実を言うと、一般人は印象派以前の藝術も理解できないんだけど、あれらはまだ大衆的な要素を内在してるから、そっちだけを受け取ることはできる。
それまで大衆的な要素+芸術的な要素だった美術絵画(彫刻)が、現代アートへと移行する時に大衆的な要素を切り捨てたのね。より純粋な藝術に進化するために。
だから、それまで大衆部分だけを受け取って喜んでた一般人は急にわからなくなりヒステリーを起こした。
だけど、藝術理解者は印象派以前にも藝術部分しか見てないから一般人が何を騒いでるのかわからない。
一般の人って、工芸品の凄いやつが現代アートになるとか勘違いしがちだけど(オタク=アート論もその変奏)、全く質の違うもの。
工芸品って、部屋をひすたらゴミひとつなく綺麗に掃除するようなもの。クリエイティブじゃない。
日本のエリート(東大京大文系理系とか)って教養がない極東の田舎者だから、クリエイティブを理解できない。すぐに「工芸品」を持ち上げる。怖いんだろう。自分に理解できない藝術が。佐藤可士和デザインですら大多数は理解できないんだもの。あんな教科書的なものですら。
とにかくアジアって文化後進国なのね。トップの日本ですらこうなのだから。東京"国立"博物館がデュシャンと日本美術を脈絡なく展示してホルホルしてるレベルだもの。
まず日本に生まれた時点で、現代アートを理解するには圧倒的に不利。こんなこと言うと、「一般人にもわかやすく説明できるのが一流ダー」みたいな恥ずかしい駄々っ子が沸いてくるけど、アートって歴史上一度も大衆を相手にしてないので。
民主主義の恩恵で、一般人も美術館で億の作品を数百円で見れるようになっただけで泣いて喜ぶべき。
そしてあれは、将来のお客さんとアーティストの入り口としてやってるの。1000人に1人、将来アートに貢献する人材がいるかもしれないと信じて。
金持ちにもアーティストにもなれない一般人はまあ、おこぼれで"文化的"コスプレしてインスタグラムでもやればいいんだと思うよ。
貴族と超金持ちと批評家は理解したつもりで実は理解していないなんてことはないのか?
例えば一億円の絵画って「世界に一枚しかない一億円紙幣」のようなもので、やはり紙幣と同じように、多くの人がそれに一億円の資産価値があると信じていることによってのみその価...
むしろ自分たち以外に理解されたら困る、どう解釈するかの権利は自分たちが抱えておきたいからこそ、あえて理解不能なようにしてるんじゃないのかなと素人考えでは思う
補足だけど数億円もするようなアート作品って「金持ちが税金対策の為に購入する実用品」として大いに役に立っていて、理解しがたいアート作品って、貧乏人には役に立たないものの...
西洋人に日本語が真の意味で理解できない。漢字は一文字一文字意味がある表意文字。 西洋人には真の意味が理解できない。 とか、寿司とか、侘び寂びとか、理解できないとか。