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読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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資本主義国家の神は金と国と法人!理想的ワンワールドはイスラームがすでに達成していたがキリスト教勢力が破壊!『一神教と国家』『失われた宗教を生きる人々』 

世俗主義にすると神が国とお金と法人になる!
資本主義国家の3大神は金と国と法人!
世界一人を殺している生物は法人(白人製)!
理想的ワンワールドはイスラームがすでに達成していたがキリスト教勢力が破壊!
イスラーム流のワンワールドは住み分けOK、内心には踏み込まないから、
要は文化と宗教の多様性を認める!
移動の自由は絶対なので国境でやたら区切ることはしない!

内田樹は日ユ同祖論とユダヤ陰謀論を否定!
















(碧眼。銀髪。英国国教会信者。リンゴ=知恵の象徴を持つ。
十万三千も数秘術だろうけど元ネタ不明。13?)



内田樹・中田考『一神教と国家――イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』集英社新書


イスラーム学者の本は今のところハズレがゼロなんだよね。
その中でも特に中田考・内田樹『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』(集英社新書)は当たり本。
内田樹と中田考の対談本。

内田樹は合気道+フランス人脈だろうけど、
大本教の教義である日ユ同祖論とユダヤ陰謀論を否定しているからね?
内田はユダヤ教徒にして有名な哲学者レヴィナスのフランス語著作の翻訳もしている。

・ユダヤ教では豚肉、ウナギ、エビ、カキ、イカ、タコなどの海産物もダメ。
シーア派エビや魚は食べるが、タコや貝は食べない。
(311以降海産物を食べない宗教信者の方が寿命が長くなる傾向になるだろう)

・イスラームでは男に対してはそれほど服装規定はなく、
とにかく膝からおヘソまでを隠せとなっていて、あとはトップレスでも構わない。
実際にはそんな恰好で街中を歩いてる男はいない。
むしろサッカーやボクシングなどのユニフォームなどのほうがまずい。
膝が出ちゃっているので。
女性は手首から先と顔をのぞく全身を覆うのが基本。
(見た目がいい女性は狙われるからその対策でもある。
化粧やファッションに心奪われることも防げる。)

ひげを伸ばすのは義務ではないという説もあるがハディースには、あごひげは手でつかめるくらいに伸ばしなさいとある。
くちひげは切るか剃る。
中田の頭は坊主だが決まりではなく、散髪が面倒だから。
帽子にも意味はない。頭をそったばかりなので青々としていて皆さんが気持ち悪いかなと。

・内田「この道場、神棚があるし、植芝盛平の写真も飾ってあるけど気にしないでくださいね」

中田「イスラームもそれほど厳しくはない。イランなどは原理主義の総元締めのことくに言われてますが、
ホメイニ師の特大の写真が飾ってあってりしますし。
なぜかというと、写真は偶像ではなく影だという判断で、鏡と同じようなものだからいいそうです。


戒律も実はそんなに厳しくない。人間の自由度はあくまで慣れの問題。
日本にもある。サラリーマンが夏でもスーツとネクタイ。今ではクールビズのおかげで軽装になった。
でもこんなに暑いのに俺はなんで服を着ているのだろう、脱いでしまって裸になったりシャツとネクタイをむしり取ったりしない。

女性のヒジャーブ(スカーフ)もそれと同じ。はた目には戒律を守っているように見えるかもしれないが、必ずしも宗教意識ではない。
別に窮屈だと当人たちは感じていない。イスラーム世界では当たり前。

フランスなどでムスリム女性にヒジャーブをつけさせるのは抑圧だといって禁止していることについて。
フランス人はフェミニズム的にそういうふうに教え込まれているからであり、
そういうふうに教えられていなければ抑圧なんて思わない。
もともとあれは女性の身体を目立たないように隠すのが目的。
それが立法趣旨なのに特にアフリカや東南アジアなどでは原色のものすごく派手な、日本だったらとってもこんな格好して歩けないぞっていうくらい派手なのをつける。
トルコなどはすごく洗練されていてスマートなのですけど、彼らは完ぺきにファッション
。実際有名デザイナーがデザインしたものもたくさんある。
ヨーロッパのファッションショーに出ているものもある。

(パリコレもイスラーム服装の排除にかかわっていそう。商売敵が減るからね。

ムスリム女性には髪の毛を見せるのは恥ずかしいからつける人もいるらしい。つまり無理やり脱がせるのはセクハラ。
あれ~フランスはセクハラは許さないんじゃなかったのかな~?
ああそうか、ムスリムは「人」じゃないから人権はないんだね!
人権も民主主義も世俗主義も無神論も啓蒙主義も結局はキリスト教思想の根本は否定しないもんね!
フランスもどこまでいってもヤソから逃れられないよね。
カトリックを潰しても別の奴ら、世俗主義至上主義のメイソン教が異端審問やっている。
イスラームを受け入れたり共存しようとしないグローバリズムや文化相対主義は偽物だから注意ね!)

決まりを守るという点では日本の方がずっと厳しい。
服装はみんなきちんとしているし、
電車は時間通りに来るし、中田先生は今日もこの約束(おそらくこの対談)に二分ほど遅れて焦ったのですがそれって外国人から見たら「なぜ!」ですよ。
たった二分をなぜそんなに守るのかと。
日本社会の儀礼の方がはるかに煩瑣。
(しかもこの時間に異常に厳しいカルトの誕生原因もまたカルヴァン派キリスト教)


マナーに外れたものへのまなざしも厳しいですね。
他国の人から見たら日本人ほど戒律をよく守る民族はいない。

(世界一カルヴァン派に忠実だもんね。
不要なマナーを作るのも好き、
他人の内心に平然と踏み込むのも好き。
FF外から失礼します、が典型的。
ツイッターでこれ以上変なローカルルール作るなよ。
ツイッターは構造上知らん人が話しかけられるシステムになるように組んであるだろうが。そんなに話しかけられたくないなら鍵かけてくれ)

中にいれば全く不自由は感じません。イスラーム圏では豚肉はそもそも存在しません。
なければ食べたいとは思わない。
礼拝もそう。礼拝のあいだ休めるし、仕事するより礼拝しているほうが楽。
礼拝に行くというと、絶対に止められない。
どんな労働をしていても中断してよい。礼拝の権利を妨げるのはたいへんな罪。
モスクで寝ている人がいる。

イスラームは許す文化であり、
吝嗇は最大の恥。
目には目を、歯には歯を
が単純な復讐法だと思っている人が多いが、
厳密にはそうではなくて、
イスラームの場合はゆるすのが一番いい。
クルアーンにはっきりと書かれていて、
人の罪を許すと自分の罪の償いになるので許すのが一番いい。
けれどもそれができない場合には同じことをやり返してもいい。
しかし自分がされた以上の過剰な復讐は決して行ってはならない。

ユダヤ教では目を潰されたら目を潰さないといけない。義務であり厳しい。
キリスト教だと汝の敵を許せなので許さないといけないので厳しい。
しかしイスラームは二段構え。

(合理的だね。汝の敵を許した現クリスチャン支配層を見たことがないのはなぜだろう?)

またイスラームは施しの文化であり、
困っている人に分け与えることをとても良しとする。
たしかに、ぼったくりはある。
百円のものを五百円でうりつけるとか、そういうところは日本人にたいへん評判が悪いのですが、
彼ら的には問題なくて商売として強欲なのはOK.
しかし人間として共有すべきものは共有すべきだというシェアの思想は厳然としてある。
例えばタクシーに乗ったら運転手さんがお水を飲んでいて目が合った。そのときにお客さんに「どうぞ」とすすめないのはとんでもないこと。これはやらにあのはどけちであり末代までの恥。
日本では強欲とケチをわけないがイスラームではまったく違う概念。
強欲はかまわないが、ケチ、吝嗇は最大の悪口。
強欲はタムウ、
吝嗇はブフルで言葉からまったく違い、まったく別の概念でありかなり普遍的に身体化されたエートス。宗教的に熱心でない人にも共有されている。

ラマダンも施しの文化。
日の出から日没まで飲食禁止で、日が暮れてから解禁となり、
市中のモスクやレストランで食事がタダでふるまわれる。
教会と違ってモスクはメンバーシップがないので誰でもは入れてお金がなくても食べられる。
日が落ちると人がいっせいに集まってくる。
ドゥユーフッラフマーン
といい、
アッラーの客
という意味。
メニューはお肉とかもありわりと贅沢。
貧乏な人でもラマダンのときには腹いっぱい食べられる。しかも一か月。
かなりよくできた福祉制度。
今どきの洗練された考え方では、
魚をあげるよりも魚を釣る方法を教えなさいと言うが、
やっぱり食べ物を配る方がいい。
絶対に。
やり方を教えたって現実にはできない人の方が多いんですから。


内田も同様にまず食べ物をあげるべきだと賛同。

イスラームでは施しの考え方が発達しているので、
普段からパンくらいは恵んでもらえます。
そのうえ、一年のうち一か月はたらふく食べられる。
日本の貧しい人、おいしいものを腹いっぱいになんかまったく食べられてませんもの。」

(このメモは必ずしもどちらがしゃべったか書きません。
まあイスラムについて詳しくしゃべっていたら中田先生なのはわかるけどね)


(釣る方法を教えないさいって言いだしたのっておそらく生活に余裕がある人だろうね。
餓死したら魚は釣れません。
魚がかかるまえに死にます。

財布を落としましたという表現はぜひ覚えておくこと。これ言うと変な奴が来ても去っていく)

喜捨の文化が発達している。
喜んで捨てるのでいやいやではなく進んであげる。
喜捨すると死後天国で報われる。
厳密には喜捨には義務のものと任意のものがあって、
義務のものは公然とやるので名誉みたいなものを得られる。
任意のものは人知れずやるのでその分来世で報奨を得られる。

大学に行ったりする世俗教育は有料だが、
今でもイスラーム教育は初等教育から高等教育まで無料。
どこへ行ってもタダ。
医療はグラデーションはあるが無料のところが多い。
社会主義の国は社会主義だから無料で、
湾岸の豊かな国は豊かだからという理由で無料。
ただし有料のところのほうが質やサービスがいい。

(イスラーム圏ではよほどのことがない限り餓死しない理由)

ミネラルウォーターに誰かが自分の名前を書いて置いておいたら、
現地人がこんなやつと一緒に働けないとすごく怒った事件がある。
イスラーム圏では水は回し飲み。
砂漠で水は貴重であり、私有、占有してはならない。
日本人から見ると貴重だから独り占めするほうが合理的に思えるので、言われた側はなぜ咎められるのか意味がわからなかった。
イスラームでは水だけでなく分かち合うものは多い。
食事は大きなお皿に盛ってみんなでわける。
イスラームではお茶も自分でついで飲むことはない。
つぐ人間がみんなのところを回る。

日本もそうだった。来客にお茶も出さないのは基本的に喧嘩腰。

たばこも。中田は吸わないがイスラームではたばこをみんなで楽しむ文化が伝統的にある。

自分がほしいものはまず他者に贈与して、他社から反対給付をうけるかたちで手に入れるのは共同体の基本ルールだったと思うんですけどね。

hystericな禁煙・嫌煙イデオロギーって本質的には健康志向ではなく反共同体志向。
禁煙運動を地方自治体レベルでやっている政治家っておおかた新自由主義者、つまり自分のものは自分のもの、他人のものは他人のもの、資源の共有は嫌でわかちあいの発想がない。
嫌煙は本質的に吝嗇の文化だと思う。
イスラームでは共有する文化が大勢。

(呼吸器が弱い人にとって煙は地獄だよ!咳が止まらなくなる
=呼吸困難になるよ!

タバコ弾圧ってイスラーム弾圧でもあるのだろう。
でも放射線で汚染されたたばこはダメです。
国産たばこはアウト。
添加物と放射性物質が含まれるからタバコでがんになるのさ。
本来の無添加有機海外産たばこは薬なのさ。
でないと支配層がたばこを吸うわけないでしょ?)

中田
今日のユダヤ教はラビ・ユダヤ教で、キリスト教とほぼ同時期に並行して成立したもの。

(とんでもなく重要なこと言っているぞ)

キリスト教も成立当初には後にユダヤ教と呼ばれるようになる別の宗教と別の宗教という自意識はなかった。それ以前の宗教は便宜的に古代ユダヤ教と呼ぶこともあるが、イスラエルの民の宗教としか呼びようのない名無しの宗教だった。
アダムがユダヤ教徒だったと言う者はいない。
イスラームでは単純明快、神の啓典を授かった者はすべて預言者であり、
アダム以来の神の宗教はすべてイスラーム。
イスラームはユダヤやキリストと異なり、服従や帰依を意味する一般名詞であることが、イスラームの普遍主義を示し象徴的。
モーセが授かった律法はヘブライ語聖書ではなく、
イエスが授かった福音は新約聖書ではない。
聖書記者たちが編集したモーセの伝記、イエスの伝記だから。
イスラームにとっては、預言者ならぬ人間の言葉を聖典とし、権威に祭りあげることであり、
許しがたい被造物神化である。
イスラームがアダム以来の預言者たちのオリジナルでありキリストとユダヤ教は歪曲されたもの。」

(服従と帰依は唯一神アッラーにのみする
「ので」
他のいかなる存在=被造物を神格化して服従も帰依しないって意味ね。
だから後述のハラール認証は悪。
政府の神格化につながる。というか今の国民国家では国家は神)

食べてよいものだと許可する印をつけたハラール印がある。
中田はイスラームに反する多神崇拝の大罪ではないと思っている。
許可はハラール、
禁止はハラームというが、
クルアーンやハディースには個別の食品ごとに書いてあるのではない。
盗んだものは食べてはいけないとか、
合法的でない取引で獲得したものは食べていけない。
判断はムスリムが個人ですべき。
権威を装ってハラール、ハラームを決めて強制するのは神の大権を冒すたいへんな冒涜。
イスラームでは神以外に立法者はいない。
ラビや司祭などが神の名のもとに権威としてふるまうことがユダヤ教とキリスト教への批判の主要な論点の一つ。
イスラームに聖職者はいない。
ハラーム証明などというものを強制するのは神の大権の簒奪に等しい大罪。
マレーシアとインドネシアがまず始めて、中東にも広がってきた。
マレーシアにはハラール水もある。
政府の息がかかったイスラーム機関が出している。

イスラーム圏では
こっちからこっちは俺の領分だから入ってくるな
って感覚は希薄。
共生し共有するのが基本。
イスラームの人は共同生活が好き。
マレーシア人などは一人暮らしなんて寂しくて死んじゃうってくらい。
イスラーム世界では人と人のつながりをすごく大事にする。
大事にするというか、依存するというか、すり寄っていくというか、
ちょっと親しくなるとすぐ頼りにする。


ユダヤのネットワークもすごい。僕たちには想像できないくらい強固な宗教的・民族的ネットワークを持っている。
だからユダヤの陰謀なんて言葉が生まれてくる。
別にユダヤ人が世界支配するために作った中枢的な機関なんか存在しないんですけど、
彼らが僕たち日本人には想像できないくらいに緊密なネットワークを持っていることは事実ですね。紀元前から存在しているわけですから、これも一つのウンマ(共同体)だと思います。


内田は能楽の稽古をしているが、
能楽では旅の僧が山の中とか海辺とかを旅しているときに日が暮れて一夜の宿を請うところから始まるのが多い。
約200曲のうちたぶん50曲ぐらいがそういう話から始まるんじゃないかな。
不思議なことはこれがどれもまず断られるんですね。
結局泊めるのに最初からお泊りくださいという話はほとんどない。
日本はたとえ泊めてもまずは断る文化。

イスラームだと来られたら泊めないといけなくて少なくとも三日間は客人としてもてなさねばならないのが義務。

ヨーロッパでも南の方はノマド的でスペインとかではバックパッカーを気軽に泊めるみたいですね。
突然知らない若者が訪ねてきて、こないだおたくの息子さんと旅先で知り合った者です、だから泊めて
とかそれだけでも泊めちゃうらしいですね。北の方はそうでもないみたい。
アメリカもいきなりピンポンして泊めてはない。

(スペインってイスラム圏だったじゃん。

能楽でも登場する宗教家は坊さんつまり仏教徒ね)

レヴィナスは正統派ユダヤ教徒の哲学者で内田の専門。
レヴィナスはリトアニアのミトナグディームという非常に知性的なユダヤ教の流れに連なる人。
東欧のハシディズムはかなり情緒的・感性的なユダヤ教のかたちだが、
ミトナグディームは知性的で学問的なユダヤ教徒。
同じ一神教の仲間なのでキリスト教とイスラームに対しては繰り返しエールを送っている。
戦時中ヴィシーの反ユダヤ政策の実施を拒否したムスリム君主ムハンマド五世への敬意を表している。


内田
「ニューヨークのジェイコブ・シフというドイツ系ユダヤ人の銀行家がいて当時のアメリカの財界に君臨した大物。
彼はロシアでのポグロム(ユダヤ人迫害)についてロシア皇帝に深い恨みを抱き、当時ロシアとの開戦に備えて戦時公債の引き受け手を探していた高橋是清と会ったことを奇貨として日本を財政的に支援して帝政ロシアを打倒しようと考えた。国際ユダヤ資本に指示して日本が起債した戦時公債を買い取った。
同時にロシアの戦時公債の買取を拒否させた。シフと世界のユダヤ人の金融ネットワーク支援で合計二億ドルの戦費を調達できたことで日本は日露戦争に勝てた。
戦後シフは日本に呼ばれて明治天皇に拝謁して勲一等旭日大授章という勲章をもらっている。
これは日本人のユダヤ人観に深い影響を及ぼした。
一つはユダヤ人は親日だというある種の主観的願望。
もう一つはユダヤ人は戦争を買うことができるほどの超国家的勢力であるという恐怖に似た感情。
ユダヤの国際的ネットワークで日露戦争に勝った事実は一般の日本人には開示されなかった。
でも大日本帝国の指導部には重要情報として共有されていた。
石原莞爾が満州にユダヤ人の自治州を作ろうという計画をいいだした。
対米最終戦争で雌雄を決するまで戦争は先延ばしにしたいのでユダヤ人と組んだらどうだという話。」

中田
「河豚計画。
日猶同祖論というものもありますがほんとなのですか?」

内田
「ウソです。
日猶同祖論についていろいろ調べたことがある。
明治末期、日露戦争後に出現し、戦後はしばらく忘れられていたが今また出てきている。
言い出したのはスコットランドの商人で、明治初期。
日本はユダヤの失われた十部族の末裔だという説を唱えた。
でも自分たちとユダヤ人のルーツが同じだという話は世界中にある。
このスコットランド人は、
スコットランド=ユダヤ人同祖説という故郷で聞き覚えた物語を日本に適用しただけ。
アメリカにはインディアン=ユダヤ人同祖論説もあるし、
黒人=ユダヤ人同祖説もある。」

(黒人・インディアン=ユダヤ人同祖論説はどう見ても布教用。

内田は同祖論否定。ユダヤ陰謀論も否定(力はあることは認めている)。つまり大本教系が唱える同祖論と陰謀論の否定。
これが私が学者の立場を見極める基準で重視しているものの一つね。
現代オカルトの根源の著者も同祖論否定だし。
同祖論については英語とフランス語でも調べてほしかったな。ロドリゲスが登場する。
マクラウドが商人だとは確定できないよ。マクラウドはビジネスマンか、宣教師。

石原莞爾は国柱会と一緒に調べましょう。

私は別にユダヤ資本ネットワークが存在しないとは言っていないからね。
さらに親分がいる、かつユダヤ教徒でない奴もいると言っている。
ユダヤの中身が単なるクリスチャンでヘブライ語聖書もタルムードもまったく学んだことがなかったりする。
ユダヤ系クリスチャンって何?
親がユダヤ教徒で本人がキリスト教に改宗したってこと?
それって単なるキリスト教徒じゃね?
超国家勢力にキリスト教が含まれない謎。
世界中のどこ行っても教会はあるらしいよ。
シナゴーグはないらしいよ)


内田
「日本の軍部はイスラームに興味を持ちましたよね。
あのころイスラーム学の組織や友好団体を立ち上げた人たちは頭山満、大川周明をはじめ右翼が多かったのですがどういう説明がつくのでしょうか」


(ヤソ系の万教帰一側ばかりがイスラームを持ち上げているのに注目)

中田
「政治的な側面、特に中国に対抗するための戦略としてイスラームを利用した側面が強いと思う。ウイグルやマレー人などムスリム諸民族を漢族、華人と対立させ、イスラームとの連帯をうたってムスリム諸民族を味方にして中国を支配し、ムスリムの多いマレーシア、のちのインドネシアなどの石油など天然資源が豊富な東南アジアの国々を植民地化して欧米と対決しようとしたのではないでしょうか。

日本人がイスラームに対して同じアジアの宗教だという親近感の意識を持っていた。
イスラームはアニミズムと一神教を両方兼ねる。
神と便宜的に訳されるアラビア語のイラーフとはまるで違う概念なのでアニミズムにあたる部分に対して神々というような言葉を使っていないのでアッラーばかりが唯一絶対の感じがするが実は全部含まれている。
アニミズム的なものも事実としてあると認めたうえで創造主は一人という考え。ユダヤ教はどうですか?」

内田
「ユダヤ教の場合は神秘主義やハシディズムが比較的多神教のにおいがする。
ハシディズムの場合は千里眼とか空中浮遊する聖人に対する民衆的な信仰がある。

カトリックは布教の過程でゲルマンの土着信仰と接触して、習合的な聖人崇拝を生み出していくがアニミズムとまではいえない。」

中田
「同感。
非アニミズム的。人間だけが理性を持った生き物で、それ以外はすべてモノであるといった考え方が強い気がする。だからこそ近代的知性や合理主義のけん引役になったのでしょうけど。
先ほどのノマドの話もそうだが、一神教の中でもキリスト教はやっぱり異質な部分が多い気がする。
徹底した人間中心主義で世界を認識していく。

イスラームは異端審問のように人の内心には踏み込まない。人の内心はわからないと考える。イスラームにはそもそも教義決定機関がないのでキリスト教的な正統と異端という概念はありえない。魔女じゃないと本人が言っているのに無理やり魔女だと言わせるのはない。自分が違うと言ったらおしまい。自己申告。
異端審問的な事例はあるが非常に少なく宗教的というよりも政治的な問題。

また自分の宗教が知られると身に危険が及ぶ場合には信仰を隠すことをタキーヤといい、
シーア派では命じられており、スンナ派でも許されている。
内心の問題を神にゆだねて詮索しない柔軟性も千年以上にわたって多宗教が共存する中東アジアに根を張るイスラームの特徴の一つでしょう。
それに対してよくも悪くもキリスト教の西欧文化は人間の内面に精神というものがあると考える。
確固としてあると考えすごく重視する文化。
一方イスラームではあまりそういうことは考えない。そもそも内面に最初から悪魔とか悪人とかいろんなものが入っていると考える。それが当たり前だと考える。」

内田
「内面より行為というのはユダヤ教もそうです。
戒律か信仰か、形式的な正義か内面的な正義かというのはユダヤ教とキリスト教の最大の対立点。
新約が激しく批判するのはユダヤ人たちが内面より行為を重んじること。
ユダヤ教はある種のリアリズムだと思う。
心では慈愛にあふれているけれど貧者に何も差し出さない人間よりは、
心は何を考えているかわからないけれど貧者に食べ物を恵む人間の方を重く見る。

その人が何であるかではなく何をなしたかに基づいて人の価値は考量されるべきだという考えはマルクスの思想そのものですが、
このきっぱりと内面を無視する態度はユダヤ教の系譜から生まれてきたものだと思う。」

利他をおこなわせるなら、外から見える行動を内面より重視する方がいいよね

中田
「ですからカトリックの告解制度は恐ろしい制度だと思う。
内面を暴き出して人を支配していくってことですから。
イスラームでは罪を犯してもできるだけ人には言わない。
あくまで神と自分の関係とする。
対してキリスト教は人の心を他人が知ることもできて支配することもできると考える」

内田
「内面にフォーカスするキリスト教は一神教としては例外的なかたちなのかもしれませんね。神と人間の距離が近くて人間の内面の言葉を聞き取ってもらえるわけです。
ユダヤ教では神との距離は絶望的に遠い。戒律の理由も説明がつかない。
人間世界の実用性や合理性に基づいて戒律の適否や意味を論じてはならないということを叩きこむために戒律はあるんじゃないかと思う。
キリスト教だと戒律の採否は人間側に決定権がゆだねられる。」

(カトリックの告解制度って要は弱みを握るってことだもんね。
キリスト教だけ一神教のくせに人間中心なのは正しい)

ミトナグディーム
(反対者。ミスナグディーム)
=十八世紀に起こった立法研究よりも祈祷を重視したハシディズムを異端視した正統派ユダヤ教徒による運動。


ハシディズム
=十八世紀の東欧でイスラエル・ベン・エリエゼルによって唱えられたユダヤ教の運動の一つ。
東欧ユダヤ人に広まり、のちにイスラエルやアメリカに伝わった。神秘主義的傾向が強くツァディークという指導者を中心に祈祷によるエクスタシーを重視。

中田
国家の歴史は短い。
しかし国家は主権を持ち、国民の生殺与奪の権を持ち、国民は国家に死ねと言われたら死ななければならない。そういう奇妙なものが国民国家。
ホッブズはこうした近代国家のことを地上における可死の神リヴァイアサンと呼んだ。


領域国民国家は西欧の世界支配システムであり、西欧が国家承認さえすれば実体がなかろうが、存在が住民に大きな厄災あおもたらそうが独立主権国家として存続してしまう。
本来はある地域の人が独立国家を作ることに意味があるとすれば少なくとも二つの条件を満たす必要がある。
一つは国家内部に一つの国家として束ねられているだけの顕著な同一性があること。
もう一つはその国家と外の国家の間に境界が必要なほどの異多性があること。
その点からいうとイスラームの国々はあまり独立している意味がない。
インドや中国は上記の条件にとてもよくあてはまる。

イスラームでは宗教儀礼言語はアラビア語、ムハンマドという一人の預言者、一つの聖典クルアーン、一つのイスラーム共同体があり、それをベースに国民国家がおかしいなら変えてしまえばいい。

今グローバリゼーションと呼ばれているものは単なるアメリカの覇権でしかない。
領域国民国家システムがリヴァイアサンの偶像崇拝なら、
資本主義というかアメリカ流の拝金主義はマモン(銭神)崇拝。
アメリカ流のグローバリゼーションは本当の意味でのボーダーレスな自由な世界を目指すものではなくマモンとリヴァイアサンの配偶神を拝む偶像崇拝


リヴァイアサンは越境する者を潰す。

ウエストファリア体制以降近代国民国家の体裁が整ってゆくわけですけども、その時にまず敵視されたのはカトリックとユダヤ人。彼らは国民国家の概念にうまくなじまなかった。
ユダヤ人は国なき民なので領域的な国家への帰属意識や忠誠心を持ちようがない。
カトリックも国民国家とかなり確執した。
政教分離は十九世紀末だが、あの時期のフランス文学を読むとここまで悪く言うかというくらいイエズス会が悪者にされている。何かあればイエズス会の陰謀にされる。
街頭でデモなんかしている。
もともとカトリックの国で、つい十八世紀までは聖職者が貴族に並んで権勢を揮っていた国で、国民国家が成立するといきなりイエズス会のような国境を越えた宗派が目の敵にされる。
国民国家にはボーダーを越える者に対する生理的な憎しみがある。
イエズス会もユダヤ人もフリーメイソンも何かあると黒幕に見立てられる。
他には同じような理由で国民国家から暴力的に弾圧さえたのが、
植民地統治の尖兵の東インド会社。東インド会社は条約締結権や徴税権や交戦権まで持っていた。国民国家を越えるグローバル存在。
近代国民国家が成立する過程ですべて潰された。
フランスではフランス革命直後に潰された。オランダでもイギリスでもほぼ同時期に解体され、利権は国庫へ。その矛先がイスラームにも。
国境というイデオロギーにこだわり、クロスボーダーを攻撃するのは、
国民国家というものの土台が脆弱だという危機感があったからでしょう。
ただの恣意的な線にすぎない国境線というものが実は人間たちを隔てる決定的な切断線であって、これを越えて利害が一致する者たちはもはや人間ではないという話を作りこんでいった。

(資本主義国家の二大神は金と国であり反イスラーム!
理想的ワンワールドはイスラームがすでに達成していたがキリスト教勢力が破壊!

イエズス会陰謀論はかなり昔からあってプロテスタント系がよく主張していた。
国境を越えた宗派にはメイソンも入るから叩かれたんだろうな。
ボーダーを越える存在を叩く癖に特権階級は越えてもお咎めなしの二重基準。
東インド会社は北欧勢力も作っていたことが重要。
あと東インド会社は潰れるべき存在でしょ。






東インド会社
17~18世紀にかけてイギリス、オランダ、フランス、
デンマーク、スウェーデン各国が設立した東洋貿易のための独占的特許会社。当初香辛料などの輸入が目的であったが、植民地経営、行政にも深くコミット。


アメリカが必死で目指している経済のグローバル化が完了するためには世界市場が単一の言語、単一の通貨、単一の度量衡、単一の商慣習によって統合されていることが必要。
世界中の人々が英語を話し、ドルで売買し、同一の商品に欲望を抱き、金があるやつがいちばん偉いという価値観を共有するときにはじめて経済のグローバル化は完了する。
それは完成していない。それを阻む巨大な障壁がイスラーム圏。
西はモロッコから東はインドネシアにわたる人口16億の巨大なイスラーム圏が存在する。
同一の宗教儀礼、同一の儀礼の言葉、同一のコスモロジー、同一の人間観が共有されている。
グローバリストにとっては大いなる脅威。イスラーム圏は潰すしかない。
私的な信教として家の中で信仰する分には構わないが、イスラーム法による統治だとか、イスラームの商習慣に基づく経済活動は絶対これを許さないというのがグローバリストの立場。
個人的信仰としてのイスラームは許容するが、社会的な制度としてのイスラームは許容しない。
イスラームは国民国家ではなく国民国家という枠組みとは相性が悪い。遊牧民的な集団なのでクロスボーダーな仕方で連帯している。それがアメリカにとっては一番困る。
アメリカがある国のイスラーム勢力を軍事的に叩いても彼らは簡単に国境をすり抜けて隣国に逃げてしまう。
彼らにしてみたら自分たちのことを別に隣国に逃げた外国人だとは思っていない。
その辺を何百年も前から自由に行き来していたのに、最近になって鉄条網で境界線を区切って
こっちには来るなと無法なことを言い出すやつらが出てきた。ふざけたことを言うなが遊牧民的なメンタリティの本音でしょう。
遊牧民的な連帯を打ち砕くために、
国民国家・領域国家それぞれの主権と独立性を強化し、
隣国との利害の対立を強め、
国民同士が憎しみあうように仕向ける。


(世界連邦作って国境なくすと矛盾するな。国境作りまくった勢力と国境なくそう勢力が同じ勢力だから自作自演だな。
海外移住する日本人が少ないのって領域国民国家の呪いだろう。
国境超えたら死ぬって潜在意識では思ってるんじゃないの?)


中田
欧米国がイスラーム世界の植民地支配を永続化させるために残していった彼らのエージェントたちが、独立を与えられたそれぞれの領域国民国家の支配層だったわけですが、彼らが作ったカルテルがOIC(イスラーム協力機構)です。
OICはイスラーム諸国の連帯を目的としているように見せかけながら、実は加盟国各々の既得権を守るためのカルテルとして機能して実際にはイスラーム圏の分裂を固定化するものとして働いているんです」

(OICが人工芝ってことは他の著書でも書いている)


内田
「ですからこれからのアメリカの世界戦略は、非イスラーム圏に対しては国民国家を解体する方向で圧力をかけ、
イスラーム圏に対しては逆に国民国家を強化するというかたちで圧力をかける、
ダブルスタンダードを使っていくのじゃないかと思います。
自由貿易で市場開放、食糧の自給自足体制の破壊、英語公用化、固有の食文化や商習慣を廃絶、国民国家としての自立性・主権性をなし崩しに無化。
一方、
正統性の乏しい独裁的な政権を支援して、境界線によって厳しく分断し、イスラーム内部の連帯が成立しないように全力を尽くす。
イスラーム圏という領域国民国家を超えた巨大な宗教的連帯が存在する以上、ダブルスタンダードでいくしかない。」

金貨の伝道師の中田
「世界はフラット化する必要はないし、フラット化しちゃいけない。

世俗主義が生んだ最大の魔物、マモン(銭神)はお金。
イスラームなり、ユダヤなり、カトリックなりが伝統的に持っていたグローバリズムは宗教文化としてある普遍的な理念を擁していたと思うのですが、世俗主義に徹した今のアメリカ型のグローバリズムになんらかの理念があるのかといったら、ない。
あるのは結局お金だけ。それだけ。拝金主義以外の何物でもない。
ある程度は必要ですけど、それ以上は持っても仕方がないでしょう。

イスラームではお金は金貨銀貨であり貴金属なのでそれ自体に何円かぶんの価値がありそれと同じだけの価値を持ったものと交換できる。
紙幣はただの紙切れであり国家が暴力を背景に押し付けたというだけで、何円かぶんの価値があるということになって流通している記号。
記号だから実体を離れて自己増殖を始める。利子が利子を生むマネーゲームの根本原因。
人間は記号を操って生きているので完全否定する必要はないが、放っておくとモラルを逸脱してとめどもなくエスカレートしていく性質を持っているからそうやって抑えるかがカギ。
紙幣は記号なので実体から遊離すると偶像に堕す。
純粋な記号の数字だけの電子マネーはもっと露骨な偶像。ゆえにそういうものの暴走は許さないというのが基本的なイスラームの考え方。
記号は記号でしかなく、それには記号が代理する実体に対応する価値を与えない。
イスラームは言葉と事物は正しく対応しうると考える。
言葉自体は記号でしかないので事物との対応は自然には保証されない。
言葉が事物との対応を失い、虚偽の幻想によって人々を支配するようになること、それが偶像崇拝。
イスラームは実体と対応した記号、言語の正しい用法にこだわり、記号が実体から遊離し、偶像崇拝に陥ることを常に警戒する。
本来はキリスト教も同じで、言葉と事物の正しいつながりを信じていたはずです。
ところが西欧近代言語学は言語と事物のつながりを断ち切り、言語と事物の関係を純粋に恣意的なものとしてしまった。
結果、名前はあるけれども実体のないものの存在を容認することになって、それがマネーという記号の独り歩きを助長。
それを避けていこうというのがイスラームの偶像崇拝禁止の概念。」

内田「だから金貨。金貨にしてもある種の物神性とか記号性は持っている。半分記号、半分物質みたいなもの」

中田「ええ。イスラームにも兌換紙幣はある。
西欧の小切手の起源はアラビア語の証券。
問題は金の裏付けのない不換紙幣でイスラームの世界にも中央銀行制度が入ってきているので不換紙幣も当然流通。
利子は禁止。
が、中央銀行が商業銀行に有利子でマネーを貸出している以上、だれもが完全に無縁ではいられない。
イスラーム法では利子(リバー)が禁止されているのは金と銀と穀物など一部の食料に対してだけなので、紙切れの紙幣に対しては適用されないとの説がある。これは紙幣を無効とし、金銀本位制に復帰することを説く人たちの議論。
やっぱり基本は金貨なのでアメリカみたいに完全に記号の世界にはなっていない」

(神以外の権威を認めない
=拝金主義の否定。
つまりカルヴァン派と資本主義の否定。
支配層の神格化も認めないから、
特権階級だけ金持ちという矛盾した共産主義の否定。

世界一言葉と中身がかけ離れているのがカトリックとプロテスタントとその変形だな。法律名と中身の乖離。

真の金持ちが紙幣を実物に変える理由がわかるでしょ?








中田
公共料金に支払いなどのために口座を維持する最低限の額以外はできるだけ金にかえている。
と言ってもわずかなものですが。
手持ちの現金は金貨にする方がいい。金貨を持っているとビジュアル的には守銭奴みたいだが、そんなことはない。金貨だとたくさんもっていてもしょうがないって思うようになる。」

内田
「電子マネーだと使わなきゃいけないという気持ちも起こらない。」

中田
「金貨は人間の身体にくっついた等身大の存在であるからため込まなくなる。」

内田
「金貨の物質性が、物神化を抑制。利子をつけない効用は?」

中田「流動性。利子禁止の理由は金は回していくものだという考えが根本。貯蓄してもしょうがないし、貸し付けるいみもないからぱっぱと使う」

内田
「貨幣は等価のものと交換する以外にはなんの使用価値もないものだ、ただの物の交換を加速さえるための装置にすぎないということをきっぱり宣言している。
貨幣の本務はものをぐるぐる回すことなので停滞する理由はすべて排除。利子で滞留するぐらいなら利子をつけない。紙幣にすることで退蔵されがちになるなら金貨を使え、合理的。

昔は日本は金をため込むことは卑しいという文化があった。金は不浄だから子供は金に触ってはならないというルールも僕の子供のことまではあった。子供は金の話をするなと父親に一喝されたり。金の毒への警戒心。金をため込むと体に悪いという人類学的な知恵は今はさっぱり感じられない。」

中田
「喜捨の文化も発達していない。ムスリムならあなたお金をたくさん持っているのだから寄付しなさいよと言ったらポーンと出す。
日本人が出さないのは気前よくお金を使ってもあまり褒められないから。貯蓄すると褒められる。つつましんだかケチなんだか。税金が高いから日本人はため込む。しかも税金の使い道が見えない。」


内田
「日本の英語教育がダメなのは目的が卑しいから。英語ができないと金にならないという発想そのものが子供たちの学習意欲を根本的なところで腐らせている。企業の求めるグローバル人材とは要は企業の収益を増やす人材」




アメリカは占領した国の経営が下手。イスラームの伝統と文化をちゃんと研究したのかと。基本的に同害報復という考えがあるので一人殺したらエンドレスになるとなぜわからないのか。とんでもない相手に喧嘩売っちゃった。

内田
「日本とドイツには成功。アメリカは日本はきちんと研究した。
それ以降のアメリカの占領統治は失敗。
日本占領の件は、ベネディクトの功績だけでなく、日本兵と交戦経験のない中西部出身の新兵たちで進駐軍を編成したのも成功だった。第二次世界大戦で仲間を殺された兵士たちが日本を占領していたらもっと暴力的な衝突があったと思う」

中田
「1990年代前半までは日本とイランの間にビザ免除の協定があったので出稼ぎに来ていた人も多くて親日」

内田「野球のダルビッシュはイラン人とのハーフ」

中田「彼の親世代がイランと日本が一番親密だった時代。

今、2013年現在のようにシリアが紛糾するようになった最大の要因は、
いちがいにはいえないがやはり西欧的な思想が入ってくることによってもともとあった人々の共存システムが崩されてしまったところにあるのではないでしょうか。
オスマン帝国解体後にシリアはフランスの植民地になりその後独立。
不自然な境界線によって仕切りが作られることによって複雑なものが混在しつつ生きてきた許容力みたいなもの、知恵のようなものが破壊されてしまったのではないかと。
シリア、レバノン、イラクもそう。

今のシリアを見ているとイスラームに政府も国家もいらないと実感する。このあいだシリアの反政府側の支配地に行った。当然無政府地帯だけどなんの問題もなく秩序が保たれていた。
イスラームの教えに従い相互扶助で生きていてけっこう安らか。
北斗の拳のような世界に政府がなければなるというのは現実に基づかない妄想。
動物行動学や人類学の知見に照らしても生物のデフォルトはいうに及ばず共存であり、争いはかならず起こるにしても例外。
自然状態を万人の万人に対する闘争と考えたホッブズは間違っており、
自然権が実現された平和状態と考えたロックが正しかった。

シリアでは政府のあるダマスカスのほうが誘拐や強盗が頻発してはるかに治安が悪い。
ムスリムはボーダーレスなグローバリストだということも改めて実感。国境はなく、アッラーの教えという連帯があるだけ。
シリアに亡命する人がいるのは暮らしやすいから」

法人概念がムスリム最大の敵

イスラーム国家がなぜこうもそろって放っておくと独裁政権になるのかについて。
部族主義で族長という大きな存在があったが、西欧的な国民国家の概念が結びついて最悪になったケースが多い気がする。
トップが個人ならいかにワンマンでもたいした力は持ちえないが国家は違う。
法人であり機関。レベルが違う。
これに族長みたいな性格をもたせたらたいへんなことになる。
すべてをいいように牛耳る権力になり危ない独裁体制が出現してしまう。
トップが個人か法人かにはとてつもない落差があることがわかってない。
国家はスルタン、カリフみたいなものだろうと思っている。
根底には究極のところ、この世は神がお決めになった法によって成り立っているのであり、人間の支配などはどうでもいいと考えていることがある。
イスラームにとっては法人概念が最大の敵、最大の偶像だと思っている。
下手するとスターリニズムみたいになってしまう。
カリフ制になると全体主義になるからよくないという人がいますが、ぜんぜん違う。むしろ逆。カリフ制のリーダーは個人であり法人ではない。
逆に法人概念がなくなるので保険とか保障とかもなくなり教育も個人になり、基本的に税金もとれなくなるので大規模なプロジェクトもなくなる。
今の日本でやっているような財政投融資もなくなる。全体主義にはならない。
本当のカリフ制なら大きな政府はなくなる。
イスラームには拠点とか相互扶助の文化がありそれに支えられた共同体があるので政府がなくてもカリフがいればやっていけるということ。

部族主義とは族長のところに部族のすべての資源を集中して族長がみんなに再分配するかたち。
なのでドカンと大きく集めてぱっぱと分配する気前のよい族長ほどよい族長。遊牧民の文化。とはいえ即座にリーダーの独擅場になるのではない。
彼らは一人では生きられないので群れから離れる自由がない。そこにある種の民主主義が発生。
近代民主主義とは違う。
遊牧民の民主主義は判断を誤ったら死ぬの絶対に間違ってはいけない民主主義。

族長が自分のところにひとまず集めることでリーダーの権威が保たれるので卑怯ではないのだが、これが近代国民国家概念と悪く結びついて改悪されることでおかしくなった。
西洋では解毒剤として人権思想とか西欧民主主義などを用意したが、
イスラームではその解毒剤がないまま国家という外枠だけが入ってきた。
これが族長制度の拡張主義と合体してとんでもないものになってしまった。


(これ、日本でカルヴァン派が凶悪化して労働教になった経緯と似てる。
安息日=休めという神の強制的命令
という解毒剤が抜かれているでしょ?)


遊牧民では軍隊組織的な厳しさがあり即断即決で切り抜けないといけないのでスピードと強いリーダーが求められる。
一方、定住の農耕民はもっとのんびりしたネゴシエーション文化になる。時間をかけて話あう。」


イスラームは占領経営が上手かった。

イスラームは世界的にみてものすごい速さで広がった。
ムハンマドが七世紀初頭に現れ彼の死から一世紀ほどのあいだに西アジアから北アフリカ、ヨーロッパまで達した。
こういう急速な広がり方をしたのはアレキサンダーの帝国とモンゴルとイスラームだけ。

イスラームで特筆すべきなのは、征服しても自分たちの宗教を信仰するようには決して強要しなかったおかげで民衆の反乱がほとんど起こらなかった。

千年以上ももつ安定したイスラーム法による法の支配を施行する全体の外枠のような仕組みだけを作って、そこに自由な貿易圏を展開したイメージ。
イスラームは相手が攻撃してこないかぎり内面にあまり興味を持たない。

イスラームは他者に対してはある意味政教分離的であって宗教による枠組み
法による共存の枠組みは別物と考える。けっこう高度なグローバリゼーション。
かえって欧米の方が混同していて、政教分離といいながら宗教的な価値観を背負って相手の陣営に攻め込んでいるところがある。
民主主義も人権も彼らは宗教だと思っていませんが、立派な宗教であり、特にアメリカにはその狂信者、宣教師がたくさんいる。
政教未分離。

ヨーロッパでも東方教会はほんとの政教分離。戦時中でも政教分離の原則を貫いて、その時の政権がどんな政権でも彼らのために祈る。
しかし西欧のキリスト教は結局は政権にかかわる。なぜなら彼らの政教分離の原点は世俗と宗教の分離ではなく、国家と教会の分離だったから。
ローマ帝国と教会が戦っていて、どちらも官僚組織で、どちらも地上の権威でかぶるので、
教会は来世、国家は現世の利益に書かある権威だとした。
しかし本質的分離ではなので為政者はなまなかな宗教心を抱いたまま戦争し続けることになる。これが西欧キリスト教の一番の問題。オバマも敬虔なクリスチャン。

世俗という概念自体が宗教的概念です。
戦争して人を殺してもこれは宗教ではなく政治の部分によってやっているのだと言いぬけする。
イスラームは潔く宗教だと断言」

(異端審問やりまくると結局反発されて上手くいかないのさ。
欧米のキリスト教圏って世俗主義とか政教分離とかほざくくせに、
背後の団体が宗教団体だったり、
単に神を別の言葉を言い換えただけだったり、よりカルトが奥に隠れただけじゃん。
人権の権利はゴッドから与えられているので宗教だろ。
民主主義も宗教だし。
政教分離って利権のとりあいの果ての妥協だよね。
政治家が全員無神論でも問題は解決されない。
無神論も宗教の一派であり、ゴッド信仰の系譜)


中田
大ジハードは自分の中であれかこれかの葛藤があること、克己のこと。
戦闘などは小
ジハード。
相手に勝つより自分に勝つ方が難しい。
イスラーム法学用語では異教徒との戦闘。
イスラーム法は女子供を殺してはならない、戦利品をどう分配するかなどのジハードのルールを定めている。

一国単位では本当にイスラーム共同体はできない。
領域国家の概念をまとうと、隣の国に飢えたムスリムがいてもどうしても自分の国に入れまいとするようになる。
サウジアラビアなどが良い例。

モロッコに貧しい人がいれば金持ちのサウジアラビアが手を貸してやるのが本来のイスラーム。
いくら国内で盗人の手を落とす厳格なイスラーム法を実施しても隣の貧しい同胞を救えないのならイスラームではない。」

アラウィー派
イスマイル派からの派生と考えられる。
神が人間の姿になって顕現することがあるとする。
シリア、レバノン、トルコ南東部などに信者が多く、
シリアの人口の約一割を占め、
政府、軍の高級将校にアラウィー派の占める割合が大きい。
アサド大統領をはじめバアス党幹部に信徒が多い。
バアスは復興を意味する。
バアス党はアラブ民族主義を掲げる。正式名はアラブ復興社会主義党。

アラウィーのアサド政権はロシア、中国、北朝鮮など全体主義独裁強権政権から軍事政治的支援を受けている。
シーア派十二イマーム派のイランの革命防衛隊、
イランをバックに持つレバノンのヒズボラ、
イラクのマフディー軍などから軍事支援を受けており、
いわばシーア派軍閥。
シリア反体制派勢力の主流はシーア派。

(さすがにイスラーム情勢の情報は詳しい。
西洋系のイスラームニュースの偏りがよくわかる。
ホメイニ革命以降の今のイランは徹底的に反アメリカ。
王政時代はCIAの傀儡の王様が支配していたからね。)


サラフィー
スンナ派。クルアーンとハディースの直接参照を義務を唱え、
イスラーム学の伝統の権威を否定。
特に神学とスーフィズムには激しく敵対。預言者ムハンマドとその教えを直接受けた教友の時代を理想視し彼らの行動や考え方を自らの道徳規範とする。
サラフ=先達。
(サラフィーはたいして勉強しなくてもなれるのが特徴)


五章 カワユイ(^◇^)カリフ道

にある画像が
カリフ制再興まであと一歩だ
と書いたブローチ(インドネシア)
なんだが、
左に思いっきり擬人化された蜂がある。
バグズライフみたいな蜂だな。
蜂を書いてあるからヤソ系結社が後ろにいるんじゃね?
イスラームで蜂がどういう意味かは私にはわからない。

中田
「石油は本来イスラーム全体の資源ですから、一国で囲い込んでいいのかという話がある。やっぱりみんなで恩恵を共有すべきだろうと思う」

内田
「イスラーム全体で石油資源を共有して、分かち合えばいいんですよね。
それ、いい話ですね。合理的だと思います。
そういう視点からも、かつてのイスラーム圏が持っていた連帯と相互扶助のシステムをもう一度賦活させたい、と。」

中田
「ええ。イスラームは一神教ですから、
当然、神は宇宙にいます唯一の神であり、
どこかの特定の国の神ではありません。
すべてのムスリムは天と地の主であるところの1つの神による1つの法に従うことによってムスリムとして生きることができます。
カリフ制を再興させることによって、その秩序ある生き方を甦らせたいわけなんです。

まずEUのようなかたちを目指すのが平和的なシナリオだと思います。


2007年にインドネシアのジャカルタの一番大きなスタジアムを貸し切って、
カリフ会議というのをやった。公称ですが十万人集まった。
2013年の二回目は十二万人。
主催は、解放党の人たちで、イスラームのいろいろな団体のかなり偉い人達が来てお祭り騒ぎになった。
解放党はパレスチナで第イスラーム学者が創設した国際イスラーム運動の組織で、カリフ制再興を目標に掲げている。
本部は中東にある。
私、中田はカリフ制再興を世界中に発信しようみたいなことを訴えた。
そしたら盛り上がりYOUTUBEで流れて国際的なお尋ね者みたいに私はなった。
アメリカのDIA(国防情報局)の要注意人物ですって。
たぶんもうアメリカのビザは降りないと思う」

内田
「義理と人情を秤にかけりゃの
高倉健の『昭和残侠伝』のファンである尾田栄一郎が書いているのがワンピース。
あの海賊コミュニティは侠客の共同体」

中田
「原泰久『キングダム』が好き。
中国の春秋戦国時代を舞台に、大将軍を目指す少年・信と後の始皇帝となる秦国の若き王・政が主役で、
信が
国境があるから国々ができ戦いつづける
と言うシーンがある。


『マギ』では金本位制の廃止と不換紙幣の発行の病理をわかりやすく解説している。」

中田先生のオススメ本が
内田先生の『先生はえらい』であり、
中田先生は脱血だブログの熱心な読者にして伝道者。

【感想・ネタバレ】先生はえらい(30件)のレビュー
https://booklive.jp/review/list/title_id/217099/vol_no/001
”内田氏のこの著作『先生はえらい』を自分なりに解釈すると、学ぶ側(学生、生徒)は、
「自分は何を知らないか、できないか」を適切に言うことができない状態を適切だとしている。
そして、先生は、その「何か=知識」を教えてくれるものではなく、
「スイッチ=媒介装置」の役割をすることが適切だと、
つまり、教師は、知識を教授する、しないは、あまり学ぶ側にとって真に必要とせず
学ぶ側が何を知りたいかを自己に問いかけるような存在になるべきだということです。
学ぶ側が、あっ自分自身は、こういう「知」を知りたいんだ、勉強したいんだと、
心の底から思える状態ではあれば、教師の役目は半ば終了し、
学ぶ側は、以後、自発的に学ぶ。

今、学校の授業はシラバス方式(いつ、何を、どう教えるを開示したもの)になっているらしい。
これは、先生を知識提供サービス者とし、勉強する側は消費者とする、
まさに、ビジネスの論理で教育を考えている。
これをやっちゃおしまいよという言葉がありますが、
内田氏曰く、お終いなのでしょう。

つまり今の状況は、学ぶ側にメリットがあるように思えるが
(だって知識を効率的に分かり易く教えてくれるんだから)、
しかし、実はあまりメリットがない。
そもそも、教育に対してメリット、デメリットを考えしまうこと自体が、
ナンセンスなのだろうと思う。

結局は知識の過多で点数をつけられるから、仕方ないかもしれないが、
これでは、今も昔も大量の勉強嫌い(点数をつけられ、順番をつけられることが嫌だと思うこと)
を生んでしまうように思う。”


『失われた宗教を生きる人々』
ピザノザウルス@ほぼイラスト垢@pizano1215
「ラクダやウサギの肉を食べてはいけない」
「自分と異なる性の動物の肉を食べてはいけない」
「イマーム・アリーに神性は無く、単なる立法者(これに関しては、タキーヤの可能性)」

↑『失われた宗教を生きる人々』より、アラウィー派に関する情報の内、個人的に初見のものを列挙。







(アラウィー派では性別不明の生物の肉はどうするのだろうか。)

・秘密の儀式では聖別されたワインを飲み、ミサと呼ばれる。

(飲酒OK。
聖典にイエスの記述あり。クルアーンにもイエスは登場する。)


・イランの伝統も取り入れゾロアスター教から受け継いだものを儀式の中心に据え、
その儀式で飲まれるワインを神と交わる一つの手段としている。

(ゾロアスター教も飲酒OK。)


・人間は人間だけでなく植物や動物に生まれ変わることもある。

(六道輪廻には植物は含まれないから、植物は食べていいとするのが仏教。
仏教型輪廻ではない。
人間は人間にしか生まれ変わらないとするゆがんだ選民思想のスピ系輪廻でもない。)

・ある種の木が聖なるものとして重要性をもつらしい。

(たいていの宗教では聖なる木が存在するんだけどね。)

・アラウィー派の聖典(信者以外には読めないが西洋学者が公表)
の思想は初期ムスリム哲学者によって正当性を証明されている。

(きちんと翻訳して公表した保証なし。
そもそも本物の聖典である保証なし。
秘密主義なら暗殺もやるでしょ。
クリーニング屋や葬儀屋や医者とかに扮してね。)


・神のしもべはムハンマドはイエスだけでなく、プラトンやアレクサンダー大王などの古代ギリシャの偉人もいる。最重要人物はムハンマドの娘婿アリー。
アリーは人間の目に見ることのできた神の姿あるいは神の像であり、限りある人間の精神にも理解可能な、地上における神に最も近いものだ。
アリーは神だ
といってアリーを賛美することは正しいが、
神はアリーだ
と言って神を限定することは間違い。
アラウィーでは、
神の像は神であるが、神は像ではない
という。
ネストリウス派の
メシアは神であるが、神はメシアではない
とよく似ている。

(神の像は神のごく一部を表現しているが、それは神そのもの=全体ではない
ってことだろう。
偶像崇拝禁止に抵触しそう。)

・ヤズィード教徒やハッラーン人と同じようにアラウィーも惑星を崇拝する。
彼らの部族名には太陽や月にちなんだものがある。
少なくともアラウィーには太陽や月への崇拝を美徳だと考える者がいる。
アラウィーの部族と生活をともにしその経験を本にまとめた十九世紀のイギリス人宣教師サミュエル・ライドは部族のメンバーが他の部族のことを「彼らは月を愛していない」と批判するのを聞いている。
また、
地上で最も神に近い存在であるアリーは、太陽の中心に隠れた
というのも聞いたという。
アラウィーが祈りをささげる際に太陽に向かう根拠だろう。
かつてはミトラ神も同じように考えられていた。
それがある時点で何かを隠すためか、あるいはアリーへの崇拝をミトラ教と融合させる意図によって、
アリーの名がミトラ神のかわりに使われ、その後、時の経過とともに忘れられていったのかもしれない。


(被造物=星崇拝もイスラームに反する。
ミトラ教も混ざっている疑惑。)

・アームスロトングが月面着陸するとアラウィー神学者に危機が訪れた。
ハッラーン人の思想と同様に、
アラウィーでは月は天の序列で神と人間の間にある精霊が物質の形をとったものだと信じられていた。


(実際は月に人間は行っていないし、
そもそも見える月が本物かわからないから大丈夫さ!
アポロ疑惑で放射線の話が避けられる傾向にある理由は割愛。
月の線量、月を往復する過程での線量の情報が出ない。
計算したことがあるけど、こりゃ人は死ぬわ)

・この問題を説明するためにアラウィーのシャイフは『月を求めて』という本を書いた。
この本は実際に出版されたことを確認できたし、星や惑星の性質を論じたものだと裏付ける書評も見つかった。が、本は一冊も残っていなかった。
本が消えたのは秘密主義によるものだろう。
徹底的に秘密を守るこの態度は、十三世紀の十字軍のアッコ(現在のイスラエル北部の西ガリラヤ地方の都市)の司教ヤコブ・ド・ヴィトリアーコが「法」と呼ぶアラウィーの秘密の教義に関する文章によくあらわれている。
「母親に法を明かした息子は、容赦なく殺さなければならない」
アラウィーは今も秘密主義。著者はあまり質問しないようにした。

対して、ヤズィード教徒は権力を持たないため、両目がつぶれるようなこともあまりない。
太陽を支配する、とミールザーのいうシャイフ・シャムスは、神の知恵を広めるために人間の形をとった地上に降りた天使でもある。ハッラーン人、アラウィー、ヤズィードの三者にはほかにもよく似たところがある。
三つとも輪廻転生を信じ、火を崇拝する
(ヤズィードは決して火につばを吐かない。手に炎を通すことがよくあるが、
そのやり方はまるで火にキスをして火で顔を洗うかのようだ、と十九世紀のイギリスの宣教師パーシーは書き記している。)。
ヤズィードとアラウィーは太陽に向かって一日三度祈りをささげ、
ハッラーン人は南に向かって一日三度祈りをささげる、とビールーニーは書いている。
日中太陽は南に面しているので、両者に違いはない。
ヤズィードにも魚を殺すことを禁忌とする人々がいる。
魚は水に住むため神聖なものとされるからだ。
(「千三百五十年前にヤズィード教の聖人がダマスカスでテントを張ったとき魚が川から出てきてそのテントの杭となったんです。
それ以来、ヤズィード教徒は魚を殺したことはありません」
とアブー・シバーブは付け加えた。
ビールーニーはハッラーン人の神殿がダマスカスにあったことを千年前に記録している)。
ハッラーンとヤズィードとの関係は分からない。
だが月神シンを崇めるこの古代の星辰崇拝者たちがオリエントの様々な宗教に影響を与えたことは想像に難くない。
そして中にはもちろんヤズィードも含まれているはずだ。

(秘密結社の秘密を一番言ってはいけない対象が母親らしい。

アッコってやっぱりユダヤ・キリスト教要素がある名前なのね。

宣教師が潜入しすぎだろ。

杭になる魚ってダツみたいなやつ?

ここまで火を崇拝するならゾロアスター。

アラウィーはイスラームではないな。
イスラームと対立した思想の隠れ蓑だったっぽい。
めちゃくちゃ万教帰一じゃねーか!
秘密主義の宗教は内容を一部公開してもすべて嘘の可能性があるからなあ。
アラウィーも面白いけど、
フェニキアの末裔だと主張するマロン派キリスト教も面白い




お読みくださり感謝!
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