の三位一体に酷似した思想に置き換えた思想で、
サバタイ主義者には、キリスト教に魅力を感じ、改宗する者も多かった。
サバタイ主義者にはカバリストが多かった。
正統派のラビは、サバタイ運動を批判するのに熱心な余り、カバラまでもを異端視しはじめる。
ユダヤ社会では、このサバタイ・ツヴィの名は、「にせ救世主」として忌まわしいものになってしまった。
bo式ならキリスト教の三位一体やイスラム要素をユダヤと名づけて隠し、
ユダヤ教要素のみを叩く。
正統派ラビ基準ではツヴィはユダヤ教徒ではないことは無視。
イスラムに改宗したから当然だけど。
boがこれからやりそうなことを先回りして指摘しておいた。
boグループが日本語で活動するのは、
大半の日本人は一神教の知識がないので騙し放題だから。
旧約と新約の区別がつかず、
三大一神教の聖典すら知らないのに陰謀追及ごっこしている者を騙すのは簡単。
スポーツで例えよう。
野球とサッカーを知らない人に
「四番ストライカーとかゴール前でバント」
「オフサイドやハンドが野球の違反」
と言っているようなものだ
無宗教だと平然と言う人が多い
=宗教の知識も自覚もない
=騙しやすい
かつ
議論のルールを知らず(詭弁使い放題)
論理的思考ができない(感情をあおれば簡単に操れる)人が多い
ことも日本人を標的にする理由。
自分は無宗教だと無自覚含め嘘をつく日本人の大半は
労働教
(和風カルヴァン派
+諫言を抜いたエセ儒教
+明治以降の偽伝統)
の信者=儲!
https://twitter.com/onesyota1987/status/926374868978823169
https://twitter.com/onesyota1987/status/926376175252914176
https://twitter.com/onesyota1987/status/926412061181018113
以上お付き合いいただきありがとうございました。
資料
ゲラシウスの「両権論」
https://plaza.rakuten.co.jp/tiuingwoden1225/diary/201203220000/
”今日は、「両権(剣)論」について考えてみます。
両権論は、教皇ゲラシウス1世(在位492~496年)が、ビザンツ皇帝
アナスタシウスに宛てた書簡にある重要な考えです。
中世の「叙任権闘争」を考える時にも、ゲラシウス1世の思想
を知っておく必要があります。
5世紀末、イタリアは東ゴート王国の支配下にありました。その中で、
イタリアにいたローマ教皇はビザンツ皇帝に書簡を送り、両権論を説きました。
書簡には次のように書かれていました。
「…地上には2つの権力があります。すなわち、教皇の聖なる権威と王の権力であり、主にこの両者によって、この世が治められます。…(王は)宗教界では司教たちを支配するのではなく、彼らに服従しなければなりません。したがって、司教たちのことがらをあなたの思い通りに従わせようとしてはなりません。国の秩序に関することがらについては、皇帝は最高の権力者として法によって支配し、宗教界の指導者たちも、この世のことについては皇帝の掟にそむくことはできません。…」(H・デンツィンガー編『カトリック教会文書史料集』の訳を若干改訳しました)
教皇の権威(auctoritas)と王の権力(potestas)は、ともに神から与えられた
ものですが、ゲラシウス1世は教皇の権威(教権)が、王の権力(王権)、つまり
世俗の支配権(俗権)よりも優位にあると説きます。
(ちなみに、世俗とは世間一般の社会という意味です)
しかし、上の書簡ではさらに、
教会の世界に、世俗を治める皇帝が影響力を持ってはならないとしていますが、
世俗の世界では、教会側も世俗の法(ローマ法)に従う必要があるとされます。
ここには、教権と俗権が権力を分かち合う思想が書かれています。”
両剣論
カトリック教会の理論
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E5%89%A3%E8%AB%96
”両剣論(りょうけんろん、ラテン語: gladii duo[1],英語: theory of two swords)とは、12世紀から13世紀にかけての中世ヨーロッパにおいて考察された聖俗権力についての理論[2]。ローマ教皇と神聖ローマ皇帝の間での叙任権闘争を背景にして生まれた[3]。
「この世は聖俗二つの権力によって統治されている」という観念を教皇ゲラシウス1世が提唱し、また教会法学者も二つの権力が存在するのは神法に基づくと説いた[2]。『オックスフォード中世事典』では「司祭の聖なる権威と王の権力」についてのゲラシウス1世の理論を補強して解説したものと説明されている[4]。
…
ゲラシウス1世編集
ゲラシウス1世は494年に東ローマ皇帝アナスタシウス1世へ宛てた書簡で、この世を統治する二つのものとして「司祭の聖なる権威と王の権力」があると説いた[4]。
教皇ゲラシウス1世は俗権と教権がともに神に由来すると述べ、聖界の普遍的支配者としての教皇と俗界の普遍的支配者としての皇帝が並列的に存在していることを論じた。ただしゲラシウス1世は一方で教権が帝権の上位にあることを論じているから、俗権と教権は完全に並列的であると考えられていたわけではない。彼によれば、「政治的支配をする」王は「権力」 (potestas) を持つのに対し、教皇は権威 (auctoritas) を持っているのだが、後者こそが完全な主権なのである。[5]。この両剣論はその本来的な意図においては教権と帝権の相補的役割を期待したものであった。
11-13世紀編集
11世紀にはペトルス・ダミアニが、聖書の
弟子たちが言った。『主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります』イエスは言われた。『それでよい』
ラテン語:at illi dixerunt Domine ecce gladii duo hic at ille dixit eis satis est
— ルカによる福音書22-38
という聖句での「二振りの剣」に初めて当てはめて考察し、両剣論を補強した[4]。
この他教会法では聖書の
カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい
にも基づいた[2]。
12世紀になると1140年頃に教会法学者ヨハンネス・グラティアヌスが編纂した『グラティアヌス教令集』(Decretum Gratiani)に「祭司は王と君侯の父であり師である」「皇帝は司祭に先んじるのでなく、従わねばならない」と説かれたり、グレゴリウス7世が引用したゲラシウス1世書簡の両剣論を参考にした[6][4]。
初期には聖俗二つの権力の分離性と協調性が説かれたが、13世紀には教会優位の両剣論が説かれ、1302年に教皇ボニファティウス8世が出した教皇勅書『ウナム・サンクタム』では教皇権の至上性が説かれた[2]。13世紀以前には教会の権力は霊魂の救済に関わるもので、世俗的な統治権 (potestas) ではなく崇高な権威 (auctoritas) とされていた[2]。しかし13世紀には教皇の権力は「まったき権力」(plenitudo potestatis)とされ、万人への裁判権を有すると説かれるようになった[2]。
中世になると、両剣論には二つの異なる立場から相反する解釈がおこなわれた。ゲラシウスの定義は俗権と教権の間に明確な境界線が引かれるべきことを述べているが、それがどこに引かれるべきか曖昧で、ゲラシウスの教説は教皇側を支持する側からも皇帝側を支持する側からも、その論拠として用いられた[7]。
皇帝に有利な解釈では、帝権が直接神に由来することは世俗的世界での皇帝権の自立性の根拠となった。教権に有利な解釈では、教皇が両剣を持ち、一方の世俗的な剣を皇帝に委任して行使させるという解釈となった。レオ3世がラテラノ大聖堂に取り付けさせたモザイク画では、最初のローマ司教(のちのローマ教皇)となりローマで殉教した使徒ペトロが教皇にパリウムを、皇帝に槍を与えている。『シュヴァーベンシュピーゲル』には「主は両剣をペトロに委ねた。ゆえにその後継者である教皇が自ら教会の剣を行使し、皇帝に世俗の剣を与える」とある。
歴史的には、グレゴリウス改革以前、11世紀の頃には聖職叙任権も、ときには教皇の叙任権さえ神聖ローマ皇帝が「神の代理」として掌握しているというのが実情であった[8]。
12世紀のイングランド編集
12世紀後半のイングランドでも国王ヘンリー2世とカンタベリー大司教トマス・ベケットの対立を背景に、ベケット大司教とヘンリー2世を支持したロンドン司教ギルバート・フォリオットとが両剣論について論争をした[4]。トマス・ベケットは教会優位の立場であり、ギルバート・フォリオットは聖俗権力はそれぞれの職分を持っており相互協調を説いた[4]。
”
”
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
両剣論
りょうけんろん
Two swords
中世における教会と国家の権力の関係についての教説。『ルカによる福音書』 22章 38の象徴的解釈に由来する。両剣論は教皇ゲラシウス1世により初めて表明され,『グラティアヌス法令集』に記載されている。教皇ボニファチウス8世はフィリップ4世との争いにおいて教書「ウナム・サンクタム」を発布,教会は両権力を神から受けており,国家権力は国王,皇帝に貸してあるのみで,教会のために用いられるべきものであるとした。他方皇帝側の両剣論は国家権力は神から直接皇帝に与えられているとする。グラティアヌスは精神的権力のみを教会に認めている。近世以後,主権在民,公会議主義により両剣論は力を失った。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
世界大百科事典内の両剣論の言及
【キリスト教】より
…この間,教会法はグラティアヌスのようなすぐれた学者をえて発達した。 教皇ボニファティウス8世(在位1294‐1303)が1302年に与えた教書《ウナム・サンクタム》は,教皇がキリストの代理者として霊界と俗界の二つの剣をもつこと,すなわち,後者を行使するのは王と騎士であっても,命令を下すのは教皇の側にあることを主張し,こうして〈すべての人間は霊魂の救いをまっとうすべくローマ教皇に服従すべきである〉と宣言した(両剣論)。もちろん,二つの剣は真っ向からぶつかるのではなく,世俗の権威もまた創造者たる神によって与えられているゆえに矛盾はないと考えているが,けっきょく教皇が失敗して世俗の権威を放棄せざるをえなくなるまで,教皇は世俗のことに介入しすぎたのである。…”
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%A1%E5%89%A3%E8%AB%96-149958
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