大成功というより、もはやこれは歴史的壮挙だ。韓国のボーイ・バンド(※注)、つまりポップ・ソングを歌い踊る男性歌手グループ、防弾少年団(BTS)の勢いが止まらない。
とくにアメリカで、いや本当に、すさまじい人気だ。この文化的事件の大波は、まもなく、EU主要国のほぼ全域をも覆いつくすだろう。まさに、前代未聞だ。
なにがどう「前代未聞」なのか? その最大のところは、これだ。
「米欧において、『東アジア人の男性』が、ティーンのアイドルとなる」
BTSが実証中の「このような事態」は、はっきりと「史上初」だ。
無声映画時代に一瞬脚光を浴びた早川雪舟という例外はあるにはあったが、しかしだからと言って、いまのBTSの愛されかた、そのポピュラリティの広がりに比肩し得るものではない。
「少女のアイドル」となれた「アジア人」は、歴史上ただのひとりもいなかった。絶無だった。
だからBTSが、若い女性のイマジナリー・ボーイフレンドの「理想像」となることに成功すればするほど――大袈裟ではなく――社会は大きく不可逆的に変化せざるを得ないのだ。アメリカ社会などは、とくに。
なぜならば、同地のステレオタイプ的男性像の一類型として見た場合、東アジア系は、ずっと一貫して「非モテ」側の代表選手だったからだ。
たとえば「これまでの」アメリカで、モテを規準にしたステレオタイプ的なアベンジャーズかゴレンジャーみたいな男性集団を想像してみたとしよう。最低でもメンバー数が4人以上でないかぎり、そこに「アジア系」が入ることはかなり難しかった。原則「ナシ」だった。
まずは白人、黒人、ヒスパニックの「3つのステレオタイプ」が先に席を取る。彼らのほうが、容易に「モテる」姿を想像できるからだ。
ここだけで多様性のある「セクシー」が成り立つという意見が、圧倒的大多数だからだ(映画『マジック・マイク』の男性ストリッパーの人種構成などは、黒人すらいない実質「2枠」だった)。
ゆえに「4人目の枠」があれば、アジア系は初めてそこに、テック・ギークの役で入るか、あるいは映画『ハングオーバー』などで人気を得たケン・チョンみたいに飛び道具的お笑い役となるか……といったバランスのありかたが、これまでは「普通」だった。
ここに、根本的な変化が生じる可能性が生まれたわけだ。
「BTSの大躍進」によって。
なんたって全員韓国人(東アジア人)の若者7人組が、見事に均整のとれた細身の体形で、一糸乱れぬダンスを踊り、少女たちの歓声を一身に集めているのだから――いかにこれが前代未聞の「椿事」であるか、おわかりいただけるかと思う。
本稿は、BTSのアメリカにおける大ブレイク劇の持つ社会的影響、その意義を探るものだ。
来るべき世界の未来像の一端は、この「変化の大波」のなかにある。無数のビジネス・チャンスはもちろん、もしあなたが(あるいは、あなたのご子息が)東アジア系でアメリカ留学の予定があるのなら、狙うべきファッション傾向がなんであるか、僕が言うまでもない。
「アジアからの留学生がモテの象徴となる」ことだって、いまやあり得る!――これがいかに画期的な文化史的大転換なのかについては、のちほど詳しく記そう。
ところで、ここでお断りしておきたいのは、韓国のポップ・ソング、いわゆる「K−POP」について、僕は完璧に門外漢だということだ。
J−POPに対してもそれは同様で、だからどちらの国の女性アイドルも男性アイドルも、これまで一度も好んだことはない。日本語でも韓国語でもなく、英語圏のロックやポップ音楽が僕自身の基層を成しているからだ(という点については、講談社現代新書『日本のロック名盤ベスト100』のなかに記した)。
そんな僕が無視できない――どころか、ありていに言って「突然頭をぶん殴られた」ような大ショックを受けたのが、「アメリカにおけるBTSの大ブレイク」事件だった。まずはここから、お話ししよう。