たとえば、蓮實さんとおすぎさんは、同じ映画評論家で淀川長治さんの寵愛を受けた存在ですが、並べて語られることはない。確かに評論の書き方も映画の観方も対照的だと感じます。でも、ふたりに共通するのは映画評論を通じて映画館に客を呼び込むことなんですね。良い映画があれば、とにかく言葉を尽くして観客を呼び込もうとする。おふたりとも、映画評論家としての自身を〈劇場勧誘員〉だとか〈呼び込み屋〉と言っていましたが、そうした姿勢が共通することもあって、文章には観客予備軍の読者を動かそうとする力がありました。そういう点で蓮實さんの本も、おすぎさんの本も僕はどちらも好きでした。


ホントこれだよなぁ。
ハゲラッパーのことをえらく持ち上げているけれど、さすがモルモット吉田、良く解っておられる。

この後に書いてあるけど、映画監督が批評をするのも当たり前。
淀川長治先生が誰の目も気にせず北野武を真っ先に絶賛したのも当たり前。
実写映画では当たり前のことが継承されている。だからまだまだ滅ばないだろう。


もちろんアニメにはこんな人いません。
だから評論家も評論も存在しません。