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読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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結社名でメイソン以外思い浮かばない奴は読むな!→ドラえもんの暗記パンとYahoo!とヤプーとラピュタの元ネタはメーソン製の『ガリヴァー旅行記』!←けものフレンズへも影響? 

「ゆでたまご、大きい端からむくか、小さい端からむくか?」
「ハイヒール、ローヒール、どちらをはくか?」







※スウィフト流で書く。つまり毒舌で皮肉的で諷刺する感じ。。

メーソンは一次予選通過者の集まりのようなもので、
そこから本命をスカウトするための人材紹介業者でもある。
複数の結社を掛け持ちしていないと妄想してないよね?


メイソン以外の友愛結社の名前をあなたはどれくらい知ってる?
フラタニティとソロリティぐらいは常識だよね?

ギリシア文字三文字の、
アルファ・カッパ・ラムダ
Alpha Kappa Lambda (ΑΚΛ) ぐらいはご存知だよね?
ギリシア文字を使った結社は他にもあるよ。
日本語で調べてもろくな情報はない。


ドラクエの教会のマークがあるぞ!

Alpha Kappa Psi (ΑΚΨ) という、
最古(1904年)にして最大のビジネス系友愛結社もある。
それって金融系ならインサイ以下略

白人男性限定とは限らず、
Alpha Kappa Alpha (AΚA) のようなアフリカ系女性系結社
とかもある。
ギリシア文字なのが重要。
Greek-lettered fraternity
Greek-lettered sorority
などで検索しておくれ。
メーソン以外の結社の勉強をしましょう。

あとたぶん、薔薇十字団正統会員のほうがメーソンよりも格上。

まさかと思うが陰謀論界の大多数は メーソン、イルミナティ、スカルアンドボーンズしか知らない? それしか存在しないと思ってるんじゃ...






















メイソンの話が出たので今回はメイソン員の作品のうち、特に影響力が強いものを扱う。
異世界ものね。
異世界転生ものってはやっているよね。

異世界転生/死んでないが行ったものって要は現実が辛すぎるから生まれた新興宗教の聖典群候補のこと。
候補なのはまだ聖典確定までには至っていないから。売れ行きで判断するのだろうか。

なろうやカクヨムにある異世界もので、ガリヴァー旅行記と、芥川の河童に匹敵するものがあるなら教えてください。
いや、このバケモノ二人と比べるなよって突っ込みが以下略。
第三者視点では両作の主人公は頭がおかしくなった人になっている。
ガリバーは馬小屋エンドだし、河童は主人公が精神病院にいる。

芥川龍之介『河童』の生命の木を崇める生活教ってグノーシス主義もどきっぽい。
芥川の時代ってグノーシスなんて和訳での情報があるかどうかすら怪しいのになあ!
あと河童の世界がどう見ても英米がモデル。
河童の職工をぶっ殺して肉にして食う河童の国。
やばすぎるでしょ。
主人公23号(23かよ)は精神病院にいて、そこに来た人に河童の国のことを語る筋書。

読むのに抵抗があるなら、読まずに聞けばいいのさ!
芥川は短編と中編しか書かないから楽。

なぜ芥川を取りあげたからというとね、
上記のギリシア文字のカッパで思いついたギャグに一人で爆笑して追加
げふんげふん、
キリスト教臭い異世界転生ものが嫌いだからだよ。
異世界が中世ヨーロッパ風ばかりなのはやめてほしいな。



イスラームの方が異世界じゃん。
あなたもイスラーム圏に行ったら現実に簡単に異世界にいけるじゃん。
時間感覚も激変する。礼拝が基準の体感時間。

もっとイスラムか和風にしようぜ!
あ、河童の国は英米モデルだったわ(笑)
でも、明治あたりの英米モデルの異世界作品なんて見かけないでしょ?

中世欧州がモデルか不明だが、
割と面白いネット小説を発見。
異世界転生ものの中では異色の作品。

『異世界転生したけど日本語が通じなかった』


ガリヴァーもとにかく言語学習と安全の確保を最優先にしているけど、徹底的に言語学習のページを割いているのではない。
異世界という舞台で英国に対して言いたい放題言うのが目的だからね。
「何」にあたる言葉をまず知り、それをもとに名詞を子供に聞いて覚えまくる実際に言語学者が使った手段は使っていない。

今回扱うのが小説だから書いとくけど、
パクリとか言われるのは最近の有名作品と似ているからであって、
古典からとれば堂々と元ネタを公言されるし、
よく勉強していると高評価まで得られるぞ。
古典は現代と発想が違うので必然的に現代では真新しい独創に見えるのがよい。

さて、本題。
『船医から始まり後に複数の船の船長となった
レミュエル・ガリヴァーによる、
世界の諸僻地への旅行記四篇』
"Travels into Several Remote Nations of the World,
in Four Parts.
By Lemuel Gulliver, First a Surgeon,
and then a Captain of several Ships"


『ガリヴァ旅行記』 中野好夫訳

まずは影響力。














ガリヴァーでも白い肌が上等という表現もあし。
ヤプーを元ネタにして、
ウルトラマンAの異次元人ヤプールが誕生。
ウルトラマンAはかなりキリスト教色が強い。


なぜ、内閣評議会から子供部屋までと言われるほどに読まれているのですか?

ロンドンのロッジ所属の結社員製だからです。
ロンドン大ロッジがフランスのユグノー系、つまり非国教徒系なのと、
スウィフトが反イングランドだから、その宣伝でしょ。

『黄金のろば』みたいに布教と宣伝の役割もあるから広まり、生き残った。


スウィフトはアイルランド側。
しかもメイソンのニュートンが嫌い。
ニュートンを二度以上諷刺しているので、
ニュートンとは別派閥のロッジ?
アイルランド系ロッジと
スコットランド系ロッジと
イングランド系ロッジがあったのか?

以下によるとスウィフトはロンドンのメイスンロッジ
Goat-at-the-Foot-of-the-Haymarket
に所属。

”Jonathan Swift
November 30, 1667 - October 19, 1745
Born in Dublin, Swift took religious orders in 1694 and was appointed Dean of Saint Patrick’s Cathedral, Dublin in 1713.
Author of such social satires as Gulliver’s Travels (1726) and A Modest Proposal, Swift is recorded as having expended a third of his income on charity.
Member: Lodge Goat-at-the-Foot-of-the-Haymarket, No. 16, London
Note: Thought to be a member. ”
http://freemasonry.bcy.ca/biography/swift_j/swift_j.html


スウィフトJonathan Swift (1667-1745)は聖職者であり知的な上層階級と密接な関係を持っていたのでそのつてで入会したのだろう。
スウィフトはアイルランド王国のダブリン生まれ。
決してアイルランド人ではなく、父が職を求めてダブリンに行っていただけであった。
でも活動見るにアイルランド側。
イングランド側ならガリバー旅行記は書けないだろう。
スウィフトは晩年の32年間、ダブリンのセント・パトリック大聖堂の司祭長を務めていた。

”トーリー党政権の凋落の前、スウィフトはイングランド教会への赴任・昇進を望んでいた。しかし、アンはスウィフトが友人のサマセット公チャールズ・シーモアの妻エリザベス・シーモアを戯詩『ウィンザーの予言』で激しく非難したためスウィフトを疎ましく思うようになり、こうした努力を妨害した。結果、スウィフトはダブリンの聖パトリック寺院の首席司祭に転任、ホイッグ党の復帰により昇進の望みを完全に絶たれた。
『ガリバー旅行記』の執筆

政治的には敗北者となってしまったスウィフトにとって最善の行動はイングランドを去ることであった。彼は失意のままアイルランドに帰ったが、「穴の鼠のように暮らす」という状態で事実上の追放であった。しかし、一旦アイルランドでスウィフトはパンフレット執筆能力をアイルランドの主張を支援することに振り向け、彼の最も記憶すべき作品群の幾つかを生み出した。『アイルランド製品の広汎な使用の提案』(1720年)、『ドレイピア書簡』(1724年)、そして『穏健なる提案』(1729年)で、彼はアイルランドの愛国者としての地位を得た。

そして、この数年のうちに彼はその最高傑作を書き始めた。『外科医にして諸船の船長レミュエル・ガリヴァーによる世界の諸僻地への四部から成る旅行記』、むしろ『ガリヴァー旅行記』として知られている。ほとんどの題材は、前の10年間における彼の政治的経験が反映されている。例えば、巨大なガリヴァーがリリパットの宮殿の火災を小便で消し止める挿話は、不適切な作法で善い事を行うという、トーリー党の違法な和平条約の隠喩と見ることができる。”
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%95%E3%83%88#.E3.83.86.E3.83.B3.E3.83.97.E3.83.AB.E5.8D.BF.E3.81.A8.E3.81.AE.E5.87.BA.E4.BC.9A.E3.81.84


”[7]『旅行記』【『ガリヴァ旅行記』】が発表された一八世紀前半とは、スペイン継承戦争に勝利したイギリスが、東インド会社を設立し、新大陸とアジア・アフリカにむけて本格的な植民地侵略を開始しようとした時期に相当している。第一の航海に従事したガリヴァーの楽天的な世界見聞欲は、まさにこの時代にふさわしい感情であったといえる。(四方田『空想旅行の修辞学』pp.20-1)”
https://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/05/gulliver.html

第一篇 リリパット国渡航記
1699年5月4日 - 1702年4月3日

人間山(=小人が主人公に名付けた)いわく、
常人の1/12程の身長の小人の国。

卵の殻の剥き方と、
靴の踵の高さで不毛な神学論争と政治闘争を描く手腕に脱帽。
読者には、宗教論争と政治論争は、
卵の剥き方とか靴の高さとかのくだらないものだと認識させることができる。

プリンセス・プリンシパル考察記事(最終話まで完成しない)
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-219.html
のためにも、

カトリック教徒と
国教会信徒
教義はカルヴァン主義に近い。儀式はカトリック)、

非国教会(ピューリタン=カルヴァン派、長老派=カルヴァン派など)
の違いをこの機会に知っておこう。

ピューリタンがアメリカ大陸に行くことが多かった。
カルヴァン系だらけなのだから、
英米がカルヴァン派に基づく資本主義カルト=労働教なのは当然と言える。


小人国では、
穿いている靴の踵の高低から来た、
二大政党の呼び名が登場。

「高踵党 ハイヒール High Heels」
(トーリー党、高教会派)
vs
「低踵党 ロウヒール Low Heels」
(ホイッグ党、低教会派)

陛下御自身用の靴は宮中の誰よりも踵が低い。

もともと、ゆで卵は大きいほうの端を割っていたのだが、
現皇帝の祖父君というのがまだ幼少時に割った拍子に小指を怪我された。
以後、小さい端を割ることとし、破れば厳罰にした。

(指を傷つけた王は、
ローマ教皇パウルス3世と離婚問題から対立して破門され、
カトリックからイングランド国教会を分離したヘンリー八世らしい)

茹で卵を
大きい端っこから割るか、
小さい方の端っこから割るか
の宗派対立が描かれる。
卵はイースター・エッグ。

太端宗 Big-Endian
(カトリック)
vs
小端宗 Little-Endian
(プロテスタント)


翻訳によっては、大端宗派と小端宗派。

卵の小さい端を割るくらいなら死んだほうがましだと死刑に甘んじた者は前後数回、計一万一千人に上がっている。

宗教上の分裂はブランデクラル(これは彼らのコーランである)第五十四章にあるわれらの大預言者ラストログの根本教義に反するというのがだが、
これはしかし、たんなるこじつけにすぎないと考えられる。
なぜなら経典本文には
「すべて正しき信徒は、その便宜に従って卵の端を割るべし」
とあるからだ。
ガリバーは、各個人の良心に任すべきであり、でなければ少なくとも主権者の権限で決定すべきだろうと書いている。

コーランとしているのはさすがに新約聖書だとまずいからだろう。
この小人の国はどう見てもイスラーム国じゃないし。

予想通り、本作は最初はジョナサン・スウィフトの原稿通りには出版されていない。
出版社により、大きな改変を加えられた初版が1726年に出版され、1735年に完全な版が出版された。


ちなみに、この用語はコンピュータの「データの並べ順」を表す言葉として使われている。

上の端=上位バイトからメモリに並べるやり方=ビッグエンディアン。

下の端が先=下位バイトから並べていくやり方=リトルエンディアン

影響力がありすぎるな。


英国について分析している、偉大なる知識人の方々は当然、
以下の知識は常識であるから、お読みなってはならない。

イギリス国教会 - 世界史の窓
http://www.y-history.net/appendix/wh0903-051.html
”ヘンリ8世及びエリザベス1世の制定した首長法(国王至上法)、エドワード6世が制定した一般祈祷書、エリザベス1世の時に完成した統一法、および信仰箇条などの規定からまとめると次のような特徴がある。

イギリス国王が教会の首長となること。
(国王が教会の最高統治者となる。)
主教制による教会組織。
(国王-大主教-主教-副主教-司祭長-司祭)
教義はカルヴァン主義に近い。
(信仰義認説、聖書主義、予定説など)
儀式はカトリックのものを残す。
(聖職服の着用、聖餐式の時の跪拝など)

ピューリタン革命
 イギリス国教会制度は、エリザベス1世の統一法制定で一応完成したが、次のジェームズ1世は絶対王政の強化をめざして国教会による宗教統制を強め、カトリック信者とプロテスタント(カルヴァン派が多く、ピューリタンと言われた)は厳しく弾圧された。
カトリックはイングランド北部からスコットランドに勢力を残しており、
ピューリタンは都市部の中産階級に多かったが弾圧されてアメリカ新大陸に移住するものも多かった。


国教会(アングリカン=チャーチ)は名誉革命でイギリスの国家宗教としての地位を確立したが、同時にその内部に「高教会派」と「低教会派」という分裂と対立が生じていた。
高教会派(ハイ=チャーチ) 教会・聖職者・典礼の権威を高く保とうとし、国教会からピューリタン的要素を排除することに熱心であった。彼らの一部は名誉革命と議会王政を否定して臣従の拒否を宣言し、ジェームズ2世の息子をジェームズ3世として復権させることを支持していた。(ジェームズ2世の息子はフランスのルイ14世によって保護され、ジェームズ3世と称していた。彼を支持するイギリス国内の勢力をジャコバイトといった。)

低教会派(ロー=チャーチ) 伝統と典礼よりも聖書にそくした信仰を重んじ、ピューリタンたち非国教徒との協力・興隆を排除しなかった。つまり、1689年の寛容法の精神に忠実に、非国教徒共に「名誉革命体制」を担っていく主体だった。但しこの両派は共にプロテスタント国教会の中の二つの傾向であって、その違いは不分明で、中間派が存在した。<近藤和彦『民のモラル』2014 ちくま学芸文庫 p.94>”


イギリスの宗教各派
http://www.y-history.net/appendix/wh1001-033_2.html
”大きな対立軸としてカトリック教会とプロテスタント(新教徒)の対立がある。
さらにプロテスタントの中にも国教会(アングリカン=チャーチ)と
それ以外の非国教徒(ノンコンフォーミスト Noncomformists )の違いがある。
非国教徒はさらに独立派(清教徒、ピューリタン)・長老派(プレスビテリアン)の二派があり、対立していた。

国教会内部には、主教と典礼の権威を重視し、ピューリタンを否定する高教会派と、
聖書にそくした信仰を重視しピューリタンなど非国教徒に理解を示す低教会派の違いがあった。名誉革命体制を支えたのは低教会派であった。”




”[17]【隣国ブレフスキュの海岸に行き、艦隊を退治するガリヴァ】
……北東海岸へ引き返すと、減潮時の一時間ばかり前を見計らって、上着と靴と靴下とを脱いで、革チョッキのままジャブジャブ海のなかに入って行った。……。三十分とかからないうちに敵の艦隊に到着した。さあ、敵の驚くまいことか、我輩の姿を見ると我さきにと海にとび込んで、海岸へと泳ぎついた。それは三万人は降[くだ]らなかったろう。そこで我輩は例の綱を取出すと、一艘[そう]一艘舳[へさき]の穴に鉤をかけ、綱の端を全部ひとつに結び合わせた。こうしているうちにも敵は何千本という矢を我輩に対して射かけるので、両手、顔に刺さるものも少なくない。たまらなく痛いのはとにかくとしても、仕事の邪魔になることおびただしかった。いちばん心配したのは眼だったが、もしここで妙案を考えつかなかったら、潰[つぶ]れていたことは間違いない。というのは例の秘密のポケットに、いろいろなちょっとした日用品と一緒に眼鏡を入れていた……我輩はこいつを取り出して、しっかり鼻にかけた。もうこれで大丈夫、敵の矢などなんの糸瓜[へちま]とばかりに、平然として仕事を続けた。(スウィフト『ガリヴァ旅行記』pp.57-8)

[18]リリパットで彼がもっとも警戒していることは、失明の危険である。……ブレフスキュの艦隊と一戦を交えるときにも、敵の放つ数千本の矢は「仕事の邪魔になる」程度のものではなるが、「もっとも心配したのは眼であった」と記されている。ガリヴァーは眼鏡をしっかりと鼻にかけて、この困難を克服する。(四方田『空想旅行の修辞学』p.173)”
https://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/05/gulliver.html


第二篇 ブロブディンナグ国渡航記
1702年6月20日 - 1706年6月3日


ガリバーを捕まえた農夫が身長60フィート(約18m)もある。
小人国にいたガリバーが巨人国で小人の立場になる。

”[26]人間という奴は図体[ずうたい]に比例していよいよ野蛮残忍なものと決っているようだから、だれかこの巨大な野蛮人のひとりにでも捕まろうものなら、一口に喰[く]われてしまうことは火を見るよりも明らかだ。……。【畑の中にいたガリヴァは、巨大な農夫につまみ上げられる。】……こうして地上六十フィート【約18m】ばかりに吊[つ]り下げられている間は、決して下手にもがくまいと決心した。ただ困ったのは、我輩が指の間からずり落ちては困るとでも思ったのか、我輩の両脇腹[わきばら]を猛烈にしめつけることだった。我輩はただ天を仰ぎ、手を合せ、その時の我輩にふさわしいような、情けない哀れっぽい調子でなにか言ってみた。というのは、実は今にも地面にたたきつけられはしないか、実際嫌[きら]いな小動物を殺してしまおうと思う時、われわれがよくすることなのだから、そればかりが心配だった。(スウィフト『ガリヴァ旅行記』pp.104-5)”
https://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/05/gulliver.html

(金髪碧眼の白人女王礼賛の進撃の巨人ナチスはこの恐怖をうまく描いている)

巨人の国の法律は単語数が国語アルファベットの字数22文字をぜったい超過してはならない。
だが実際は22語に達しているものはほとんどない。
法律に対して注釈を書くと死罪。


第三篇
ラピュータ、バルニバービ、ラグナグ、
グラブダブドリッブおよび日本への渡航記
1706年8月5日 - 1710年4月16日


宮崎駿『天空の城ラピュタ』の元ネタの一つが飛島ラピュータ。
地上のバルニバービ(=アイルランド)は、
天上の首都ラピュータ(=イングランド)に搾取される存在。
La Puta (ラ・プータ)はスペイン語で売春婦を意味する言葉なので、
ラピュタという名前は呪詛である。

反乱などへの対処は二つある。

ラピュタをその地域の上に鎮座させ太陽光と雨をさえぎる。
罪の軽重によっては大石の雨を降らせる。


ラピュタをその地域の頭上に落下させて全滅させる。
これは最後の手段。
実は、ラピュタが浮くための磁石の底が地面とぶつけることで壊れることを防ぐために避けられるのであって、
決して人民がかわいそうだからではない。

(えげつないな。
天空から殺りく兵器の雨は航空機爆撃として実現してしまった)

巨大な磁石により天空に浮かぶラピュタは、天上の抽象的存在のシンボル。
抽象的思考すぎて具体的物理的ことがらからかけはなれすぎて役に立たなくなっていることを皮肉っている。

ラピュタ人はあまりに思索にふけりすぎて周りがおろそかになりすぎるので、
金に余裕のある人は、膀胱をふくらませたのを連枷(からさお)のように短い棒の先につけて持っている
「たたき役(たたきに傍点)」(原語はクリメノール)
を一人、召使として常備しておき、外出、訪問といえばむろん同伴を忘れることはけっしてない。たたき役の役目は二人以上の人間が寄ると、この膀胱で話し手の口と、それから聞き手側、それは時には聴衆という場合もあるが、その右の耳とを静かにたたく。
また、主人の外出にも付き添ってときどき主人の目を軽くたたいてやる。

というのは瞑想に夢中になっているので崖から落っこちたり、柱に頭を打ちつけたり、人に突き当たったり、あるいはこっちが突き飛ばされて溝に転げ落ちたりする危険が大いにあるからだ。
叩かれる側の彼らはいくどとなく自分の仕事を忘れてしまって、主人公(一人称が吾輩)をほったらかしにしてしまうので、そのたびにたたき役が彼らの記憶を呼び戻してやる。
この国の人々について詳しく述べているが、これは以下ニュートンを含めて当時の数学者らを諷したもの。スウィフトはある事件により、ニュートンに含むところ(=恨みや不満)があったことは有名。

(スウィフトはメイソンだから、ニュートンがメイソン使って大儲けしていたの知っていたのでは?)

陛下の両側には例のたたき棒を持った侍童が一人ずつ控えている。陛下の考えごとが終わると、一人は口許を、いま一人は右の耳をそれぞれ軽くお打ち申上げた。陛下は何か言われたかと思うと、たたき役が主人公のもとにやって来て静かに右の耳を叩き始めたので主人公は不要だと伝えたが、そのせいで陛下や全宮廷の人々によっぽどの馬鹿だと思われた。

(強くたたくと普通に死ぬ武器だからね。なぜ左ではなく右の耳限定なのだろうか。口を叩くのか。目を叩くのはまずくないか?

叩き人が持っているのって道化師とか狂人とかタロットの愚者が持っている武器じゃね?
この叩き人は宮廷道化師がモデルっぽい。









ラピュタは天文学が発達している。

”彼らはまた火星の周囲を廻転する二つの小星、すなわち衛星を発見しているが、その内側のものは主星の中心からその直径の三倍距離、外側のものは同じく五倍距離にあり、前者は十時間、後者は二十一時間半の週期で廻転している。だからしてそれぞれの週期の次乗と、火星の中心からの距離の三乗とが、殆ど同一の比例をなすような関係にあり、このことは他のすべての天体を支配している引力律が、ここにも作用している事実を証明している。”

火星の月を予言したガリバーのジョナサン・スウィフト
http://zatugaku-matome.com/kasei-tuki.html
”「彼らのはまた火星の周囲を廻転する二つの小星、すなわち衛星を発見しているが、その内側のものは主星の中心からその直径の三倍距離、外側のものはおなじく五倍距離にあり、前者は十時間、後者は二十一時間半の周期で廻転している」。現在の計算では、フォボスとダイモスの軌道はそれぞれ、2.76と6.9倍だから、実に正確な予言と言えるだろう。
火星に二つの衛星があるということは

ところが、これには裏がある。火星に二つの衛星があるということは、ガリバー旅行記の24年後、ドイツの作家、エバーハルト・クリスチャン・キンダーマンの小説、飛行船早回り世界一周物語、18世紀フランスの啓蒙作家ボルテールの風刺物語、ミクロメガスの中でも、火星には2個の月があると書かれている。

つまり、当時のヨーロッパ社会では、火星日衛星説は常識だった。というのは、あの偉大なドイツの天文学者ケプラーが、火星の衛星は2個あると言っているからだ。ケプラーはこう説いている。金星には衛星がない。地球には一つ。火星の向こうにある木星には四つとすると、火星に衛星があるとすれば二つ・・と。

このケブラーの推理をスウィフトやボルテールが読んでいた、というのが今では定説となっている。しかし、スウィフトがなぜ、衛星の軌道まで知っていたのか。やはり、偉大な予言と言える。”

(結社から得た秘密の知識ですらねーじゃん。
ケブラーの説は秘密じゃないって意味ね)

“ラピュータ国の科学者が火星には2つの衛星があると述べる場面がある。これは火星に実際に2つの衛星(フォボス・ダイモス)が発見されるよりも早い指摘であった。これにちなんで、フォボスのクレーターには本作に関する人物の名前が、またダイモスのクレーターの一つには作者のスウィフトの名が与えられた。ちなみに作中のこの箇所にはケプラーの第三法則について言及があるため、火星の衛星が2個ある件についてもヨハネス・ケプラーの予想を引用したものと考えられる[5]。なお、このケプラーの予想は当時は有名だったと思われ、スウィフト以外にもヴォルテールが火星の2個の衛星について言及しており、同じくダイモスのクレーターにその名が与えられた。また、原典であるケプラーの予想は間違った推論によるものであり、実際に火星の衛星が2個であったのは単なる偶然の一致である[6]。”
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E6%97%85%E8%A1%8C%E8%A8%98


ブルードラゴン・でえもん、じゃなくて(本当に青竜魔が元ネタかもね)、
ブルードラえもんにアンキパンという、そのパンに暗記したいことを書いて食べると記憶できるというひみつ道具があるが、
元ネタっぽいのがガリヴァ旅行記に登場。

数学教室での驚くべき数学の教え方。
まず問題と証明とを、頭脳丁幾(セファリックチンキ)でつくったインキで薄い煎餅(ウエーファー)の上に青書する。学生たちは絶食しておいた上でこれを嚥(の)み、その後三日間はパンと水以外一物も食べない。
すると煎餅が消化するにしたがって、丁幾剤(ちんきざい)が頭へ上って行って、いっしょに問題も上ってゆく。
ただ問題は今日までいっこう効果が上がっていないということであるが、
それは一つに調剤量、あるいは調合法のなにか誤りと、
また一つには学生のわがままが原因である。
というのはこの薬を嚥むと彼らはひどく胸が悪いものだから、そっと抜け出しては作用しない前に吐き出してしまうし、それになかなか処方通りの長い節食を守ってくれないのである。

(わかりやすい、うまい勉強法を開発するほうがいいな!

算数と数学嫌いの原因は
1 教師が嫌い、クソ
(人格と教え方が悪い。
正確が最悪でも教え方が最高なら数学好きが増える)

2 勉強方法が悪すぎる
(教師がクソでも、うまい勉強法を実践するなら何とかなる)

3 勉強時間が少なすぎる
(1と2が同時発生すると3も同時に起こる。
よってますます数学嫌いになる悪循環。


誰もがどこかでつまずいた→小学校の算数から大学数学まで126の難所を16種類に分類した
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-626.html

を見るとよくわかるが、
論理的思考力と国語力を先に養えば、つまり先延ばしすれば問題なくクリアできるものがある。
数学の文章題が小学生には理解できなくても、
先延ばしして中学生にやれば理解できるだろう。
数学能力の問題ではなく、
国語力の問題だからだ。
数学も語学だからね。








とまとさんツイートと、とね日記のオススメ本を読みましょう)


”ラピュタ島と呼ばれるこの浮島では、男たちは音楽、天文学、数学に熱中し、まったく現実離れした抽象の世界に遊んでいた。一方、女たちは夫を馬鹿にして、下のバルニバルビ島に逃亡し情交にふけることを夢見ているといったありさまだった。バルニバルビ島に降り立った主人公は、最新流行の新学問の粋を集めたというラガド翰林院[アカデミー]を訪れた。
 人間の糞便を食物に戻そうと悪戦している者、胡瓜から日光を抽出しようとする者、すべての言語を廃止して物体言語を用いんとする者、翰林院はこうした気狂い科学者で一杯だった。とりわけ奇怪だったのは、世界中の書物を集めた完璧なる百科全書を作らんと、印刷機を操作しているグループだった。

[37]【空飛ぶ島】ラピュタではあらゆる現実の事物が抽象的論理によって裁断され、本来備えているべき物質性を抑圧されている。住人の服装は、太陽、月、星といった天文学的符牒、あるいはフィードル【バイオリン】、フルート、ハープといった楽器の形態に応じて規格化されている。(四方田『空想旅行の修辞学』p.255)

[38]食事が運ばれてきた。……。第一のコースには、正三角形になった羊の肩肉、同じく偏菱形[へんびしがた]に切った牛肉、それに擺線形[サイクロイド]に切ったプディングとが出た。第二のコースは提琴[フィドル]の形に括【くく】りあわせた二羽の家鴨、それぞれ横笛[フルート]およびオーボエに似たソーセージとプディング、竪琴[ハープ]の形になった犢[こうし]の胸肉、そして召使どもは、われわれのパンまで円錐[えんすい]形、円筒形、平行四辺形……その他さまざまの数学的形態に切ってくれるのだ。(スウィフト『ガリヴァ旅行記』p.206)

[39]【ごちゃごちゃした下世話な現実世界を、頭で考えた理想的・抽象的・人工的な観念の「型にはめる」。】
……【羊の肉を正三角形に切り取るとは】どのようなことであるか。それは本来は無定形であり、それゆえに大地の豊饒に強く結びついていた食物を、ある幾何学的フォルムのもとに囲い込むことであり、物質をイデア化【理想化・抽象化】することである。こうしてラピュタの物体はすべて物体であることを忘れた抽象的な存在へと上昇する。いや、そもそもラピュタという大地から分離した飛島の存在じたいが、地上的な現実を嫌悪し、天空と幾何学的イデアに憧れる哲学者たちが住まうにふさわしい、抽象空間であるといえるだろう。(四方田『空想旅行の修辞学』p.257)

[40]【ラピュタの男たちは、いつも抽象的な思索にふけって現実に対応できない究極の「頭でっかち」である。】
ところどころに召使らしい服装をした男がだいぶいた、それらはみんな手に、膀胱[ぼうこう]をふくらませたのを……短い棒の先につけて持っている。……彼らはこの膀胱でもって、しきりに傍[そば]に立っている男の口や耳をたたくのだ。……思うに、この国の人間というのは、始終なにか深い思索に熱中していて、なにか外からそれぞれの器官に刺激を与えてでもやらなければ、物も言えなければ、他人の話に耳を傾けることもできないらしい。(スウィフト『ガリヴァ旅行記』pp.203-4)

[41]……ラピュタにおいてとりわけ興味深いのは女性たちである。終日思索に耽り不安に脅える男たちとは逆に、「島の女たちは生命力にあふれている。したがって夫たちを軽蔑している。」彼女たちは知的には卓越していても性的能力の劣るラピュタ男よりも、下島から来訪する下賤な男たちを好み、せっせと姦通に勤しむことになる。(四方田『空想旅行の修辞学』p.257)

https://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/05/gulliver.html


飛島(ラピュタ)の国王の支配範囲にある大陸一帯はバルニバービと総称され、その首府はラガードー。

ラガードーの学士院の教授の中には自国語の改善について考えている人々がいる。
多綴語(ポリシラブル)を単綴語(モノシラブル)に変え、一切の動詞と分詞を省略し、対話を簡単にするという。理由はあらゆる事物は名詞にすぎないからだ。
他の案は、言葉を一切全廃してしまう。そのほうが簡略であり、健康にも非常に良いからだ。言葉を発すると一語一語腐食作用によって肺を削っているのでそれだけ生命を縮めるからだ。
そこで便法として提案されたのは、言葉はモノの名なので現物を持っているほうがいいとしている。知識階級や識者たちはこの物々表現の新方法を守っている。要件に応じて大きな包みを背中にしょってゆかねばならない。
彼らが往来で出くわすと、荷物を降ろして話をし(物を見せる)終わるとしまって別れる。

やばい



バルニバービの首都ラガードーの学士院の医学者

”国家内に政党の軋轢がはなはだしくなった時も、彼は驚嘆に値する調停法を提議した。それはこうだ、まず双方の政党から領袖を百人ずつ選んできて、これを二人ずつ、似寄った頭の大きさの者同士の組にする。さてそこで腕のよい二人の手術者に命じて、同時にこの各組の者の後頭部を鋸で挽き切らせて、ちょうど脳髄が二等分されるようにする。こうして挽き切られた後頭部は、双方取換っこをしてそれぞれ反対派の者の頭にくっつけるのだ。事実これはよほどの正確さを要する仕事ではあるが、なにうまくさえやれば治療は疑いなしと、教授はわれわれに保証した。つまりはこうだ、半分ずつの脳髄を合せて、一つ頭蓋の中で勝手に討論さえさせておけば、まもなく双方に了解ができて、ちょうど中庸的な考えが生れてくるばかりか、自分らは世界の動きをただ監視、支配するためにのみ、この世に生れて来たというような気持でいる連中の頭に、もっとも望ましい思考の恒常性というものをつくり出してくれる。もっとも党派の主脳者間に、量の点でも質の点でも、脳髄の差等があることも考えられるが、先生にいわせると、彼の学問上から断言して、そんなことはほとんど問題でないという。”
スウィフト作、中野好夫訳『ガリヴァ旅行記』


二人とも殺せってことだな!)


原文です、お祓いにお使いください!
”When parties in a state are violent, he offered a wonderful contrivance to reconcile them. The method is this: You take a hundred leaders of each party; you dispose them into couples of such whose heads are nearest of a size; then let two nice operators saw off the occiput of each couple at the same time, in such a manner that the brain may be equally divided. Let the occiputs, thus cut off, be interchanged, applying each to the head of his opposite party-man. It seems indeed to be a work that requires some exactness, but the professor assured us, “that if it were dexterously performed, the cure would be infallible.” For he argued thus: “that the two half brains being left to debate the matter between themselves within the space of one skull, would soon come to a good understanding, and produce that moderation, as well as regularity of thinking, so much to be wished for in the heads of those, who imagine they come into the world only to watch and govern its motion: and as to the difference of brains, in quantity or quality, among those who are directors in faction, the doctor assured us, from his own knowledge, that “it was a perfect trifle.””
http://www.gutenberg.org/files/829/829-h/829-h.htm










上記の内容が
名作アニメのサイコパス『PSYCHO-PASS』で、
支配層であるシビュラシステム
=多数の脳の集合体を皮肉るのに引用される。


人体の脳の活動を統合し思考力を拡張、高速化するシステムは実はもう40年以上も前から実用化されていた。此の技術を秘匿し慎重に運用したからこそ我が国は目下のところ地球上で唯一の法治国家として機能出来ている。(グソンくんの撮った映像が流れる)

目下システムの構成員は247名。内200名程が順番にセッションを組むことで此の国の全人口のpsycho-passを常時監視し判定し続けることが可能だ。(此処でグソンくん撃たれる)

結局のところ機械的なプログラムで判定出来るのは精々が色相診断によるストレス計測までだ。より深遠な人間の本質を示す犯罪係数の特定にはもっと高度な思考力と判断力が要求される。其れを実現しうるのが我々なんだよ。(デジカメ、ジャミる)

マ先「お笑い種だな、人間のエゴに依存しない機械による公平な社会の運営、そう謳われていたからこそ民衆はシビュラシステムを受け入れてきたというのに。其の実態が人間の脳の集合体にであるきみ達による恣意的なものだったのか

いいや。限りなく公平だと思う。民衆を審判し監督している我々は既に人類を超越した存在だ。シビュラシステムの構成員たる第一の資格は従来の人類の規範に収まらないイレギュラーな人格の持ち主であることだ。徒に他者に共感することも情に流されることもなく、人間の行動を外側の観点から俯瞰し裁定出来る、そう云う才能が望まれる。例えば此の僕やキミがそうであるように。

僕もね、psycho-passから犯罪係数が特定出来ない特殊な人間だ。お陰で随分と孤独な思いをしたものだ。そのようなシビュラの総意をしても計り知れないパーソナリティは免罪体質と呼ばれている。凡百の市民とは一線を画す新たな思想と価値観の持ち主、そう云う貴重な人材を見つけて取り込むことでシステムは常に思考の幅を拡張し、知性体として新たな可能性を獲得してきた。

ああ、斯うしてシビュラシステムの一員に加えられたのさ。始めは戸惑ったがね。直ぐに其の素晴らしさが理解出来た。他者の脳と認識を共有し理解力と判断力を拡張されることの全能感。神話に登場する預言者の気分だよ。何もかもがわかる。世界の全てを自分の支配化に感じる。人ひとりの肉体が獲得しうる快楽には限度がある。だが知性が齎す快楽は無限だ。
聖護君、キミなら理解出来るんじゃないか。

マ先「そうだな、想像に難くない(以下略)」

僕もキミも此の矛盾に満ちた世界で孤立し迫害されてきた。だがもう其れを嘆く必要はない。僕たちは共に運命として課された使命の崇高さを誇るべきなんだ。
キミも又然るべき地位を手に入れるときがきたんだ。

マ先「つまり、ぼくも又シビュラシステムの一員になれ、と?」

キミの知性、深遠なる洞察力、其れはシビュラシステムの更なる進化の為に我々が求めて止まないものだ。強引な手段でキミをシステムの一員に取り込むことは出来なくはないが、意思に基づいた行動のみが価値を持つと云うのはキミの言葉だったよね。キミならば僕の説明を理解した上で同意して呉れると判断したんだ。

マ先「(本を持ちながら)機械の部品に成り果てると云うのもゾッとしない話だな」

勿論此れはキミの固体としての自立性を損なうような要求ではない。現に僕は斯うして今も藤間幸三郎としての自我を保っている。キミは只ひとことyesと頷いて呉れるだけでいい。
此処にある設備だけで厚生省に向かう道すがら外科的な処置は完了する。槙島聖護と云う公の存在は肉体と共に消失するがキミは誰に知られることもなく此の世界を統べる支配者の一員となる。

マ先「まるでバルニバービの医者だな

何だって!?

マ先「スウィフトのガリバー旅行記だよ。其の第三篇。ガリバーが空飛ぶ島ラピュータの後に訪問するのがバルニバービだ。バルニバービのある医者が対立した政治化を融和させる方法を思いつく。ふたりの脳を半分に切断して再び繋ぎ合わせると云う手術だ。此れが成功すると節度のある調和の取れた思考が可能になるという。此の世界を監視し、支配する為に生まれてきたと自惚れている連中には何よりも望ましい方法だとスイフトは書いている

聖護くんは皮肉の天才だな。”
http://i-ne.jugem.jp/?eid=97
17話の局長による超長台詞 【PSYCHO-PASS】



他のマッドな研究。
ガリバー旅行記でラピュタ人が蜘蛛の巣から繊維
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11108421151
“ガリバー旅行記でラピュタ人が蜘蛛の巣から繊維を作り出す研究をしていましたが、先日日本で実現化しました。
これ以外にラピュタ人は
キュウリから日光を取り出す研究
屋根から作り始めて土台を最後に作る建築物の研究

土地を人力で耕さずに作物を作る研究

氷から火薬を作り出す研究

大理石を柔らかくして枕を作る研究
空気を固める研究
国語や言葉を簡単にする研究

頭を良くするインクの研究
をやっていましたがこの中で実現化した成功した研究ってありますか?

(1)空気を固める研究
空気の主成分である窒素や酸素を液体にするまでは実用化されています。固体化まではできてません。
(2)国語や言葉を簡単にする研究
エスペラント語というのを作りましたが普及していません。どれくらい、簡単かはしりません。
(3)土地を人力で耕さずに作物を作る研究
トラクターなどの人間を補助する機械を作り出し、耕作が随分楽にできるようにはなっています。
また、一部の作物では光と水だけで栽培できるようになっており、耕作は不要です。
(4)屋根から作り始めて土台を最後に作る建築物の研究
一応、屋根から壊し始めて土台を最後に壊すところまでは実用化されています。
(5)キュウリから日光を取り出す研究
キュウリではありませんが物質から地上に太陽を創りだそうと核融合の研究・実験を始めましたが日本国や世界で見渡してもあまり進んでいません。”

(排泄物を摂取物に変換する汚物まみれの研究者も登場する。実現したら食糧問題が解決されるな!
シドニアみたいに光合成できる人間を創る方が簡単そうだけどな!

胡瓜から日光を抽出する研究を、植物を電池にして電灯をつける研究と解釈するなら実現しているな。

触覚と嗅覚で使える絵の具の開発研究をしている盲人が登場するが、既存の絵の具でも触覚や嗅覚でどの色か判定している人がすでにいそう。

蜘蛛の糸をつかった繊維をつくりだすのは実現した。
実は注釈に

当時ボンと呼ぶ1フランス人が蜘蛛の糸で靴下、手袋などを試験的に作り、その利用法について論文まで1710年に出版した。

とあるので、十八世紀初めのフランスで実現していた。
今の研究者はこの論文を読んだのだろうか)


ラピュタの次に、

小島グラブダブドリッブの魔法使いの種族と会う。


グラブダブドリッブとはだいたい、魔法使いの島というような意味。
酋長がいて治めていたがその種族は一人残らず魔法使い。
結婚も種族の内輪同士だけで、最年長者が王あるいは酋長になる。
酋長及び彼の一家に侍している召使は死霊。
酋長は魔法で死人の中から誰でも好きなものを呼び出して二十四時間に限り(それ以上はダメ)いろんな用を命じることができ。
だがその代わり一度呼び出したならばよほど必要でもない限り三か月間は同一人を呼び出すことはできない。

酋長はバルニバービ語をよく解する。
酋長がひょいと指を一つ動かし人払いを命じると、忽然として亡霊召使が消えうせた。
亡霊は食事を運んだりできる。

(物理的干渉が可能。
この魔法使いってかなり高位だね。
なお以下のように箒は登場しない。











死者の中から好きな人を呼び出してやるが、質問は彼らの生存期間中にかぎると言われる。
ホーマー(ホメロス)とアリストテレスの霊と、彼らの注釈家たちを呼んでもらう。
(面白い!)
ホメロスは注釈者を詩人の精神の中へ入り込むことなどできない凡庸の器だとたちまち看破。
アリストテレスは注釈者にかんかんに腹を立ててしまい、いったい他の奴らもみんな、こいつら同様の大馬鹿野郎であるのかと聞いた。
デカルトとガッセンディを召喚してもらい、彼らの体系をアリストテレスに説明してもらう。
ガッセンディ(ピエール・ガッサン)は十七世紀のフランスの哲学者で、エピクルス(エピクロス)哲学の近世における再興者で、アリストテレスを批判し、またデカルトのもっとも頑強な論的。
大哲学者アリストテレスは彼がその物理学においては誤謬を犯している、それは誰しもやむをえなかったのだ、多くの点で彼もまた憶測に基づいて推理を進めなければならなかったからと率直に認めた。
エピクルスの教説をできるだけ甘口にしたガッセンディも、
デカルトの渦状説(この宇宙は大小無数の粒子がそれぞれ一つの枢軸を中心とする旋回運動よりなると考え、太陽系その他の天体現象まで説明しようとした)も、
ともに論破されうると発見した。
そして彼はあの引力説(再びニュートンへの風刺)もまた、今日でこそ学者たちが熱烈に支持しているが、同じ運命を免れるものではないことを予言。
彼のいうには、自然に関する諸種の体系も結局は新しい流行にすぎないので時とともに変化するものである。

(フィクションで過去の大哲学者を呼び出させて、ニュートンの説も単なる流行だと批判させる作者(笑))


次に
大きな島国であるラグナグ王国

のストラルドブラグ(老いる不死人間)かどうか見分ける為の特徴。
ごくまれに、前額、それも左の眉毛のすぐ上に、赤い円痣(まるあざ)のついた子供が生まれることがある。この斑点は約3ペンス銀貨大のもので、年とともに大きくなり、変色する。
十二才になると緑色になり、
そのまま二十五歳まで続いてこんどは濃紺色になる。
四十五才になると漆黒になり大きさも英シリング銀貨くらいになるが、それからはもう変化しない。
全国を探しても千百人を出ない。
特定の家系に生まれるのではない。
まったく偶然の結果生まれる。
親が不死でも子が不死にはならない。
不死だが老いは進むので記憶力がなくなり、性格も悪化していく。
この不老ではない不死の人により、ラグナグの人々は長寿の願いがそう強くない。
(不死だけでなく不老も伴わないとダメな理由)

八十才がラグナグ王国の最高齢。
ストラルドブラグ(老いる不死人間)同士で結婚することがあれば、
八十才で国家の好意で解消される。みずからには何の罪もなくて、永生という宿命に呪われている彼らである、さすがに国法も、せめて妻などという重荷による不幸の倍化だけは助けてやるのが当然の慈悲であろう、と考えるから。
満八十才に達すると不死者は法律では死んだも同然となり、財産は嗣子が相続する。
不死者には生活費がわずかに充当される。
八十歳以降は信用や利潤に関する仕事にはいっさい無能力者となり、土地購入も借地契約もできないし、民事刑事を問わず境界線の決定というような問題でさえいっさいの係争に対して証人となることは許されない。


”[42]【次に訪れたいくつかの島の一つ、ラグナグ島で、ガリヴァーは不死人間ストラルドブラグの存在を知る。】
……以下は我輩の答えだが、もしさいわいにストラルドブラグに生れたとしよう、さすれば……まずあらゆる手段方法をつくして金儲[もう]けをしようと思う。そのうえ節約に努め、管理をよくしていけば、二百年もたてば王国第一の金持になることはまず確かだ。次にはごく子供の時から学問研究に身を委[ゆだ]ねる、さすればこれもやがては国中第一の学者になれる日が来るはずだ。さらに最後には、多少でも重要な社会的事件が起れば、細大洩[も]らさず詳細にこれを記録しておき、また歴代の諸王、大臣たちの性格を公平に書きとめて、それぞれ要所に我輩自身の評語を記入しておくのだ。それから風習、言語、流行、服装、食物、娯楽等の変遷[へんせん]もいちいち精確に書きとめておく。こうしておけば我輩は、やがて知識知恵の生ける宝庫ともなり、国民の神託となることほとんど疑いないと思う。……。我輩の話がすんで、例によってその要点が一同に通訳されると、彼ら【ラグナグ人】はにわかに自国語でしきりにガヤガヤ話しはじめた。なかには失礼にもなにか笑いだしたものさえある。(スウィフト『ガリヴァ旅行記』pp.269-72)

[43]【ラグナグ人が語る、不死人間ストラルドブラグの実態】
……通常彼らは三十歳ごろまでは挙動すべて常人と同じことだが、それからは漸次意気銷沈[しょうちん]しはじめて……やがて八十歳に達する……【そうなると】彼らはもう他の一般老人のあらゆる痴愚と弱点とを網羅[もうら]しているばかりでなく、おまけに決して死なないという恐るべき見込みから来る、まだまだたくさんの弱点を併せ持つことになる。すなわち頑固[がんこ]で、依怙地[いこじ]で、貪欲[どんよく]で、気難し屋で、自惚[うぬぼ]れで、お喋舌[しゃべり]になるばかりでなく、友人と親しむこともできなくなれば、自然の愛情というようなものにも不感症となり、それはせいぜい孫以下に及ぶことはない。……彼らは青年ないし中年時代に見物したことの外は、なにひとつ記憶はない、しかもそれもひどく不完全なものにすぎないのだ。……。
 九十になると歯と頭髪が脱落する。この齢になると、もう味の感覚などもなくなってしまい、ただなんでも手当たりしだいに、味も食欲もなく飲み食いするにすぎない。しかも彼らの罹[かか]る病気の方は依然として殖えることもなければ減ることもない。話ひとつしても、日常普通の物の名は忘れる、人の名前は忘れる、どんなに親しい友達や親戚[しんせき]であってもそうなのだ。本を読んでも同じ理由でいっこうに面白くない、なにしろかんじんの記憶力がわずか一文章の最初から終りまでさえもたないのだから。(同書、p.272)”
https://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/05/gulliver.html



江戸時代の日本にも訪問し、エドに行って皇帝(=将軍)に謁見し、踏み絵を辞めてくれと嘆願している。ガリバーはオランダ商人のふりをした。
なんと、踏み絵をやめてほしいという要求が通ってしまう。
ナンガサク(長崎)にも当然行っている。


(いきなり英国とオランダ以外の実在の国が登場。
なんか変なのがリアル。
真にキリスト教徒なら踏み絵に躊躇しないはず。
偶像崇拝禁止が本来の教えだし。


世俗権力の皇帝=将軍、
宗教権力の皇帝=天皇
とみなされていたらしい。

”場所が江戸であることからも容易に想像できるが、ここでスウィフトが指している「日本の皇帝」は明らかに徳川将軍のことである。当時の西洋諸国において、江戸幕府の将軍は皇帝として認識されていた。ガリヴァー旅行記の1年後に出版されたエンゲルベルト・ケンペルの日本誌においても、征夷大将軍が「世俗的皇帝」とされている。天皇は同書において「聖職的皇帝」と呼ばれており、共に皇帝として扱われている。”
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E6%97%85%E8%A1%8C%E8%A8%98)


第四篇 フウイヌム国渡航記
1710年9月7日 - 1715年12月5日


・ガリバーは最初は最初は魔法使いが馬に変身した姿だと思った。

・蹄(ひづめ)と「骨交(あくと)」(これで一文字+ルビ)で器用に挟んだりする馬。

「骨交(あくと)」
http://www.weblio.jp/content/%E9%AA%B9
の意味が分からなかった。
「はぎ」と読むらしい。
原文は
pastern
有蹄類のひづめとくるぶしとの間。

What should I look for in pastern and foot conformation?
http://www.horseinfo.com/info/faqs/faqconformQ6.html


・フウイヌム国の理性なきヤフーと言われる動物は醜く、悪臭を放ち、いがみあう欲望丸出しの生物であり、人間そっくり。
理性あるフウイヌム馬は主人公もヤフーだとみなす。
フウイヌムにとってヤフーは家畜として飼われているので、主人公も家畜扱い。

また、サーチエンジンYahoo!の名前の由来であり、
ヤフー!創始者のジェリー=ヤンとデビット=ファイロによると、「ならずもの」という意味をこめたらしい。

ヤフーム!の方がよくないか?


家畜人ヤフーが黄褐色(”brown buff ”)の皮膚なのでどう見ても黄色人種差別なんだけど。
しかも顔は平たくて、鼻は落ち込んだようで、唇は厚く、口は広く割れている。こうした差異くらいはすべての野蛮人に共通のものだとも書いている。



"[46]【ガリヴァは理性を持つ馬フウイヌムが治める国で、見るもおぞましい動物に出会う。】
……我輩は畑の中になにか動物が五、六匹と、またこれも同じ種類の動物が一、二匹、樹[き]の上に登っているのを見た。その形というのがまたひどく奇妙な醜いもので、さすがに我輩もちょっとギョッとなって、しばらく茂みの蔭[かげ]に臥[ふ]せり、あらためて見直してみた。……頭と胸はいちめんに濃い毛――縮れたのも、真直[まっすぐ]なのもあるが――が密生している。山羊[やぎ]のような髯[ひげ]をはやしているうえに、背中から脚および足首の全部へかけては、長い毛並みが深々と生えているが、その他の部分は全部無毛で、黄褐色[おうかっしょく]の皮膚が、裸で見えている。尻尾[しっぽ]もなければ、臀部[でんぶ]にもまったく毛はない、あるのはただ肛門[こうもん]の周囲だけだったが、おそらくはそれは地面に坐[すわ]ったり(これが彼らのいちばん普通の姿勢だが)臥せったり、あるいはしばしば後足で立ち上ったりする時に、彼らの臀部を守るように、自然がそこに生やしたのだろう。……。雌は雄ほど大きくなかった。顔には長い真直な毛が生えているが、その他の部分は、肛門と恥部とを除いては、ただ一種の柔毛[にこげ]のようなものに蔽[おお]われているだけだ。乳房はちょうど前足の間からブラリと下っていて、歩く時などはしばしば地面まで届くことさえあった。雌雄ともにその毛色は褐色、赤、黒、黄とさまざまだった。我輩ずいぶん旅行もしたが、実際これほど不快な、またこれほど見るからに激しい反感を感じた動物というものはなかった。(スウィフト『ガリヴァ旅行記』pp.288-9)

[47]【ガリヴァはこの動物に襲われる。】我輩は、一散にとある立樹の傍へ駆けよると、樹幹を後盾[うしろだて]に、短剣を振り廻[まわ]しながら、辛[かろ]うじて彼らを禦[ふせ]いでいた。だがついに奴[やつ]らのうちの数匹は、背後の枝をつかむと、ヒラリと樹上に躍り上がって、我輩の頭上から彼らの排泄物[はいせつぶつ]をジャージャーやりはじめた。しかしこれは我輩、樹幹にピッタリ身を寄せて、なんとかうまく逃れてはいたものの、なにしろあたり一面に落下する汚物のたまらないこと、ほとんど息も塞[つま]りそうだった。(同書、p.290)

[48]主人の馬は、召使のひとりである栗毛の仔馬にいいつけて、彼ら【その醜い動物】の中でも最も巨大な奴を、縛[いまし]めを解いて庭のなかへ連れ出させた。我輩は、この獣とピッタリならんで立たされ、主従ふたりは実に仔細[しさい]にわれわれの顔を見比べていたが、その時また何度も例のヤフーという言葉が繰り返されたのである。だが、この見るも不快な動物に、これはまた完全な人間の形態を見出[みいだ]した時の我輩の恐怖と驚きとは、実に名状すべからざるものだった。顔は平たくて、大きく、鼻は落ち込んだようで、唇[くちびる]は厚く、口は広く割れている。だがこうした差異くらいはすべての野蛮人に共通なもので、つまり幼児に地面を這[は]い廻[まわ]らせたり、背中に負って、母親の肩に顔を擦りつけさせたりするところから、顔の造作が歪[ゆが]んでしまうのである。ヤフーの前足と我輩の前足と、違うところといっては爪の長さと、掌[てのひら]の粗さと、その渋紙色と、それに手の甲の毛と、ただそれだけだった。足もまた、似た点も同じなら、違った点も同じだ、ただこの方は我輩の靴と靴下とで、馬にはわからないが、我輩にはよくわかっていた。要するに、前にも言った毛深さと皮膚の色とさえ除けば、あとは身体[からだ]中すっかり同じなのだ。(同書、pp.297-8)

[49]【上の引用におけるヤフーの描写について。】われわれはこの一節に、十八世紀イギリスの知識人の典型として設定されたガリヴァーの、人種差別思想と植民地主義的傲慢を容易に読み取ることができる。ヨーロッパ人の白い皮膚こそが唯一の人間の範であり、それ以外の形状は未開=野蛮なものに他ならないという観念のことである。……。近代人のイデオロギーたる進歩信仰にいち早く異議を唱え、古代人を擁護したダブリンの司教【スウィフト】には、加速度的に進行してゆく大英帝国思想と、その根底にある〈美〉と〈理性〉の主人としての人間という信仰をどこまでも虚構の産物として見る、距離の意識が保たれていた。(四方田『空想旅行の修辞学』p.362)"

・ガリバーはヤフーの毛髪で創った弾機(はじき)でもってウサギや鳥をとらえたこともある。

・フウイヌムとはこの国の言葉で馬という意味であり、語源は自然の完成物。

フウイヌム語には、嘘や偽りということをあらわす単語がない。
よって「ありもしないこと」と表現する。

・フウイヌムは、ガリバーの外皮がヤフーと違っていること、頭と顔以外は普通の毛髪や皮膚が全然ないのを見て非常に驚く。

(服を着る発想がない。
服という単語もないだろう。




裸になって嘘偽りのないことをお目にかけてほしいが、自然が隠せと教えているある部分だけは露出を勘弁願いたいと言うと、主人におかしいと言われる。
自然がみずから与えておきながらそれを隠せと教えるなどとはとうてい考えられない。

・馬の知るヤフーに比べて、主人公は皮膚がやわらかく、肌が白く、滑らかで、からだの方々に毛がなく、四足の爪の形状とその短いこと、きざな話だがいつも後ろ足二本だけ歩くことなど、ほかのヤフーどもとはがいぶ変わり種のようである。

・馬は船を知らない。

・ガリバーは、吾輩の国ではとにかくヤフーが唯一の支配的生物だと主張し、馬についてはヤフーが皮膚を磨いてやったり、たてがみを梳いてやったり足をほじくってやったり、食物をやったり、寝床をこしらえてやったりすると言った。
主人は、たとえヤフーどもがいかにその理性を自負しようともフウイヌムがお前たちの主人であることは明白だ。
(面白い視点)
そのあとガリバーは馬が受けるひどい扱いについても言及し、主人は立腹する。

・馬の国の言葉は単語の数がそう多くない。フウイヌムの感情や欲望は人間ほど種類が多くない。

・主人公の肉体をこき下ろす馬。顔が平たい、鼻が飛び出している、両目が真前についているので頭を向けないと左右どちらも見えない、前足を口もとまで持ってこなければなにひとつ食べられない。だから自然はただその必要のためだけにそうした関節を与えてくれているのだろう。足にいくつも裂け目がある。

(ヤフーは視野が狭い←文字通り物理的に狭い。
自然崇拝っぽいなフウイヌムの宗教。

馬がただの馬の見た目なのが重要。
翼があったりしたら面白くなくなる。)

・馬の国では動物という動物はことごとく先天的にヤフーを嫌悪している。

・フウイヌム語には権力、政府、戦争、法律、刑罰という言葉が存在しない。

・金銭が存在しない。よって、それに関するものも存在しない。
糊口をしのぐための、物乞い、窃盗、詐欺、売春斡旋、
偽誓、阿諛、買収、偽造、博打、
嘘八白、追従、恐喝、金銭目当ての投票、
売文、星占い、毒殺、淫売、偽善、
悪口、自由思想(過激思想)の鼓吹もない。

戦争が存在しない。よってそれに関するものも存在しない。
大砲、重砲、小銃、騎兵銃、拳銃、弾丸、
火薬、剣、銃剣、攻城、退却、攻撃、奇襲坑道、
対敵坑道、砲撃、 海戦、千人の乗組員もろとも沈没した艦船、
敵味方双方に出た二万人の死者、断末魔の呻き声、
四方八方に飛び散る四肢、
黒煙、阿鼻叫喚、 混乱、馬蹄による圧死、敗走、追撃、勝利、
犬や狼や猛禽の食うがままに放置された死屍累々たる戦場、
略奪、強盗、凌辱、償却、破壊もない。

・病気もない。
フウイヌムも死ぬ直前数日間は衰弱して気分がすぐれないとか、何かけがをして手足を傷つけることもあるのは理解できる。
が、自然、すなわち万物を完全へ、完全へと促し進めるこの自然が、われわれの肉体の中に、いかなるものにせよ、苦痛を生ぜしめようなどとはとうていありうべからざることである。むしろそうした不可解な禍の存在理由こそ、聞きたいと言う。

・ヤフーは光る石が大好き。
胃へに持ち帰って隠しておくのだが、ほかの仲間に見つかりはしないかとあたりを警戒する。
どうしてこうした不自然な欲望があるものか、またどうしてこんな石がヤフーどもに役に立つものか、フウイヌムには分からないが、
主人公が人類の習性だといって話したあの貪欲とまったく同じ原理に基づくものに違いない。
一度実験のために、その石を一つかみほどとってくると、紛失に気付いたヤフーは泣きわめいて悲しんだ。
主人は召使(当然馬)に命じて石をもとに戻した。
するとたちまち元気も起源も回復したヤフーはもっと屈強な隠し場所に移しそれからきわめて従順な動物になった。
(宝石だろうね。
この実験の動機は悪徳ではないのかな?

この石がスクーン石の比喩ではないだろう。



・ヤフーはある木の根が好き。その木の根の汁は酒と同じ効果がある。

この国で病気になるのはヤフーだけらしい。
フウイヌム語には病気を呼ぶ名前はすべてを含む総称
「フニア・ヤフー(ヤフーの禍)」
があるのみ。

”[54]我輩はこの国へ来て、まだ一年とは経[た]っていなかった。だがすでに我輩はこの国の住民をすっかり敬愛するようになり、もう二度と人間世界へは帰るまい、余生はこの実に感心なフウイヌムらの間で過し、ここには悪徳の手本もなければ、誘惑もないのだから、もっぱら徳を修め、善行を積んで、一生を終りたいと堅く決心したのであった。
(スウィフト『ガリヴァ旅行記』p.340)

[55]そもそもこのフウイヌム族というのは、先天的に道徳的な性向を賦与[ふよ]せられているのであって、だからいやしくも理性的生物に、どうして悪なるものが存在しうるか、彼らには全然理解もできないのである。彼らの大原則は、理性を磨[みが]け、そして一にも二にも理性によって行動せよ、というのである。……。
 友情と仁慈とはフウイヌムの二大美徳である。しかもそれは決してある特殊な相手に限られるものではなく、全種族に行きわたっている。
だからして、どんな遠い国から来た未知の旅人でも、まるで隣人同様の厚遇を受けるし、たとえ何処[どこ]へ行っても、まったく自宅同様の心安さでいられるのだ。(同書、pp.355-6)

[56]【フウイヌムの優生思想】
【フウイヌムは】結婚の際には、子供に不快な混血種が生れて来ないように、十分毛並の色を選択することを忘れない。男では力が、女では美しさが、最も尊重されている。だがそれは別に愛のためではなくて、種の退化を防ぐためである。その証拠に、女の方が力で勝っているような場合には、配偶者の選択はかえって容貌[ようぼう]に重点が置かれるのだ。若い者同士が夫婦になるのは、ただ両親と友人たちが決めるからそうするので……彼らもそれが理性的動物としての一つの義務だと考えている。
(同書、p.357)

[57]【フウイヌムのヤフー大虐殺】
……ヤフーが子を産み出すと、子孫はみるみる蕃殖[はんしょく]して、たちまち全国土に氾濫[はんらん]、蔓延[まんえん]するに至った。そこで、この害を除くために、フウイヌムらは大山狩りを行って、とうとうヤフーらをことごとく包囲してしまった。そして年老[としと]ったのはことごとく殺してしまい、若いのだけはフウイヌム一頭について二匹ずつ、小屋を作って飼うことにした
……。(同書、p.360)”
https://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/05/gulliver.html

・吾輩はこの国へきてまだ一年とたっていなかったが、住民をすっかり敬愛するようになり、もう2度と人間世界へは帰るまい。余生はこの実に関心はフウイヌムのあいだで過ごし、ここには悪徳の手本もなければ誘惑もないのだから、もっぱら徳を修め、善行を積んで一生を終わりたいと堅く決心した。


平然とヤフー絶滅論を出すフウイヌムにも悪徳はあるでしょ。
主人=主馬と呼んでいることも重要。ガリバーはどうみても主人を神格化している。
馬の神か!
家畜人ヤプーはこのあたりから着想を得ていて、
ヤフーをモデルにヤプー=黄色人種を創作



・フウイヌムの思想
そなたども(ヤフー)の政治、法律の諸制度は要するにお前どもの理性、したがってその徳性に重大な欠陥が存在するためであることは明らか。
なぜなら
理性的生物を統治できるものはただ理性あるのみだ。

(理性主義。

嘘とか虚偽とか戦争とか拝金主義の概念がなくても
優生学思想も差別も普通に実行してて理性的で道徳的ってめちゃくちゃ怖いな
。)


・友情と仁慈を重んじるフウイヌム。
原文は、

”Friendship and benevolence are the two principal virtues among the Houyhnhnms”
http://www.gutenberg.org/files/829/829-h/829-h.htm

なので、メイソンのモットーではない。

・フウイヌム族は理性的生物に悪なるものが存在しうるか理解できない。彼らの大原則は理性を磨け、一にも二にも理性によって行動せよ。
見解(オピニオン)という言葉の意味、すなわちある問題をめぐっていろんな議論が成り立ちうるということは主人に理解させるのに骨が折れた。
理性というものはただわれわれに確信のある問題だけにイエスだとかノーとか答えることを命じるのであって我々のしらないことはどうにも言えないはずだ。
だから間違った命題や、疑わしい命題に関して喧嘩したり口論したり討議、断定したりなどするのはフウイヌムたちの知らない悪である。

よく吾輩が物理学の体系を説明してやると彼はいつも笑っていたものだ。

(フウイヌムって他の思想を認めないのでは?)


・フウイヌム国ができて以来唯一というべき討議ともいうべき問題が、この地上からヤフーを撲滅するべきやいなや。
ヤフーはけっして最初からこの国にいたものではない。或る時突然山の上に二匹のヤフーが現れたというのである。そしてどんどん数が増えた。そしてフウイヌムはヤフーを殺しまくり、若いのだけはフウイヌム一頭につき二匹ずつ小屋を作って飼うことにした。
そしてこれ以上は望めまい程度まで飼いならされ、モノをひかせたり運ばせたりするくらいの用には立つようになった。
この伝説には多大の真実があるようであり、ヤフーが断じて、
イルヌニアムシ(原住民)でないことはフウイヌムならびに他の動物がヤフーに対して抱いている激しい憎悪を見ても明らかである。

大昔フウイヌムの山の上で発見されたのちのヤフー族となったと言われる二匹のヤフーは、吾輩の知る限りでは、この二匹こそどうも英国人だったらしい
ので、たとえばその子孫らの顔のぞうさくなどから見ても変わり果てているがそうらしく吾輩には思えた。

これって英国人はヤフーって言って非難している?
アイルランド人とは区別しているだろうし。

いつ肌が黄褐色になったのか謎



・フウイヌムは文字をもたないので知識はすべて伝承。
病気にかからないので医者の必要もない。薬草を調合した薬はある。
太陽と月の回転によって年の計算はするが、小さくに週にわけることはしない。
触の性質もしっているが天文学の進歩はこれがまずせいぜい。
詩においてフウイヌムに匹敵するものはあるまい。
鉄の使用を知らない。

死ぬときに未練はない。
死ぬ=シュヌウン(原初の母の許へ帰る)。
不慮の傷をのぞけば死因は老衰だけ。
70から75まで生きる。まれに80に達することがある。
(当時の人間より長生きってこと)

邪悪なものを表現する言葉がないので、
必要ある時は形容詞ヤフーをくっつけて表現する。

・フウイヌムの歩き方などを真似、習慣になった主人公。
人間に馬みたいだと言われても褒められている気になる。話し方も馬みたいになることがあり馬鹿にされるが苦にならない。
(馬鹿って訳語は意図的?
馬の骨、馬脚をあらわす)

フウイヌムを出るための船と帆にヤフーの皮を使用。船の隙間はヤフーの脂肪でつめる。
(自分はヤフーだとみなしているけど、ヤフーの毛と脂肪と皮を普通に使っているのがおそろしい)


《我輩は、自分の家族、友人、同胞あるいは人類一般といったものを反省してみると、どうもその形態からみても、性質からみても、まぎれもなくヤフーに相違ないように思えるのである。ただほんの少しばかり開けていて、言葉を話す能力を持っているとはいうものの、理性はかえって悪徳を助長、倍加することに悪用されるだけで、その点では、自然が与えただけの悪徳を、ただそのままで持っているこの国のヤフーの姿の方がずっと我慢できた。我輩は、フウイヌムらと話をして、彼らの姿を見るのを楽しみにしているうちに、とうとう彼らの歩き方、身振りといったものを真似てみるようになり、今ではすっかり習慣にさえなってしまった。だからこの友人たちから、貴様の歩き方はなんだ、まるで馬じゃないかなどとあけすけに言われることがあるが、我輩にはかえってそれが賞められているような気がしてしかたがない。》P370 

・主人公を追放せよという議決が下る。
フウイヌムの大会議の議決はフヌロアインと呼ばれ、近い言葉で訳すと、警告。
理性的生物に対して強制というものがあるはずのものはない。
あるのは忠告や警告だけだ。
なぜなら理性の命令に従わないような人間はみずから理性的動物であることの権利を放棄するようなものであるからだ。


・人間は言葉を持つが、理性はかえって悪徳を助長することに悪用されるだけで、その点では自然が与えただけの悪徳をそのまま持っているだけのヤフーのほうがまだましなくらいだった。

フウイヌムいわく、
ヤフーはまだ武器や貨幣を作るような知恵が無いから争いは小規模で済むが、お前達のように知恵をつけたらより凄惨な事態を招くのだろうな。

・ひさびさに人間に出会った主人公は
吾輩はフウイヌムたちの国から追放された哀れなヤフーである、だからこのまま見逃してもらいたい、とポルトガル語で答えた。
馬がいななくような吾輩の珍妙な声音にはとうとう彼らの方で吹き出してしまった。

嘘をつくというヤフーの支配国にのみ特有な能力はすっかり忘れてしまった。
(要は、この旅行記に嘘はないってこと)

服を提供されてもヤフーの体についたものはつけたくないので断った。

ヤフー族の一匹=妻と交合し、すでに一人ならず子までなしていることを考えると恥辱、当惑、恐怖ともまったく名状しがたい気持ちに襲われる。
妻に抱き着かれてキスされると気絶するほどにヤフー嫌いになった主人公。

はじめの一年間は妻子といっしょにいるだけでもたまらなかった。
においが我慢できない。
今日でさえなおパンに手を触れたり、ひとつ容器から物を飲むようなことは断じてさせないし、彼らに手を取ってもらうこともない。
金をためて一番に買ったのは二頭の種馬の子だが、立派な厩を造って飼っている。
次の吾輩のお気に入りは馬丁である。
彼が厩から持ってくる香りをかぐと心が読みがったような気分になる。
二頭の馬は吾輩のいうことをたいていのことならわかってくれるので、毎日少なくとも四時間くらいはいっしょに話をすることにしている。
彼らは馬勒(ばろく)も知らねば鞍も知らない。

ヤフーのにおいが我慢できないので鼻の穴にはいつも芸香(ルー)かラヴェンダーかたばこの葉をしっかりつめている。


(この馬って知能はヤフー並みじゃないの?
会話って幻聴?


バッドエンドじゃねーか!



”[59]『旅行記』には、一元的なユートピアは登場しない。ブロブディンナグは、国王のおおらかな政治方針のもとに統治されてはいるものの、乞食や皮膚病といった汚穢【おわい】が充満する国家であり、また「他の多くの民族が悩まされるのと同じ病弊に犯されていた」とされている。加えて学問は恐ろしく未発達である。逆にラピュタは、円形の閉鎖空間という点でもっともユートピア的地形を示しているが、住民たちは抽象的な学問に熱中するあまりに、現実に差し迫る危機を何ひとつ理解できない。バルニバビの土地は荒廃の極みにある。フウイヌムの馬たちは、啓示を欠いた「理性」を盲目的に崇拝し、悪徳から完全に免れてはいるが、同時に感情も懐疑も知らぬ無機的な生活を送り、ナルシス的な世界観のなかに閉鎖されつつ、ヤフーを残酷に排除しようとする。(四方田『空想旅行の修辞学』p.191)

[60]フウイヌムが嘲笑されるとすれば、それは彼らがけっして「他者」と遭遇しないために他ならない。実際、馬たちは対話とも観察とも無縁の存在である。主人馬はガリヴァーと長い対話を続けるが、厳密に言うならば、これは偽装されたガリヴァーの独白にすぎず、主人馬はどこまで進んでも自分の思い込み[ドクサ]から離れることもなければ、新しい認識にも到達しない。(同書、p.357)

【フウイヌムたちは、自らの「高慢」と「偏見」から決して目覚めることがない。ガリヴァはそうしたフウイヌムたちの「偏見」を共有することで、この上なく「高慢」になっていく。】


[62]よく湖や泉に映る自分の姿を見た時など、思わず自己嫌悪と恐怖の念にかられて顔そむけたほど、まだしも普通のヤフーの姿の方がずっと我慢ができた。我輩は、フウイヌムらと話をして、彼らの姿を見るのを楽しみにしているうちに、とうとう彼らの歩き方、身振りといったものを真似[まね]てみるようになり、今ではすっかり習慣にさえなってしまった。だからよく友人たちから、貴様の歩き方はなんだ、まるで馬じゃないか、などとあけすけに言われることがあるが、我輩にはかえってそれが賞められているような気がしてしかたがない。それにこれも正直に言っておくが、よく人と話している場合、我輩は、ふと俄にフウイヌムのような声音や話し方になることがある。おかげでひどく馬鹿にされることもあるが、それがなんと少しも苦にならないのである。(スウィフト『ガリヴァ旅行記』pp.371-2)



[65]てっきり我輩を死んだものとばかり思っていた妻子たちは、非常な驚きと喜びとをもって迎えてくれた。だが正直なことを言うと、彼らの姿はいたずらに憎悪と嫌忌[けんき]と侮蔑の念を起させるばかりだったし、ことに彼らが近親者であることを思うとよけいにそうだった。……我輩の記憶と想像とは、あげて常にあの高潔なフウイヌムたちの美徳の上にあったのだ。しかもその我輩自身が、ヤフー族の一匹と交合して、すでに一人ならず子までなしていることを考えると、恥辱とも、当惑とも、恐怖とも、まったく名状し難い気持に襲われるのであった。
 家へ入るやいなや、妻は我輩を両腕に抱いて接吻[せっぷん]した。だがなにしろこの数年間というもの、この忌[いま]わしい動物に触られたことなどほとんどなかったものだから、たちまち一時間ばかりも気を失ってぶっ倒れてしまった。(
スウィフト『ガリヴァ旅行記』pp.388-9)

[66]第四旅行記の最終章に記された以下の一節は、ヨーロッパの近代文学において植民地思想を最初に批判したくだりとして、歴史的意義をもっている。(四方田『空想旅行の修辞学』p.21)

[67]【探検物語を終えようとするガリヴァは『ロビンソン・クルーソー』的な植民地主義を徹底的に否定する。】
たとえば一隊の海賊が、暴風雨に吹かれて何処[どこ]とも知らず漂流し、ついにボーイの一人が檣頭[しょうとう]から陸地を発見する。上陸して掠奪[りゃくだつ]する。無辜[むこ]の住民に邂逅[かいこう]して、親切な待遇[もてなし]を受ける。そして国土に新しく命名し、国王のために領有宣言を行って、記念に腐った板切れや石柱を建てる。それから原住民が二、三十人殺され、一組の男女が見本に無理に連れて行かれる。そして帰国すれば、彼らの罪業[ざいごう]はすべて特赦を受ける。さてここでいわゆる神権享有者【神に権力を与えられた国王】の名前によってなされる新領土の礎石がはじまるのだ。すなわち、さっそく船が派遣されて、原住民たちは放逐されるか、殺戮[さつりく]されるかするし、酋長[しゅうちょう]たちは拷問[ごうもん]の苦しさにすっかり所有金[もちがね]を吐き出してしまう。あらゆる残忍、貪婪[どんらん]が公々然と許容され、大地は民の血に腐臭を放つのだ。そしてこの敬虔[けいけん]きわまる遠征に従事する呪[のろ]うべき殺戮者の一隊こそ、実に彼らのいわゆる偶像崇拝者である蛮民どもの改宗、開化を目的に送られるという、近代植民の実情であるのである。(スウィフト『ガリヴァ旅行記』pp.395-6)

[68]ここには大英帝国が一八世紀という「航海の時代」に、大洋に浮かぶ無数の未知の島々で行なった強奪と領土保有の宣言行為とが、いかなる虚飾もなしに語られている……。スウィフトをして時代の膨脹主義的イデオロギーからかくも冷静な距離をとらしめたのは、彼が他ならぬイギリス最初の植民地【アイルランド】に身を置いていたという事実に他ならない。(四方田『空想旅行の修辞学』p.22) ”
https://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/05/gulliver.html


名作だったよ。
さまざまものの元ネタになったものを読んでおくと、
派生が元ネタをどう変えたかわかるからオススメ。
~思想の元ネタは~思想をさかのぼり、一番初めを学べばいい。



参考資料

翻訳で読む18世紀イギリス小説 第2部 (2005年12月10日 13:05-15:20)
スウィフトの『ガリヴァ旅行記』
https://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/05/gulliver.html
からいろいろ引用している。
この記事の引用も
スウィフト作、中野好夫訳『ガリヴァ旅行記』
からなので採用。

ジョナサン・スウィフト著、中野好夫訳『ガリヴァ旅行記』(新潮文庫、1951年)[原著1726年]

富山太佳夫『「ガリヴァー旅行記」を読む』(岩波書店、2000年)

四方田犬彦「ガリヴァー旅行記」『世界の幻想文学・総解説』(自由国民社、1993年)

四方田犬彦『空想旅行の修辞学――「ガリヴァー旅行記」論』(七月堂、1996年)

スウィフト 世界史の窓
http ://www.y-history.net/appendix/wh1003-074.html





「異世界ファンタジーに日本語や外来語が出てくる問題」の7つの解決法(※ステマ注意)
http://d.hatena.ne.jp/Erlkonig/20140928/1411899522
”解決法1. 深く考えない

解決法2. むしろ積極的に混ぜていく

解決法3. 特定の言語のみで記述する

 とはいえ、日本特有の文化を前提とした言い回しや、外国由来の概念を和訳した熟語なども沢山存在するため、言葉の歴史的経緯などを突き詰めていくと語彙選択の判断はかなり難しくなってきます。「矛盾」は中国の故事成語に由来してるからダメだとか言い出すと、使える語彙はかなり限られるでしょう。迂闊に仏教由来の言葉を書いちゃったばかりに作者の死後までネタにされちゃう怖ーい世界です。

解決法4. 日本語話者を主人公にする

 日本人が異世界にワープしたり転生するタイプの作品だと、「主人公の一人称によって地の文を記述する」ことでかなり無理なく言語の問題をクリアできます。もちろん現地の人々は現地の言葉を喋っているはずですが、主人公本人にさえ理解できていれば「日本語で認識し直している」という体裁で日本語一人称の記述を理由づけることが可能でしょう。

解決法5. 異世界語が日本語に翻訳されているという設定にする

解決法6. 逆に異世界人に日本語を喋らせる

 逆転の発想として、異世界に日本語を浸透させることでみんな日本語を喋っている、という状況を作り出してしまうパターンも考えられます。日本語を喋る、ということは文化背景のある言い回しや日本語に取り込まれた外来語等も扱えるということになるので、中国由来の故事成語はどう扱うべきか等の諸問題が一挙に解決してしまいます。私の知るところでは、

解決法7. 典礼言語扱いする


 大雑把に言うと、日常言語としては使用されていなのだけど、宗教的、神秘的文脈においては「秘された言語」として儀式的に使用されていることにするパターンです。仏教におけるサンスクリットの梵字や真言のように、あえて現地語に翻訳せず原語のまま記述・発音することである種の意味や力が生まれるという発想を利用するわけですね。”

「ドン・キホーテ」はスゴ本
http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2010/02/post-279f.html
”冗談さておき、「ドン・キホーテ」がスゴいのは構造とキャラクターが互いに影響しあっているところ。実はこの物語、次のような多重入れ子構造になっているのだ。

  セルバンテスが編集する
  [
    無名の誰かが翻訳する
    {
      ベネンヘーリがアラビア語で書いた
      (ドン・キホーテとサンチョの物語)
    }
  ]

 つまり、「ドン・キホーテとサンチョの物語」は、いったんアラビア語で記され、そいつをセルバンテスが偶然発見し、アラビア語に堪能な人に翻訳してもらったという触れ込みで始まるのだ。”

もしも日本語が通じずに他の言葉を習得するには?
https://togetter.com/li/1147737

異世界に転生して日本語が通じなかった場合の対処法が判明
http://blog.livedoor.jp/qmanews/archives/52198988.html




https://kakuyomu.jp/works/1177354054883808252/episodes/1177354054883866227
” 1906年、とある東京帝国大学の学者であった彼はアイヌ語の調査のために北海道に渡った。

 彼はとにかく「何」という一言を求めていた。それが分かれば物を指して、「何?」と訊くだけで名詞をどんどん習得していくことができるのだ。彼はそこでアイヌの子供にわけのわからないぐちゃぐちゃを描いて見せた。すると、アイヌの子供たちは怪訝な顔をして、「へマンタ?」と訊いてきたのである。アイヌ語の「何」を指す単語へマンタを習得した彼は、滞在した40日の間、大抵の話は出来るようになっていた上に大体のアイヌ語文法と多くの語彙、口承伝承の調査が出来るようになっていたのである。

http://d.hatena.ne.jp/gornergrat/20120120/1327073036
”確か中学時代(昭和29年ごろ)の国語の教科書に「心の小径』という教材があった。私は余り勉強は熱心でなかったのだが、その概要を今でもよく覚えている。国語の授業で教えてくださったのは今もご健在のK子先生である。

 これは金田一京助が25歳の時、アイヌ語調査のために樺太へ渡り、全く知らないアイヌ語をどのようにして収集したかについて書いたものであった。今はその教科書は手元にはないが、十数年前に購入した新潮新書「金田一京助」(藤本英夫著)には、教材のもとになった一部が載っている。 

 ただ私は「何?」という一語がほしくなった。それさえわかれば、心のままに、物を指して、その名を聞くことができるのである。そこでふと思いついて、もう一枚紙をめくって、今度はめちゃくちゃな線をぐるぐるぐるぐる引き回した。年かさの子が首をかしげた。そして「ヘマタ!」と叫んだ。するとほかの子供も皆変な顔をして、口々に「ヘマタ!」「ヘマタ!」「ヘマタ!」

 「うん! 北海道で『何』のことを『ヘマンダ』という。これだ」と思ったから、まず試みようと、身のまわりを見回して、足元の小石を拾って、私からあべこべに「ヘマタ?」と叫んでやった。

 驚くべし、群がる子供らが私の手元へくるくるした目を向けて、口々に、「スマ!」「スマ!」と叫ぶんではないか。北海道で「石」のことを「シュマ」という。してみると、「スマ」は「石」のことで、そして、「ヘマタ」はやっぱり「何」ということに違いなさそうだ。

 中学生の私は、アイヌ語やアイヌ人、樺太、そして金田一京助についても何の知識もなかったと思う。それ故にかえってアイヌ語やアイヌの子どもたちに興味を持ったのかも知れない。特に、アイヌの子どもたちから「ヘマタ」を引き出して、その言葉を駆使して次々にいろんな物の名称や表現の仕方を収集していった発想に感動したに違いない。

 著書『金田一京助』によると、彼がオポチョッカ村に40日の滞在後、帰る頃にはたいていの話は支障がなくなった上、樺太アイヌ語文法の大要と、4000の語彙と『北蝦夷古謡遺篇』3000行の叙事詩の採録ができたのである。”




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