ルース・サンプル「リベラル・フェミニズム」
Sex from Plato to Paglia「リベラル・フェミニズム」です。dropboxpaperで共同翻訳したものが完走しました*1。リベラル・フェミニズムの議論についての翻訳、おそらくけっこうレアだと思います。何ってwikipediaのリベラル・フェミニズムの項目の脚注の少なさがやばい(英語版をそのまま訳すだけでかなりマシになるとは思う)。
原著を片手にお願いします(呪文)*2
リアルタイムで更に専門の研究者の方の手など入れていただいて大ビビリなんですけど、しかし、この膨大な内容ぜんぶ翻訳するプロジェクトっていうのも中々遠大そうで、実際、翻訳したものをまるっと出版するのはハードル高そうだし、訳してる間に議論が時代遅れになりそうだし。でも、フェミニズム周辺の議論とかルーツについての知識というのは今けっこう必要とされている筈で、知識が共有されないと議論もできない。学問というのは大変だなあと思った。
最後のほう1ページ一時間切ってたんですけど、わからない単語は即効で調べられて、目で読むのとほぼ同速度で訳出できる時代、すごい。drop box paperの文字認識技術(作業がくっそ早かったのはだいたいこれのお陰です)ってどうなってるんだ…?
Sex from Plato to Paglia: A Philosophical Encyclopedia
- 作者: Alan Soble
- 出版社/メーカー: Greenwood Press
- 発売日: 2005
- メディア: ハードカバー
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原著はこれ。
今回から
こむずかしい話には「こむずかしい」タグを入れることにしました。 あと、今回のエントリ、ここからはただの私の感想文です。そこまで読まなくてよいです。
余談とか所感とか
江口先生は、2000年代半ば、大容量のアップローダが無くて住人が困っていた所に潤沢なサーバーリソースを提供してくださりつつ、異様な味のある楽曲をなんだかすごいペースで作って居られた方で、京都在住時代はバンドのサポートなどをやってたんですけど、当時、倫理学って何やるのか全然わかってなかったし研究室で打ち合わせしてても何も説明がなくて何も知らなかったという。数年後くらいに「妊娠中絶の生命倫理」を出されてて、それがフェミニズムに興味持ち始めたちょっと前で、「まじか」となった思い出があります(売り切れになってるけど一応Amazon商品紹介を貼っておくなど)
サンプル先生の概説の終盤に出てくる、ジュディス・ジャービス・トムソン先生の「妊娠中絶の擁護」の翻訳(わりとレア)などが含まれる本です。訳しながら「あっアレだ」みたいな顔をしていてたら江口先生が整形でばっちりリンク入れてた。
しかし、「prostitute」をどう訳すか悩んでたときにKoshian氏がアドバイスでDM下さったんですけど*3、ひたすらラディカルとかソーシャルなフェミ方面から糾弾されるセックスワークやポルノグラフィ、あるいは彼らが「ポルノグラフィ的である」と評価する表象をめぐる諸問題*4における「性差別的である」という糾弾に対して、「なんか違うぞ?」って感じてた人たちが知りたかったのって、このあたりの議論的経緯(not結論)だったんじゃないかと思うんですよね。
フェミニズムに基礎理論ってあるのかしらという疑問。
あるのかしらっていうか。無いよねっていうか。
北村紗衣先生の「フェミニストとして勧める、フェミニズムに関心を持つための本5冊(2)理論・学術・専門書編」)(https://saebou.hatenablog.com/entry/20150620/p1)など、なんかピンと来ないなぁって思いながら拝読してたんですけど、これがtwitterで貼られたときに「山ほど議論がある」「先行研究がある」って盛んに仰ってて、いや、先行研究って議論ですよね、結論出てませんよねっていう。学者さんなんだから「かれこれこういう理由でこのような意見をこの研究者が述べてます」まで言って下さいよっていう。それで納得するか否かは提示された側次第だし、学者が言ったんだから納得しろってのは議論じゃなくて権威主義のブン回しじゃないですか。ポケモンバトルにすらなってないぞ。お前は金を払う立場ではないのだから教えてやる理由はない、っていうならそれはそれですが(ジェンダー学の先生には税金から男女共同参画予算出てない? とかはさておき)、それで理解しろって無理があるじゃん。
リベラルフェミニズムの歴史というのも、西洋の自由主義社会における「女性が民主主義社会の同居人と認められる以前/以後」から始まっていて、それは基本的には西欧の歴史なんだよなという所感が強くて。日本社会の農業社会の共同体性が色濃く残った女性観とか(政治運動はやるけど政治家にはならない、何だかんだ専業主婦志向が強めとか)、日本のセクシュアリティ・ジェンダー観の特殊性の話って、欧米と同じくは語れない気がする。
北村先生が挙げられていた5冊のうちの最後、岡真理先生の 『彼女の「正しい」名前とは何か―第三世界フェミニズムの思想』がすごく色々考えさせられる本だったんですけど、昨今の議論を眺めていて、どうにも付きまとう違和感として、日本ってそもそも「征服する側」の国家だったのかしら、っていう。極東サバルタンの地位から一抜けしようとして西欧の真似をしようとして戦争に負けた、それが戦前の日本じゃなかったか。加害者性の否定じゃないんです。「西欧社会の一員」ではないよねと。いいかわるいかはべつにして。思想的に。
戦勝国であるあめりかさんの手で日本国憲法の理念として、リベラリズムとか平等思想を外付けされた経緯があって(これ自体が悪いとはまったく思わない、よくできた思想だし、遠大な理想であるとしても固持されるべきだと私は考える)、でも未だに根付いてなくて、共同体的なふわっとした道徳とか権威主義に走りがちな現実があって。
外付けなぞ認めない、ということで、独自手法を模索するのはアリだと思うけど、「これならみんなええ感じになるんちゃいますか」的な何かを決めるにあたって、共有可能な指標が無い、無視されてるのはまずいと思う。結果的に憲法を守れー人権を守れーって言う人たちが、憲法の理論的支柱部分をまず考える気がなくて、何かありがたいお経か何かみたいに思っているのか、運用上の問題が出ている九条の議論を厭う一方で(夫婦別姓は普通に賛成だし同性婚の禁止と読み取れるのはあんまり良くないとは思ってる)、「日本国憲法において、表現の自由は、何故、あらゆる思想的自由権の中で優位に置かれるのか」って命題をガンスルーしちゃうみたいな倒錯が起きるわけで。ポストモダンの前に近代が無い。
私はマジョリティかマイノリティかというと「取り敢えず日本国生まれの女性なので日本国内ではそれなりに数の多い属性に位置する」点を除くと、特に社会能力に影響が出る障害持ってたりセクシャリティ迷子だったり、マイノリティ的な要素のほうが多いので、というか多数派てきな恩恵をあまり受けていないので、「みんなそう言ってるから正しい」主義には断固として反対したい(『みんな』の主語が『女性』になるとしても)。
リベラルフェミニズムの射程、フェミニズムの射程
Paperの議事録やコメントアウトは、私の初歩的な文法ミスも残ってますが(勉強用)、「ここはどう訳出するか」みたいな話が面白かったので、solvedにせずに全て残しています。自由主義政治哲学の基礎、所有権の問題、マッキノン先生vsストロッセン先生のくだりなどは「まさにここが肝」みたいな感じかなーと。
マッキノン先生の問題提起が、単なるリベラルフェミニズム批判ではなく、リベラルフェミニズムの射程に含まれる、というのは個人的にすごく面白かったポイントで、マッキノン先生の問題提起は「何を違法とするか」であり(方法論に賛否はあったにせよ)、ストロッセン先生の反駁は「自律的選択とは何か」であるわけです。自由とは何か、法の射程とは何か。何が自由で何が不自由なのか。
最近のtwitter議論で、自称フェミニストとしてブイブイ言わせてる人が「公益」とか言い出して、それをいっちょ噛みで大学のジェンダーの先生が擁護してあげる状況、完全にそれ以前の問題じゃないですか。自民党改憲案かよ*5
フェミニズム・コンパスとか面白いかもしれない
序盤の女を人間と認めるか認めないかみたいな話はさすがに棄却していいと思うんですが(さすがに。日本の法制度上は)、あらゆる女性が強制抜きにセックスワークやポルノグラフィ産業に関わる選択をすることはないと考えるなら、女性の自己決定権ナメるのも大概にして下さいと思っちゃうし、「男女は文化が違うから女性には客観的合理性がなくてよい」みたいな話になると「あん??」って顔になるし、そんな効果のはっきりしない問題でギャーギャーやる前に格差や貧困をどうやったら改善できるか考えるべきだと思うわけです。
中絶については、私はプロチョイスにもプロライフにも完全には賛同できないけど、産んだら結局母子ともに苦しむことになる(下手すると死ぬ)しそれでも産めみたいな強制がなされる、しかもそれが全部女性の責任になるなら、それも妥当だとはあまり思えない。避妊、特に緊急避妊アクセスは、「ギリギリ生命倫理の話をしなくていい」水際の選択肢だからこそ大事なんじゃないかと思っています。中絶薬の使用が一般化したからといって、中絶する女性の倫理的な葛藤や、社会的なスティグマがなくなるともあんまり思えない。
……という、私の思想性は、サンプル先生によれば、「(妊娠中絶についての議論を除けば)かなり原理主義的なリベラル・フェミニスト」くらいにコンパスされるっぽいな、というのが面白かったですね。ポリティカルコンパスならぬ、フェミニズム・コンパスとか作ってみると面白いかもしれない。*6
次は「フェミニズムの歴史」あたりになりそうです(?) 倫理学方面から掘りたいのですが、本分じゃないのでのんびりやります。
北村先生にトラバ飛んでたので追記です
お名前間違えてすみませんでしたm(._.)m
ところで、SNSでの野良議論で学者に向けて説明を求める香具師が多いとのご主張ですが、それを言うと、「学者は裾野の話題にいっちょ噛みするべきでない」という話になりませんか?
キズナアイ論争でVRにもバーチャルタレントにもAI技術にも、知識も興味もないのに「何か言ってやろう」と言及してる有識者(らしい)の皆さんに私はうんざりしたんですが、それにしても、的外れだと批判するなら、せめて説明はすべきだと思います(多少なり実務で噛んでる人間の義務だと思うので、都度、説明はしてる、エントリは今書いてます)
「理解のない反対論者」より、「何もわかってないけど、なんとなく権威に縋り、バズワードをチェリーピッキングして暴れ散らす自称フェミニストの皆さん(エビの人たちとか)」のほうが思想の説得力に対してやばい気がする。
婦人参政権から第三波までのフェミニズムの歴史と諸派についての説明、私は体力に余裕があれば毎回やってきましたけど、「フェミニズムみんなのもの」って建前は、思想を担う人たちが外に向けて解説する労を惜しんだら、「議論の専門性」とは永久に両立できない気がします。
民主主義的な議論をボトムアップしようとしたら、「知」を底上げする努力って不可欠なんじゃないでしょうか。*7
*1:だいたいリアルタイムで直して貰ったやつで、継続的に手直し入ってますが、ひととおり最後まで訳された状態になってます
*2:ブログに書いた以上は一応…
*3:最終的には男のプロスティテュートも居るし→『売春者』で、みたいな感じになりました
*4:先日のキズナアイ騒動に結実したと言える『萌え』表象をめぐる議論とか
*5:現行憲法における「公共の福祉」、自由権の折衝による最善解を目指す概念と解釈される表現を、「公益または公共の秩序」に変える項目が自民党改憲案の草稿に含まれていたのが一部で問題になりました、二年くらい前から。改憲発議に至ってないので先延ばしになってますが、最近のSNS界隈で頻出ワードになってて「やべえな」って顔してる
*6:回答がある方向に極端だと性嫌悪主義者とか性差別主義者とかになる、そしてどう転んでもボロクソに腐される……ブラックジョークっぽい発想に走るのは良い傾向なのか悪い傾向なのかわかんないけど、ユーモアは欲しい
*7:断絶による知識共有の難しさへの問題意識があってブログ始めたとこもある