FC2ブログ

読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

09 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 11

ドイツ語での研究者以外のイルミナティ情報源を信用するな!『薔薇十字団』と『近世ヨーロッパの思想と社会』が名著。ハズバラboナチス親衛隊への追撃 

初手シンボル対策安定(目次はその次)↓

マインツのシンボル
(マインツ大学の標語がエキュメニズム)


ジャコバン・クラブのシンボルは赤いフリジア帽



標語がエキュメニズムのカナダ合同教会は
Presbyterian=長老派、つまりカルヴァン派。
画像一番右がカナダ合同教会のシンボル。






 目次

・ハズバラboナチス親衛隊について。

・信頼できるヴァイスハウプトのイルミナティの情報元の選定基準について。

・信頼できる情報源
純丘曜彰『近世ヨーロッパの思想と社会: 哲学とメイソンリーの時代』
のメモ。

・エキュメニカル運動の根拠の一つである、
イエス「すべてを一つにしてください」
というヨハネ福音書17:21
をモットーにしている組織一覧。





・ハズバラboナチス親衛隊について。

大原則↓


https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/800307404353044480

サンヘドリンとかイルミナティとか、わかりやすい『組織名』が世界を支配してるなんて情報は嘘”
”本当の中心にいるやつは名前が何個も持っていたり、名前を調べられても…何者なのか全くわからない…表上重要視されない…や固有名詞を持たない”



キリスト教陰謀論とユダヤ陰謀論の両建てとはいっても、
キリスト教の方が地位が上。

「叩かれず善のイメージをまとう側が常に上位」

なのは歴史の大原則。

しかし、キリスト教も見えている範囲なので最上位ではないだろう。
最上位を便宜的にXと名づけている。
イルミと名づけるのは誤った名づけ。
正体不明以外のいかなる意味も名づけに含まれてはならないからXが適切。

Xは特定の団体名でも個人名でもないだろう。
何かの思想とシステムの複合体だろう。



上記の大原則に反する主張をやたらと繰り返すのは、
無知(無自覚工作員)か、
自覚的工作員か、
ごく一部の例外。

工作員は基本的に泳がせて情報収集が基本。
情報がたまったら一網打尽。
boが菊池さんにも粘着しだしたので本記事で追撃。

boグループの一員のwakeupが菊池さんにからみ、日蓮系に多い「文証」を使用して自滅。
日蓮系でカトリックなら元来はローマ・カトリック教会の宗教曲である
“オラトリオ「日蓮聖人」を東京交響楽団の演奏で全国各地で上演”した国柱会かもしれない。



https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/800291311488102400

ウェイクアップと同じくboも本当に粘着質だな!

boはカトリックでナチス賛美で、731部隊+優生学系だと判断。
日蓮系カルトと統一教会系とも連携。
大日本帝国万歳、
戦争賛美、
八紘一宇への協力者。


∴WASP系かカトリック←ナチス支援
boはバチカン限定陰謀論のフェルプスをユダヤと非難 。
カトリックばかりを叩くフェルプスを叩いたのでカトリックと判断。
フェルプスは人脈よりプロテスタント側の陰謀論者。


https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/800283297523736576



https://twitter.com/wolvesknow/status/799872817768468480


「ヒトラーはいい人」工作員がやっているのが、
①キリスト教(特にカトリック)は悪くない
=ナチスのスポンサーは悪くない

②ユダヤは悪

ナチスそのまんま!

ユダヤの定義を聞いてみてはいかが?
どう答えるかな?


boが非常に嫌がりそうなことをプレゼント↓

ナチスのスポンサーがカトリック。

ナチス親衛隊が黒いイエズス会と呼ばれた。

イエズス会を創ったバスク貴族にして騎士のロヨラはユダヤ教徒ではありえない。

ナチス残党の逃亡をカトリック教会や赤十字団体が手助け(修道院ルート)。

ユダヤが黒幕ならなぜユダヤ陰謀論本がベストセラーになった?
クリスチャンがユダヤの手先ならキリスト教系陰謀論者はユダヤの手先だよね?
なぜユダヤが黒幕=私の親分が犯人って言える?
ユダヤの定義を教えて!

しばらく、
『霊操』と『ニューエイジについてのキリスト教的考察』。
後者が前者叩きに感じるのはイエズス会が異端寄りだから!
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-160.html
より

boへのねこたさんの確信を突く呟き

”あなたは隠れユダヤ隠れユダヤ言いますけど、ユダヤ人の定義すらできないでしょ?
イエズス会のロヨラは貴族だと知りませんか?
ユダヤ教徒は貴族になれるんですかね?
隠れユダヤの定義がはっきりしないのに、隠れユダヤの陰謀で主婦を騙し放題ですか”

イエズス会の創設者の貴族の出て元騎士で従軍してたロヨラがユダヤってデマも、
ロヨラが関わってたアルンブラドス派などの異端がユダヤを通じて中東から資金援助貰ってたというオチでね?
隠れユダヤ云々の論争の背景には、本人がユダヤというよりユダヤとツルんだ異端のネットワークがあるんでは?

大体、ユダヤ人は教会法で金融業と古物商以外の商売が禁じられてる(商館持つのもダメ)のに、
キリスト教徒の貴族階級やそれに類する人しかなれない騎士にユダヤ人がなれるわけねーじゃん。
ロヨラの実家は城も残ってる貴族でユダヤ人の土地取り上げたりしてなかったですか?
隠れユダヤが貴族?

○○は実は隠れユダヤ人でっていう話、
ユダヤ教の習慣も信仰も捨てたユダヤ教徒が隠れユダヤってのはおかしいぞ?
それなら、隠れムスリムはどうなる?
ムスリムなのにあの宗教キチのイザベラ女王様に強制改宗させられたムスリムがクリスチャン化してるのにムスリムとか言えるわけ?”












https://twitter.com/kenkatap/status/208481889357533186





そんなに設計図が見える私が怖いかい?


boは完全にやり口がプロ。
菊池さんとねこたさんと私本人ではなく周辺の騙しやすい人がターゲット。
素人臭さを出したいなら、プロ臭い画像を使わないことだな!

菊池さんを知らない人に菊池さんのツイートを読ませないことと、
騙しやすい人を取り込むのが目的だから、
菊池さんの知らないところで活動。
だから、スクショ攻撃。

より良い意見を引き出すのが目的なら、
本人の知らないところでスクショ攻撃なんてしない。

boが「なぜそこまで白人基督教徒の立場に同情的なのか?」
って自分がそうだからでは?

粘着質なのは、単に菊池さんの時間を奪うためではなく本人の性格なのだろう。


私が批判するキリスト教とは、
キリスト教神学に基づく思想とシステムのこと。
よって、批判はすべての派閥に及ぶ。
キリスト教神学にもユダヤ教思想が混じっているのは自明。

ユダヤを叩くと妨害してくる人よりも褒めて来る人が多すぎる。
キリスト教を叩くと否定してくる人が多すぎる。
地位の差がうかがえる。
今現在も同じ状況なので今もキリスト教の方が地位が上であり、
逆転はされていないと結論している。


首相叩きと天皇叩きの差に近い。
海外での首相叩きと貴族叩きの差に近い。

boちゃん見ちゃうとキリスト教批判をしたくなっちゃうじゃないか♡
逆効果工作員乙♡
愛称は何がいいかな♡

候補は
御家
文証、
ハズバラ←new!

↑枕詞にしようぜ!

ちょっと一工夫して、

恥ずバラのきかん棒!

・信頼できるヴァイスハウプトのイルミナティの情報元の選定基準について。


boが今度はイルミナティはユダヤとか言ってきそう(すでに言ってそう)。
そこで、本記事では、イルミナティについての良い情報源について扱う。
この記事がまたしても長いのは「恥ず薔薇」のせいです。おらはわるくねえ!

イルミナティについてデマを流す「やのっち」は煉獄のカレイドスコープ側。


https://twitter.com/asai_hukai/status/913941603093430272



(帰ってきた秘魔女の言っていることは正しいけど、
あんたは薔薇十字団正統会員だから超怪しいぞ!
この人はヴァイスハウプトと黄金薔薇十字の戦いを知っているんだろうね)


ヴァイスハウプトのイルミナティに関する情報で信憑性が高いのは以下の二つを満たすもの。

①ドイツ語を読んで研究している学者の書籍で、

②黄金薔薇十字団とヴァイスハウプトのイルミナティの対立が書かれているもの


例えば、


①貴族のヘッセン選帝侯(部下がロスチャイルド)の薔薇十字団は、
共和制=貴族否定のヴァイスハウプトのイルミナティを警察に弾圧させている。

②薔薇十字団が、ヴァイスハウプトが自分の結社のためにと注目していた人をが引き抜こうとしたために、
彼の怒りを招いた。

③ヴァイスハウプト
「若い人々が黄金変成とか同じようなバカげたことに参加するなどということは、
私には耐えられない」
(黄金錬成思想=薔薇十字思想の根幹の一つの否定)

以上は、()内以外はマッキントッシュ『薔薇十字団』に明記。


条件を満たすのが
マッキントッシュ『薔薇十字団』と、
純丘曜彰『近世ヨーロッパの思想と社会: 哲学とメイソンリーの時代』。
二人ともドイツ語を直接読んで研究している。
サイトで信憑性が高いのは私が全文読むようにすすめている
「オカルト百科」の人で、この人もマッキントッシュの『薔薇十字団』も参考文献にしている。


必読↓ バリュエル神父という単語がちゃんと登場。

イルミナティ(パヴァリア啓明結社)の興亡
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/mason/iruminateli.htm

”狂信的な反フリーメーソン論者として知られたバリュエル神父やロビンソン教授らが、
イルミナティを悪魔崇拝の政治的陰謀結社とする本やパンフを撒き散らした。”

ロビンソン(ロビソン)教授に情報を渡したのはカトリック修道士ホーン。
詳しくは

現代の陰謀論の父はイエズス会士のバリュエル神父!
ベネディクト会修道士でスパイで外交官でタクシス家とつながりありのホーンが、
ロビソンにメイソン・イルミナティ陰謀論のネタを提供。

リベラと同じくプロテスタント側の陰謀論者フェルプス(バチカン限定陰謀論)をカトリックのboが叩くのは当然!
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-194.html



要は、ドイツ語が読めない奴の情報なんか信用するなってこと。
上記二冊を読んでいる人は私の知るかぎり私以外ではたった一人だ。
そのたった一人の本当に素晴らしいブログは消滅済み。
他には素性がわからないので①②にあてはまっているか不明だが、
海外文献を参考にしている
『オルタナティブを考えるブログ』
https://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik
も素晴らしい。

過去記事やツイートではかなり前から紹介している。
アメリカ紙幣のあのデザインの決まる過程の研究記事などもある。



プロビデンスの目と未完成ピラミッドのデザイナー
https://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/15643474.html
と前後の記事をどうぞ。


バリュエル神父にきちんと言及しているイルミナティ陰謀論の研究記事もすごい。
書かれた日付にも注目。


https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/532666588432855040

反陰謀論 真実のイルミナティ 【1】

https://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/20613985.html



これもすごい。
ナチスがつくったロスチャイルド伝説!


https://twitter.com/Bell_Boyd/status/600665348820504576

反陰謀論 ロスチャイルド伝説index
https://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/32246551.html


オカルト百科が話題に出たのでついでに書いとく。
飛鳥なんちゃらという偽カバラを布教しているモルモン教徒がいるんだけど、
その本をオカルト百科の人が読んで誤りを指摘している。

アヴィケブロン
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/shinpi/avikeburonn.htm
”カバラといえば、最近やっと、あすか○きお氏のマンガを読んだ。日ユ同祖説を唱え、古代日本にカバラが伝わっていた、という説(?)は面白かったし、陰陽道の一族がカバラの秘儀伝授者である、門松や熨斗紙は「生命の樹」をあらわしたものだ等の説は、かなり楽しませてもらった。
 しかし、これらの主張を信じるかどうかとなると、まったく話しは別である。
 彼の主張には、多くのアラが目立つが、
特に致命的なのは、「生命の樹」の日本伝来の年代が合わないということだ。
確かにセフィロト論自体は古くからあるが(とは言っても、セフィロトを「樹」としてとらえるようになったは「バヒルの書」以来であり、つまり12世紀以降のこと)、
我々が知っている形でのセフィロトが成立したのは盲人イサク以降のことであり、クリポト教義にしてみてもトドロス・アブラフィアの登場を待たなければならない。
要するに、これらの教義の成立は、13世紀以降のことなのだ。これらを古代日本、平安時代と結びつけるのは無理がある。

  もっとも、エンターテイナーたる彼が、どこまで本気でこれを描いているのか私には分からないので、これ以上は何も言わない。”



マッキントッシュ『薔薇十字団』のイルミナティと黄金薔薇十字団がらみの個所だけメモより引用。

大原則に基づく記事↓


”・p.140

「厳しい戒律の儀礼」や「テンプル司祭団」よりもさらに深く錬金術の研究を進めようとする人々は、
必然的に「黄金薔薇十字団」へと向かっていった。
黄金薔薇十字団は純粋にドイツ的な現象としてより人々を引き付ける力を持っていた。
かくして薔薇十字的メイソンの新しい儀礼が誕生した。
新しい薔薇十字結社には錬金術的な知識の探求とは別に、
人々を引きつけるもう一つの特徴があった。
それは結社の政治的立場である。
十八世紀後半の薔薇十字団は、保守的な見解を持つ人々が結集する場所となっていて、
ドイツにおいて重大な問題となりかけていた
急進的・理性主義的・反宗教的な傾向に反対する立場をとっていた。

アーダム・ヴァイスハウプトのバイエルン結社「イルミナティ【啓明結社】」は、
明らかに進歩的理性主義の陣営に属している。
しかし、フランスの同時代の著作家が「イリュミネ」という言葉を使用するときは、
反啓蒙主義者たちを指しているのである。

フリードリヒ大王はけっして急進的ではなかったが、
フランス的な平等主義の信念を持つメイソン・ロッジの会員であった。
どちらかというと、メイソンには急進的な意味が含まれ、
新しい薔薇十字団には対照的に保守的な傾向がある。

黄金薔薇十字団の成功の背景には四つの要因があった

①特権的なエリート階級に約束された秘密の知識

②保守派の中心としての結社の機能

③宗教的な代替物としての魅力

④民族主義的な警告を持つ人々を引きつけたドイツ的性格

(黄金薔薇十字は保守的で、ヴァイスハウプトのイルミナティと思想が真逆なので対立。
工作員が言っているイルミってイリュミネの方に近いね)



・p.207(別にページ順にメモを残すとは言っていないので注意)

薔薇十字団の主題を利用した詩人にゲーテがいる。
ライプツィヒでの修業時代を終えて
1768年にフランクフルトに帰ると、
ゲーテは体調を悪くして数か月間病床につく。
ゲーテは、病から回復できたのは錬金術の秘密の「塩(えん)」を服用したからであると考え、
後に錬金術の実験を自分でも試みている。
病床にいるあいだ、ゲーテはヘルメス主義的な話題に関する多くの本を読んでいるが、
そうした関心をゲーテに呼び起させたのは、友人で会ったフォン・クレッテンベルク嬢である。
薔薇十字思想はゲーテが読んだものの中に含まれていたに違いない。
ゲーテは26歳のときに、若きカール・アウグスト公の顧問官としてヴァイマルに移るが、
薔薇十字思想への関心はその時まで続いていた。
薔薇と十字は、彼の未完の詩「秘儀」【1784-85年】の特徴となっている。
1785年の春にゲーテはこの詩を書くのをやめている。
彼はその主題にすでに飽きていたのだが、
それを放棄する別の理由があった。
一か月前に薔薇十字団は、ヴァイスハウプトの創設したバイエルンのイルミナティ結社を警察に弾圧させることに成功していた。

(ヴァイスハウプトは薔薇十字が大嫌いである理由の一つ。
薔薇十字に引き抜き攻撃を食らったこともある)

第七章ですでに指摘したように、
十八世紀の薔薇十字団は政治的に保守的であるのに対して、
イルミナティ結社は急進的であった。
ゲーテは賢明にも、イルミナティ結社の弾圧が真の薔薇十字友愛団の理想にも及ぶことになると察していた。

(ゲーテもイルミナティ結社のメンバーだけど、
薔薇十字が嫌いではない)

インゴルシュタットの教会法教授であったヴァイスハウプトは、
バイエルンの薔薇十字集団とは意見が合わなかった。
エッカーという名前の歩兵隊の将校は、
ブルクハウゼンに錬金術研究を目的とする薔薇十字団の支部を設立した。
その支部は代理人をインゴルシュタットに送り込み、
ヴァイスハウプトが自分の結社のためにと注目していた会員を引き抜こうとしたために、
ヴァイスハウプトの怒りを招いた。
ヴァイスハウプトは、
「若い人々が黄金変成とか同じようなバカげたことに参加するなどということは、
私には耐えられない」と書いている。

(錬金術の黄金錬成思想の否定。
つまり、薔薇十字思想の根幹の一つの否定。

そうえばシンフォギアでヴァイスハウプトが敵で性格最悪だったのは意図的だね。
日本は実質王政だから共和主義のヴァイスハウプトは叩かれやすいのさ)

ゲーテは、黄金薔薇十字団との対立において、ヴァイスハウプトに共感を持っていたが、
薔薇十字思想それ自体を非難することはなく、その主題に興味を持ち続けた。







・信頼できる情報源
純丘曜彰『近世ヨーロッパの思想と社会: 哲学とメイソンリーの時代』
のメモ。


純丘曜彰『近世ヨーロッパの思想と社会: 哲学とメイソンリーの時代』
(この本は最上級に重要!


・老ニュートンが、情報と技術が集まるメイソンリーを乗っ取った。
ニュートンは、国王協会の技術員デザギュリエ(1683 ~ 1744、34歳)を使って、
1717年に魔術的な6月24日の洗礼者ヨハネの日(夏至祭)に、
ロンドン四ロッジの会員約700名を、
居酒屋「ガチョウに焼網(グース&グリッドアイアン)に集め、
ロンドン大ロッジを創る。
実質的支配者はニュートン。

メイソンロッジは身元保証機関となった。

ロンドン大ロッジを支配する老ニュートン(79歳)と、
その番頭デザギュリエは、
1721年、モンタギュー卿(先の大蔵大臣の息子)を総長に迎え、
また牧師アンダーソン(1684~1739、37歳)他14名に教義としての憲章を作らせ、
メイソンリーの格式を高めた。
メイソンリーはわずか5年で、
天地創造以来の悠久の伝統と神聖な格式を持つ驚異的な、
社交クラブとなる。
国王協会と同様に、貴族をかたっぱしから入会させ、権威の向上を図った。

有力者であれば、試験もなく入会や昇進ができた。
それでも儀式は役立った。
それを知っているだけで、その人が地元で信用を得ていたことの証明となり、
知り合いのいない地方や外国でも、兄弟から地元と同様に便宜を与えられたからです。
無意味で複雑な秘密だからこそ、カードの暗証番号のように身元保証の機能を持った。


・フランスは、1685年のナントの勅令の廃止で新教徒が逃亡し、
1720年のバブル崩壊で経済が破たんし、商業も工業もひどく沈滞してしまっていました。
(当然、フランスのカトリック国王を恨んでいるプロテスタントを吸収した勢力の一つがメイソン)

・1757年のドイツ中西部の自由都市フランクフルトに創設されたものをはじめとして、
各地にスウェーデンボーリ風の降霊術を取り入れた「黄金薔薇十字団」が登場し、
インチキの亡霊でメイソンたちを騙していました。
これは、薔薇十字団とは名乗っていますが、アンドレーエの理想とはほとんど関係がありません。


・ハンコックはボストンの反英論者アダムズを焚きつけ、
彼のロッジ「自由の息子たち」を反英運動の中心とする。
また、初の女性ロッジ「自由の娘たち」もできて、
「バイ=アメリカン(アメリカ製品購入)運動」を展開しました。

(メタルギアのサンズオブリバティー=自由の息子たちの元ネタ疑惑




・百科全書を引き受けたディデュローは、機械でも人体でもなんでも切り開いて見せる数々の断面図を前に、
無神論に傾いていきました。
保守派文化人は、ディデュローと百科全書計画に激しい拒絶反応を示し始める。
ダランベールも手を引き、政府による出版禁止にまで追い込まれた。
それでもディデュロー(59歳)は非合法のまま、
ほとんど一人でこの大事業を継続。
彼はこの百科全書を
1769年に創設された「九姉妹神(ヌフスール)」などのメイソンロッジを通じてひそかに販売し、
1772年、本文十七巻、図表十一巻のすべてを完成させる。

このころのドイツのメイソンリーの中心人物は、
ヴァイマールの出版やボーデだった。
劇作家のレッシンクは、ボーデの紹介で
69年にハノーヴァー領内の国立図書館長に就任。
説教師ヘルダーもまた、
70年、新しい就職先を斡旋してもらおうと、ボーデを訪れた。
ちょうどそこにゲーテ(二十一才)もやってきた。
彼ら三人が新たな時代の思想を開くことになる。

・イエズス会も最後の牙城スペインにおいてブルボン家の国王がみずから
「スペイン大ロッジ(グランロジア=スパニョル)」を創設
してしまったために、
1767年、国外追放されてしまい、行き場を失う。
69年、教皇が死去、もはや国内の啓蒙主義勢力を無視できない各国政府は、
イエズス会を廃止しないかぎり新教皇を認証しない、とまで主張し続けた。

このため、新法王クレメンス十四世は、
1773年、やむなくついにイエズス会の解散命令を発布。
これに呼応して、フランスでも
同73年に、国王翼賛の「フランス国民大ロッジ(グランロージェ=ナショナル)」から、
啓蒙主義者シャルトル公(のちのオルレアン「平等(エガリテ)」公)を中心とする
より過激な反政府・無神論の「フランス=グランドリアン(大東社)」が分離。
とはいえ、二万四千人もいるイエズス会士が翌日に消えるわけではなく、残党の多くはあいかわらず
フランスなどの国々の政府中枢の利権に巣食っており、その追放が新組織の次の課題となる。

バイエルン(バヴァリア)のインゴールシュタット大学もまた、
これまでイエズス会の強い支配下にあったが、
教皇によるイエズス会の解散命令とともに啓蒙主義者の学長がイエズス会士追放を行った。
しかし、学長の甥の法学教授ヴァイスハウプト(1748~1830年、25歳)がイエズス会の残党の攻撃にさらされることになってしまう。そこでヴァイスハウプトは、
翌1774年、自分の学生5人と秘密結社イルミナティ(啓蒙会、完全者同盟、幻想教団)
というインチキ団体を創設し、教会以上の歴史と組織を匂わせ、自分たちのみを守ろうとする。
とはいえ、この団体は実際はせいぜいバイエルンの首都ミュンヘン市周辺しか仲間がいませんでした。

(ヴァイスハウプトのイルミナティの創設理由がイエズス会対策であることと、
そこまで力がある団体ではないとちゃんと書いてあるな。
本書の著者はドイツ語などの文献をきちんと読んでいるからな)


・ザクセン=ライプツィッヒのコーヒーハウス店主シュレプファーは、
店の裏でスウェーデンボーリ風の霊媒術を行っていた。
これは鏡や幻灯や腹話術を用いたインチキでしたが、
多くの聖堂騎士団に秘密の財宝を手に入れた、と言って、ある箱を担保に金貨千枚を集めた。
だが、その箱の中身は石ころでした。
聖堂騎士団の団長としてドイツ=メイソンリーを統括するブラウンシュヴァイク公フェルディナントは、
団員の傭兵将軍ビショップヴェルダーらをこの事件の調査に派遣したが、
シュレプファーはピストル自殺してしまった。
しかし、ビショップヴェルダーは、すでに充分にシュレプファーのインチキ霊媒術の方法を学んでおり、
みずから「古式黄金薔薇十字団」を創ってしまう。



・メスマー(1734~1815年、40歳)は、
ウィーンの裕福な開業医であり、
ザルツブルクのモーツァルト親子の音楽活動を支援したりもしていました。
74年、彼は自分が患者に近づくと放血の量が増えることに気づき、
「動物磁気」を発見します。
メスマーが自信を持って治療にあたった結果、この動物磁気の効果は絶大であり、
多くの患者が詰めかけました。
そこでメスマーは磁石や鉄くずの入った水桶を使い、
患者相互の動物磁気によってまとめて治しました。
メスマーは若く美しい女性の患者にしか興味がなく、
動物磁気を高めるために、患者の胸や腰を丹念にマッサージしました。
それゆえメスマーの病気の妻は治療の対象とはなりませんでした。
やがてメスマーの病院は背徳の館とみなされるようになっていってしまいます。


ドイツ中部のヘッセン=カッセル方伯家は、昔から屈強なドイツ人を集め、
訓練して傭兵に仕立てて各国に貸し出し、大金を稼いでいました。
それも、傭兵が死ねば死ぬほど、彼の儲けになりました。
当主フリードリッヒ二世方伯は、七年戦争で新大陸がまた戦争だというので、
これまでの十万名に加え、さらに三万名の傭兵をかき集め、新大陸正規軍に貸し出し、
大いに利益を得ました。
ここにおいて、ハノーヴァー出身の俊才のクニッゲ男爵(1752~1796)が、
その腹心として事業拡大に活躍します。

また、方伯家は、代々、古銭収集が趣味であり、
その整理をカッセル工学学校のハノーヴァー人
錬金術師ラスペに手伝わせていました。
ところが、このラスペは、仕事のかたわら、古文書をいろいろ調べている。
そこで、75年、フリードリッヒ二世方伯(55歳)は、
ラスペを古銭横領の容疑でとりあえず逮捕しようとしました。
すると、ラスペは逃げてしまいました。
ラスペは、亡命先のロンドン市でレッシングの『賢者ナータン』の英訳などを行い、
「イルミナティ」思想の普及に努め、
またその後、同郷人ミュンヒハゥゼン男爵のほら話をまとめ、
匿名でベルリンの出版社から『M-h-s-の話』(1783)を出している。

・ラスペに代わって、
フランクフルトのユダヤ人商人マイヤーアムシェル=ロートシルト
(ロスチャイルド、1744~1812、31歳)
がフリードリッヒ方伯に近づいてきました。
彼もまたたいへん古銭に詳しく、
方伯家のコレクションにおおいに貢献しました。
とはいえ、フリードリッヒ方伯を支える多くの銀行家の中では、
彼はまだ、その末席に加わったという程度にすぎません。

(「多くの」銀行家に注目。
ロスチャイルドの親分のヘッセン選帝侯はユダヤ人保護権
=ユダヤの銀行家支配権を持っていた)


・老フランクリン(70歳)は、高齢にもかかわらず、「アメリカ」大使としてただちにフランスに赴き、
百科全書派ロッジ「九姉妹神(ヌフスール)」などを通じて、
ヨーロッパ中のメイソンに新国家アメリカへの支援を求めた。
このためヨーロッパの諸王は早急にメイソンリーを切り崩す必要が生じる。

(フランス系メイソンは教会と貴族を倒せの革命が基本)

もともとヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世(55歳)は、
国教グレイトブリテンのジョージ三世(37歳)や
旧教オーストリアの女帝マリアテレジア(57歳)と協調し、
ルター派とカルヴァン派を繋ぐ新教君主として、
ハノーヴァーや
プロシア、
ザクセン=ヴァイマール、
ヴュルテンブルク、
バィエルンなどを統一し、
ドイツに反動的な絶対王政の「千年王国」を建設することを妄想していた。
それゆえ、この事態に、ヘッセン方伯は新大陸へ反メイソンリーのグレイトブリテン正規軍備兵を送り込むだけでなく、
ヨーロッパの反メイソンリー工作を引き受けた。

(薔薇十字とメイソンはイコールではないので注意。
ヘッセンの黄金薔薇十字は保守。
ヴァイスハウプト側のメイソンは革新)


古式黄金薔薇十字団の傭兵ビショップヴェルダー(62歳)や、
「選良司祭団・聖地善行騎士団」のリヨン商人ウィレルモ(45歳)もまた、
この指示の下に動いた。
彼らは、73年の法王の解散命令で行き場を失っていたイエズス会残党を大いに利用し、
鏡や幻灯や腹話術を用いたインチキ魔術によってきちんと亡霊を見せて急速にメイソン会員を増大させ、
各地のばらばらの黄金薔薇十字団を傘下に吸収していった。

76年にはオーストリアの首都ウィーンに、
既存の聖堂騎士団系のロッジ「三匹の鷲」とは別に、
黄金薔薇十字団系のロッジ「戴冠した希望」を創り、
ここをラィプツィッヒ・リヨンと並ぶ第三の拠点として利用する。
77年には黄金薔薇十字団系ロッジの合同総会を開き、
これらを古式黄金薔薇十字団が統括することを認めさせ、
野望の足場を固めた。


・18 ドイツ統一の陰謀

聖堂騎士団の団長ブラウンシュヴァイク公フェルディナント(56歳)らは、
あいかわらず「知られざる上官」の探索を行っていた。
ヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世(57歳)らは、
77年、イタリアで団員のヴュルテンベルク王国顧問官ヴェヒターにいつものインチキ霊媒術を披露し、
聖堂騎士団の知られざる上官は薔薇十字団にほかならない、と預言した。
探索員はもちろん、その報告を聞いた団長フェルディナント公もこれを本気で信じた。
ここへ彼らが乗り込み、とうとう聖堂騎士団を乗っ取ってしまう。

フリードリッヒ方伯の次なる野望は、ヨーロッパメイソンの統一支配。
すでにオカルト色の強いメイソンは古式黄金薔薇十字団として組織されてしまったとはいえ、
その他の啓蒙主義者たちは、むしろ反国王、反オカルト、反イエズス会、親アメリカに傾いていった。

(啓蒙主義者はヘッセンの古式黄金薔薇十字団と対立。
啓蒙主義者は反国王、反オカルト、反イエズス会、親アメリカ寄り。
カントも啓蒙主義者で『永遠平和のために』でイエズス会的詭弁を叩き、共和主義を主張)


加えて、ドイツ=メイソンリーは一応は、
聖堂騎士団を上位チャプターとするプロシア宮廷ロッジ「三つの地球」の下に
「ドイツ国民大ロッジ」としてまとまってはいるものの、
実体は国家や都市と同じく各地にバラバラです。
ましてフランス=メイソンリーは各地のロッジを統括する大ロッジそのものが、
親グレイトブリテンの「フランス大ロッジ」(1736~)、
国王翼賛の「フランス国民大ロッジ(グランロージェ=ナショナル)」(1756~)、
反政府の「フランス=グランドリアン(大東社)」(1773~)の三つに分裂していた。
フリードリッヒ方伯は「聖堂騎士団」団長フェルディナント公を通じて各地のロッジに
「国際メイソン大会」の開催を呼びかけたが、その実現は容易ではなかった。

(グランドリアンは啓蒙主義者シャルトル公(のちのオルレアン「平等(エガリテ)」公)を中心とする
より過激な反政府・無神論系)

78年、スイス国境の寒村から時事的な提言を発し続けてきた啓蒙主義の長老ヴォルテール(84歳)が、
自身の悲劇『イレーヌ』の上演のためにパリに戻った。
市民は彼を絶大な声援で迎えた。
彼はアメリカ=メイソンリーの重鎮、老フランクリン(72歳)の仲介で百科全書派ロッジ「九姉妹神」に入会する。
ところが旅の疲れか、長老ヴォルテールはその翌月に死んでしまった。

(老衰か暗殺かもうわからぬのう)

この機に、「選良司祭団・聖地善行騎士団」のウィレルモ(48歳)は、
ヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世(58歳)の支援の下、
78年、出身地リヨン市で「ガリア=メイソン大会」を開き、
フランス=メイソンリーにおける選良司祭団・聖地善行騎士団の優位を打ち立て、
老ヴォルテールに代わる中心人物に成り上がってしまった。

一方、ドイツにおいても、
「古式黄金薔薇十字団」にすっかり洗脳されてしまった「聖堂騎士団・三つの地球」のフェルディナント公(五七歳)を通じ、
「ドイツ国民大ロッジ」傘下の各地のロッジもまた急速にオカルト色を強め、
再びオカルトメイソンと啓蒙主義メイソンの間で対立と混乱を増していった。
だが、ヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世(五九歳)は、「千年王国」の野望の実現に向け、
七九年、行き場を失っていたサンジェルマン男爵(約六九歳)を拾い、メイソンのオカルト化を強力に進めていった。


(反政府「グランドリアン」や百科全書派ロッジ「九姉妹神」の啓蒙主義メイソンたちは、
オカルト色の強いウィレルモの支配に頑強に抵抗したが、
オカルト系に改宗した人も当然いるし、
オカルト系から啓蒙主義に改宗した人もいるからややこしい。
ウィレルモ(48歳)は、メスマーの治療法をあちこちに売り込んだりもしている。
動物磁気って要は東洋の気だよね?)



・小物の放浪詐欺師バルサモが大物の霊能医師カリオストロ伯になった背景には、
じつはイルミナティの莫大な資金支援があった。
ウィレルモとメスマーがフランスの啓蒙主義者たちを取り込んでいったのに対し、
カリオストロ伯は、逆にフランスのオカルティストたちを切り崩していった。

・20 黄金薔薇十字とイルミナティの決戦

81年二月、メイソンリーのオカルト化を激しく批判するレッシンク(51歳)は、
レストランで食事をして帰宅するや、突然に激しく嘔吐して死んでしまった。
(毒殺)
しかし、レッシンクの歴史的啓蒙主義はイルミナティの中心思想へと着実に受け継がれ、
大きな影響力を持つことになる。
すなわちヴァイスハウプトによれば、
人類の歴史は自由の幸福を楽しむ幼年期の後に、
僧侶の圧政と君主の独裁の下、物質的欲求に縛られた少年期となっているが、
これらの抑圧的意見を打ち破って、真に神に救済される成人期に類として達しなければならない、とされる。

(ヴァイスハウプトのどこが無神論?
教会と王族側が彼に無神論だレッテルを貼って叩いただけでしょ)


オーストリア=ハプスブルク家のヨーゼフ二世(四〇歳)は、
ただの善良な啓蒙専制君主ではなかった。
彼は、ヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世によるドイツ統一の支援ではなく、
オーストリアを含む大ドイツ統一を考え、
フランス=ブルボン家やロシア=ロマノフ家
と組み、ヨーロッパを分割支配することを考えていた。

(ハプスブルク=カトリックのヨーゼフ二世は、
ヘッセン=プロテスタントのフリードリッヒ二世と
ドイツ統一について対立)

ハプスブルク家のヨーゼフ二世はその第一歩として、
妹マリーアントワネットの嫁いだフランスと、
南ネーデルラント(現ベルギー)とバイエルンの交換を計画していた。
彼にとっては、国内の「真の調和」も、
ドイツの「イルミナティ」も、
そのための手段にすぎない。
このようなヨーゼフ二世の裏切を察したヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世(六一歳)
は、アメリカのためではなく、みずからのために、
イエズス会残党を使って「黄金薔薇十字団」の下にメイソン支配を急いだ。


だが、フリードリッピ二世方伯やヨーゼフ二世の策謀に気づいた、
プロシアの「大王」フリードリッヒ二世(六八歳)は、ただちに諸侯同盟を結成し、彼らに対抗した。
くわえて彼は「聖堂騎士団」団長フェルディナント公に任せきりだったプロシア宮廷ロッジ「三つの地球」を再び掌握し直し、
配下の「ドイツ国民大ロッジ」のメイソンが、
ヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世の「黄金薔薇十字団」にも
オーストリア国王ヨーゼフ二世の「イルミナティ」にも関与しないようにさせた。

また、プロシアのケーニヒスベルク大学では、
かつて黄金薔薇十字団風のオカルト的宇宙観にとりつかれていた哲学教授カント(1724~1804、五七歳)が、
その虚妄を明らかにする『純粋理性批判』(1781)を出版した。
(カントってオカルト否定側じゃないっけ?)

このプロシアの離脱は、ヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世の計画を大きく狂わすことになった。
「聖堂騎士団」を奪取しても、「ドイツ国民大ロッジ」傘下のメイソンを支配できないのであれば意味がない。
おりしも、プロシアの大王の甥のフリードリッヒヴィルヘルム(1744~97、三七歳)が病気になった。
そこで、フリードリッヒ二世方伯は、傭兵将軍ビショップヴェルダー(六七歳)を送り、
王子の愛人の家でいつものインチキ霊媒術を見せ、
八一年、プロシアの大王の甥のフリードリッヒヴィルヘルムを「古式黄金薔薇十字団」に入会させる。
しかし、大王フリードリッヒ二世(六九歳)の威光は強固で、
ヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世は、
「三つの地球」および「ドイツ国民大ロッジ」の支配を奪うことはできなかった。

(”そこで、八二年夏、ヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世(六二歳)は、
プロシア宮廷ロッジ「三つの地球」を介さずに「ドイツ国民大ロッジ」を支配すべく、
傀儡となった「聖堂騎士団」団長のブラウンシュヴァイク公フェルディナント(六一歳)に、
ハーナウ郊外の自分の壮麗なヴィルヘルムスバート宮で「国際メイソン大会」を開催させ、
ようやくドイツメイソンらを集結させた。
そして、ここにおいて彼は、フェルディナント公に「黄金薔薇十字団」によるメイソンリー統一を提起させた。

ところが、フランスのウィレルモ(五二歳)の「選良司祭団・聖地善行騎士団」についてはかろうじて承認されたものの、
ドイツのビショップヴェルダー(六八歳)の「古式黄金薔薇十字団」に関しては、
あっさりと否決されてしまった。
というのも、この大会に対して、「イルミナティ」のクニッゲ男爵(三〇歳)は、
ドイツメイソンリーの中心人物の印刷屋ボーデ(五二歳)、
ザクセン=ヴィマールのカールアゥグスト公(1757?1828、二五歳)と
その宮廷啓蒙主義者のヘルダー(三八歳)や
ゲーテ(三三歳)、
チューリッヒの社会教育家ペスタロッチィ(1746~1827、三六歳)、
さらには、オーストリアのロッジ「真の調和」のゾンネンフェルス(五〇歳)や
ボルン(四〇歳)、
そして、フランスの急進派「レザミレユニ」のミラボー伯(三三歳)などを味方につけ、
すでに「イルミナティ」を一気に千人ちかい巨大実力組織に発展させていたのである。
かくしてヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世の「ドイツ国民大ロッジ」乗っ取りの野望は挫折してしまった。


傀儡フェルディナント公は、ただちに「聖堂騎士団」からイルミナートたちを破門したが、もはやむだであった。
一方、この会議で実質的な勝利を得たオーストリアのヨーゼフ二世(四一歳)は、
イルミナートのゲーテらを男爵に列し、大ドイツの野望に向けて組織を強化していった。

「国際メイソン大会」で「イルミナティ」に敗退し、
新大陸メイソンリーと対抗するという存在理由もなくなったため、
以後、オカルト色の強い黄金薔薇十字団系ロッジは、急速に衰退していく。
オーストリアにおいても、
八三年、ドイツ黄金薔薇十字団系の「戴冠した希望」からフランス選良司祭団系の「善行」が分離した。
また、
フランスのメスマー(四九歳)の疑似科学組織「宇宙の調和」も、
化学者ラヴォワジエらによる調査委員会によってその理論を否定され、またたく間に会員を失っていく。
「古式黄金薔薇十字団」団長の傭兵将軍ビショップヴェルダー(六九歳)は、配下のロッジを見捨て、
大王の甥のフリードリッヒヴィルヘルム(三九歳)のつてでプロシア宮廷にもぐり込み、
以後、傀儡ブランシュヴァイク公家フェルディナンドと「聖堂騎士団」をプロシアのために利用するようになる。

だが、勝利した「イルミナティ」もおかしくなっていた。
用済みになったストラスブールの霊能医師カリオストロ伯(四〇歳)夫妻は、資金支援を断ち切られ、
あらぬ中傷を受け、再び放浪を強いられることになった。
啓蒙専制君主ヨーゼフ二世(四三歳)は、
八四年四月、イルミナートのボルン(四二歳)にオーストリア内のロッジを統一する「オーストリア国民大ロッジ」を創設させ、
いよいよ大ドイツ実現へ始動したが、
黄金薔薇十字団系ロッジで失敗したイェズス会残党は、
「イルミナティ」がバイエルンをオーストリアに売り渡そうとしている、と、
プファルツ=バイエルン選帝侯テォドールに告発したため、バイエルン領内での活動ができなくなってしまった。

「イルミナティ」内部においても、バイエルンのヴァイスハゥプト(三六歳)は、
ハノーヴァーのクニッゲ男爵(三二歳)の真意を疑い始めた。
プロシアのケーニヒスベルクの哲学教授カント(六〇歳)もまた、
八四年、論文「啓蒙主義とは何か」を発表して、
他人の指導がなくては自分の理解力を用いえない未成年状態を人間が脱することこそ「啓蒙主義」である、と定義し、
レッシンク・ヴァイスハゥプトの根幹思想を援護した。
こうして、同八四年、「イルミナティ」からクニッゲ派が一掃され、メンバーは激減した。


ウィーンでは、
通俗的な『ハーレムからの誘拐』(1782)で成功した若き天才音楽家モーツァルト(1756?91、二八歳)は、
何度かの引っ越しの後、
八四年、出版屋マンション「トラットナーホーフ」に入居した。
この店頭では、毎週水曜にコンサートが行われており、
彼もこれに出演した。オゥナーの出版屋トラットナーは、
啓蒙主義の書籍を多く販売していた。
もともとモーツァルト自身もまた医師メスマーを通じてメイソンリーと強い繋がりをもっていたが、
八四年末、フランス選良司祭団系ロッジ「善行」および、
イルミナティ系ロッジ「真の調和」に入った。
アイゼンシュタット=エステルハージ侯家の楽長ハイドン(1732~1809、五三歳)は、
とてつもない速筆で膨大な量の作品を仕上げ、交響曲というオーケストラの音楽スタイルを完成させ、名声をはせていた。
その彼もまた、八五年初め、ウィーンのイルミナティ系ロッジ「真の調和」に入会した。

同八五年四月、黄金薔薇十字団系ロッジ「戴冠した希望」において、
イルミナートで「オーストリア国民大ロッジ」の中心人物であるウィーン皇帝博物館員ボルン(四三歳)の栄誉式典が行われた。
これは、国王ヨーゼフ二世(四四歳)がボルンの発明した合金生成法を賞賛したことによるもので、
この式典は、黄金薔薇十字団のオカルト錬金術に対する最終的な勝利宣言を意味した。
この式典において、モーツアルト(二九歳)もまた、新作のカンタータ「フリーメイソンの喜び」を演奏した。
アメリカとフランスのロッジを代表する老フランクリン(七九歳)もまた、この式典に祝辞を寄せた。
同じころ、作家シラー(二六歳)もまた、ドレスデンのロッジ「三人姉妹」の委嘱に応じ、
メイソンリーの理想を讃える頌詩「歓喜によせて」を作った。

http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-119.html
多少修正

ヴァイスハウプトとクニッゲのイルミナティは、
黄金薔薇十字のヘッセンの計略を失敗させた。
ヴァイスハウプト叩きは、ヘッセンとその部下ロスチャイルド側の工作員もやっている理由の一つ。

黄金薔薇十字団系ロッジで失敗したイエズス会残党は、
ヴァイスハウプトとクニッゲのイルミナティがバイエルンをオーストリアに売り渡そうとしていると、
プファルツ=バイエルン選帝侯に告発し、イルミナティがバイエルン領内での活動をできなくした。
イルミナティ陰謀論の発明者はイエズス会士バリュエル神父と修道士ホーン。
当然カトリックもイルミナティを叩く。
タクシスはヘッセン側で、ホーンはタクシス側。
タクシスも、共和制と啓蒙主義のイルミナティを叩く側




・八五年夏、宝石商ベーマーは、王妃マリーアントワネット(三〇歳)に第一回の支払を求めた。
ところが、王妃側は首飾など受け取っていないと言う。
ロァン枢機卿(五一歳)とラモット伯爵夫人(二八歳)はただちに逮捕された。
ラモット伯爵夫人は、共犯者としてカリオストロ伯夫妻(四二歳)の名を挙げた。
国王ルイ十六世(三一歳)は、王妃との関係を疑い、ロァン枢機卿を激しく憎んだ。
こうして、彼らはみなバスティーユ監獄に送られた。
政府内の旧教イェズス会残党勢力を嫌う者も、
「イルミナティ」を使ったオーストリアのヨーゼフ二世の大ドイツ計画を好まない者も、
この機に乗じてさまざまな画策に動いた。
プファルツ=バイエルン選帝侯テォドール(六一歳)は、
ヴァイスハゥプト(三七歳)を含め、すべてのイルミナートを国外追放にしてしまった。

同八五年一〇月、オカルティストの元締のヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世(六五歳)も死に、
黄金薔薇十字団系ロッジも最終的に壊滅した。

同八五年十二月、
オーストリア皇帝ヨーゼフ二世(四四歳)は、「フリーメイソン勅令」を発し、今後は国内メイソンリーをみず
からきちんと直轄する、とうそぶいた。
そして、彼は、ただちにロッジを統合再編した。
ウィーンのロッジは、オカルト的な「戴冠した希望」と、啓蒙主義的な「真実」の二つだけになった。


(”翌八六年五月末、首飾事件の関係者に判決が下った。
ロァン枢機卿とカリオストロ伯夫妻は無罪、
ラモット伯爵夫人のみが終身刑となった。
解放されたカリオストロ伯夫妻の家に反政府主義者が大挙して集結した。
だが、カリオストロ伯夫妻は、興奮する人
々を鎮め、静かにロンドンへと旅立った。

八六年夏、プロシアの老大王フリードリッヒ二世(七四歳)が死んだ。
これを継いだ甥のフリードリッヒヴィルヘルム二世(四二歳)は、
騙されやすく、きわめて凡庸だった。
その実権は、以前から国王に取り入っていた元「黄金薔薇十字団」団長の老傭兵将軍ビショップヴェルダー(七二歳)が握った。
大王が死んで、啓蒙主義のイルミナティや大ドイツ主義のオーストリアの重石が取り除かれ、
ヨーロッパの政治と勢力の均衡は大きく崩れた。

フランス国王ルイ十六世(三二歳)が義兄のオーストリア国王ヨーゼフ二世(四五歳)の野望にほんとうに
荷担すれば、官僚貴族の高等法院派の反乱が起こる危険性があった。
大蔵大臣カロンヌは、「名誉革命」(1688)のように立憲君主制へ穏便に移行することを願い、
ただちにミラボー伯(1749?91、三八歳)をドイツに送って、
「黄金薔薇十字団」や「イルミナティ」に、
「聖堂騎士団」団長ブラウンシュヴァイク公フェルディナント(六五歳)へのフランス王位移譲を打診した。

八七年二月、大蔵大臣カロンヌ(五三歳)は、国王が指名した者を集めた「名士会」を開き、
身分特権なき一律土地課税を諮問した。
ところが、「名士会」は、逆にカロンヌを罷免してしまった。
穏健な改革の道はもはや断たれた。
同八七年、ドイツメイソンリーの中心人物で
あるヴァイマール公国の出版屋ボーデ(五七歳)は、
みずからパリに赴き、反王権的な「イルミナティ」の啓蒙思想を広めた。
その一方、ゲーテ男爵(三八歳)は、イタリアを訪れ、
カリオストロ伯=詐欺師バルサモの調査に当たっていた。
また、ボーデは、才人シラー(二八歳)をヴァイマール公国に呼び寄せ、
同地のイェーナ大学歴史学教授に就けた。

一方、「古式黄金薔薇十字団」の黒幕だったヘッセン=カッセル方伯の息子ヴィルヘルム九世
(43、即位85、1821、四四歳)もまた動き出した。
フランクフルトに事務所を持つ「帝国郵便総監」トゥルン=タクシス公家が財政危機に陥っているのを聞きつけると、
彼は、宮廷に出入りしていた同地出身の弱小銀行家マイヤーアムシェル=ロートシルト(四三歳)を送り込んで交渉に当たら
せ、トゥルン=タクシス公に大金を貸し付け、自分の配下に取り込んでしまった。
これによって、オーストリア=神聖ローマ帝国の外交通信は、すべてヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム九世に筒抜けとなった。


同八七年秋、ヴァージニア州のマディソン(1751~1836、三六歳)が草案を書いた「合衆国憲法」が、
アメリカ古式ロッジおよび軍部の中心人物である議長ワシントン(五七歳)の努力によりフィラデルフィアで発表され、
アメリカ近代ロッジおよび産業の中心人物であるペシルヴェイニア州知事老フランクリン(八一歳)の努力により、
順次、各州の承認を得ていった。
これは、この州ごとのロッジの大連合という「合衆国」の理念によって、
集権制と分権制とを微妙なバランスで折衷したものである。
こうして、アメリカは、公然たるメイソンリーの自由国家として、確かな一歩を踏み出した。
そして、それは、もはや国家に国王はかならずしも必要ではないことを実証するものでもあった。

旱魃によってフランス経済はさらに悪化し、ついに恐慌状態に陥った。
ここに、さまざまな政治議論が沸騰、かつては一〇〇あまりだったメイソンロッジが、
このころになると六〇〇以上にも分裂、
そして、同じロッジでも支部ごとに、また、同じ支部でも個人ごとに意見は大きく異なっていた。
なかでも、親英「フランス大ロッジ」と
反英「グランドリアン(大東社)」が激しく対立、
くわえて、王侯貴族の「グランセニョール(大貴族)」、
学者知識人の「ヌフスール(九姉妹神)」、
理想活動家の「レザミレユニ(同一の友)」なども大いに活動、
これらのロッジは、横の情報伝達機能は持っているものの、
縦の意見集約機能は持っていない。


国王政府は、財政再建のために、とくに反政府的な官僚貴族への免税特権を廃止したい。
各地の高等法院(裁判所)を拠点とする官僚貴族は、
もともと地元の商工業の富裕市民であり、
自分自身のカネで貴族の身分と法務の職権を買い取ったのであって、
中央の国王や政府には恩義も忠誠もない。
それゆえ、彼らは、政府の課税強化方針に対して、
一六一四年以来、百七十年以上も停止している「総身分会(エタジェネロー、三部会)」を開催して審議することを要求した。
これを開催すれば、免税特権を持つ「僧侶会」や「貴族会」はもちろん、
これらの身分の人々の浪費に依存して生活する「平民会」も、
課税強化には反対することは明らかだったからである。

八八年六月、南東部ドフィネ州グルノーブル高等法院が政府の司法改革を拒否、軍隊が投入された。
青年弁護士バルナーヴ(1761?93、二七歳)らは、一般民衆を煽動し、これに抵抗、
独自の「地方三身分会」を開いた。
ここにおいて、一般民衆は、特権身分の僧侶と貴族を足したものと同数とし、合同で採決するとされた。
もはやフランスは、分裂の危機に瀕していた。
八八年八月、銀行家ネッケル(1732?1804、五六歳)が再び大蔵大臣に指名されたが、
彼は、自分が国王政府と官僚貴族の間の板挟みにならないように、
「総身分会」開催を条件にした。
ところが、政府は、「僧侶会」や「平民会」、そして、領主貴族による官僚貴族=高等法院派
の切り崩しに自信を持ち、この条件をあっさりと受け入れた。
かくして、八九年一月、「総身分会」が召集された。
春、各地方、各身分において選挙人が選出され、その選挙人たちによって代表議員が選出され、
「僧侶議員」には、シャルトル司祭シエース(1748?1836、四一歳)、
オータン司教タレイラン(1754?1838、三五歳)などが、
「平民議員」には、アラス市青年弁護士ロベスピエール(1758?94、三一歳)、
グルノーブル市青年弁護士バルナーヴ(1761?93、二八歳)などが選ばれ、
また、自由主義貴族ミラボー伯(1749?91、四〇歳)などもいた。

しかし、こうして選出された議員の多くは、貴族はもちろん僧侶も平民も、
みずから商工業を経営しており、官僚貴族の同類だった。
くわえて、この議会の背後には、複雑なメイソンリーの関係がうごめいていた。
すなわち、「グランドリアン」総長のオルレアン「平等(エガリテ)」公(四二歳)は、
王位簒奪を狙っており、同会員の医師マラー(1743?93、四六歳)も、
自前の新聞『人民の友』を発行して、在野から民衆を扇動した。
これに対し、アメリカ独立戦争にも参戦したラファイエット侯(三二歳)は、
「ヌフスール」の中心人物であり、アメリカ的な大統領になろうと狙っている。
はたまた、「レザミレユニ」の青年弁護士ロベスピエール(三一歳)は、ルッソーにかぶれ、
国王も大統領もいない全体主義政府を夢見ていた。
あえて平民議員となったイルミナートの貴族ミラボー伯(四〇歳)は、
方向のまったく異なる「レザミレユニ」「グランセニョール」の両方に属し、
民衆と貴族の両方を味方にして権力を掌握しようと考えていた。

シャルトル司祭シエース(四一歳)もまた、
「ヌフスール」と「グランドリアン」の両方に入り、保身を図っていた。
このように、彼らはそれぞれまったく異なる目標をめざしていたが、
この旧弊体制(アンシャンレジーム)を倒すことでは一致していた。

おわりに
革命が始まってから後は、もはやラファイエット侯やミラボー伯は、
国王を利用しつつ、個人的に活動する。
これに対して、ロベスピエールやバルナーヴは、
一一月、宮殿北隣のドミニコ会系「聖ヤコブ(ジャコバン)修道会」跡地に、
かつてのイルミナートを集め、「憲法友の会」、通称「ジャコバンクラブ」を創設して、
これを阻止しようとした。
また、九一年になると、
ロッジ「グランドリアン」の急進的ジャーナリストの医師マラー(四八歳)も、
「コルドリエ(幅帯)派修道院」跡地に、「人権友の会」、通称「コルドリエクラブ」を結成して、
在野から「国民集会」を攻撃した。
逃亡を試みた王族の処分問題で揺れていた九一年の夏には、
主流派は、王位を狙うオルレアン「平等」公(四四歳)を中心に、
ルイ十六世の廃位を要求する。
これに対し、「ジャコバンクラブ」において、
ロペスピエールは国王の裁判を主張し、
バルナーブは国王の免責を主張し、両派の意見が対立してしまった。
このため、バルナーヴらは、分離して、
ラファイエット侯らとともに、「フーイヤン修道院」跡地に「フーイヤンクラブ」を結成し、
ルイ十六世を擁護するようになった。
しかし、いずれにせよ、これらの政治クラブは、古い独立ロッジ的なものであり、
もはやメイソンリー的な、国際的な連携の拡がりは認められない。
むしろ重要になるのは、その後のヘッセン=カッセル方伯とロートシルト家のネットワークの役割である。
というのも、反革命・反ナポレオン戦争において、各国にその兵員と資金を供給し続けたのは、
グレイトブリテンでもプロシアでもオーストリアでもなく、
このネットワークにほかならないからである。
それゆえ、ナポレオンは、一八〇六年のプロシア遠征においてまずカッセルを奪い、
そのヴィルヘルムスヘーエ宮にヴェストファーレン王として末弟ジェロームを置いた。
しかし、このころすでに反ナポレオン戦争は、軍隊の戦争から経済の戦争にシフトしており、
ロートシルト家は、ロンドンのネイサン(1777~1836)を中心に貿易と金融を国際的に操作して、
反ナポレオン諸国を支援し、ウィーン体制の確立にまで至らしめる。
しかし、このネットワークも、
もはや多くの人々が参加する「メイソンリー」とはまったく異なるものである。

http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-119.html)


(この人が書いた本でホーエンツォレルンについて書いたものないかな。







この本ってどうみてもフェイド大帝のこのツイートの参考文献だよね。









レッシンクの間抜けな所は、 彼の重用したユダ公のメンデルスゾーンが 実はイツィヒ家の子孫で、ヘッセンの 子飼いだと見抜けなかったことだ。

だが、ヘッセンもプロイセン王の 裏切りにより、一時期は壊滅に 追い込まれる。
だが、プロイセンが一次世界大戦を 経て衰退し、
用済みになった ヴァイスハウプトがプロイセン王や ケニッゲ男爵に処分されると、
ヘッセンの子孫が今度はロス茶を 使って巻き返しを図ろうとする。
そして現在に至る。













・エキュメニカル運動の根拠の一つである、
イエス「すべてを一つにしてください」
というヨハネ福音書17:21
をモットーにしている組織一覧。


これだけ詳しいことが書ける著者の経歴を調べてみるとすさまじいな。
短くしたいのでごく一部だけ。

”1981年 ドイツハイデルベルク大学留学”
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%94%E4%B8%98%E6%9B%9C%E5%BD%B0

このルプレヒト・カール大学ハイデルベルクは超名門だから著者は完全にエリート。
主要世界大学ランキングだとドイツ国内では1~3位ってすごいな。
しかも、1386年にプファルツ選帝侯ループレヒト1世によって創立された。

ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF

タイトルにエキュメニカル団体のシンボルとなる一節
新約なのにどこがユダヤなんだ?
エキュメニカルに積極的なのはプロテスタントのリベラル系。


”2009年
グーテンベルク大学 メディア学部映画学科 客員教授"
https://researchmap.jp/sumioka-teruaki/

ドイツ・グーテンベルク(マインツ)大学のことね。
マインツ大司教という選帝侯が皇帝選挙の投票場管理官だったことが思い浮かぶ。
長くなるので割愛。
ちなみに、選帝侯は英語でPrince-elector 。
プリンス・エレクター。
この英単語で検索してみような!

この大学について。
日本語版ウィキだと情報がほとんどないので英語版とドイツ語版を見てみる。
そしてそこからたどるとこの大学のモットがエキュメニカルの元ネタの一つだと判明。


このグーテンベルク・マインツ大学のモットーである
ヨハネ福音書17:21の一部の翻訳。

That they all may be one

意訳すると
イエス「すべてを一つにしてください」


日本語訳を引用する。
イエスが言っていることが重要。

”17:21
父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、
みんなの者が一つとなるためであります。
すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、
それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。”

https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)
ヨハネによる福音書(口語訳)

英訳とラテン語訳とドイツ語訳。

Johannes Gutenberg University Mainz
”Motto in English
That they all may be one”
https://en.wikipedia.org/wiki/Johannes_Gutenberg_University_Mainz

” Ut omnes unum sint
?Dass alle eins seien“”
https://de.wikipedia.org/wiki/Johannes_Gutenberg-Universit%C3%A4t_Mainz



英語版ウィキではエキュメニカルの元ネタだとあり、
これをモットーに掲げる団体が列挙されている。
万教帰一陣営ってことだ。
またブラックリストが増えてしまったな!


すべてを訳して書く気はないが一部紹介。
(英文の引用などは本記事の最後あたりに載せておく)

この一節は、
エキュメニカル運動と
合同教会(二つ以上のプロテスタントの合同。United and uniting churches)
の基盤。

ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)の回勅(ローマ教皇から司教への文書)のタイトルに使われた。
アトンメントのフランシスコ修道会(略称 SA)というカトリックの男子修道会のモットー
「全てが一つになるように」で、
この修道会はエキュメニカルにも積極的。

インド最大のプロテスタント団体である南インド教会のモットーでもある。
この南インド教会もエキュメニカル賛成派。

世界学生キリスト教連盟のモットー。

(”【世界学生キリスト教連盟 World Student Christian Federation】
プロテスタント学生運動の世界的組織。略称WSCF。学生YMCA,学生YWCAその他,世界各地に,大学生の間にキリスト教活動を行う各種の組織がある。
1895年,これを世界的な規模で結合し,WSCFが創設され,総主事にモットJ.R.Mottが就任,世界教会運動の重要なにない手となった。本部はスイスのジュネーブ。【加藤 常昭】 ”
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%AD%A6%E7%94%9F%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E9%80%A3%E7%9B%9F-1179239


マインツ大学、
カナダ合同教会(カナダのプロテスタント系では最大の教派)、
キリスト教青年会(YMCA)、
キリスト連合教会(会衆派プロテスタント。リベラル、同性愛と中絶容認)
のモットーでもある。

キリスト連合教会のシンボルが日本語版ウィキでは書いてない(またかよ)が、
英語版だとある。球に十字が刺さった宝珠っぽいデザイン。

著者の他の良記事。

3分でわかるカント
http://sumioka.doorblog.jp/archives/51076015.html

世界はうまくいくようにできている:三分でわかる陽明学
http://sumioka-history.blog.jp/archives/8209743.html


参考資料



ウィキだけではなく、ツイッターで英語で検索するとエキュメニカルだと言っている人がいる。




このあたりのイエスのセリフは

Farewell Discourse
https://en.wikipedia.org/wiki/Farewell_Discourse

と呼ばれ個別記事があるほど有名らしい。
日本語版記事はないけどな!

That they all may be one
https://en.wikipedia.org/wiki/That_they_all_may_be_one
”is a phrase derived from a verse in the Farewell Discourse in the Gospel of John (17:21) which says:

that they may all be one. As you, Father, are in me and I am in you, may they also be in us, so that the world may believe that you have sent me.

The phrase forms the basis of several ecumenical movements and united and uniting denominational traditions. It is also a common sermon topic on church unity.

The phrase is the official motto of the Church of South India.
The Latin version, Ut Omnes Unum Sint, is the motto of the World Student Christian Federation,
the University of Mainz,
the United Church of Canada and the YMCA.
The United Church of Christ has the same motto except for a change in the place of one word: "That they may all be one."

The phrase is also the motto of the Graymoor Friars (the Society of the Atonement).
They have used this phrase for over 100 years to describe the apostolate of the order. The Society of The Atonement started the worldwide observance of "The Church Unity Octave." The work of this Roman Catholic, Franciscan, religious order is Ecumenism.[1]

Pope John Paul II published an encyclical under the Vulgate form this title, Ut Unum Sint.

It is also one of two mottoes of Spalding Grammar School in Lincolnshire, England. It is the motto of Achimota School located in Accra, Ghana and both Strathmore School and Strathmore University in Nairobi, Kenya. St. Paul's School in Rourkela Orissa, India also bears this motto on its Badge.[2] It is also the motto of the Presbyterian Church of Ghana. Igbobi College, located in Lagos, Nigeria, also bears this motto on the school crest/badge.”

(接続法=英語の仮定法なので、まだ実現していない。
だからこれからやろう→エキュメニカル運動へ。

ドイツ語入門編(21) 接続法
http://www.uraken.net/language/nyumon21.html

Kapitel 15 接続法
http://www.kcn.ne.jp/~ksuzuki/d-lernen/grammatik/Gr-15.html

接続法Ⅰ式(間接話法)
http://www.deutschlernenapp.de/konjunktiv_i_indirekterede/

参考)


言売了感言射(エセ漢文)!

スポンサーサイト
『バイキング放送後、大反響!』9割の人が実感した運動、食事制限なしのダイエ...
簡単に-●●㎏の減量がデキる重度肥満者向け痩身剤って!?短期間でこれはヤバ...
【食事制限・運動一切ナシ!?】激ヤセサプリを飲んでみた主婦(37歳)のブロ...
読書メモ  :  trackback 0   :  comment 0   

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://yomenainickname.blog.fc2.com/tb.php/236-29e64fb5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)