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読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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『儒教入門』メモ。『論語』と『史記』の人物評価基準。吉田松陰と安岡正篤で有名な陽明学はキリスト教と相性が良く儒教カルト✝を作りやすい。 

儒教入門は儒教について知りたいことが幅広く書かれている名著。
とまとさんのオススメはほとんど名著。









江戸時代の朱子学は偽物なので
注意ね。オリジナルにある「諫言」
という制度を意図的に抜いてるので
なるべくオリジナルを勉強した方が
いい。

まぁ、ドイツ人エンジニアも言ってた
けど、学問系で言うと日本人がやった
方が良いのはデータ・サイエンスとか
コンピューター・サイエンス、
マーケティングじゃなくて、
「ストラテジー」って奴。経営学の
中の分野の一つね。次点で「リソース
マネジメント(人事含む)」で、最後に
「組織論」。

組織論、コーポレート・ガバナンス
含むね。

横文字じゃない中国の古典から学ぶ
べきは「佞臣の排除」。日本組織は
これが多過ぎる。佞臣ってのはゴマ
擦りだけが得意で出世しやすい能力
には長けてるけど、組織には害しか
齎さない主君を拐かす悪党の事ね。
勿論、意図してやってるので犯罪者。

孫子のモデルの呉の孫武の伝記とか
が良いんじゃないかな?

中国人が描いた漫画で良いのが和訳
されてたと思うよ。
後、横山某の史記シリーズも分かり
やすくて良いかも。


アメリカ式の奴は文化が違い過ぎて
導入に躊躇する組織は多いと思うけど、
中国の古典なら同じアジア系だから
取り込み易いでしょ?

孫武の呉王の妾みたいなのを隊長に
任命して軍令を守らないから斬首
する逸話とか素晴らしいよ。
あれは呉王がその後「やり過ぎなんじゃないの?」と咎めるシーンが
あるんだけど、孫武が「だってアンタ
兵法を見せてくれって言ったじゃん」
って即答したのに対して、呉王が
反省して認めた所が重要。

孫武関連の逸話は孫武その人よりも
王様の方が兎も角優秀だったって
所が本当のキーポイント。

だから、息子の代以降になると途端に
調子が悪くなってくのよね……

そこもまた面白いんだけどさ。


横山史記も管仲編とか覇王(昔の中国版
アメリカ大統領みたいな制度)の
在り方と責務みたいなのを説明してる
エピソードとかが手っ取り早く学べて
良いと思うよ。

漫画から入って専門書に移行する
のが良いと思う。

中国の古典って今のハーバードで言う
「ケース・スタディ」って奴と
一緒なので、基本。

でも、ハーバードって言うと、
君達毛嫌いするでしょ?w


(ぐだトマトさんがリツイート
BusinessInsiderJapan?認証済みアカウント @BIJapan
12月5日

「抽象的でわかりにくそう」「面倒くさそう」との声が多数のデザイン思考

東大出身、元商社マンの漫画家がシナリオを担当)

ぐだトマト @pteras14
このデザイン思考の漫画、そんなに
良かったのか。読んでみるかな。

デザイン思考の漫画、サラッと読んで
みた。普通にデザイン思考を覚えて
落ちこぼれ店長がサクセスしてく
ストーリーなんだけどさ、EDが
所謂“本社の企画部への栄転”を
“謙虚な可愛い日本人?”理論で
主人公が断っちゃうのよね。
「ずっと奴隷のままでいいっす!」
みたいなw

まぁ、出る杭打たれ文化や脳鷹爪隠し
理論の大好きな如何にも日本ウケする
結末なんだけどさ……

お前さん、出世して経営者になって
こその「デザイン思考」だろ……
と。そもそも、日本企業のマネジメン
ト層に「思考」自体が無いのが問題
なんだからさ……

ぐだトマトさんがリツイート
中国故事名言bot? @koji_meigen_bot
12月7日
勝兵はまず勝ちて而る後に戦いを求め、
敗兵はまず戦いて而る後に勝ちを求む。(『孫子』軍形篇)

勝利を収める軍隊は、まず勝利の条件を整えてから戦をはじめる。
敗北を喫する軍隊は、戦を始めてから勝利をつかもうとする。


マルアフ・ハ・マーヴェット@pendulum318

例えば、ある武将が都市を包囲したとする。その武将は武力で都市を制圧し、略奪しまくって殺しまくることもできたが、
それはせずに降伏勧告を出し、降伏した都市には一切略奪せずに寛大な処置を施した。これは武将が優しい人物だからか。

違う。
降伏をしても受け入れられず皆殺しにされると分かった敵は死に物狂いで向かってくるようになり一層手強くなり、
こちらの損耗も大きくなる。
降伏したあとは殺しも略奪もしないという約束を破った場合も、
だましうちした、と風評が流れ、他の都市を攻略する際に相手は降伏を受け入れなくなる。

反対に皆殺し、謀殺が有効な時は躊躇せずにこの武将は実行できる。
一番目的を達成に有効なことをこの武将はやっているだけ。
外部に顕れているものだけで判断したらこういう事は分からなくなる。

こういう知識はトゥキディデスやマキャベリから仕入れた。

ま、こんな知識があっても自分以外が使っているときにわかるだけで、自分自身が自在に使いこなせるわけではない。
カエサルの知識だけあってもカエサルにはなれない。場数をこなせば違うかもしれんが。
俺自身は大体無愛想な態度で人からは「損な性格」と言われるくらいだ。

マニュアルより思考パターンを盗みたいね。
宿題の書き写しにならないようにするためにはカエサルのマニュアルよりカエサルの思考パターン。
マニュアルにたどり着くための式を知っとかないと応用も効かんだろうし。












身体髪膚は之れを父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始めなり。
(『孝経』開宗明義)
(割礼の否定)


お盆は儒教(中核)を仏教で覆ったもの。
カバラ(一神教+新プラトン主義)は易経(儒教の経典)とも道教(多神教)とも無関係! 
寸止め陰謀論者が主張するカバラは「クリスチャン」カバラ! 加地伸行『沈黙の宗教―儒教』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-97.html




人物評価技術

『論語』

為政第二 026
http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/s-02-026.htm
”〔 原文 〕  
子曰、視其所以、観其所由、察其所安、人焉廋哉。人焉廋哉。

〔 読み下し 〕
子曰わく、其の以す所を視(み)、其の由る所を観(み)、
其の安んずる所を察(み)れば、人焉(いずくんぞ)廋(かく)さんや。人焉んぞ廋さんや。

〔 通釈 〕
孔子云う、
「一にその人の行為をよく注意して視(み)る。
二にその行為の拠って来たる原因・動機を観(み)る。
三にその人がどんな所に安らぎを求めているかを察(み)る。
この様にすれば、その人の正体はすっかり分かってしまうものだ。どうして隠せようか」と。

〔 解説 〕

これが孔子流「人物鑑識法」ですが、この視る-観ずる-察するという方法は、孔子以来、人物を見抜く際の鉄則となったようでありまして、
史記(司馬遷(しばせん)による中国古代の歴史書)の魏(ぎ)世家(せいか)に、魏の文侯(ぶんこう)(戦国時代)に仕えた李克(りこく)という政治顧問が述べた「五観法」と云う有名な人物鑑識法があります。人物を見抜く上で現代でも立派に通用すると思われますので、以下に紹介してみましょう。

  一、「居ればその親しむ所を視る」
   *不遇の時にどんな人と親しくしていたかを見る。
   (付き合っている人達の人品骨柄を見れば察しがつく)

  二、「富めばその與(くみ)する所を視る」 
  *裕福になった時にどんな人やどんな物に金や時間を 割いたかを見る。
      (安んずる所・どこに安逸を求めているかが分かる)

  三、「達すればその挙(あ)ぐる所を視る」  
  *出世した時にどんな人物を推挙したか、どんな人を登用したかを
     見る。(本人の眼力が分かる)

  四、「窮(きゅう)すればその為さざる所を視る」 
   *窮地に陥った時に苦しまぎ0れに不正を働かなかったか、悪あがきを
しなかったかどうかを見る。 (為す所・節操の有る無しが分かる)

  五、「貧しければその取らざる所を視る」 
   *貧乏した時に邪(よこしま)な稼業に手を染めなかったか、餓鬼に
     ならなかったかどうかを見る。 (拠る所・志が分かる)

〔 一言メッセージ 〕
『人を見抜くには、行為・動機・安逸の三つを見よ!』

〔 子供論語 意訳 〕
孔子様がおっしゃった、「その人の人柄をつかむには、まず普段どんな行ないをしているかを見なさい。
次にどうしてそういう行ないをするのか? その理由を考えてみなさい。
最後にその人が一番好きなことは何か?を調べてみなさい。
この三つの方法で観察すれば、ごまかそうったってそうは行かないんだね」と。

〔 親御さんへ 〕

人と接していて、この人の意図はどこにあるのだろうか?どんな思惑があるのだろうか?と考えさせられたことはありませんか?私達は人を判断する際に、どうしても容姿や言語つまり、視覚や聴覚だけに頼って判断しようとしますが、どうもこれが間違いの元のようですね。

実は孔子もこれで失敗しているんです。容姿の方では、澹台(たんだい)滅明(めつめい)という人物が入門して来た時、余りにも容貌が醜かった為に「大したことはなかろう!?」と高を括っていたら、実は正道を貫く大人物であった。

言語の方では、宰我(さいが)の弁舌を信じて立派な人物であろうと思っておったら、行ないがデタラメで手が付けられなかった。澹台滅明も宰我も、これから論語に登場して来ますから、お楽しみに。殊に、宰我などは孔子にこっぴどく叱られています。

人を見抜くには、容貌や言語に惑わされず、
  一、日頃の行ないを注視する。
  二、その行為の拠って来たる動機を観取する。
  三、どんな物や事に安逸を求めているか(安らぎ楽しんでいるか)を
    観察する。

という三つの方法が有効なようです。”






”わざと間違った名づけの呪術への対策は、
孔子がすでに教えてくれている。
名づけの呪術は、
「人知を超えた確かめられないことの断定」
とセットであることが多い。
こちらも孔子は対策している。

孔子
「必ずや名を正さんか」
「適切な名前をつけよ」

「いまだ生を知らず、焉んぞ死を知らんや」
「死んだらどうなるか知らない」

「怪力乱心を語らず」
「人知を超えたものを語るな」

儒教も無記だし、スピリチュアル否定。

孟子の易姓革命論
「徳を失った王は王の資格を失っているから殺して良い」

孟子「トップがクズなら殺して良い」

支配層が無能だったりクズならぶっ殺してOKな儒教。
血統の断絶ではなく、徳の断絶が易姓革命の根拠。

儒教は両親や君主が間違っていたら子供や臣下が
「あなたは間違っている」って言いなさいって教え。
上に盲従せよという教えだと騙るプロパガンダに惑わされないように。

孔子
「たとえ鞭で打たれようとも親の誤りは正せ」

「三回諫言してもダメなら君主の元を去れ」

ボスが明らかに間違っているなら部下が苦言を呈さないといけないという
諫言も儒教の教義。

適切な名づけ、無記、易姓革命、諫言
を抜いたら儒教カルトであり儒教ではないので注意!
悪政用の万教帰一カルトは上記の悪政を防ぐ教えを抜いているのが特徴。
儒仏の道徳の破壊を実践中の支配層。
せっかく漢字圏に生まれたのだから中国古典を読まないと損だよ!








儒教入門 土田 健次郎


・『韓非子』に儒家と墨家を当時の著名学派と併称するように、
墨家は儒家の有力な対抗馬だった。
韓非子の「顕学」では
葬式における儒家の奢侈と孝行の重視を、
墨家の倹約と孝行軽視に対比させている。
『墨子』が葬礼を手厚くすることを批判するのは有名であるが、
葬儀を充実させようとする儒家と正反対。

儒家側の墨家攻撃としては、
兼愛説に対するものが有名。
父と君を否定するのは禽獣だとする『孟子』。
墨家では万人を平等に愛する兼愛という博愛主義。
対して孟子は家族を中心に親疎の差別のある愛を説く。
その正反対は、楊朱の徹底した「為我(我の為にす)」という個人主義。
儒教の特質は、家族主義。
道家と異なり、墨家は仁や義といった語は肯定的に使用する。

(ある一つの思想の解説書では、たいていは別の思想との対比で解説するので、
必然的に複数の思想を学べる。
『』で囲むのが面倒なので省略することがある)

・法家の儒家批判は韓非子に見える。
韓非子では、臣が君につかえ、子が父につかえ、妻が夫につかえるのは
「天下の常道」だとする。
儒家とはこの点では対立しないが、法家ではつかえることを絶対化し、
いかなる場合でもその逆を許すことはない。
王が賢臣に位を譲る禅譲とか、
りっぱな子(舜)が悪い父(コソウ)を放逐した話などを儒家が称揚するものとして否定。
(後者については儒家はこのように言わない)
そして究極的には君主への服従に一元化。
老いた父を養うためにたびたび敵前逃亡をした魯国の人を孔子が讃えたことを批判した際の、
「そもそも父にとっての孝子は、君にとっての背臣(賊臣)である」
という言い方にまでなる。
法家は法の無機性と絶対性を尊ぶのであって、
儒教の尊重する道徳が法の絶対的権威を侵すことを警戒する。
韓非子には権臣の言を聞かずに法律の士の低減に耳を傾けることの重要性が再三言われているが、
儒家の諫言とは異なる。
法律の士の低減とは徹底的に法に従ってぶれないということであって、
君主がこの提言を受け入れて実行するならば臣下は一切口を出してはならない。
対して儒教では常に君主の好意をチェックし必要であればその都度諫言することが求められる。

中国の文化大革命後期に、儒法闘争ということが言われた。
儒家は封建道徳尊重の保守主義とされ、
対して法家の思想を採用した秦の始皇帝を反封建の革命性を持つ者として評価した。

儒家は徳治主義で、法家は法治主義と言われるが、
法の観念が近代と異なるため、
法治という語の使用には注意を要する。
徳の名目による恣意的な統治から脱するという名目は共通しても、
民の自主性を認めない点では決定的に異なる。
法家は儒家以上に上下秩序の厳守を説くのであって、
儒家は国家に対する家族の優位性、個人の道徳的自立、君主と臣下の間の相互規制を説く。

・仏教については、
儒教との一部両者の一致論はあり、
棲み分けもあったが、基本的には儒教と対立。

儒教が仏教を批判する主要論点は次の三つ。

1仏教は社会的道徳や秩序をないがしろにする

2仏教は夷狄の思想であって中国文化や価値観に反する

3仏教はありもしない霊魂の不滅を説く(輪廻転生のこと)

もっとも軸になったのは1であって仏教が中国で思想的に問題になりはじめた当初から延々と反復されてきた。

仏教と対比したうえで浮かび上がる儒教の特質とは、
道家の場合と同じような道徳主義という面、
それに現世中心主義。
仏教の虚の思想に対する儒教の実の思想という対立。

(仏教は霊魂の不滅を否定している。
かといって無になるわけではないらしいのでややこしい。
霊魂は不滅の実体ではないと実体思想を否定)


・天に二つの太陽はなく、
土に二人の王者はなく、
家に二人の主人はなく、
尊者に二つの至上はない。(礼記)

父子関係と君臣関係の間に成り立つ忠と孝は万人が踏み行うべき実践道徳。

忠孝は世界中で見られた徳目。
忠孝を漫然と説くだけでは一般的現象であるにとどまり儒教の特質とはなりえない。

中国における孝の重さは格別であり、親殺しには可能な限りの厳しい罰が加えられた。
親や君に害を加える以前にそのたくらみが発覚しただけでも重い誅罰の対象になったのであって、
孝にそむくことは社会的かつ身体的な抹殺を意味し、
それがまた孝の重みを増した。
かかる中国において孝を否定する議論を見出すことは困難。
それゆえ、唐の禅僧の臨済(九世紀)が、あらゆる既成の価値観から脱却し
心に備わる仏性の自然な発露を実現させるため、
父母に会っては父母を殺し(臨済録)
と言ったのは比喩ではあれ極めて衝撃的なものであった。
この語から逆に孝が既成の価値の最たるものだと確認できよう。
なお仏教は中国社会に定着していく過程で、孝の思想を取り込んでいった。
中国で作られた仏教の経典、いわゆる偽経(疑経)である盂蘭盆経や父母恩重経は代表的。

・儒教の孝で父母を比較した場合、特に重要なのは父に対する孝。
禽獣は母を知るも父を知らず(『儀礼』)
母子は生物的関係であり、それのみでは人間の尊厳性は得られない。
父子関係はそこにさらに制度的規範性が加わっているのであって、そのことが重要。
孝は父子間の孝が軸であり、『孝経』では父子間の孝は君臣関係に転移できるとある。
ただ孝が生来の道徳であることの説得性を増すために母子関係が持ち出される例も少なくない。
しかしそれはどちらかといえば経書よりも説話など啓蒙書の類に著しく、
また後漢に中国に入った仏教が中国化していく過程で孝思想を取り入れていくのであるが、
その中で母子関係を強調するものが目に付く。
仏教は社会の一部分としての人間よりも、単独者としての個人を問題にするのであって、
生物的関係を制度的関係にスライドできる父子関係よりも、
実存的に向かい合う母子関係の方に目が行くことになったのであろう。
このことは儒教の父子尊重を補完する働きをもっているといえよう。

孝であれば忠であるならば、
孝である若者を登用すれば必ず忠義の臣になるということになるはず。
この考えを使って漢代に孝廉(こうれん)という推薦制度が行われた。
宮仕えをまだしていない地方の青年で孝行者を推薦させれば、確実に忠義の臣を得られるという発想。




ぐだトマト? @pteras14
2016年8月13日
返信先: @pteras14さん

なぜ"親父"なのか?
ここが重要なんだよ??

つまり"母親"と"父親"の違いは
何か?って事。
1件の返信 12件のリツイート 3 いいね
ぐだトマト? @pteras14
2016年8月13日

儒教の世界、というより昔の中国では
"父親"ってのは生理的に"赤の他人"
と捉えれていた。何故か?

赤ちゃんはお母さんのお腹から
出てくるだろ?で、本能的にも
"母親"に対する愛着ってのは勝手に
発生する"自然現象"だと捉えられて
いた。
1件の返信 12件のリツイート 5 いいね
ぐだトマト? @pteras14
2016年8月13日

何でか?というと昔の中国人は
「他の動物を良く観察した」んだよ。
で、人間以外の動物の世界でも
"父親"の地位が低かった。
狼は例外的だけど猫とか熊とか
子猫や子熊は母親と暮らすけど、
父親は生殖行為だけしてお別れだろ?
1件の返信 13件のリツイート 6 いいね
ぐだトマト? @pteras14
2016年8月13日

そこで昔の中国人は"赤の他人"で
ある"父親"を大事にする子供に
なればきっと"心の優しい大人"に
育つはずだ!と、考えたの!

これが"孝"のなぜ"父親"を大切に
しないといけないのかの倫理的意義
なんだよ??
1件の返信 16件のリツイート 6 いいね
ぐだトマト? @pteras14
2016年8月13日

その背景には孔子の生きていた
春秋時代という戦争ばかりやって
人の命の価値がゴミみたいな
時代だったから、ともかく「心の
優しい思いやりのある人間」への
憧れと拘りが強かったのではないかと
言われている。


ぐだトマト? @pteras14
2016年10月15日
返信先: @pteras14さん

これにGHQ時代の
「真赤朝の歪んだ石屋思想」
明治/大正の
「薩長土肥式戦闘民族化」が
掛け合わさってより凶悪化してる
イメージ。)


・一般論としては中国では孝が優先されるのに対し、
日本では忠が優先される傾向が言われてきた。
中国で孝が優先する例としては、
君を何度も諫めて聞き入れられなければそのもとを去るが、
父の場合には泣いて従うという議論がある。

人臣としての礼は露骨に諫めないことである。
三度諫めて聞き入れられなければそこを逃れる。
子が親につかえる場合は、三度諫めて聞き入れられなければ、号泣してそれに従う。(礼記)

これは父子関係を先天的なものとして君臣関係に優先させる顕著な例。

(相手が親でも君主でも間違っていたら正すように言わないといけないのが儒教。
相手が君主など上司なら去れだから、臣下であることをやめよ、会社なら辞めよって教え)

忠孝を一致させようとした議論もなかったわけではない。
忠孝一致論は中国より日本で目立つ。
特に明治時代以後、天皇を頂点にする一君万民論のもとで、日本の美風として強調された。
天皇は日本国民の祖であり、同時に日本国民の主なのである。

忠孝重ね合わせ議論は、中江藤樹(十七世紀)のように孝でくくる場合と、
儒家神道のように忠に統括していく場合がある。
君主を三度諫めて聞き入れられなければそこを去るが、
親の場合には従うとすることについて、
儒家神道では天皇への絶対服従の立場から永遠の臣従を強調することさえある。(吉川従長)
この議論は、君のために不義も行い、そのために自分や子孫が汚名を受けても顧みないとする。
君とともに不義を行った結果身が亡んでも悔いないとする。
君が不義を続けていても、諫言はするが君には仕えつづけるものであって、
中国のように不義を行う君と決別するという議論を否定する。

忠孝一致論は幕末の水戸学にも見られた。
(会沢正志斎『新論』1825年・文政8年、
藤田東湖『弘道館記述義』-弘化3年(1846年))
また近代以降は日本儒教の枠として顕彰(功績などを一般に知らせ、表彰すること)された
中国には家族よりも広く宗族があるが、国家全体が一家族という発想はなかった。

(父子と君臣の違いは先天的か後天的か。
先天的の方が優先なら実の両親が天皇より優先だが明治政府に都合が悪い。
天皇教に儒家神道が関わる。
忠に統括なら支配に都合がいい。
孝が最優先でない日本儒教は支配に都合がいい。
日本儒教は儒教カルトっぽい。
儒家和風キリスト教。
悪をなす君主から去れ=従うなを消して凶悪化。
水戸学=儒教カルト。
国家全体が一家族+天皇絶対
=全体主義。



マイナー哲学者bot? @minorquiz
12月8日

会沢正志斎(あいざわ・せいしさい)…江戸末期の思想家。藤田幽谷の門下。藤田東湖と共に徳川斉昭を擁護し、教育者として弘道館の初代教授を務めたことで知られる。著書『新論』は「尊王攘夷論」を唱えたことで有名。晩年は徳川慶喜に開国を要求した『時務策』を提出し一部から「老耄」と揶揄された。


・諫言は儒教の重要要素。
もともと中国では天子の圧倒的尊貴を言いながら、
同時に臣下の権威が高く説かれることもある。
臣下が皇帝を教導したり諫めたりすることを認めるのも儒教の特色。
中国では諫官として専門の役職がおかれ、
これは官僚を監視する御史台とともに、宰相らの権力が及ばないのをたてまえとした。
中国では皇帝に直接ものを申せる官職が制度化されているのに対して、
日本では置かれなかった。
しかし諫言は日本儒教においても臣下の必須の義務とされたのであって、
日本の古代や中世において儒教が話題になるときは諫言が問題になる場合が目立つ。
近世でもこのような話がある。徳川家康にある家来が諫言したとき、家康はうなずいて聞いていた。
その家来が去った後、ある臣下がなぜあのような凡庸な内容に耳を貸すのか質問したところ、
家康はそれはわかっているが耳を貸す姿勢が重要だと答えた。
(室鳩巣、『先哲叢談』直諫は一番槍より難し)
儒教は王者が諫言を聞き入れる態度を求める。

ただ臣下全員が諫言していてはかえって無秩序になる。そこで家老職などの上位者だけが諫言すべきであるという議論もあった。
葉隠でも主君にもの申すには出世しなければいけないという現実的なところも見せているし、
近年の研究だと、葉隠には一方的な服従ではなく諫言によって主君を啓発する姿勢があるという。

( 峨骨@Chimaera925
2016年1月11日

葉隠は面白かったな。主君に好感持たれる顔付きになる為に蟄居して日がな鏡とにらめっこした作者。いつも爪を磨いて綺麗にして、血色良く見せる為の頬紅(チーク)はいつも懐に忍ばせておく等々、愛され武士になる為のテクニックや(女色より高尚とされる)男色のお作法なんか書いてあるし。
0件の返信 9件のリツイート 5 いいね

ストラテさんがいいねしました
峨骨? @Chimaera925
2014年4月28日
返信先: @Kohakunotamagoさん

@Kohakunotamago その武士道で有名な葉隠を何人が読んだ事あるんだろうな。武士道における衆道の心得とかも書いてあったけど身も蓋も無い話、「上司に愛される部下になる為の自己啓発」本だぞ。自分がサムライだとか言う奴らって男色家って事でOKなんだよな?
1件の返信 9件のリツイート 7 いいね
峨骨? @Chimaera925
2012年11月5日

名利薄き士は多分えせ者になって人を罵り、高慢にして益に立たず、名利深き者には劣るなり。今日の用にたたざるなり。  葉隠より
0件の返信 2件のリツイート 3 いいね
峨骨? @Chimaera925
2011年12月19日

アメリカ陸軍 サバイバル・マニュアル、スイス民間防衛、ロートレアモン全集、悪徳の栄え、論理哲学論、葉隠、SAS特殊部隊式・実践格闘術ハンドブック、我が闘争、ヒトラーとの対話 #他の人の本棚には無い本晒せ
1件の返信 4件のリツイート 2 いいね



また臣下から君主に働きかけるものとしては、
王者を教育する帝王学に儒教が使われたことも重要。
帝王学とは帝王に徳治政治を身に体させるものであって、皇帝にとっては重荷であった。
北宋の哲宗の教師であった程頤(ていい)、
南宋の寧宗の教師でもあった朱熹はともに皇帝からうとまれた。
ただ帝王がこのような教育を受けることは臣下たちにとっては好ましいことであって、
帝王学として朱子学などの道学は当時の士大夫たちにアピールしたのである。
儒教は単なる上位者への単純な服従を説く教説ではない。
君主への忠誠を要求しながら、同時に君主に対して諫言や教育を行い、
後述するように天災をもとに君主の反省を求める思想でもあった。

・殉死で言われる、二君に仕えずは文字通り二人の君主に仕えないことである。
中国での二姓に仕えず、つまり二つの王朝に仕えないことで意味が異なる。
中国ではきちんとしたお世継ぎがいるのに君主の死に殉死することは考えられないことであって、
お世継ぎが新たな君主になればそれに仕えていくことこそ忠。
明などでは皇帝や王の死に際し宮女を殉死させたことはある。

日本の儒者たちは必ずしも殉死に肯定的ではなかった。
山鹿素行は
「殉死して終わるのは容易であって世に多いが、
常に君を諫め戒めて君を助け民を救うのは困難。
ただ死ぬことは忠勤ではない。」と殉死をはっきりと否定。

厳格な朱子学者の山崎闇斎も同様に言う。
「色欲は女色のみではない。男色のわざわいは長い。…近頃いよいよ流行してきて、
追腹(切腹による殉死)する者が、それにつれて盛んになってきた。無見識なことである」(『大和小学』明倫第二)。

山本博文氏は、主君に対する殉死はそのために家がよい待遇を受けるようにという打算から来るいわゆる「あきないばら」ばかりではなく、
それ以上に積極的に死に赴いたという。
しかも君主に拝謁したこともない下級武士に多く、それは一種の男だてであったらしい。
有名な赤穂浪士も下級武士が多いように、よほど優れた君主でないかぎり、主君は身近にいるより距離があった方が忠誠の対象としてあこがれを持ちやすいという事情もあったかもしれない。

(君主と簡単に会えないほうがあこがれが増し、
身近でよく会うほど神っぽさが薄まるなら、
神は一切姿を現さず人間と接触しないのが最善となる。
実在しない神なら絶対に会えないので最適)


儒教は同性愛を否定する。
儒教における性愛では子を作り子孫を維持することが重要であるのに対し、
同性愛は子づくりと関係なく快楽を自己目的的に追及するからである。
儒教では子を作り子孫を維持することが孝。
儒者たちは意外なほど殉死に冷淡。
武士の慣習では男色は認められている行為であったが、
儒教はそれを否定し、また殉死があまりに情緒的で規律を破壊することに批判的だった。

山鹿素行の議論を読むと、主君個人より藩などの組織に対する忠誠が浮かび上がってくる。
このような例は江戸時代では他でも目につき、たとえば主君「押込」ということさえも行われた。
押込とは主君が無能あるいは非道ならば主君を押し込めて別の主君をたてるということであり、
重要なのはそれがある程度まで公認されていたことである。

室鳩巣
「君主にかわる人を選ぶときは親疎の別なく平生の行いを考えて善し悪しを決めるのは、
家老、頭分たる者が合議すべきことである」

伝・黒田長政
「子孫に至り、不義・放逸ばかりにうつつをぬかし、
諫めを聞き入れず、勝手気ままで掟を守らず、
みだりに財宝を費やす者があれば、
家老中申し合わせ、その者を退け、
子孫の内から人柄を選んで主君とし、国家を存続させるべき」

中国ではどうか。
黄宗義は君主の言うことに盲従するだけでは君主の僕妾であり、
公ということで仕えれば君主の師友であるとし、
古代の聖天子はは天下を私物化しなかったが、
後世の皇帝たちは天下を自己の財産と見なし歴代相続し続けたとまで言った。
王家にではなく公に対する忠誠心とでもいうものがある。
忠は組織や社会に向けられることもあったが、
さりとて君主の存在は必須の前提としているのであって、そこが近代政体とは異なる。
また君主という人格があってこそ忠に対する実感が持ちうるという心理があることも見逃してはならないであろう。

たとえば忠という道徳が成り立つうえでは、忠をめぐる歴史や物語が大きく貢献する。
これは世界共通であって、幾多の史書や叙事詩や悲劇、さらには美術や音楽が題材にしてきた。
このような物語は臣下と君主の情の通じ合いが前提となることが多いのであって、
忠の思想の説得力にはこの意味でも君主の存在が必須になる。
もし君主が不在で組織のみへの忠誠であれば、
それは例えば愛国心というような形となる。
愛国心は近代の産物と言われるが、「国」とは時の政権とか政治組織とかでは説得力は持ちえず、
国民とか国土とかを持ち出しても抽象的にすぎる。
その近代の政体であっても、象徴的であれ国王とかカリスマ化された指導者とか、
建国の物語や理念がこめられた国歌や国旗などの視聴覚に訴えるものが国と重ね合わされ、
忠のリアリティーが増す。

(君主が生身の人間でなくても、君主制は成立するってことじゃん。
民主主義も実質君主制。国が神にして君主)


・貞は男についても使用されたが、妻が夫に献身する道徳として定着した。
貞はフェミニズムで攻撃の対象になっている道徳であって、
それに先立ち明治時代で儒教批判を展開した福沢諭吉などは当然としても、
西村茂樹のような儒教に比較的好意的な人物も儒教の問題点として男尊女卑を挙げている。
福沢が批判したのは江戸時代の貝原益軒に擬せられた女大学であり、封建的女性観を端的に示すものとして名高い。
中国近代でも多数の貞に対する批判があるが、有名なものとして魯迅の「私の貞烈観」をあげておく。
儒教の現代的意義を説く論者もこのような女性観については修正の必要を認めている場合がある。

(お札に書かれる人ってロクなのがいないな。
 本人はまともでも身内や先祖が支配層側だったり。

諭吉の脱亜論は典型的な欧米の植民支配技術である隣国と仲たがいさせよを実行せよってことで、
欧米の利益のため。
しかも売春婦を輸出して金を稼げって天皇家に進言し、しかも採用される。
最低最悪だ。
全然女性を尊重していない。

Sylvia_ginno? @Sylvia_silvers
7月12日

かの有名な福沢諭吉さんは人は平等ではないと説いたのに、今や人は平等だと説いたことになっておられる。
何故なのか

高橋あきこ? @Tyositugu
5月2日

福沢諭吉 人の上に人をつくらず 人の下に人をつくらず とも言えり・・・
と言ったのです。”とも言えり” ここが結構大切 人はみな平等と考えた人ではない。他人の言葉を言っただけ 実際は差別主義者 経済第一・・。正に今の政権そのもの 本当に真実を知るのには時間が必要です。

damas? @damasidamasare
2015年12月9日

元祖「ヘイトスピーカー」で元祖「新自由主義者」の福沢諭吉の実像に迫る
「福沢が平等を説いたのは、あくまで中産階級に属する男性に限定してのことであって、農民や職工、さらに女性に対しては、徹底した差別主義者だったという」(IWJ)
:奴隷制度を基盤とした古代ギリシャ型民主主義と同じ

S ・Kuroda? @kuroda06sayuri
2015年8月1日

売春婦として日本人女性を海外に「輸出、 売却」し、兵器購入資金を作るというプランであり、天皇一族はこのプランに飛び付き実行しました。(福沢諭吉全集 第15巻)"
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Mr.カトー? @Mrkat0
2013年9月6日

天皇家と三菱と福沢諭吉 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=280559&g=123203 … 明治維新により富国強兵を進めた日本は、欧米からあらゆる兵器を購入したが、支払資金が不足していた。そこで福沢諭吉は「賤業婦人(売春婦)の海外に出稼ぎするを公然許可すべき」と天皇に進言。⇒「からゆきさん」)


儒教で夫が一方的に離縁できるものと思われているが、
実際には規制を設けている。
離婚してもよいのは、
父母に逆らう、
子がない、
淫乱、
嫉妬深い、
悪疾がある、
おしゃべり、
竊盗(せっとう。窃盗)するという七つの場合であり、
七去という。

離婚してはならないのは、
帰る家がない、
三年の喪に服している、
前は貧しかったが後に富貴になった、
という三つの場合であって、
三不去と呼ばれる。

結婚に関しても
五不取といって、
五つの女子を娶らない場合がある。
逆族の家、
罪人を出した家、
悪疾のある家、
男やもめの長女である。
最後のケースは母親の教を十分に受ける機会がないからだという。

中国や朝鮮では再婚は厳しく咎められた。
忠君は二君に仕えず、貞女は二夫に変えない。
程頤(ていい)は未亡人が飢え死にしても再婚すべきではないとまで言った。

それに対して日本では再婚が多く、熊川蕃山などは堂々と肯定までしている。


・朋友関係に関するものでは、
師友という言い方があるように、
儒教では師弟関係も重要。
孔子の学団においては家柄や血縁よりも学問や徳行の優劣によって序列が定められ、外の世界と別世界を築いていた。
そこでの師弟関係と朋友関係は中国史上において画期的だった。
論語の朋の遠方より来たるありの意味は、
学問の場においては血縁や地縁と関係ない遠方から、
学問のみによって結びついて朋が参集するということであった。

・儒者は問題解決の際に、
経書の語句を随時典拠として解決を図るが、
経書の内容の雑多性ゆえに時に儒者によって意見が食い違う。
逆に言えば儒教の幅にゆとりを持たせ、儒教の硬直化を防いできた。

・儒教で重要な徳に中庸がある。
中には
状況の応じて過不及がない中央に位置することと
不動の中心に中(あた)ることという両方の意味がある。

庸=平常とか恒常。


・儒教の価値の源泉は天。
天には単なる天空の意味もあることと、
一定の方向性は確かにあるが神格はないことが重要。
ただ天の神の存在をうかがわせる例もある。
天の神は天帝とか上帝とかよばれる。
天が具体的せりふを発することはない。
論語に「天は何を語っていようか」とあり、
天は文字通り無口であって、
基本的には天帝の意志は自然界や人間界の動向の中に現れるのみ。

書経に
「天はそこで禹(う)に洪範九疇(こうはんきゅうちゅう。九条の天地の大法)を賜った」
とあるが天帝が与えた具体的描写はない。
物言わぬ天は仏典や聖書やコーランの物言う神と対比すると特色がよくわかる。

天には天の神、天空、自然、自然界の理法という複数の意味が含まれる。
天に人格的要素が希薄なのは経書に神話が乏しいことにも現れている。
中国古代の神話世界を語る場合には『楚辞』や山海経だのが持ち出されるが、
正統的な儒教の経書にはきわめて少なく、おそらく古代信仰の残滓と思われる経書に時として見える神格の加護にしても、
体系化されて示されているわけではない。
中国古代で神話がなかったわけではなく、
ギリシャ・ローマや日本のように神話が体系化され経典化されなかったことが重要だという指摘があるが、
神話を儒教があまり必要としなかったのは確か。
明末に中国で布教したイエズス会の宣教師は
キリスト教の神と儒教の上帝を重ね合わせ、儒教と結んで仏教を叩こうとしたが、
それが可能だったのは儒教における神話の乏しさがキリスト教の聖書と儒教の経書の内容調停を比較的容易にしたからである。
儒教に神話が多ければ聖書の奇跡との内容のつじつまをあわせなければならなかったであろう。
天を統一的に説明するには天を超えた高次元の原理や神格を持ち出すのが自然に思えるが、
儒教ではそうしなかった。


(本当にイエズス会は仏教が嫌いだな。
キリスト教は反仏教という点で儒教と組めるから、
廃仏毀釈側に儒教・儒家神道勢力がいる)

天の機能で重要なのは、
天の意向で道徳内容が変更されることがないこと。
日常の道徳を順守することが天の実現なのであって、
いかなるときも天は道徳の内容の変更を要求することはない。
親への孝は天は絶対に否定しない。
キリスト教の神が親をも超えて命を降すのとは異なる。
天とはそれ自体が特別な意味を持つことよりも、
事物の自然な状態こそが理想的状態であること、
そして道徳とは人間にとっての自然な状態であることを権威づけるために機能している。
この自然は現状追認ではなく本来的ありかたとしてのもの。
自然が理想的状態である以上、
キリスト教の造物主のようなそれを超えたものは必要とされず、
イエズス会のマテオ・リッチは嘆じている。
天があるゆえに天より高次の神格は登場しえず、時に過度な宗教的要素が入り込む防波堤になる。

(形而上の教義を防止する策がすごい)

儒教の主流としては天人相関思想であり柱であるが、
天人分離を唱えた人もいる。
天神分離を唱えた荀子だが単純に天を無視するのではなく、
天を必要以上に人為に介入させない態度。
北宋の欧陽脩は天を過度に重視することを戒め、
続く王安石は天を敬いはするが政治原理とすることは否定。
例えば災害があるのが失政のせいだとすれば、
聖人天子である舜(しゅん)の御代に禹が黄河の氾濫を治め功績をあげたのはおかしいことになる。
禹が成人で完璧な統治をしていたのであれば黄河の氾濫という天災はありえないはずだからである。
天人相関思想が儒教の柱なのは、天子であることの根拠に天命が降ったということがあるのが大きい。
実際には武力統一でも理論上は天命を受けたことになるので、
天と人を切り離してしまうと天子たる正当性の保証を得難くなるからである。

天が具体的な災害を降して人間を譴責する思想
=天譴思想
=政治の良し悪しが自然の運行にまでも作用する思想は皇帝に警告を与えるきっかけを提供する。
自然界の天候不順はしばしば起こるのが普通で、
そのたびに政治のチェックを恒常化させることになるからである。
天を借りて野放図に広がる皇帝権力を抑制する効果も持った。


(人権は仏性とかグノーシスの内在する神性とかストア派の理性とかの言い換え。
人権はゴッドから与えられる。
人権人権うるさい世俗主義者=ライシテ教信者に言ったら発狂しそう。




・養子の否定
故人の子供が神主に対して礼拝すると子供の気が発して位牌にある故人の魂と感応する。
中国や朝鮮では養子を忌避する。
それは親の気がこに伝わるゆえに親と子は気が同じであって(父子一気)、
それゆえ子の気に故人の気が感応できるからである。
養子では気が異なってしまうので感応できない。
どうしても子供ができないときは甥を養子にするが、
それは甥ならば気はつながっているからである。
中国では男子を生むのを必須とする。
女子は嫁に行き実家の祭祀には参加できない。
血のつながった男子を代々産み、祭祀を継続させることこそ、
父祖の魂の活性化を保証する。
男子がいなくなれば礼拝してくれる者がいなくなり、
それゆえ故人の魂も反応のしようがなく、無と同じになってしまう。

「不孝に三種類がある。
その中では後継ぎがいないのが最も大きい」『孟子』
というように、男子を作れないのが最大の不幸であるのは、
男子の祭祀が途絶えると、
自分も自分の父祖も魂が活性化できなくなるから。
なお日本では平気で養子をとる。

(ふと思ったが儒教で性転換手術はどうなのだろう。
特に女から男への。
イランはシーア派で同性愛禁止だが、性転換手術はOKらしい。



に反する?)


・死の物理的説明

始祖以外は新しい神主のように個別には礼拝されない。
つまり実際には限りなく無に接近していく。
それでも痕跡は必ず残るとは言うが。
儒教は死後の世界も、魂の再生も語らないし、天国も地獄もないし、
あの世の具体的描写もないし、輪廻転生のような生まれ変わりもないし、
道教のように永遠の不死を得ることも説かない。
死後も魂の存続は説くが、無に接近していくのそれに対しての心理的安定は得難い。
一方、自分の気は子孫に伝わっていき、そこに永遠性を感じることもあげられてきた。
自分の肉体は「父母の遺体」(父母が残した身体)である(礼記)。

身体髪膚は之れを父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始めなり。(『孝経』開宗明義)
もこのような思想による。

経書の葬礼の理由づけは多くは生き残った者の倫理的態度に終始し、
死者の魂の鎮魂はあまり問題にされてない。
死者の魂が生きている人と同じように知覚を持っているかについて儒教はかなり曖昧。
たとえば『税苑(ぜいえん)』(『孔子家語』にも取り入れられている)では、
孔子が
「私が死者に知が有ると言うなら、親孝行な子や孫が生を軽んじ進んで死を送ることが懸念されよう。
もし知が無いと言うのなら、不孝な子や孫がうち棄てて葬式を出さないことが懸念されよう。
汝は死人に知が有るのかはたまた無いのかを知ろうとしているが、おいおい知ることになってもおそくはない」

『礼記』では
「孔子がいわれた、死を送る際に死んでしまっている(知覚が無い)ときめつけるのは不仁であってすべきではない。
死を送る際に、まだ生きている(知覚がある)ときめつけるのは不知であってしてはならない」。

知覚の有無自体よりもどちらかを採用した場合の効果の方を問題にしている議論であって類似内容は儒教のみならず、
墨子や韓非子にも見られる。

(儒教は霊魂に知覚があるかどうかには無記)

儒教では死の物理的説明は気の集散で背う…名する。
人間は気が集まって生まれ、散ずれば死ぬ。
(儒教以外、道家『荘子』にもある)
気=生命力的エネルギー。
気が散ずる
=魂と魄の分離。

鬼=霊魂。

儒教での死の恐怖への心理的克服の議論はあまりはっきりしない。

程頤(ていい)は自然になりきることで万物との一体を実現し常に万物と一つであることによって永遠性を獲得しようとした。
来世も再生も不死も説かない解決法であり一般人の生存欲をなだめるのにはかなり困難。

(魂魄論って、他の宗教から見たら、ひとりの肉体の中に二つのタマシイともとれるな)

論語に孔子の弟子の子路が鬼神に仕えることをたずねたとき、
孔子「まだ人につかえられないのに、どうして鬼につかえられようか」
子路はさらに死についてたずねた。
孔子「まだ生を知らないのにどうしか死を知ろうか」
と答え、
孔子は死について関心が低かったことになるし、
儒教は死の問題を語りたがらないとみなされてきた。

(オニじゃなくてキ=ゴースト!)

死の恐怖への心理的説明について儒教が弱い。
対して仏教は「無常迅速、生死事大」と言い、
死の問題を持ちだすことで勧誘し続けた。
宋以後儒教が活性化したが、仏教や道教が存続した原因の一つがここにある。
儒教にのっとり家廟で父祖の位牌を礼拝している士大夫たちも目前に死がちらつくときには寺院に足が向いた。

・陰陽五行は儒教に限定されていたわけではないが、
儒教ではこれ以外の原理を用いることは稀。
陰陽五行を説明原理にするのは、万物の構成原理の究明をつきつめていくよりも、
現実の事物の作用や運動の様態のほうに関心が向く中国的思考をよく反映しているといえよう。

中国のみならず近代以前のヨーロッパでも物質とエネルギーを分ける発想は乏しく万物の原質は時には物質、
時にはエネルギーとして立ち現れるものであった。

中国の自然理論による宇宙生成論は細胞分裂のように一気が分かれ、陰陽となり五行となり万物を生じていくもので、
造物主である神は登場しない。
イエズス会のマテオ・リッチは中国人は本当の無を知らないとしたがそれは中国の無が渾沌という意味だからだ。
枠組み無き渾沌たる世界は、枠組み無きゆえに個別認識が成り立たず、それゆえ無。
対してリッチは造物主である神が無から有を創造した神だから現在の世界にも超越的に関わるとした。
陰陽五行理論にのっとる限りキリスト教的な神観念の需要は困難をきたす。

(キリスト教って陰陽五行理論も嫌いそう、というか異教は全部悪魔だから嫌いだろう)

・仏教が道徳からの超越を説くのに対し、
儒教では道徳をそのまま天とし天以上のものは無いとして仏教を批判する。
天は道徳の権化。

(儒教は非常に社会構成力がある)

・儒教の性の説は四説が基本。

1 性善(孔子)
2 性悪(殉死)
3 性善悪混(揚雄)
4 性三品(韓愈)

さらに性無善悪(王安石、蘇軾(そしょく))がつけ加わる。
孟子の性善説は力による覇道ではなく徳によって統治する王道の提供の基礎理論。

論語では孔子が性と天について語られるのは聞くことができないとある。

荀子の性悪説は聖人を目標に学問することを説くのであり、
キリスト教的な原罪を説くものとはもとより異なる。
荀子は単なる生まれつきでは禽獣のようになってしまうから後天的努力により自己を向上させていくことを唱えるのであり、
後天的な礼楽の学習などの意義を説くために本性を低く見てはいるが、
人間の道徳的可能性自体は否定していない。
荀子は性=悪と決めつけてはいない。

性善悪混はは性には善悪が混ざっているとする。善を伸ばし悪を矯正する。
常識的と言え、儒教でも異端ではない。
が、揚雄が簒奪者の王莽につかえたことが評価に及ぶ。
中国では善い思想は立派な賢人にしか語りえないとみる。
(悪をなした者が言うことは悪って詭弁だよ)

性三品説はすでに漢代にあったが、
有名なのは唐の韓愈の原性で、これには性には性善、性善悪混、性悪の三段階(三品)があり、
圧倒的多数は中間の善悪混在なのでその人々を儒教で善へ導くことを説く。
韓愈は当時隆盛していた仏教の仏性論を意識していた。
仏性論では人間はみな仏としての本性を持っている一種の性善説で、
それに対抗して儒教道徳の意義を説く必要があった。

性無善悪(王安石、蘇軾(そしょく))は性自体には善悪が言えないというもの。
なぜなら善悪は心がいかに動くかについて言われるので、
心がまだ動いていない性の段階で善悪を言うのは無意味だから。
王安石は性善説もとりつつ、善は人間の営為や環境の力を借りなければ顕現しないし、
性自体は操作できないのだから、
善悪が無いのと同じだとする。

蘇軾(そしょく)は人間が自己認識できないブラックボックスが性だとする。
欧陽脩のように性が善でも悪でも混ざっていても儒教道徳を学習する必要はあるのだから性説の乱立は混乱の種を作るだけだというものもある。
最終的に力を持ったのは性善説。特に朱子学や陽明学は徹底した性善説。

孟子は万人が聖人になれるという一貫した主張を展開しない。
朱子学や陽明学だと万人に聖人に向かって歩むよう求めるので、仏教特に禅宗の影響がある。
仏教ではみな仏になる(悉皆成仏)を説くがその仏が聖人に置き替えられた形なのである。
万人が聖人と同じ心境になるとは人間における天の実現でありこれ以上はないとする。
他宗教でいえば神にまごう存在となるのであり他宗教との違いがわかる。

・儒教の天と一般的な宗教の神との違いは、
儒教関連の文章で天と神を置き換えた違和感からも理解される。
儒教の天の特質は、道徳以上のものを持ち込めないように作用することである。
天の名のもとに道徳が変更されることもない。
忠孝の根拠に天が言われる場合、天は忠孝の絶対性を言うためであって、
天が忠孝を左右することはないのが、キリスト教と異なる。
キリスト教でもモーゼの十戒のように親へ孝を尽くすことが出て来るが、神はそれを超えた存在なのである。
対して、儒教は孝の価値を弱める存在は認めない。
天の意志と孝が矛盾する事態などは最初から想定しない。
明末に中国へ布教したマテオ・リッチは中国人向けの著作の中で、
「子が上の命(神の命)に聴くのであれば、
下(父)に逆らっても孝であるのを損なわない」と、
子が神の命令に従うときは父に逆らっても孝であると明言。
新約聖書の使徒行伝の「人に従うよりは神に従う」という立場は儒教とは対立せざるをえないものであった。
儒教の人倫主義は、人倫を超えた権威を見ないことであり、
天はひたすら人倫の権威を保証する。

・儒教の個人の祭祀で重要なのは直接に天に対するものではなく、
父祖の霊を対象にする祭祀。
父祖の対する祭祀に先行するものとして親の葬礼があり、
この葬礼と祭礼は礼の中でとりわけ重要なものであった。
そもそも礼の中に祭祀が含まれていること自体が、儒教の宗教性を論ずることを困難にしている。
これは祭祀を礼という日常に引きずり下ろしているとも、
日常の礼を宗教化しているともとれる。

もともと宗教は深く死とかかわる。
隠れキリシタンが発覚したときは、しばしば葬儀の特異さが見咎められたのが発端だった。
どの宗教の信者かは葬儀で見当がつく。
それこそが宗教としてゆずれないからである。

儒教は遺体を部屋の中に安置し、すぐには地中に埋葬しない。
埋葬の前に位牌を作る。この位牌は「神主」や「木主」という。
遺体の霊魂は魂と魄に分かれ、
魂は天に上り空中を飛んで神主に宿り、
魄は大地に帰っていく。
家には廟を作り、そこに神主を置いておくと魂が宿る。
中国人は墓を盛大に作りたがるが、祭祀の中心はむしろ神主(位牌)。
人体には魂魄があり、
魂は陽の気、
魄は陰の気である。
魂は感覚器官や心の活発な作用で、
魄は記憶など沈潜していく作用と作用の母体。

「人が思慮し計れるのは魂のなせるわざ。
記憶し弁別できるのは魄のなせるわざ」『朱子語類』

陽である魂は軽く上昇し神主に移す。
陰の気である魄は重く地にしみこんでいく。
魂が乗り移った神主が家廟に安置されることになり、
礼拝の対象は主として家廟にある神主となる。

遺体を墓に埋葬して帰宅し、
その日の内に「虞(ぐ)」という祭りを行う。
喪主以下みな沐浴して供え物をし、
祝が神主を座等に出して主人以下は見な入哭し、
神(死者の魂)をそこにおろす。







火葬するにしても遺体燃やすなんて燃料が非常に嵩むからな。ファンタジーなんかでたまに見られる丸太を組んで遺体を置いて点火なんてやり方だと火力がいまいちだろう。少ない燃料で効率的に燃やす技術が無いと、コストが嵩んでなかなか一般化しないわな。現代の方式は明治以降の産物だろうけど。




・明末の李贄(りし)
は強い欲望肯定と既成の価値観への批判で有名。
衣食住に関わる日常の欲望こそが道徳。
童心説にて幼児の心こそが聖人の心であり、
幼児が成長過程で経書の学習だとを強要され本来の心を失い既成価値観で心を支配されてしまった。
経学批判までしているので儒教と言えるのであろうかということになるが、
李贄(りし)は伝統的儒教的発言もしているので総体として儒者。
李贄(りし)の愛読者が吉田松陰なのは有名

(儒教の異端派のリシが吉田松陰に大きな影響。

昭和最大の黒幕と呼ばれた(時点で黒幕じゃないだろ)安岡正篤は陽明学者で、
紅卍と大本教と仲良しなのはなぜか気になっていたが、
陽明学はキリスト教と親和性があり、
新キリスト教を作りやすいという記事発見。
吉田松陰が陽明学者なのも優遇の理由だろう。



世界はうまくいくようにできている:三分でわかる陽明学
http://sumioka-history.blog.jp/archives/8209743.html
陽明学は、世界は本来は善なる世界を維持する、という楽観的な天下性善説なので、
世界は本来は善になっていくように神が創造した、というキリスト教の摂理説とも相性がよく、
万民一体の仁はそのままその博愛の精神と重なり、
致良知は、回心し霊として生きる、という話とつながった。
同様に、このキリスト教の摂理説を踏襲しているレッセフェール(なすにまかせよ)の社会や経済の自由主義とも、陽明学は相性がよかった。

くわえて、朱子学があくまで自分自身を中華とし、外野や庶民の現実を雑音として徹底的に排除することを旨として、近代化のきっかけを逃したのに対し、
陽明学は、すべての事象を天理の一端として自分に取り込むことに努めたことによって、時代の変化の波をうまく受け入れることができた。


 ただし、朱子学は、学べばだれでも天下取りの聖人君主になれる、とするのに対し、
陽明学は、あくまでもともと天下人である者の、天下人としての心得、つまり帝王学であって、なんの政治的配慮の権限も無い、そこらの庶民が高名な政治家たちの顰みをまねて陽明学なんかやったところで、茶番になるだけ。くわえて、朱子学は八条目の階梯を順を追って修養していけばいいが、陽明学はいきなり、万物万民一体の仁を養う、などという、どう考えても天賦の才なしにはできないような超人的なことを要求する。


 万物万民一体の仁もないくせに、基本の朱子学を侮って最初から陽明学なんかに心酔すると、自分の感情的な独善を天理とかってに誤解し、それに変に確信を持って強引に実現しようとする偏狭なテロリストになってしまう。陽明学は、生まれながらに天下人になるべく中庸中正の感覚を全身に叩き込まれてきた文字通りの本物のエリートのためのもの。そうでないなら、まずきちんと朱子学を学んで中庸中正の感覚を身につけてからにした方がいい。”)


・儒教は学派はあっても統一的宗教的組織がない。
仏教のように師の認可が不要なので経書に典拠が得られれば儒者。

士大夫(官僚および官僚予備軍)は読書人であった。
読書の書とは漢文。

漢文の権威は仏教にも影響。
原テキストではなく漢訳経典が漢字文化圏では使用された。

・礼の最重要条件は
①聖人あるいは王者が規定した

②内容が天下に一律

③万人に内容がいきわたる

④忠孝思想と背馳しない

礼はもともと士大夫が行うものであった。

・孔子廟にたいてい孔子像がない。置かれることもある。
それ以外の場所にも少ない。
画像や彫刻が崇拝対象にならない。

儒教の美術、芸術作品としての音楽、文学は発達しなかった。
儒教が天上や来世へのあこがれと無縁なのが大きく作用。
儒教は小説や戯曲の類よりも歴史書の方が重要。

・徳治主義

官僚の徳の所有を証明するのは経書学習。
有徳者に天命が降るとしたので天子であること自体が有徳の証とされた。

・革命
民心の動向が天の意志の現れであり、民が王から離反し、別の人間を推戴したらその王を討伐して政権を取ってもよい。
倒される側が極悪人で、倒す側が聖人なのが必須条件。
孟子は、仁者や義者を弾圧し傷つける者は一夫(一介の男)にすぎず、
一夫を誅殺しても君主を弑殺してはいないと答えている。
(天子の資格無き君主を殺してもOK)
孟子の革命説は警戒された。
司馬光は孟子を否定した。

・日本で三年の喪を一年前後によいとしたのは中国と朝鮮儒教からすれば信じがたいことだった。

・儒教の日本的展開に儒家神道がある。
仏教、儒教、道教の三者合一思想はあったが、あくまで三つの教の存在を前提とする。
(三一教のように限りなく一体化させるものもないではないが)
三教が心の場で合一する議論が基調だったように、
共存の傾向を見るべき。
(帰一ではない)
対して、
儒家神道は儒教と神道が当初から一つの教説として合体しているのであり、
継続的にかなりの勢力を持ったことが重要。
神道家が儒教を導入するのは誅しえ伊勢神道から始まり、仏教からの脱皮の意志があった。
儒家神道の儒教とは朱子学のこと。

朱子学の正統論は全国を統一して二代続けば地方政権でも正統王朝と認定する。
日本では朝廷が正統となる。
忠誠対象を一元化する正統論が適用されることで尊王主義が浮上。
天皇が代々継承する三種の神器が儒教の徳の象徴とされたことが、
道の継承である道統論を引きずり込んだ。
道統とは、古代の聖王の道が孔子に伝えられ、弟子から弟子へと伝わり、
孟子以後は絶えてしまうが、北宋の周敦頤や二程兄弟(程顥と程頤)によって明らかにされたというもの。

江戸時代に広く見られるのは神器の鏡、玉、剣を
礼記の知、仁、勇にあてはめる類。
(林羅山、山崎闇斎、山鹿素行、先駆は北畠親房の神皇正統記)。
皇室が正統と道統をあわせもつ皇統論が出現。
(三種の神器の元ネタは道教なのに。
天皇論に道統論を入れることで仏教排除を狙ったのだろう)

・日本で仏教だと思われている位牌は儒教のもの。
宋代頃に禅宗が位牌として取り入れたものが南北朝時代あたりに日本に渡来。
位牌が普及したの江戸時代中期と言われる。
自覚されない儒教。

・朝鮮儒教は中国儒教を忠実に行おうとした。

・漢字の効用
漢字の造語力に注目。
西欧近代の学術用語や専門用語が漢語に訳され、
現在でも使われ、
中国にも輸入された。
翻訳にたよることは自国語を保存することであって、
漢字文化圏は自国語を保存している地域。
自国語の保存は言語に組み込まれた文化を自然に継承することを可能にしている。
漢文教育廃止論も明治から存在した。
主唱者の中には現在視点では保守系がかなりいる。
富国強兵、国家独立のためにいちはやく西欧文明の導入が必要でありそのために西欧言語の習得に引っ張っていかなければならなかった。
実は近代になっても漢文は意外と隆盛していた。

(漢字廃止しろと言っている奴が西洋の手先ばかりである理由)

・安岡正篤氏のような政治家のご意見番のような場合、
政治家の意に逆らって諫言したのかが問われる。

丸山真男
「日本では近代以後、儒教的一君万民を標榜しながらも
諫言という君主への批判が欠落していく」

この現象は吉田神道における天皇への永遠の臣従という心性を反映しているのか、
近代日本が儒教のうち合わない部分を捨て去った結果なのかは検討が必要。
諫言なしには儒教は単なる政権の美化の道具でしかなくなる。

(諫言=悪をなす君主を止めるを抜いたら儒教カルト。
儒教の最高原理は天=道徳の権化。
天はゴッドであり忠孝を創ったとか、
天より上のゴッドがいるとか言っているなら儒教ではなく、
キリスト教化された儒教カルト。
日本であれだけ和風で覆って中身がキリスト教なのを隠した和風キリスト教があるのだから、
中国でも儒教や道教で覆った中国風キリスト教が紅卍以外にも大量にあるのだろう。

儒教は原罪否定で基本は性善説で、性悪説も後天的教育でなんとかなるって思想なので結局は性善説。
耶蘇は儒教の性善説も嫌い。原罪否定だから。


葬儀は信者にとって譲れない点なのは重要。
骨の髄までカトリック信者のロヨラのお墓は明確にカトリック式でありユダヤ教式ではない。
イエズス会の本部が置かれたイタリア・ローマのジェズ教会には悪魔の彫刻があり
神、仏、阿弥陀、釈迦が悪魔に含まれている。
今もあるのでいかに仏教に日本での布教=侵略を邪魔されたことを恨んでいるかがわかる↓

加賀百万石異聞・高山右近 - 北國新聞社
「天地創造」に拒否反応 かみ合わない宗教観
http://www.hokkoku.co.jp/kagakikou/ukon/ukon23.html
”北國新聞朝刊(2002/08/13付)
~ 神と悪魔 ~
「天地創造」に拒否反応 かみ合わない宗教観

カトリックの総本山で世界最大の教会「サン・ピエトロ大聖堂」内部。世界中から多 くの観光客や信者が集まる=バチカン市国
 イエズス会の本部が置かれたイタリア・ローマのジェズ教会には、奇妙な形をした彫刻がある。同会創立者のイグナチウス・デ・ロヨラ像が威風堂々と立つ傍らに、踏みつけにされ、打ちひしがれた悪魔の彫刻である。
 その悪魔の一部には、こんな文字が刻まれている。
 「Cames(神)、Fotoques(仏)Amidas(阿弥陀)、Xaca(釈迦)」
 ローマ法皇に絶対服従を誓うイエズス会は、異教の神には一片の寛容も持ち合わせていなかった。日本人がキリスト教を受け入れないのは、神や仏という悪魔にたぶらかされ、真理を見る目を曇らせているからだと考えていたからである。「悪魔」として刻まれた神や仏の文字には、イエズス会の怨念(おんねん)がこめられているかのようだ。
高山右近をはじめとするキリシタン大名の領地で少なからぬ信者を獲得したとはいえ、大方の日本人は、キリスト教を受け入れなかった。キリスト教徒が人口のわずか1%以下に過ぎない現代日本の姿と見事に符合するわけを、小堀桂一郎・東大名誉教授の評論「キリスト教創造主と日本の神々」を手引きに考えてみたい。
 まず、当時の日本の知識人は、キリスト教をどうとらえていたかである。時代はやや下るが、江戸中期の碩学、新井白石は、密航で捕らえられたイタリア人宣教師シドチを訊問した。白石は、訊問に際し、西洋の国情や文化、天文、地理などの科学知識について詳細に聞き出し、シドチの博覧強記ぶり、優れた西欧の学問水準に驚嘆した。このときの問答を元に、白石が書いた「西洋記聞」「采覧異言(さいらんいげん)」は鎖国下での貴重な西洋研究書である。
 だが、シドチがここぞとばかりに熱弁を振るったキリスト教の教義に関して、白石は冷笑をもって答えた。キリシタン禁制下ゆえに、白石が耳を貸さなかったからではない。シドチの説明があまりにも非論理的に思えたからである。それでもシドチが食い下がると、白石はこう反論した。
 「天地万物を創造したデウスがいるというなら、デウスにもまた必ずこれを造り出した作者がいたはずだ。デウスが自ら成り出でることができるものならば、天地もまた自成し得ることに何の不思議もない」
 白石の反論は、右近の時代に庶民が宣教師たちに反駁(はんばく)した理屈と基本的に同じであり、現代を生きる非キリスト教徒の素朴な疑問とも共鳴し合う。西欧人と日本人の思考方法には、単なる宗教観の違いを超え、どこか決定的にかみ合わない部分があるのかもしれない。
 …
 秀吉の伴天連追放令のなかには、「宗教は8つも9つもあるのだから、どれを選んでもよい」との記述があり、宗教の選択権はあくまで人間の側にあると考える日本人の宗教観がここにも反映されている。
 数多いキリシタン大名のなかで、領国を捨ててまで信仰を貫いたのは右近だけである。イエズス会宣教師たちを感嘆させた右近の信仰心の篤さは何によって育まれ、根を下ろしたのか。その生きざまが日本人のなかのとびっきりの少数派であるがゆえに、右近は日本史のなかで異質な光彩を放って見えるのである。

●〔聖ザビエルの手紙〕
 日本人は、論理的思考を好みます。故に私が地球が丸いことや、雨の原因について説明すると、彼らは夢中になるのでした。しかし、私が「全能である神が、悪魔を含む全宇宙を創造した」と話しても彼らは納得しないのです。なぜ、善である神が、悪魔を創造したのか?全能である神が、人間をこれほど弱く、罪を犯しやすいように造ったのか?このように質問してくるのです。(1552年1月29日付)”


イエズス会の上智大学の教学支援システム「Loyola」はロヨラが由来。


ヘブン状態のロードさん? @kusarimizu
2イエズス会自体も日本人の知的レベルが高くて布教が思うように進まなかったから
Cames(神)、Fotoques(仏)、Amidas(阿弥陀)、Xaca(釈迦)って悪魔を踏み付ける聖人の像を建立するくらいに憎んでいたという…。

ああ、「Cames(神)、Fotoques(仏)Amidas(阿弥陀)、Xaca(釈迦)」とかいう悪魔をデッチ上げた、イエズス会の日本侵略担当は五体解体されてるのか。日本人的には爆笑するところだけど、クリスチャンが偶像崇拝ってどうなんだろうね。

我乱堂? @SagamiNoriaki
2012年3月3日

昨日『ロヨラの聖イグナチオのお墓には、悪魔が踏みにじられているレリーフがあるそうですが、その中には「Cames, Fotoques, Amidas, Xaca」が含まれているそうです』とか聞いたが、なんのことか解らなんだ。聞くと『日本語のカミ、ホトケ、アミダ、シャカ』だという…)



言売了感言射(エセ漢文)!
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