Oct.21.2018
ジッドゥ・クリシュナムルティは
1895年インド生まれの思想家です
存命されていた間には,
「現代のブッダ」とも称されました
あらゆるものごとが時空間的に
互いの条件付けによって成り立ち,
実体はないとするその考え方は,
原始仏教の「空と縁起」説に
極めて近く,
終生その独自の
真理への道を説かれました
小生が学生時代に
クリシュナムルティを初めて知ったのは,
心理学者・河合隼雄先生の講演会を
拝聴した時でした
河合先生はクリシュナムルティの
真理に対する姿勢は,
私の目指すところでもあり,
彼の著書は座右の書になっています
と仰いました
そのことばに感化され,
クリシュナムルティの本を読みあさった
時期があり,
そのクリスタルクリアな
端的明瞭さは,
当時とてつもなく新鮮でしたし,
今また見返しても,感動を覚えます
本日はこの,クリシュナムルティの
名言のいくつかをご紹介したいと思います
(和文拙訳)
まずは,社会適応についての
鋭い指摘からです
It is no measure of health
to be well adjusted to
a profoundly sick society.
深く病んだ社会に
うまく適応出来ていることは
健康のなんの尺度でもありません
病んだ集団に適応するには,
同じく病んでいる必要があります
その集団の是非を問わない限り,
気づきようのないことです
そうした社会原理の背景を
「伝統」だと言います
Tradition becomes our security,
and when the mind is secure
it is in decay.
伝統は私たちの安全保障となるので,
精神が安全な時,
それは腐敗します
ここで「安全」というのは,
「疑問を持たないこと」と考えていいと
思われます
先日ノーベル賞受賞が決まられました,
本庶博士のことばが蘇ります
続きまして,意表を突かれるコメントです
When you call yourself
an Indian or a Muslim or a Christian
or a European or anything else,
you are being violent.
Do you see why it is violent?
Because you are separating
yourself from the rest of mankind.
When you separate yourself by belief,
by nationality, by tradition,
it breeds violence.
自分はインド人だとかイスラムだとか
キリスト教徒だとか
ヨーロッパ人だとか,
他の何人であれそう呼んだ時,
あなたは暴力的になっています
なぜ暴力的になっているのか
わかりますか?
自分を他の人類すべてから
切り離しているからです
信条,国籍,伝統によって
自分自身を切り離した時,
暴力が育まれるのです
◯◯人と名乗った途端に,
「ウチ」と「ソト」が生まれ,
対立が生じます
クリシュナムルティはそれを,
宗教的信条や伝統にまで敷衍します
まるでブッダが,
当時のインドで数千年続いていたとされ,
未だに名残があります,
先天的身分階級制=カーストに,
たったひとりで立ち向かわれ,
こう宣言された時のようです
ひとは生まれによって
なるのではない
行いによってバラモンとなるのだ
さらにクリシュナムルティは言い放ちます
All ideologies are idiotic,
whether religious or political,
for it is conceptual thinking,
the conceptual word,
which has so unfortunately divided man.
あらゆる主義は,
宗教的であれ政治的であれ,
愚劣です
というのも,
それは概念的思考であり
概念的用語であって,
余りにも不幸なことに,
人類を分割してきたからです
そして,社会組織をこう断じます
The environment
that we call society
is created by past generations;
we accept it,
as it helps us to maintain
our greed, possessiveness, illusion.
私たちが社会と呼ぶ環境は
過去の世代の人々のよって
創られました
それは私たちの強欲,所有感,幻想を
助けるので,
私たちはそれを受け入れます
人間心理にも深い洞察を示しています
たとえば,恐怖に対しては…
One is never afraid of
the unknown;
one is afraid of the known
coming to an end.
人は未知のものを決して
怖がることができません
既知のものが終わることを
怖がるのです
つまり,恐怖心のない人とは…
A man who is not afraid
is not aggressive,
a man who has no sense of fear
of any kind is really
a free, a peaceful man.
恐れてない人は
攻撃的ではありません
どんな種類のものであれ
恐怖感を持たない人は,
本当に自由で平和的な人です
一方で,愛について,
次のようなユニークな
コメントを残しています
Have you not noticed
that love is silence?
It may be
while holding the hand of another,
or looking lovingly at a child,
or taking in the beauty of an evening.
Love has no past or future,
and so it is with
this extraordinary state of silence.
愛は沈黙である
と気づいたことがありますか?
他の人の手を握ったり,
子どもをいとおしく見つめたり,
夕方の美を理解したりする時,
愛はあるのです
愛は過去も未来も持ちません
だからこそ,この非日常的な
沈黙の状態とともにあるのです
「雄弁な愛」と正反対の見解です
言わんとする愛は,
自分は◯◯人と言ってしまう
場合と同じく,
言語による二元論を超越した
「一体感」です
When I understand myself,
I understand you,
and out of that understanding
comes love.
私が自分自身を理解するとき,
私はあなたを理解します
そしてその理解から
愛が生まれます
あなたはわたしであり,
わたしはあなたである
そう思える境地に至るには,
自分とは何かを理解するしかない,
という含意でしょう
クリシュナムルティの真理の探究方法は,
ひたすらな求道者のもののようです
To live is to find out for yourself
what is true,
and you can do this
only when there is freedom,
when there is continuous revolution
inwardly, within yourself.
生きるとは,正しいことを
独力で見つけ出すことです
そして自由があり,
あなた自身の内なる,
絶えざる革命があるときに初めて,
これをすることができます
「内なる,絶えざる革命」とは,
まさしく自分自身と
向き合い続けることに他なりません
ガンジーのあのことばが
思い出されます
If you begin to understand
what you are
without trying to change it,
then what you are
undergoes a transformation.
あるがままの自分を,
変えようとすることなく
理解し始めるなら,
それは変容し始めます
とは言え,クリシュナムルティは
「修行」を進めているわけではありません
日々の日常の中に,
その気づきのチャンスが
常に既にあると言います
You must understand the whole of life,
not just one little part of it.
That is why you must read,
that is why you must look at the skies,
that is why you must sing and dance,
and write poems and
suffer and understand,
for all that is life.
あなたは生の
単なる小さな一部分ではなく,
全体性を理解しなくてはなりません
だからあなたは読書をし,
スキー板を見つめ,
歌って踊って,
詩を書き,苦しみ理解するのです
というのも,その全てが生だからです
ではなぜ,
私たちは「問題」が山積みなのでしょうか?
クリシュナムルティの答えは,
「考えるな,見よ!」と言った,
20世紀最大の哲学者と称される
ウィットゲンシュタインのことばを
彷彿とさせるものでした
If we can really understand the problem,
the answer will come out of it,
because the answer is not
separate from the problem.
本当に問題を理解できたら,
答えは現れてきます
なぜならその答えは
問題から離れてはいないからです
それでは,このへんで