仲正昌樹氏は語る(撮影:江頭徹)

現代思想のなかで「ヘーゲル」はどう解釈され、語られてきたか

一体どこが重要なのか?
フーコー、ラカン、アドルノ、ハイデガー、ドゥルーズ、デリダ……後世の思想家たちに、ヘーゲルはどのように読まれて来たのか――。本日から発売が開始された『ヘーゲルを越えるヘーゲル』(講談社現代新書)で、金沢大学教授の仲正昌樹氏が描いたこととは?

マルクスとセットで語られたヘーゲル

一昔前、「ヘーゲル」は、「哲学」を志す者が通過しなければならない必読の古典だった。「ヘーゲル」を抜きにして、「理性」「精神」「自由」「市民社会」「法」「国家」「歴史」について語ることはできなかった。

狭義の哲学研究者だけでなく、社会科学や文学、歴史学などを学ぶ人にとっても、「ヘーゲル」は、学問的・体系的な思考方法を鍛える基礎であった。認識論、存在論、論理学、法哲学、道徳哲学、宗教哲学、歴史哲学、自然哲学、美学といった、哲学の各部門をカバーする「ヘーゲル」の体系は多くの人を魅了した。

近代哲学の結節点とも言うべき「ヘーゲル」は、その最大の批判者である「マルクス」とセットで語られることが多かった。マルクス主義の核とも言うべき「唯物史観」と「唯物弁証法」がそれぞれ、ヘーゲルの「精神」中心の歴史観と弁証法を克服するものとして構想されたからである。

若きマルクス(1818-1883)が、ヘーゲル哲学を、ドイツの置かれている現状を変革するための思想へと転用しようとしたヘーゲル左派の影響圏の中にあり、その影響から離脱しようとする過程で独自の思想を生み出したのはよく知られたことである。

マルクス主義の歴史の中で、「ヘーゲル」は、資本主義的現状を肯定するブルジョワ(市民)的イデオロギーの権化として排斥されることがしばしばあったが、ハンガリーのマルクス主義理論家ルカーチ(1885-1971)や、実存主義とマルクス主義の融合を図ったサルトル(1905-1980)のように、「ヘーゲル」に回帰することで、「マルクス」の読み方を刷新し、新しい理論の源泉にしようとした思想家も少なくなかった。

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新しい「ヘーゲル像」の出現

しかし、1989年のベルリンの壁崩壊によって、「マルクス」の知的権威が低下したのに伴って、「マルクス」の源泉であり、最強の敵である「ヘーゲル」の存在意義も低下することになった。

マルクス主義の唯物史観あるいは階級闘争史観が、歴史の方向性と「終点=目的Ende」を予見する形而上学的な歴史哲学と見なされ、信用失墜すると、それと同じ理由から、同じ様に歴史哲学を強みとするヘーゲル哲学も胡散臭いもの扱いされるようになった。

「歴史哲学」は、キリスト教の救済史観あるいは終末史観の焼き直しであり、科学的に基礎付けられた理論たり得ないと見なされるようになった。「(闘争の)歴史の終焉」は、「歴史哲学の終焉」でもあった。

そのため、「ヘーゲル」の影響はかなり弱まり、フィヒテ(1762-1814)やシェリング(1775-1854)と並ぶ、ドイツ哲学史の一時期(19世紀前半)を代表する哲学者の一人、というこぢんまりとした位置付けになってしまった感がある。