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【コラム 撃戦記】

ボクサー人生を左右する一戦

2018年10月21日 紙面から

 東京ドームのタイソン招聘(しょうへい)を実現したのは、帝拳プロモーションの本田明彦会長(71)だった。今や世界のトッププロモーターの一人。当時のホテルニューオータニで行われた豪華な前日計量や記者会見は驚きと同時に、その後の世界戦のあり方に変化をもたらすきっかけとなった。まれだったホテルでの発表会見は、今や当たり前。華やかな場所で盛り上げ、選手もその気にさせた。

 ボクサーは両拳で億以上のファイトマネーを稼ぎ出すが、タイソン戦で脚光を浴びたリングアナにも変化があった。米国で人気のマイケル・バッハやジミー・レノンのギャラは200万~300万円。「グラウンドには銭が落ちている」とはプロ野球・南海の鶴岡一人監督の名言だが、リングにも銭は落ちている。

 ボクシングの本場・ラスベガスで最初に日本人選手が世界戦を戦ったのは1978年2月、龍反町(野口)のWBC世界ウエルター級王座挑戦(7回KO負け)。その後も多くの日本人が戦ったが、村田が一線を画すのは五輪金メダリスト&世界王者という点だ。「この試合の結果次第で先が見えてくる」。勝てばゴロフキン、アルバレスという超ビッグネームとの最強対決も視野に…。今後のボクサー人生を左右する一戦だ。

 (格闘技評論家)

 

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