今年のノーベル医学生理学賞の受賞が決まった京都大の本庶佑特別教授は19日、神戸市の神戸ポートピアホテルで開かれたシンポジウムで講演した後に記者会見し、幼少期に富山大空襲に遭い、九死に一生を得たことを紹介した。 本庶さんは自らを「生まれつき運が良い男」と評し、その一例として、父親の正一さん(故人)の古里である富山市に住んでいた3歳ごろの記憶を紹介。富山大空襲に遭い、自宅は焼けたが「無事に生き永らえた」という。 避難していた防空壕(ごう)に焼夷(しょうい)弾が命中したが、防空壕の底に水がたまっていたため不発だった。「もし爆発していたら私はこの世にいなかったと思う。そういうことから始まって、幸運の連続だった」と自らの人生を振り返った。 本庶さんのいとこの医師、大崎康世(やすよ)さん(71)=魚津市北鬼江=は、伯母にあたる本庶さんの母親、柳(りゅう)さん(故人)から、富山大空襲の話を聞いたことがある。柳さんは幼い本庶さんを抱っこして、富山市から柳さんの実家がある魚津市まで、線路伝いに歩いて避難した。大崎さんは「伯母はこめかみにけがをしたそうで、『どんなに怖かったか』と話していた」と語った。 シンポは神戸市の人工島ポートアイランドに医療分野の企業や団体を集積させる神戸医療産業都市構想から20年を記念し、本庶さんが理事長を務める神戸医療産業都市推進機構などが主催した。(社会部・田辺泉季、同部次長・荒木佑子)