○シークエッジグループ
代表…白井一成
設立…1958年4月or1986年4月
URL… http://www.sequedge.com/japanese/enkaku.php

設立時期が2つ説があって1つは、1958年4月。これは貸金業者のマルフクの設立日ですね。
(→http://web.archive.org/web/20021022125551/http://www2.access-t.co.jp/navi/com_search/company.asp?kid=448)
もう一つは1986年4月でこれは事業持株会社である株式会社善光が設立された日です
(→https://web.archive.org/web/20101229123935/http://www.sequedge-asa.com/jp/outline_jp.html#History)
その後の事業整理の過程を見るに、今のシークエッジは善光かなと思います。
マルフクの創業者は白井辰巳氏ですが、先代を引き継いだのが白井一成氏です。
ここでは主に白井一成氏を白井氏と呼称します。
マルフクは電話加入権を担保に融資していましたがあまり聞きなれないですよね。
電話加入権の価値については白井氏の著書にこう書かれています
「当時の物価水準では、電話加入権はサラリーマンの年収分に相当するほど効果でした。なぜなら、商店では電話は絶対に必要で、一般家庭でも生活に必要なものになりつつあったにも関わらず、電話工事の供給が追い付かず、半年待ち、一年待ちはざらだったからです。自宅に電話を引いていること自体、その人の信用の証になったほどです」
先代亡き後引き継いだものの。電話加入権の担保価値下落で事業モデルが崩壊します。
コンサル引き入れたり再建に乗り出すも負債約1600億円が重くのしかかり、結局、電話担保融資事業を米シティグループ傘下のディックファイナンスに譲渡しました。
そこからの復活を白井氏は本にしてますので興味ある方は読んでみるといいかも。
その本には堀江氏も応援コメントを寄せてます。

(ご尊顔→https://web.archive.org/web/20070807120830/http://career.livedoor.com/interview/view/ceo/0405/02.html)
↑堀江貴文氏(ライブドア創業者)との出会いが書かれてるので面白い。ここで言ってる介護ビジネスはこれ→http://zenkoukai.jp/japanese/

この電話担保融資は撤退しましたがマルフクと関連会社の八十嶋殖産ともに登記が残っています。
過払い金については、貸金債権を2002年にディックファイナンスに売却済なのでマルフクに直接言っても返答は勿論ないです。余談ですが。
電話担保融資をやめてから子会社再編を行います。

2002年5月 新規融資を停止
2002年8月 マルフク信用保証を吸収合併
2003年2月 マルフク事務代行(旧マルフク事業協同組合)をシークエッジへ吸収合併
2005年12月 貸金業部門をマルフククレジットに承継し社名をマルフクに変更
2005年12月 旧マルフクの社名をヴィラージュキャピタルに変更
2006年12月 新規融資受付を停止
2009年1月 貸金業登録の廃業

ここで初めてシークエッジの社名が登場します。
そもそもシークエッジ(=善光)はマルフクの資産管理会社とのことです(持株会社だからニュアンスは一緒)
(→https://web.archive.org/web/20080110145910/http://www.nikkeibp.co.jp/archives/406/406373.html)
社員に向け事業売却、資産圧縮、コスト削減、新規事業すべての成功を宣言したのが2004年4月
新たなステージへと踏み出したのが中国投資事業なんですね。
ご熱心に何度も中国へ足を運ぶ形跡がしっかり残されています。

○堀江氏との出会い
堀江氏との出会いは食事会だったそうです。ちなみに堀江氏と白井氏は同い年。
そのころの白井氏は早稲田大学経営大学院に通っていたようです。
2004年にマルフクの子会社である株式会社ABSを株式交換でライブドアに譲渡して数十億円。
ABS

白井氏は2004年当時クレディスイスに個人資産として約50億円ほどの預金がありました。
その白井氏経由でライブドアはクレディスイスに口座を開設
ライブドアはこの後、出会い系サイトのキューズネットと貸金業者のロイヤル信販を買収するのですが、
このとき融資したのが白井氏です。総額は45億円。これでJMAMサルベージ1号投資事業組合を作ったわけですが、この後の取引がライブドア事件の舞台となりますがそれはまた別の話。
一応この融資は2か月後に49.5億円(2か月で10%)で返済されている
堀江氏とは食事会もし、両者共にヒルズ族ということもあり密接な関係にあったと言えます。

その当時の白井氏のブログがあります
(→https://web.archive.org/web/20050827142441/http://blog.livedoor.jp/kazu0806/)
色々面白いことが書かれてますが、面白かった点をいくつか
①2004年5月28日にLDF(=ライブドアファイナンス)とミーティング
②リンクにレオスキャピタルワークス代表の藤野氏の当時のブログがあり、ブログでも藤野氏の本を紹介していたり、コメントのやり取りしていた。藤野氏主催の「丙午の会」にも堀江氏と共に参加していた
※2004年のときは堀江氏の家で催されたらしい
③バリュークリエイトの佐藤氏、レインズの西山氏、ワークスアプリケーションズの牧野氏と仲良し
④GS出身で元総務省顧問の山﨑養世やフジマキジャパンの藤巻氏とも面識有り
⑤堀江氏と飲んだBirthというバーは堀江氏の知人が経営(→のちにキャバクラ営業がバレて閉店)
(知人とは尾関茂雄氏のことでVOYAGE GROUPの創業者で山口もえの元夫)
※ちなみに尾関氏も早稲田大学大学院に2002年に入学しており、ひょっとすると白井氏とも面識ある?

殆どヒルズ族とIT界隈の方たちで、まぁそうですよねとしか思わないですがw
藤野氏にしても堀江氏と何度も接点ありますしそりゃ知ってるよね。

○フィスコとシークエッジの邂逅
株式市場で再びシークエッジの社名を見ることになるのは2010年2月22日のフィスコが発表した第三者割当増資の割当先ですかね?
(→http://www.fisco.co.jp/corporate/pdf/IR_20100222_1.pdf)
シークエッジインベストメントインターナショナルリミテッドは出資者白井氏100%の香港拠点の投資会社です。
この時にフィスコの筆頭株主となり、親会社となります。
出会いのきっかけは株式会社GDからの紹介とのことです。
株式会社GDは田中英治氏が社長を務めており、同氏はフィスコ上場前の2002年に事業シナジーの可能性のある取引先(上場企業)を紹介したことがあるようです。
その取引先とは最終的に資本提携が実現し発表時点で株式保有しているとのことから、大型提携の相手先はインデックスだとわかりますね
(→http://www.fisco.co.jp/news/pdf/20021126.pdf)
インデックスも話ややこしくなるので一旦置いときましょう。
また、監査役の中道賢一氏も株式会社GDの取締役です。

一方の田中英治氏と株式会社GDは今後のフィスコ、SJI、ネクスの株券印刷に度々参加しています。
株式会社GDはフィスコの開示によるとM&Aコンサルティングファームを手掛けてるそうです。
なるほど、それでファナンシャルアドバイザーとして田中氏の名前が上がるわけですね。

このときシークエッジの白井氏はフィスコ経営陣との“会談”の中で2年以上の投資として保有すると確認したそうです。書面で確約してませんがその通り2年以上保有してますね、義理堅いです。

新株の発行価格を直近3か月間で決めた理由に、これは前年に”短期集中的な個人投資家の買い集めに係る株価の急激な変動”があったことが書かれてますね。
これはチョウヒジュン氏のことを指しています。
チョウヒジュン氏は経営参画目的(報告書では当初純投資、その後経営参画に変更)でフィスコ株を大量に買い付け、それを手掛かりに大相場となりました。この時の18日連続ストップ高は未だに破られていません。
チョウヒジュン氏は株式会社フォルテの社員と大量保有報告書に載っています。
フォルテは多分ここかな(→http://www.mapion.co.jp/phonebook/M10022/13103/0334989481-001/)
フォルテの住所は東京都港区西麻布4-11-3の泉西麻布ビルで、尾関氏が経営していたバース(西麻布2-24-12 岡部ビル)から近いけど関係ないと思います。多分。

この新株発行と同時にシークエッジ側からの要請で狩野仁志氏がフィスコに送り込まれます。
狩野仁志の経歴は以下の通り

昭和57年4月 安田信託銀行入社
平成5年2月 Bayerische Landesbank 東京支店入社
平成16年9月 ABN AMRO銀行 東京支店入社
平成17年11月東京スター銀行入社
平成18年11月青山綜合会計事務所入社
平成20年4月 SEQUEDGE ASA CAPITAL LMITED代表取締役就任
平成22年3月 フィスコ代表取締役社長就任

青山綜合会計事務所(以下ASAグループ)出身ですね。
SEQUEDGE ASA CAPITAL LIMITEDはASAグループとシークエッジの合弁会社ですね
(→https://web.archive.org/web/20101223042045/http://www.sequedge-asa.com/index_jp.html)
代表の今村翼氏と顧問の李堅氏の経歴は以下の通り

(今村氏)
新生銀行入社
JPモルガン証券入社
カリヨン証券入社
リーマン・ブラザーズ証券入社
ASAグループ入社

(李氏)
SJI代表取締役社長
日本中華総商会理事

青山綜合会計事務所は増資した3か月後にフィスコと業務提携します
(→http://www.fisco.co.jp/corporate/pdf/IR_20100518_1.pdf)
ASAグループの代表は松崎和浩氏ですが、この方少し前にアウトローズに記事にされたことがあります。
(→http://outlaws.air-nifty.com/news/2015/01/aska-77f4.html)
まぁ内容は薄いですし裏付けないですし続報もないですしアレですが
ただ、ニンニク注射を流行らした平石氏が代表を務めたHメディカル研究所の役員は殆どASAグループのメンツなのは事実のようです
(いつもありがとうプロファイル研究所→http://timetide.way-nifty.com/jprofile/2014/06/post-af01.html)
(平石クリニックに通った有名人まとめ→http://matome.naver.jp/odai/2140246518536940801)

シークエッジが親会社になってからの提携はもう一社ありまして、
2010年3月には福建中金社と業務提携を締結します。
同社は中国で3本の指に入る金融情報会社だそうです。
実質的に同社を支配しているのはヴァージン諸島に登記を置く中金オンライン社で、共に代表は沈文策氏です。
2011年1月に中金オンライン社の株式をフィスコ傘下のファンドが2.5億円で株式取得します。
その後持分を沈文策氏が代表努めるBEST BALANCE社に譲渡し譲渡益2.38億円発生します。


2011年4月にはもう一人の代表だった三木茂氏が代表を降ります。
彼は東京銀行を13年間勤務し、39歳の時にトムソンコーポレーションに移り、日本法人社長時代に独立を決意し、1995年5月にフィスコを設立しました。
1997年の日本金融危機の際、三洋や山一の投資情報部から人材を引き抜き、ネット普及&ネットバブルも追い風となり2006年6月にヘラクレス上場を果たしました。
まぁその後はお察し。代表下されたあと、持分法会社のNNA社取締役に移りますがその会社も2011年11月に共同通信社に処分。
そして2012年から本格的に上層部の入替を進めます。三木会長退任、上中管理部長退任、麻生監査役退任と従来のフィスコ役員を追い出し、迎え入れたのがシークエッジ出身の長岡信一郎氏と松崎祐之氏と八木隆二氏と俵健太郎氏と古賀氏です。

(長岡氏)
昭和61年4月 国際証券入社
平成6年10月 ナショナルオーストラリア銀行東京支店入行
平成11年1月 HSBC証券東京支店入社
平成20年4月 アルテディア入社
平成22年11月ECs.p.a入社
平成24年2月 フィスコ入社

(松崎氏)
平成15年12月シークエッジ(現 シークエッジ・インベストメント)入社

(八木氏)
平成16年4月 シークエッジ(現 シークエッジインベストメント)入社
平成19年5月 シークエッジフィナンシャルHD代表
平成22年3月 フィスコ入社
平成23年10月イー旅ネットドットコム取締役

(俵氏)
昭和63年4月 日本債券信用銀行入行
平成13年2月 大和証券SMBC入社
平成14年11月ABS代表
平成14年11月ナイツブリッジ・フィナンシャル代表
平成16年12月アルテディア代表
平成21年12月フェーズ・トゥー代表

(古賀氏)
平成18年2月 シークエッジ(現 シークエッジ・インベストメント)入社
平成21年7月 シークエッジファイナンス入社
平成23年12月フィスコキャピタル入社

長岡氏と俵氏の出身にあるアルテディアは旧社名ケア・アソシエイツといい、元シークエッジ子会社です
(当時の白井氏のブログに紹介記事があります→https://web.archive.org/web/20050830043146/http://blog.livedoor.jp/kazu0806/archives/15558042.html)
医療福祉グループの湖山グループのジョイントベンチャーだそうで、シークエッジのPE部門でも相当資源投入していた案件と紹介されています。
将来的にシークエッジの金融子会社も譲渡予定と記載ありますが、どの会社が判明できず。
現在の株主はアントキャピタル(日興系)とSBIインベストメント(SBI系)となっており、代表の籾山幸雄氏も日興出身とのことからEXITした模様です。
俵氏はあのハコ会社だったABSの代表だったんですね。
松崎氏は監査役に、八木氏はアドバイザリー事業部長に、長岡氏は管理部長に、俵氏は子会社フィスコキャピタル取締役に、古賀氏は子会社フィスコキャピタル取締役に就任しました。


手元資金で子会社化もすすめます
○イー・旅ネットドット・コム(2011年9月21日)【株式取得額…3.62億円】
→大株主はウェブクルー、NFP-ストラテジック・パートナーズ・ファンド
 ※ウェブクルー代表の青山浩はM&Aコンサルティング(村上ファンド)出身
 ※NFPはアイフルの完全子会社で同ファンド出資者はNFP、中小機構で9割、他は日立、いちよし証券等
○ダイヤモンドエージェンシー(2012年9月7日)【株式取得額…3000万円】
→フィスコの取締役3名と監査役1名が同社役員を兼任しており、且つ私募債3000万円引受実績あり
 ※元々はOAシステムプラザ(ステラグループが完全子会社化しJASDAQ上場廃止[2012年6月])の子会社
 ※2009年12月にOAシステムプラザがカンポマリノ社に株式を譲渡
 ※その頃は資産超過だったが、フィスコが株式取得決議した時は既に3期連続債務超過
○バーサタイル(2013年4月25日)【株式取得額…5.15億円】
→フィスコ取締役1名兼任、業務委託契約締結先
 ※シークエッジ・パートナーズが88.41%、石井論氏(イー旅ネットの代表)が数%所有
 ※シークエッジ・パートナーズの代表取締役 福西英俊氏は八十嶋殖産、シークエッジファイナンスの代表でもある
○デイアンドジョイン(2013年11月8日)【株式取得額…約2億円】
→大株主は個人

本店所在地も東京都港区から大阪府岸和田市荒木町2-18-15に移転します。
ここはマルフク本店があったところですね。


○フィスコ×ネクス×SJI
インデックスとフィスコは古い付き合いでしたが、インデックスの連結子会社のネクス(旧ネットインデックス)と資本関係を持つのは2012年6月18日です。
その3か月前の3月にインデックスが保有するネクスへの貸付債権を全額譲受する機会を得ました。
本来このタイミングで資本参加したかったフィスコでしたが、ネクスは前年に訴訟をおこされており、一旦見送った経緯があります。
イー旅ネットドットコム(譲受額2.9億円)とフィスコキャピタル(同約1.9億円)が引き受けました。
しかし再度フィスコはこの金銭債権を社債に転換させたかったのでネクスと協議を持ちかけます。
ネクス側は上場企業の親会社であるフィスコが引き受けてほしいと要望したことから、5月にフィスコキャピタルが保有する金銭債権全額をフィスコに譲渡しました。
その後にフィスコとイー旅ネットの保有する金銭債権弁済の為、転換社債を引き受けます。転換すればすぐ筆頭株主になる規模でした。
この転換社債発行決議と同時にイー旅ネットドットコムの全株式をネクスに5.04億円で譲渡します。理由が事業基盤が安定しているからとのことでしたが、安定して黒字の出せる企業ではなかったです。

その頃のネクスは取引先の日本振興銀行破綻、親会社インデックス経営不振等の影響で資金が枯渇しており、ブリランスを割当先に第三者割当増資をしているほどでした。
2012年3月にはネクスも役員異動を行い、フィスコやシークエッジから石原直樹氏、松崎氏、中道氏、深見修氏、中村氏を迎え入れます

(石原氏)
平成17年2月 ケア・アソシエイツ(現 アルテディア)入社
平成21年4月 アルテディア・レジデンス代表
平成21年8月 健康倶楽部代表
平成24年2月 インデックス顧問
平成24年4月 ネクス顧問
平成24年5月 ネクス経営企画部部長

石原氏もアルテディア出身ですね。
2012年7月には転換社債行使によりフィスコがネクスの親会社となり、12月にはこれに伴い社名もネクスに変更します。
2013年1月に再びフィスコに第三者割当増資を行いますがその際、フィスコが引き受け候補としてケーピーエスHDを紹介しています。
同社の代表駒田一央氏はフィスコと業務上で意見交換する緊密な関係にあり、同社はフィスコの株主でもありました。
度重なる増資で大規模な希薄化となるため、第三者委員会による意見を求める必要がありその際のメンバーが田中稔氏、加治佐敦智、杉本眞一氏の3名です。加治佐氏は石原氏による紹介だそうです。

(田中氏)
1982年 新光監査法人入社
1994年12月レコルテ設立
1998年 グローバル・カンパニー監査役
他にもSFCG創業者大島健伸氏が保有するケン・エンタープライズの監査役も歴任
(→http://timetide.way-nifty.com/jprofile/2011/11/post-35c2.html)

(加治佐氏)

(杉本氏)
平成2年4月 ボストンコンサルティンググループ入社
平成8年11月 富士化学工業入社
平成12年1月 アーサ・D・リトルジャパン入社
平成12年4月 モニター・カンパニー・インク入社
平成15年10月 プロフェット入社
平成19年5月 ボナファイデコンサルティング設立

田中氏はオリンパス事件で有名になりました。というのもオリンパスは“とばし”を行うため、ハコ会社を3つ買収しましたが、その際のコンサルタントとなったのが田中氏でした。
(WSJ→http://jp.wsj.com/layout/set/article/content/view/full/359626)
大島氏にも資本工作の指南したりと凄いお方です。

2度の増資を経て、インデックス傘下→フィスコ傘下になり、かつての親会社のインデックスは2013年5月にはその他関係会社からも外れました。
2013年3月にフィスコの取締役に八木氏と松崎氏が昇格、新たに吉元麻衣子氏が常勤監査役として入閣します。この方もシークエッジ出身ですね。


(吉元氏)
平成18年4月 シークエッジ(現 シークエッジ・インベストメント)入社
平成24年3月 CNジャパン入社
平成25年3月 フィスコ入社



まだまだ続きます